高済寺がその故地となっています。先達の皆さんがおっしゃる通り、館のイメージを大きく超える空堀と土塁に魅了されました。こういう不意打ちは何度喰らってもうれしいものです。
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2024/02/26 07:13
2023/07/10 09:06
残存土塁が思いの外大きい (2023/07/04 訪問)
遺構は高済寺境内西に土塁・堀が僅かに残る。北と東は崖状の段差を要害としている。説明板の概要は、南北朝時代に高坂氏の居館として造られた。高済寺から南にある子育て支援センター周辺の発掘調査では、高坂氏の活躍した時代(14世紀前半)のかわらけ・輸入陶磁器が出土しており、館の中心地は南にあった可能性がある。
伊勢宗瑞が明応3年(1494)、北条氏康が永禄5年(1562)にそれぞれ在陣。発掘調査では土塁・堀の改修が見られ、戦国期に整備されたと推定される・・・等々。土塁北上には加賀爪氏累代の墓があり、江戸時代初めに加賀爪氏が陣営を設けるが、天和元年(1681)に改易と説明がある。
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2023/07/01 18:16
分類・構造 | 平城 |
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築城主 | 高坂刑部太輔 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 高坂氏、加賀爪氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県選定重要遺跡(高坂館跡) |
住所 | 埼玉県東松山市高坂 |
問い合わせ先 | 埼玉県教育局市町村支援部生涯学習文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 048-830-6988 |