みやこじょう

京城

三重県南牟婁郡

別名 : 大里城
旧国名 : 紀伊

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くうくう

岩盤を掘り切った二重堀切など見応えある遺構が満載

天正16年(1588)新宮城主堀内氏善により築城された。北山一揆に対応したものらしいが、詳細はよくわからない。標高は74mしかないが急登坂で落差感のある曲輪配置に感じられた。まさに別名でいうような要害山だ。主郭は30m四方で、主郭北西尾根に岩盤を掘り切った二重堀切、竪石塁、そして畝状竪堀。東の先端にも畝状竪堀。3郭の北側をはじめ要所要所には石積がみられる。
以前訪れた時は薮に覆われ大した城ではない印象を持っていたが、木々の伐採や草刈りがされた情報を聞き再訪した。見違えるようだ。是非縄張図を持って遺構を味わってほしい。

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とばつびしゃもん

城址到達に一苦労 (2020/12/14 訪問)

迷ったあげくに城址を発見。登城口前の駐車スペースに駐車して登城開始。
案内板によれば堀内氏善が築城したとされる城。東泉寺廃寺跡地を通ってトラロープを頼りになんとか本丸へ。城内では堀切らしき跡や石垣を確認できました。日没前、急いでまわり30分ほどで下城。

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しんちゃん

いろいろと趣向をこらしてある堀内氏の山城(平山城) (2023/03/19 訪問)

天正16年(1588)に堀内氏が北山攻めの際に築いたと伝わります。
新宮城城主で熊野水軍の首領 堀内氏善(うじよし)が関ヶ原の戦で西軍に属して
桑山一晴に居城を追われ再びこの京城に逃げ込みました。
このたびは二度目の訪問になります。東の墓地側から侵入しました。
なぜここを選んだかというと、このあたりに畝状の竪堀がいくつかあるそうだからです。
年月がたってだいぶ浅くなってしまってはいますが、確かに畝状の竪堀がありました。
このまま居館跡を西に進み詰めの城跡へ向かいます。
居館跡(郭)との間には結構大きな堀切があります。
次回訪問時には堀切周辺の石垣も漏らさずチェックしておきたいと思います。(また来るんかい)

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草刈りされてました(^-^) (2020/03/01 訪問)

2019年1月にイオさんが登城されたおりには城散策に適した冬にもかかわらず、シダがぼうぼうに繁っていて遺構が見辛かったとのこと。約1年後の今回、訪問するとほぼ城域全体が草刈りしてあり、東側斜面の畝状竪堀も見ることができました。
本郭に登る急斜面には、トラロープで、道が示されてました。頑張ってくれてます。
イオさんレポートの通り、北西尾根筋の堀切は見ごたえがあります。この辺りは、流紋岩質凝灰岩が多く、岩盤が加工しやすい。
赤木城から丸山千枚田を経て、京城に行きました。観光案内パンフレットに、「豊織期の築城ノウハウを詰め込んだ赤木城と地元豪族の京城を比べてみては?」と紹介されてました。よいですなあ。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 堀内氏善
築城年 天正16年(1588)
主な城主 堀内氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
再建造物 説明板
住所 三重県南牟婁郡紀宝町大里字倉本