のもとしやかた

野本氏館

埼玉県東松山市

別名 : 野本館
旧国名 : 武蔵

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todo94

元日の攻城⑤ (2024/01/01 訪問)

高坂氏館からの転戦です。無量寿寺がその故地で、本堂裏手に土塁とかすかな空堀が残っています。高坂氏館に比べるとイメージ通りの普通の館跡のように感じました。

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イタさん

本堂裏に僅かな土塁と堀 (2023/07/04 訪問)

 説明板に拠ると、平安時代の公卿藤原家の警護をしていた片品基親の子、基員が武蔵国野本に移り野本氏を名乗ったが始まりと言われる。館跡は現在、無量寿寺の境内になっており、本堂北裏に土塁と堀が僅かに認められる。実際には二重の土塁・堀が廻っていたが、これは後世の増築と考えられる。
 館の造られた時期は、貞永元年(1232)に基員が亡くなったこと、無量寿寺に残る建長6年(1254)銘の銅鐘の拓本より、当時無量寿寺が野本寺と呼ばれていたとあり、遅くとも十三世紀初頭には造られたと考えられる。
 案内板の通り遺構は本堂裏に短い土塁、堀と思われる僅かな凹みが竹藪内にある。西側一帯は墓地になる。道を挟んで南には前方後円墳の将軍塚古墳があり、後円頂部に利仁神社が祀られている。

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むらひろ

野本氏館 (2023/07/01 訪問)

館跡で現在は無量寿寺が建っている。
案内板の通り北側にはわずかながら土塁を確認。

案内板の風土記の中で描かれている山も隣に確認できました(柵に覆われていて入れなさそう…??)

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城好きのメガネ

「野本氏館」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
野本基員を初代とする野本氏の館跡である。野本氏は藤原基経の警護をしていた片田基親の子息・基員が武蔵国野本に移り住み、野本氏を名乗ったのが始まりとされる。現在、無量寺の境内となっており、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武東上線 高坂駅 徒歩30分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 野本基員
築城年 鎌倉時代?
主な城主 野本氏
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県選定重要遺跡(野本氏館跡)
再建造物 碑、説明板
住所 埼玉県東松山市下野本