すかがわじょう

須賀川城

福島県須賀川市


旧国名 : 陸奥

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

夏の雪だるま

女城主の城 (2017/10/01 訪問)

福島県須賀川市の須賀川城です。1399年鎌倉公方足利満兼が奥羽支配のため遣わした足利満貞の配下であった二階堂行続が築城したとされます。戦国時代に入ると二階堂氏は会津蘆名氏と戦うも圧力に屈し長男盛隆を人質に差し出し、のちに蘆名氏当主が亡くなると盛隆が蘆名氏当主となっています。1581年城主の二階堂盛義が死去すると、盛義未亡人で伊達政宗叔母の大乗院が城主となり、城代須田盛秀が実務を代行。1589年蘆名氏が伊達政宗に摺上原の戦いで敗れ滅亡すると、二階堂家では、佐竹氏との同盟を進める城代須田盛秀と伊達氏との連携を主張する保土原行藤が対立する中、伊達氏が降伏を迫ったことに家臣・領民が怒り松明をともして集まり抗戦の意思を示したため城主大乗院は伊達氏への降伏を拒否。 1589年政宗が須賀川城西方の山王山城に万余の軍勢を率い対陣すると、城内の守谷氏が伊達政宗に内応、城へ火を放ったため須賀川・佐竹氏の兵2600の守る須賀川城は落城。その後、戦で亡くなった人々の霊を弔うため日本三大火祭りの一つ「須賀川松明あかし」が行われるようになったと伝えられます。城主の大乗院は佐竹家へ落ち延び、伊達政宗の一族石川昭光が入城。 しかし、1590年豊臣秀吉の奥州仕置によって会津とともに須賀川近辺は蒲生氏郷領となり、その後、1598年上杉領、1601年蒲生領、1627年加藤領となった後、廃城となっています。城は、釈迦堂川の氾濫原を見下ろす約20mの台地上に中央に本丸、東に二の丸、北に三の丸があり、これらの周囲を水濠が囲み、南の大手に家臣居住区、西には長禄寺や諏訪明神などの寺社を配置、北は職人や奉公人の町並、南東には守備のため有力武将の館を配置したとされます。現在城跡は、須賀川市役所北側に位置し、市街化のため遺構はほとんど残っておらず、本丸跡に二階堂神社、神炊館神社に外濠跡、長松院に土塁と空堀跡が僅かに残る程度です。市立博物館に城関係の展示がされています。

+ 続きを読む

刑部

街中の小さな神社 (2018/04/12 訪問)

町中の道路にウルトラマンや怪獣達がいます

+ 続きを読む

くろもり

ミスター顔芸と女城主 (2018/08/12 訪問)

須賀川駅から徒歩で訪れました。真っ直ぐ向かえば徒歩20分程だと思います。
須賀川城主・二階堂氏菩提寺の長禄寺(ちょうろくじ)で女城主・大乗院(阿南姫・おなみひめ)のお墓と二階堂氏家臣のお墓をお参りした後、神炊館神社 (おたきやじんじゃ)で土塁と堀跡を確認も、遺構の説明等はありませんでした。
長松院(ちょうしょういん)で土塁と堀跡を確認、こちらは遺構がはっきりと残っており、説明板も素晴らしいものでした。
長松院の東隣にある要津院(ようしんいん)の薬師さまは城主・二階堂盛義公も熱心に信仰されていたそうで、春日山城の毘沙門堂のように覗き窓から拝むことができました。
二階堂神社は本丸の土塁跡の上に建てられているのか一段高い所にありました。
歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」シリーズでミスター顔芸の異名をもつ人気者の二階堂盛義公と、女城主として甥の伊達政宗公と果敢に戦った阿南姫の城跡を訪れることができ、暑い日の散策でしたが、とても満足でした。

+ 続きを読む

丹羽長重

花火大会🎆 (2015/09/05 訪問)

昨日須賀川で行われた釈迦堂川の花火大会を見ていて、そういえば須賀川のお城に行ったことを思いだし投稿しました。
須賀川城は二階堂神社になっていて、ここにあったという看板が建っています。ただ駐車場がないので近くに止めて歩ったほうがいいと思います。
また、少し離れたところに空堀が残っていて結構立派でした。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 二階堂行続
築城年 応永6年(1399)
主な城主 二階堂氏、石川昭光、蒲生郷成
廃城年 寛永4年(1627)頃
遺構 土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 福島県須賀川市宮先町他
問い合わせ先 (財)福島県文化振興事業団
問い合わせ先電話番号 0248-21-0700