総社神社に大きな説明板があり、ここが主郭跡かと思ったら東の端とのことでした
少し歩いたところが城跡ですが遺構はありません。
盛り土の場所がありますが立入禁止となっています。
周りを歩いたところクランクになった道路があり、なんとなく城跡っぽさは感じられます。
冒頭の総社神社ですが由緒のある神社で当日は神前の結婚式が挙げられていました。
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2022/07/17 10:10
2022/02/17 21:50
2022/01/01 19:33
「蒼海城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
蒼海城は、白井長尾氏によって築かれたとされる。1566年頃に武田家の侵攻により落城する。小田原征伐後に関東移封された徳川家康の支配下に入る。1592年頃に諏訪頼忠が総社に入るが、関ヶ原の戦いの戦功により旧領であった諏訪へ復帰したため、新たに秋元長朝が総社藩を立藩する。秋元長朝が総社城を築城したたため廃城となる。現在は、上野国総社神社の境内となっているため見学の際は注意が必要である。遺構は消滅している。
<アクセス>
JR新前橋駅 徒歩20分
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2021/10/19 10:34
蒼海城周辺は土地整備中 (2021/10/10 訪問)
群馬県埼玉県未踏の城廻りとチョイ寄り登城の2日日目、前橋IC近くのホテルに泊まったので前橋城から西の蒼海城、石倉城、総社城を一挙に巡りました。
先ずは近い蒼海城へ蒼海城跡地図が有る総社神社を訪ね参拝し蒼海城跡地図を撮影、主変見学、車は北側の神社駐車場を利用。
総社神社を後にして徒歩で本丸跡の近く御霊神社を目指すが土地の整備は開発中で工事途中、工事前の入り乱れでアウトプットした周辺地図と現実とが良く分からず洗車されてた地元の方に聞き確認して御霊神社へ御霊神社は本丸の西曲輪に成ってる様、御霊神社には長尾氏の像と「御霊神社と長尾氏由緒」看板、また地元の方に聞くと御霊神社は少し地上げして新しく少し北に移動したよし、元跡は一般住宅に成っていた、本丸は御霊神社の東側の曲輪で工事中の土盛、草の茂りで踏み込みを諦めましたが周辺は微高地と低地が伺えて堀沼地跡だったかな?曲輪だったかなと?思ったりしたり。
歴史的には長尾景忠が建武4年(1337年)上野守護代と成り、越後守護代も兼務、景忠長男が白井城主、4男忠房と父景忠は上野国府を城郭化し蒼海城とす、その後総社長尾氏は9代210年余年続く。その後武田氏との攻防落城、家康関東移封で諏訪氏、秋元氏と続き秋元氏慶長12年(1607年)総社城に移り廃城と成る。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 総社長尾氏 |
築城年 | 永享元年(1429) |
主な城主 | 総社長尾氏、諏訪頼忠、秋元長朝 |
廃城年 | 慶長6年(1601) |
遺構 | 土塁 |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 群馬県前橋市元総社町(総社神社) |