しょうぐんやまじょう

将軍山城

京都府京都市

別名 : 勝軍山城、勝軍地蔵山城、瓜生山城、北白川城
旧国名 : 山城

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主郭
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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/15 訪問)

【城域1:曲輪群[東ゾーン]】
<登城路>城域1(主郭を含む主要部の曲輪群)は瓜生山山頂が主郭なので大山祇神社からおおむね何処を登ってもたどり着けます。京都一周トレイルの番号版があるので、瓜生山山頂をめざす。

<城域1>城域1(主郭を含む主要部の曲輪群)は主郭を中心に東側と西側に広めの削平段が広がり、東側の削平段の東に大空堀が南北に通っています。大空堀のさらに東側は南北に連段曲輪が伸びています。主郭から南方向と西端にも南方向に下がる連段曲輪がそれぞれあります。城域1は東ゾーン・西ゾーン・南ゾーン・主郭ゾーン(大空堀を含む)に区分けして投稿します。

<見所>土塁・堀切
<感想>城域1最大の連郭曲輪群で南北に200m以上の長さがあり、このゾーンだけでここもまた1つの城郭規模があります。南北にはしる尾根を削平した曲輪群になっていて西側に大空堀が北半分並行してはしります。西側の南半分は南から谷に沿って上がってくる敵を東側から横矢攻撃できる造りになっています。曲輪群は北から▢状土塁のある曲輪、片側土塁が南北にはしる曲輪、中心分の曲輪は東と西端に土塁が残り、曲輪全体から見ると、ハの字状になっています。この曲輪が主郭のようです。最南にも広い曲輪が残り、最南端に深い堀切が残ります。この曲輪群だけでも十分な見応えでした。次の投稿は城域1[西ゾーン]です。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/15 訪問)

【城域2:曲輪群[2-4]】
<登城路>前投稿の曲輪群[2-1]の北面がハイキングコースになっているので曲輪群の東端からゆるやかに北方向に向かって進むと土橋に着きます。ここからが曲輪群[2-4]になります。

<見所>土橋
<感想>北東方向に伸びる尾根上に築かれた曲輪群で、南から進んで行くと上記の土橋が現れます。ここから城跡のようで、土橋は土塁上を渡るようになっています。土橋の北側に腰曲輪、南側は扇状の谷の削平地になっていて、土塁土橋はこの削平地の背後の渡り廊下的な感じになっていたようです。そこから北東方向に尾根斜面を登りますが、だいぶ曲輪段は薄くなっていてほとんど山になってしまっています。最頂部の主郭とその南下段(倒木が多い)曲輪は良く残存しています。主郭から北方向に下る小さかったろう曲輪群も今はほとんど無くなっています。さらに北側は広い平坦地の曲輪になっていて、北端に土塁と竪堀が残り、城域2全体の北側の虎口になっています。比叡山に抜ける最北の曲輪群なのでガチガチの堀切等の防御遺構は見受けられずちょっと緩めの基地感がありました。次の投稿はいよいよ主要部に入ります。城域1曲輪群[東ゾーン]です。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/15 訪問)

【城域2:曲輪群[2-1]】
<登城路>麓からは曲輪群[2-2]と同じ経路で、曲輪群[2-2]の登り口が城域2全体の西の虎口となっており、枡形と土塁が残されています。そこからハイキングコースを少し進むと京都一周トレイル東山61番の札があります。そこからコースから外れて右手の尾根を進むと主郭に到ります。

<見所>腰曲輪・連段の曲輪群
<感想>城域2には4つの曲輪群があり、かつて東山新城という別城であった説もありますが西隣の城域1に非常に近く、足利義晴・義藤父子が近江坂本へ避難するにはここを通るルート上にあることから最終的には将軍山城に吸収されていたと考えます。この曲輪群
[2-1]が城域2の最大の曲輪群で、中心部であったろうと思われます。主郭に説明板があり説明板には北白川城(将軍山城)の出丸と書かれています。
 城跡は尾根に沿って削平された曲輪群がTの字のように配されています。前述の西端の虎口は枡形や▢状土塁、尾根土塁等の遺構が残り見応えがあります。最高所の主郭から東方向は細かい連段になっていて、土塁が食い違いに配されてジグザグに動かされます。東端に堀切があります。主郭から南方向には綺麗に削平された腰曲輪が数段取り巻いてあり、そこから南方向に細かい連段が9段程連なっていて最下段に主郭より広い曲輪があります。規模も大きく十分に1つの城塞の規模のある城跡です。なかなかの見応えでした。次の投稿は曲輪群[2-4]です。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)

【城域2:曲輪群[2-3]】
<登城路>曲輪群[2-2]の東側の緩やかな谷を南下して右手の並行して南下している尾根に適当な場所で取り付きます。尾根を進むと堀切にぶつかります。

<見所>堀切
<感想>ここも小さな城塞で3・4つの曲輪があり南北に小曲輪があったようですが現在は藪化しています。上記北側の尾根から進むと堀切が数条あり北からの防御もあります。曲輪群[2-2]と連携しているといえばそうだし、城域2の南西方向の出城といえばそうなのかもしれない位置関係にある。南西方向の尾根以外に周囲が崖で改修時のあとから防御を固める為に築造された感じはあります。南端の西寄りの斜面に尾根が見えているので斜面を降りて尾根伝いに南下していくと前投稿した城域3に行けます。次の投稿は曲輪群
[2-1]です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 細川高国
築城年 永正17年(1520)
主な改修者 内藤彦七、足利義晴、明智光秀
主な城主 細川氏、足利氏、明智光秀
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 京都府京都市左京区北白川清沢口町
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903