高坂氏館からの転戦です。無量寿寺がその故地で、本堂裏手に土塁とかすかな空堀が残っています。高坂氏館に比べるとイメージ通りの普通の館跡のように感じました。
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2024/02/27 07:02
2023/07/10 09:52
本堂裏に僅かな土塁と堀 (2023/07/04 訪問)
説明板に拠ると、平安時代の公卿藤原家の警護をしていた片品基親の子、基員が武蔵国野本に移り野本氏を名乗ったが始まりと言われる。館跡は現在、無量寿寺の境内になっており、本堂北裏に土塁と堀が僅かに認められる。実際には二重の土塁・堀が廻っていたが、これは後世の増築と考えられる。
館の造られた時期は、貞永元年(1232)に基員が亡くなったこと、無量寿寺に残る建長6年(1254)銘の銅鐘の拓本より、当時無量寿寺が野本寺と呼ばれていたとあり、遅くとも十三世紀初頭には造られたと考えられる。
案内板の通り遺構は本堂裏に短い土塁、堀と思われる僅かな凹みが竹藪内にある。西側一帯は墓地になる。道を挟んで南には前方後円墳の将軍塚古墳があり、後円頂部に利仁神社が祀られている。
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2023/07/01 16:20
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 野本基員 |
築城年 | 鎌倉時代? |
主な城主 | 野本氏 |
遺構 | 土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県選定重要遺跡(野本氏館跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 埼玉県東松山市下野本 |