みやこじょう

京城

三重県南牟婁郡

別名 : 大里城
旧国名 : 紀伊

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斜面石垣
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ぴーかる

多種多様の防御遺構と大石垣に感動 (2026/01/24 訪問)

【京城】
<駐車場他>東泉寺跡まで車で行けます。2台程度駐車できます。
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀群・石垣・登り石垣・枡形虎口跡・3重堀切・土塁
<感想>1泊2日紀伊半島1周、山城攻略旅3城目。現地説明板の中の「続紀伊風土記」によると京城は1585年に豊臣秀吉の家臣堀内氏善によって築城されたとされますが、この書物は1839年に書かれたものであるため、真意は不明であるとあります。
 城跡は山の地形に即して築造を広げていった構造をしており、南の東泉寺跡・墓地は改変されています。東側に畝状竪堀群と堀切を配しています。城跡の中心部に石積みの枡形虎口跡があり、周囲に瓦が多く落ちています。虎口跡の北側は少し凹み地になって、その北側の曲輪壁に高さ3メートル程の石垣が50m程綺麗に残っていて凄い迫力です。虎口跡の西側が山の斜面になっていて、横長に何段もの石垣があります。山頂部は比較的狭くて物見が建てられる程度の広さです。山頂部から北西側は3重の堀切があり、真ん中の堀切は超深い。堀切の南側に登り石垣が残されていて、百・続百名城以外では滅多にお目にかからない登り石垣に感動しました。
 城域はかなり広い方ではあるが、大曲輪は設けておらず、土塁や段差で細かく仕切っている曲輪が多いように感じました。枡形虎口の北側か南側の曲輪群が主要部主郭ではないかと考えます。また、山頂の西側および登り石垣の東側の傾斜地が藪化していて入り込めませんでしたが、まだ何か埋もれてそうな(井戸跡が無いので)感じがしました。ここは凄い!マイベストに入る、百・続百名城に負けていない城跡でかなり見応えありました。三重県制覇していないけど、№1かと。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>京城跡から国道42号線に出る間に「やまじ採れたて市」という柑橘類の露天販売所があります。みかん類も道の駅で買うより安価で特に「あまか」という品種のみかんを購入したのですが、むちゃくちゃ甘くて美味しかった。12月~1月が最盛期だそうです。お勧めです。100円玉を沢山お持ち下さい。

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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:京城 (2025/06/02 訪問)

倉本橋バス停から徒歩2~3分で、大里城東泉寺跡手前(33.782233、135.988316)に着きました。

1588年(天正16年)新宮城主・堀内安房守氏善によって築かれたと考えられています。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で西軍に属して改易となった堀内氏善は、堀内新宮城より一時この京城へ移り、その後に肥後国へ移ったそうです。

東泉寺跡から攻城しました。
枡形虎口から西曲輪群へは急斜面(切岸)のロープ道ですが、見上げれば石積みが見えます。
西曲輪群西側の堀切2状は圧巻でした。
攻城時間は60分くらいでした。次の観光先=平尾井薬師堂に徒歩でに向かいました。

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いんげん丸虫

見処一杯 (2024/12/31 訪問)

整備された見学しやすい城跡ということ
で、公園化されてるのかと思い、あまり
期待しなかったのですが、遺構満載の
素晴らしい城跡でした。
石積み、虎口、堀切、横堀、畝状竪堀群
などなど、、未訪の方は是非どうぞ。

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くうくう

岩盤を掘り切った二重堀切など見応えある遺構が満載

天正16年(1588)新宮城主堀内氏善により築城された。北山一揆に対応したものらしいが、詳細はよくわからない。標高は74mしかないが急登坂で落差感のある曲輪配置に感じられた。まさに別名でいうような要害山だ。主郭は30m四方で、主郭北西尾根に岩盤を掘り切った二重堀切、竪石塁、そして畝状竪堀。東の先端にも畝状竪堀。3郭の北側をはじめ要所要所には石積がみられる。
以前訪れた時は薮に覆われ大した城ではない印象を持っていたが、木々の伐採や草刈りがされた情報を聞き再訪した。見違えるようだ。是非縄張図を持って遺構を味わってほしい。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 堀内氏善
築城年 天正16年(1588)
主な城主 堀内氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
再建造物 説明板
住所 三重県南牟婁郡紀宝町大里字倉本