といしじょう

砥石城

岡山県瀬戸内市

別名 : 砥石山城、砥石ケ城
旧国名 : 備前

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織田晃司

宇喜多能家 (2021/01/03 訪問)

政敵に攻められ自害。
子の興家と孫の八郎(後の直家)が逃げのび再興を誓う。

東の登山口に1台分の駐車スペース有り。
本丸にある立派な石垣は神社建立のため作られた石垣で隅に残る野面積みの石垣が砥石城の石垣かと思われる。

本丸以外の曲輪は藪化している…

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六神合体

すっぱい宇喜多にご用心 (2020/03/01 訪問)

砥石は砥石でも岡山の砥石城に行ってきました。
珍しくグーグル先生がまともに機能してまして、東側?の「砥石城登山道」と書かれてるところに案内されました。
あ、ただ駐車場ありません。
北側にも登城路があってそこの道をまっすぐ西に向かうと二台くらい車を停められそうな路肩があるのでそこに停めるのがいいんじゃないか?と思います。
もしくは一緒に「高取山城」の攻城も考えられてる場合はもうちょっと西の公民館あたりに停めるのもありかも。

高取山城は城びと未登録なので今回は高取山城も含めて書かせていただきます。


◆砥石城
標高100メートルくらいの小山城なので健脚な方ならものの10分で主郭に到着します。
結構こじんまりとした城跡ですね。
堀切、郭、石垣が見れますが、石垣・・・・改変されまくってますね。
整備、なんでしょうが・・・ちょいやりすぎです。
隅のほうの石垣がちょい荒い感じだったのでおそらくここだけ改変されてない往年の石垣ではないか?と見てます。

◆出城
出城、いわゆる出丸が砥石城には存在します。
横長の縄張りが二つ真横に並んだ縄張り、それがこの砥石城の真の姿ってわけですね。

砥石城の尾根道をまっすぐ神社方面に向かう途中に小高い鉄塔があるのですが、ここを駆け登ると鉄塔の右側部分の木に「出丸」の看板がかけられています。
ここが出城の入り口です。
郭は4つくらいで間に堀切、土塁が見れます。
砥石城と違って変な改変はされてないのでとてもいい土の城です。

尚、古くはこの出城が「高取山城」とされていたそうですが・・・
「いくら何でも近過ぎる」という理由で出丸扱いとされたそうです。

◆高取山城
で、砥石城からおよそ1キロ離れた場所に発見されたのがこの高取山城です。
尾根道を通じて繋がってる・・・という噂でしたが、尾根道・・通れませんでした。

そりゃあ砥石城と敵対してた高取山城が尾根道で通じてるなんてあるわけ無いですもんねー

砥石城の尾根道をまっすぐ行くと一旦降りることになるのですが、そのあたりがちょうど高取山城の登城口になります。
墓場をぬって標高160メートルの場所に主郭があります。
健脚の方なら20分で行けると思います。
規模は中規模くらいですね。
砥石よりは大きいくらいです。

本丸~三の丸までは整備されてるのですが、脇道は藪なので竪堀があるかどうかは不明でした。
堀切と井戸は確認できます。

んー、何か砥石城と高取山城の関係、いろいろと想像すると面白いですよねー
とにかく宇喜多にはご用心(おい

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中川藤兵衛尉

砥石城 (2019/08/14 訪問)

宇喜多泉州様のお爺様の城。雨が(略)

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宇喜多直家生誕の城 (2019/06/16 訪問)

赤松氏→浦上氏→宇喜多氏と下克上があった備前。以前読んだ、宇喜多直家の物語は、砥石城が急襲されて、祖父の能家が自決するところから始まりました。
訪問はtodo94さんのレポートから7年。本丸の中央にあった松は枯れて少し景色が変わってました。登山道は整えられており、また、本丸の下の郭は、木が伐採されつつあって、継続した整備の努力が見られました。本丸の机の上に、岡山城築城400年を推す、宇喜多直家、秀家物語のリーフレットが置かれてました。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 浦上氏
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な改修者 宇喜多氏
主な城主 浦上氏、宇喜多氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(砥石城)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県瀬戸内市邑久町豊原
問い合わせ先 瀬戸内市教育委員会社会教育課
問い合わせ先電話番号 0869-34-5604