整備された見学しやすい城跡ということ
で、公園化されてるのかと思い、あまり
期待しなかったのですが、遺構満載の
素晴らしい城跡でした。
石積み、虎口、堀切、横堀、畝状竪堀群
などなど、、未訪の方は是非どうぞ。
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2025/01/25 18:25
2023/12/11 19:50
岩盤を掘り切った二重堀切など見応えある遺構が満載
天正16年(1588)新宮城主堀内氏善により築城された。北山一揆に対応したものらしいが、詳細はよくわからない。標高は74mしかないが急登坂で落差感のある曲輪配置に感じられた。まさに別名でいうような要害山だ。主郭は30m四方で、主郭北西尾根に岩盤を掘り切った二重堀切、竪石塁、そして畝状竪堀。東の先端にも畝状竪堀。3郭の北側をはじめ要所要所には石積がみられる。
以前訪れた時は薮に覆われ大した城ではない印象を持っていたが、木々の伐採や草刈りがされた情報を聞き再訪した。見違えるようだ。是非縄張図を持って遺構を味わってほしい。
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2023/12/09 17:08
2023/06/15 19:38
いろいろと趣向をこらしてある堀内氏の山城(平山城) (2023/03/19 訪問)
天正16年(1588)に堀内氏が北山攻めの際に築いたと伝わります。
新宮城城主で熊野水軍の首領 堀内氏善(うじよし)が関ヶ原の戦で西軍に属して
桑山一晴に居城を追われ再びこの京城に逃げ込みました。
このたびは二度目の訪問になります。東の墓地側から侵入しました。
なぜここを選んだかというと、このあたりに畝状の竪堀がいくつかあるそうだからです。
年月がたってだいぶ浅くなってしまってはいますが、確かに畝状の竪堀がありました。
このまま居館跡を西に進み詰めの城跡へ向かいます。
居館跡(郭)との間には結構大きな堀切があります。
次回訪問時には堀切周辺の石垣も漏らさずチェックしておきたいと思います。(また来るんかい)
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 堀内氏善 |
築城年 | 天正16年(1588) |
主な城主 | 堀内氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、堀切 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 三重県南牟婁郡紀宝町大里字倉本 |