しょうだいしやかた

小代氏館

埼玉県東松山市

別名 : 小代館
旧国名 : 武蔵

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跡地の青蓮寺北の門柱入口
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カズサン

丘陵南東端の小代氏館 (2024/06/08 訪問)

 高坂氏館を終えて、昼食を近くのピオニウォーク東松山店で摂り、高坂氏館からは南東に約1.3km程、ピオニウォーク東松山店からは南に約0.8km程の所に在る、小代氏館(正代館)を初登城。今回の源範頼館、野本氏館、高坂氏館に次4城目でラストに成ります。

 駐車場:小代氏館跡地の青蓮寺北門柱西横の参拝者駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 北の門柱より入り南行、西行し青蓮寺本堂参拝、西横に弘安4年銘板石塔婆が祀られている、石板塔婆が屋根付き建物で覆われて、標柱、建物には小代重俊供養塔の表示看板、解説板が設置されて、小代氏の系譜、経歴なども記されている。
 弘安4年と言うと2度目の元寇の弘安の役の年に成り、小代氏は地頭職が肥後(現在は熊本県荒尾市)であり参陣したのでしょう。
 
 本殿の南に山門が有り、2段に成って南の川方面に落ちている、南から見ると郭の切岸が連なってるように見える、南を沼、河川で守り北、西、東は堀土塁で防ぐ城館で有った様ですが、堀跡、土塁跡は確認できていません。
 南側の見通しは非常に良い。東の都幾川、南の九十九川、越辺川に囲まれてる丘陵先端部、この丘陵には北西部先端に高坂氏館が構えてる。川は最終的には荒川に注がれているようです。

 4城を終え、高坂氏館の土塁と深い堀に感動し浜松に帰路を取り、順調な高速道路走行でした。
    

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イタさん

往事を偲ぶ板石塔婆 (2024/06/25 訪問)

館跡は台地の端にあり、南には九十九川、越辺川が流れる低地が広がる。館跡に青蓮寺が建ち、墓地が寺域の半分は占めているだろうか。館の遺構は消滅しているのか、うまく探せなかった。弘安四年銘の板石塔婆が保存されいる。脇の説明板に、小代氏四代・重俊の人徳を慕って、また祖先供養のため、小代氏一族関係者が建立した。小代氏は武蔵七党・児玉党の入西資行の次男・遠弘が移り住み、小代を名乗る。その後、肥後国野原庄(現・熊本県荒尾市)の地頭職に任じられ・・・。青蓮寺のほぼ東隣に正代御霊神社が建ち、古くはないが市指定民俗文化財の「正代の祭りばやし」が載っている。青蓮寺山門前、神社社殿前からは、意外に高低差がある風景が眺められる。

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むらひろ

小代氏館 (2023/07/01 訪問)

青蓮寺のあたりが館跡らしいのですが…案内板などもないようで情報に乏しく遺構らしい遺構もなく…本当にあったの?といった感じ

台地の先端らしく田園風景が見渡せるので立地は良さそう

数百メートル離れたところで不自然に土塁のような高まりと浅い堀のようなところを見つけましたが、なにせ情報がなく規模もわからないので当時のものなのかわかりませんでした。
逆に言うと情報が何もないから些細なことにも気づくことができて色々面白いかもしれませんが

ここだけを見に行くのはあまりオススメできませんが、近くの高坂館跡や野本館のついでに行くくらいの感覚がいいかも。

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城好きのメガネ

「小代氏館」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
小代氏館は高坂台地東端に位置する方形館とされる。武蔵七党児玉党の流れをくむ小代遠弘が祖である。源頼朝の信任も厚く、地頭職を与えられた。小代重俊のとき、宝治合戦の論功行賞により肥後の地頭職を与えられ、モンゴル来襲の防備につとめた。現在、青蓮寺の境内となっており遺構は消滅している。

<アクセス>
東武東上線 高坂駅 徒歩20分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小代遠広
築城年 平安時代後期
主な城主 小代氏
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県選定重要遺跡(小代氏館跡)
住所 埼玉県東松山市正代中形