なつかわじょう

撫川城

岡山県岡山市

別名 : 沼城、芝場城、高下ノ城、小倉城、(撫川陣屋)
旧国名 : 備中

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撫川城址公園の案内板
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戦国roman

🏯城攻略〜備中国 撫川城〜 備中境目七城 (2025/01/23 訪問)

先日投稿した備中境目七城のうち撫川城・庭瀬城を攻城しました。
七城には庭瀬城しかノミネートされていませんが撫川城と庭瀬城は戦国期には一体の城でありました。

撫川城
築城年 永禄2年(1559)
築城者 三村家親
主な城主 戸川達安(2万9千石)、板倉勝喜(2万石)

周辺は住宅地になっていますが看板があるところが公園になっており、そこに数台駐車できるスペースとトイレがあります。
そこから堀を渡ると移築された現存の撫川陣屋総門があります。
堀には石垣や土塁もあります。
案内板によると西側の石垣の左側(北西部)に櫓台があるとのことです。


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にのまる

行けそうで行けない。 (2024/08/06 訪問)

元々は庭瀬城と一体の城だったという撫川城。
庭瀬城のほんとうにすぐそばなのですが、それぞれ水堀でガードされており、直線でダーッ!とは行けませんでした。
庭瀬城とは雰囲気の異なる野面積みの石垣がかっこよかったです。
次のお城に向かうため駅まで10分ダッシュしましたが、細かい区画に細い道路で、Googleマップの俯瞰図と重ねてイメージすることができず、水堀や水路にも阻まれ、方向感覚だけではなかなか辿りつけませんでした。しかしそれがリアルお城脱出アトラクションのようで、焦りながらも楽しかったです。

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赤い城

庭瀬城と一体の沼城 (2024/07/07 訪問)

庭瀬城から徒歩で5分かからないくらい。
南側に撫川知行所総門が移築されています。
まずは外側をと歩きますが周囲は住宅地で西側から石垣を望むしかありませんでした。

大手に戻り、門から中に入ります。
東側には土塁が残り、北側には三神社が鎮座します。
撫川城址公園となっていてこの日も虫採りの親子が遊んでました。
それにしても子供の頃には平気だった虫が大人になると苦手になってくるのはなぜなんでしょうか?

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イオ

沼沢地の沼城・其の弐 (2023/10/15 訪問)

戦国後期に宇喜多氏への備えとして三村家親が築いた城で、東隣の庭瀬城と一体として機能したとされます。羽柴秀吉の備中高松城水攻めでは毛利方の備中境目七城のひとつに数えられるも落城し、宇喜多氏の城となりました。関ケ原の戦いの功により戸川達安が入ると、庭瀬城跡に陣屋を構え撫川城は廃城となりました。江戸前期に戸川氏が無嗣断絶すると、弟の戸川逵冨が交代寄合旗本として5千石を知行し、撫川城跡に撫川陣屋を構えて明治まで8代続いています。

庭瀬城から徒歩で登城。四周を水堀に囲まれた主郭は撫川城址公園として整備され、南側からの土橋を渡ったところに撫川知行地の総門が移築されています。総門をくぐった先には撫川城跡の説明板があり、石組みの井戸跡が見られます。主郭の東半分は土塁で囲まれ、中央奥には三神社が鎮座しています。西半分には宇喜多期に岡利勝が改修したと伝わる野面積みの石垣が状態良く遺っており、北西隅には櫓台と思しき石垣の張出部が見られます。

主郭をひとめぐりすると、西側に回り込んで水堀越しに西辺の石垣を眺めつつ、北側に回り込もうとしましたが、外堀跡と思しき小川に架かる太鼓橋を渡ったところで、撫川城から離れつつあることに気付いて引き返しました。水堀がめぐらされて思うように進めない沼城を思いがけず体感した撫川城でした。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 藤井久住
築城年 寛治年間(1087〜1094)
主な改修者 三村家親、戸川達冨
主な城主 藤井氏、三村氏、伊賀氏、上山氏(毛利氏家臣)、井上氏(毛利氏家臣)、戸川氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、石垣、横堀、知行所総門
指定文化財 県史跡(撫川城跡(芝場城跡))
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県岡山市北区撫川
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047