もじじょう

門司城

福岡県北九州市

別名 : 門司関山城、門司ヶ関山城、亀城
旧国名 : 豊前

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城址碑
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todo94

19年ぶりの門司港レトロ (2024/01/14 訪問)

大分からの帰路、小倉で途中下車し、門司港駅にアクセス。駅から徒歩で攻城しました。にのまるさんの故郷にほど近いこの城、漸く攻城がかないました。砲台が築かれ遺構はほとんど破壊されてしまっているようですが、わずかに残る石垣を確認できて満足です。山頂からばかりでなく、途中、いくつかの箇所で関門橋を望めるスポットがあり、吊り橋好きの私としてはこれも萌えポイントでした。門司港レトロでは、旧門司税関に立ち寄り、歩行者専用のはね橋・ブルーウイングもじが開くところも見届けることができました。

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ぴーかる

門司城 (2023/09/09 訪問)

【門司城】
<駐車場他>和布刈第1展望台駐車場 無料数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・石段跡
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅4城目。門司城は1185年に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたとされます。室町時代中期からは長く大内氏の城でしたが室町時代後期、毛利氏が周防・長門国を支配するようになると大友氏との争奪の攻防が続きます。関ヶ原後は細川氏が豊後国を支配するようになってからは家臣を城代に置き、1617年廃城となったようです。
 関門海峡の海底トンネルは下関側から歩き往復したことはありましたが、車で下関IC~門司ICの1区間は初めてで300円に驚き(橋料金がない)ました。主要部南側の駐車場は尾根上の広い平坦地になっているのでかつての段曲輪か広い曲輪があったように思われます。山頂の主郭と東側の尾根は堀切で分断しています。山頂の主郭は狭く、西側に櫓台があったと思われる石積み遺構が見られます。主郭の西側下段に腰曲輪があり、主郭から昇降する石段が僅かに残っています。天候が良く、関門橋・下関の街・遠く六連島 藍島まで見られ絶景でした。

<満足度>◆◆◇
 

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しんしんちゃん

要衝の城。関門海峡が良く見える。 (2019/12/31 訪問)

門司城は元暦2年、平知盛が家臣の紀伊通資に命じて築かせたのが始まりと
され、南北朝の時代には門司氏の城となりました。天文23年(1554)には
小早川隆景がこの城を攻め取り入城しています。明治25年に海軍の要塞になった
ため遺構はほとんど残っていませんが大手に石垣の一部が残っています。
関門海峡を見下ろす要衝の地です。

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にのまる

本日の帰省ルート (2020/01/02 訪問)

新横浜からのぞみで小倉。在来線に乗り換えて門司港。観光客で賑わう門司港レトロを抜けて和布刈(めかり)公園へ。この古城山が門司城です。

平知盛が源氏との合戦に備えて築城したのが始まりで、室町末期には門司半島をめぐる豊後大友vs大内のち毛利の争奪戦があり、細川忠興入国後、一国一城令により廃城。
(現地説明板より)

自前の石で築いた感じの山でした。ゴロゴロとたくさんある石には近年の整備の際のものもあるでしょうが、お城時代を支えた石もあるはずです。見分けはつきませんでしたが(~_~;)
子供の頃から何度も来たことあるのですが城目線で見たことはないので新鮮です。
山頂に城址碑がありました。三角点のある小山は石積みが残っていて、海上に睨みをきかす物見台だったのではないかと思いました。この一角、放置されている感じですが、それがいい感じです。広くて新しい展望台は中腹にあります。

本日のメインイベントは、門司城から歩いて実家に帰る!です。
関門橋のほぼ真下にある海底トンネルを歩いて本州に戻り(と言っても780mしかないのであっという間です)、地上に出たら実家までは徒歩圏(自分比)なのですが、インターを突っ切る方法がわからずうろうろ。抜け道を見つけましたが、まさかの家に帰れない事態かとお正月早々焦りました(^_^;)

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 紀井通資
築城年 元暦2年(1185)
主な城主 紀井通資、門司(藤原)氏、大内氏、大友氏、毛利氏、細川氏
廃城年 元和3年(1617)
遺構 曲輪、石垣
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県北九州市門司区門司字古城山
問い合わせ先 北九州市門司区役所まちづくり推進課
問い合わせ先電話番号 093-331-1881