みやこじょう

京城

三重県南牟婁郡

別名 : 大里城
旧国名 : 紀伊

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①西曲輪群西側の堀切
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昌官忠

(東海&関西)遠征19日目:京城 (2025/06/02 訪問)

倉本橋バス停から徒歩2~3分で、大里城東泉寺跡手前(33.782233、135.988316)に着きました。

1588年(天正16年)新宮城主・堀内安房守氏善によって築かれたと考えられています。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で西軍に属して改易となった堀内氏善は、堀内新宮城より一時この京城へ移り、その後に肥後国へ移ったそうです。

東泉寺跡から攻城しました。
枡形虎口から西曲輪群へは急斜面(切岸)のロープ道ですが、見上げれば石積みが見えます。
西曲輪群西側の堀切2状は圧巻でした。
攻城時間は60分くらいでした。次の観光先=平尾井薬師堂に徒歩でに向かいました。

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いんげん丸虫

見処一杯 (2024/12/31 訪問)

整備された見学しやすい城跡ということ
で、公園化されてるのかと思い、あまり
期待しなかったのですが、遺構満載の
素晴らしい城跡でした。
石積み、虎口、堀切、横堀、畝状竪堀群
などなど、、未訪の方は是非どうぞ。

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くうくう

岩盤を掘り切った二重堀切など見応えある遺構が満載

天正16年(1588)新宮城主堀内氏善により築城された。北山一揆に対応したものらしいが、詳細はよくわからない。標高は74mしかないが急登坂で落差感のある曲輪配置に感じられた。まさに別名でいうような要害山だ。主郭は30m四方で、主郭北西尾根に岩盤を掘り切った二重堀切、竪石塁、そして畝状竪堀。東の先端にも畝状竪堀。3郭の北側をはじめ要所要所には石積がみられる。
以前訪れた時は薮に覆われ大した城ではない印象を持っていたが、木々の伐採や草刈りがされた情報を聞き再訪した。見違えるようだ。是非縄張図を持って遺構を味わってほしい。

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とばつびしゃもん

城址到達に一苦労 (2020/12/14 訪問)

迷ったあげくに城址を発見。登城口前の駐車スペースに駐車して登城開始。
案内板によれば堀内氏善が築城したとされる城。東泉寺廃寺跡地を通ってトラロープを頼りになんとか本丸へ。城内では堀切らしき跡や石垣を確認できました。日没前、急いでまわり30分ほどで下城。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 堀内氏善
築城年 天正16年(1588)
主な城主 堀内氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
再建造物 説明板
住所 三重県南牟婁郡紀宝町大里字倉本