なつかわじょう

撫川城

岡山県岡山市

別名 : 沼城、芝場城、高下ノ城、小倉城、(撫川陣屋)
旧国名 : 備中

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濠越しに本壇西側の石垣、城塁を望む
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カズサン

御本壇の西側に石垣が良く残って居ます (2011/07/15 訪問)

 備中高松城を終えて南方向へ約6km程の湿田、沼に囲まれた撫川城を目指す、車は南側の城門手前の案内板の在る駐車エリアを利用、道が狭く不安でしたが現在グーグルマップで見ると城門前に駐車場が整備されてる様子。

 探訪は本丸/御本壇内部を廻り、城門、神社、外に廻り南から西の濠、御本壇西側の石垣を濠外から眺める、北側も廻りたかったのですが人家で入り込めず、西北には横矢の入った石垣で櫓台だったのか? 低地の人家は水堀/水路で囲まれてる。
 築城で沼地、湿田に石垣を築くのは大変な作業だった事でしょう、西側の石垣を濠越に眺めて往時にしたりました。いい景色です。沼城とも呼ばれてる。

 歴史的には毛利方三村氏が砦を築いたのが始まり、三村氏が毛利氏に滅ぼされ、毛利の出城、毛利方境目の城へ、秀吉の高松城水攻めの時城主井上氏は交戦して敗れ、宇喜多氏の領有へ、天正14年(1586年)頃に宇喜多氏家臣岡利勝が近世的な築城方式を取り入れた野面積石垣を築き築城を始めたと伝えられてる。
 関ヶ原後東軍で軍功のあった戸川達安が29200石で入封、東に在る庭瀬城跡が中心として移った、戸川氏4代安風早世、嗣子なく改易、弟達富が安風の名跡を継ぎ5000石で旗本として撫川城址を本丸、御本壇とし明治まで9代継承される。(撫川城址整備委員会、下東町内会のパンフレット抜粋)

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higekam

備中高松城から南に数kmのところ (2021/03/16 訪問)

水掘で囲まれた小さな四方形の郭が残っている。現在さらに住宅が堀までせまっているため撮影に苦労した。
石垣は西面によく残っている。戦う城の石垣にしては優しい。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/10 訪問)

西日本遠征最後の攻城です。庭瀬城から徒歩で移動してきました。
城跡の周囲を囲む水堀と石垣、知行所総門を確認しました。城跡には三神社があります。攻城時間は15分位でした。

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とりの子

高石垣がすごい! (2020/05/17 訪問)

5月17日に撫川城へ行きました。庭瀬城から約300mです!いまは、高石垣が現存していて、城跡には、三神社が建っています。岡山県指定史跡第一号です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 藤井久住
築城年 寛治年間(1087〜1094)
主な改修者 三村家親、戸川達冨
主な城主 藤井氏、三村氏、伊賀氏、上山氏(毛利氏家臣)、井上氏(毛利氏家臣)、戸川氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、石垣、横堀、知行所総門
指定文化財 県史跡(撫川城跡(芝場城跡))
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県岡山市北区撫川
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047