なつかわじょう

撫川城

岡山県岡山市

別名 : 沼城、芝場城、高下ノ城、小倉城、(撫川陣屋)
旧国名 : 備中

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

城の中の城。‥といっても (2019/12/29 訪問)

撫川城は別名「沼城」といい、泥沼の中に築かれていたようです。東西77m、南北57mの
長方形の主郭を幅15mほどの濠が周囲を囲み、西方に野面積の石垣、東方には土塁が残り
南口がかつての大手で撫川知行所総門が移築されています。現状神社ですが、かつての庭瀬城の
本丸・二の丸の部分に知行所が置かれていたので、一度に二つの城を訪問でき、ちょっと
お得な感じがします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

赤い城さん,お疲れさまです。 (2023/06/11 訪問)

まだまだ落ち着かないご様子とお見受けしました。日常生活でいちばん違いを感じるのは,テレビのチャンネルかな…と予想します。電気の周波数が50Hzから60Hzに変わっておりますが,あまり感じることもないかと思います。電気製品の充電時間が早くなったな…ぐらいかと。天気予報で違いを感じるのでは…。西日本中心になるので,大阪や広島を中心に話が進んでいくという。
ミョーに孤独を感じることもあるのではないでしょうか。ここではいつでも「赤い城さんの居場所」がありますョ。

さて,庭瀬城から撫川城への転戦です。非常に近接してると思い調べたら,もともと一体の城だったとのこと。現存の知行所総門は,明治に入ってから移築されたそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「撫川城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
撫川城は三村家親が宇喜多直家の侵攻に備えて築いたとされる。その後、毛利氏の支配下に入り、備中高松城とともに「境目七城」として毛利氏の家臣・井上有景が守備する。中国征伐で落城し、廃城となる。江戸時代には宇喜多氏の重臣・戸川氏が立藩する。城内には撫川知行所総門が移築現存している。

<アクセス>
JR庭瀬駅 徒歩15分

+ 続きを読む

ぴろちゃん

迷路の先には…… (2022/06/02 訪問)

カーナビに名前で出てこないので、画面上の三神社で設定しました。驚くぐらいの細い道をクネクネとホントにここか?と思いながら進んだ先に、立派な城跡がありました。近所の方々は、毎日石垣を眺め、太鼓橋を渡っているのを羨ましく思いながら帰路につきました。くしくも本能寺の変の日に、高松城水攻め関連のお城に行けて、よかったです。庭瀬城にも寄りましたよ。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 藤井久住
築城年 寛治年間(1087〜1094)
主な改修者 三村家親、戸川達冨
主な城主 藤井氏、三村氏、伊賀氏、上山氏(毛利氏家臣)、井上氏(毛利氏家臣)、戸川氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、石垣、横堀、知行所総門
指定文化財 県史跡(撫川城跡(芝場城跡))
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県岡山市北区撫川
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047