なつかわじょう

撫川城

岡山県岡山市

別名 : 沼城、芝場城、高下ノ城、小倉城、(撫川陣屋)
旧国名 : 備中

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加茂城の案内板
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赤い城

加茂城・日幡城・松島城 岡山県岡山市/倉敷市 (2026/01/12 訪問)

境目七城の残り3城です。
いずれも城びと未登録、遺構もほぼ残っていません。

加茂城
周囲は民家と水田になっています。
備中高松城の南に位置し、道には二ノ丸跡の案内板があります。
ここから入っていくと少し高まりとなっている部分があり、説明板が立っています。
秀吉の備中攻めの際、城中での内紛もあり落城したとのこと。
周囲を見渡すとこの城が沼地にあったことがうかがえます。

日幡城
足守川の土手に沿った位置にあります。
石材店(閉まってるかも)があり、石碑が2つ立っています。
その裏手の山が城跡のようですが藪で恐らく私有地。
眺めるのみとしました。

松島城
川崎医科大学の東側にある小山が城跡のようです。
ここも大学の私有地で立ち入り出来ません。
遺構ものこっていないようでもあり遠景のみで退散しました。
当時はこの周辺は海だったとのことです。

とりあえずこれで境目七城を制覇、山〜沼地〜海と結ぶ防衛線を感じることができました。
この日のお昼は岡山グルメのえびめしを。
スパイシーで美味しかったです🦐

【見どころ】
 ・各城の立地から想像する防衛ライン

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戦国roman

🏯城攻略〜備中国 撫川城〜 備中境目七城 (2025/01/23 訪問)

先日投稿した備中境目七城のうち撫川城・庭瀬城を攻城しました。
七城には庭瀬城しかノミネートされていませんが撫川城と庭瀬城は戦国期には一体の城でありました。

撫川城
築城年 永禄2年(1559)
築城者 三村家親
主な城主 戸川達安(2万9千石)、板倉勝喜(2万石)

周辺は住宅地になっていますが看板があるところが公園になっており、そこに数台駐車できるスペースとトイレがあります。
そこから堀を渡ると移築された現存の撫川陣屋総門があります。
堀には石垣や土塁もあります。
案内板によると西側の石垣の左側(北西部)に櫓台があるとのことです。


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にのまる

行けそうで行けない。 (2024/08/06 訪問)

元々は庭瀬城と一体の城だったという撫川城。
庭瀬城のほんとうにすぐそばなのですが、それぞれ水堀でガードされており、直線でダーッ!とは行けませんでした。
庭瀬城とは雰囲気の異なる野面積みの石垣がかっこよかったです。
次のお城に向かうため駅まで10分ダッシュしましたが、細かい区画に細い道路で、Googleマップの俯瞰図と重ねてイメージすることができず、水堀や水路にも阻まれ、方向感覚だけではなかなか辿りつけませんでした。しかしそれがリアルお城脱出アトラクションのようで、焦りながらも楽しかったです。

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赤い城

庭瀬城と一体の沼城 (2024/07/07 訪問)

庭瀬城から徒歩で5分かからないくらい。
南側に撫川知行所総門が移築されています。
まずは外側をと歩きますが周囲は住宅地で西側から石垣を望むしかありませんでした。

大手に戻り、門から中に入ります。
東側には土塁が残り、北側には三神社が鎮座します。
撫川城址公園となっていてこの日も虫採りの親子が遊んでました。
それにしても子供の頃には平気だった虫が大人になると苦手になってくるのはなぜなんでしょうか?

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 藤井久住
築城年 寛治年間(1087〜1094)
主な改修者 三村家親、戸川達冨
主な城主 藤井氏、三村氏、伊賀氏、上山氏(毛利氏家臣)、井上氏(毛利氏家臣)、戸川氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、石垣、横堀、知行所総門
指定文化財 県史跡(撫川城跡(芝場城跡))
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県岡山市北区撫川
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047