義弘公を大河ドラマに!の幟旗が揺れる飯野城を終えて、南東方向直線約12.2km程経路15.2km程の小林城を目指す。国道268号線を小林方向へ、本町交差点で国道265号線を北へ、約1.2km程で大手橋交差点を山手の東に入る狭い舗装路地の坂道です、最後の急坂で駐車場到着。
駐車場:小林城城山公園駐車場、集落の方が使用する広場、GG場ゲートボール場の様です。
参考資料:古城盛衰記さんグーグルマップに依る。
駐車場広場は広く、城跡側はシラス台地を削った崖に成って居る、入口近くに山の神神社、入口を少し下がって小林城址説明板、コンクリート護岸より登城路、細い道で遊歩道山手に登る様に丸太階段と手摺が本丸まで続いてる、草刈されて居るが小笹が茂って歩きずらい。本丸に上がるが木製の本丸標識は崩れ倒れている、小笹藪本丸周囲を歩き、低い土塁、切岸を確認、余り踏み込めず、登城路途中に二の丸の虎口土塁?、登城路下西に三の丸が有る様ですが未確認。
石氷川が蛇行して東、北、西を護っている、南は急峻なシラス崖、独立小山を活用して築城。
歴史は、小林城は伊東48城の一つ、永禄7年(1564年)から天正4年(1576年)の間島津氏と伊東氏の攻防が有り、天正4年伊東氏の高原城落城で小林城は開城し島津氏の領有と成る、義久、義弘、歳久の活躍が伝わっています。元和元年の一国一城令によって廃城。
廃城後は小林麓とて地頭仮屋、家臣団の集落は残された。(小林城址説明板による)
小林市には現役時代出張時に小林市えびの市湧水町人吉市を含めて訪ねて居ましたので、その時代から小林に城跡があったな?と思っておりやっと二十数年ぶりに登城が叶いました。加世田城・別府城と同じ思いです。
この後は215km程を宮崎道高原IC経由東九州道佐伯ICより佐伯城へ進行します。
+ 続きを読む










