たかさかしやかた

高坂氏館

埼玉県東松山市

別名 : 高坂城、高坂刑部館、高坂館
旧国名 : 武蔵

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西の土塁と解説板
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カズサン

高土塁と深い堀が残って居ます (2024/06/08 訪問)

 野本氏館を終えて南南西約1.7km程に在る高坂氏館初登城、以前より訪ねたいと願って居た今回メインの城館です。

 駐車場:高済寺山門横の参拝者駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 東から入ったので小高い丘にある様な地理的状態、車を駐めると西に土塁が見える、見学を望んでいた高坂氏館の土塁、実際の大きさに圧倒される、南土塁の断面辺りに解説板、西側に廻り込んで西正面の土塁の高さを実感、堀も深い、山門から本堂に廻り参拝、土塁の北西頂部登る、加賀爪氏累代の墓所に成っている、頂部より南、西、北を眺めて土塁、堀の深さを実感する。

 皆さんの投稿写真などで残存の高土塁、堀を観たいと願って居た高坂氏館探訪実感しました。

 昼近くでしたので東に降りた近くのスーパーモール・ビオニウォーク東松山で昼食を摂りました。
  

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todo94

元日の攻城④ (2024/01/01 訪問)

高済寺がその故地となっています。先達の皆さんがおっしゃる通り、館のイメージを大きく超える空堀と土塁に魅了されました。こういう不意打ちは何度喰らってもうれしいものです。

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イタさん

残存土塁が思いの外大きい (2023/07/04 訪問)

 遺構は高済寺境内西に土塁・堀が僅かに残る。北と東は崖状の段差を要害としている。説明板の概要は、南北朝時代に高坂氏の居館として造られた。高済寺から南にある子育て支援センター周辺の発掘調査では、高坂氏の活躍した時代(14世紀前半)のかわらけ・輸入陶磁器が出土しており、館の中心地は南にあった可能性がある。
 伊勢宗瑞が明応3年(1494)、北条氏康が永禄5年(1562)にそれぞれ在陣。発掘調査では土塁・堀の改修が見られ、戦国期に整備されたと推定される・・・等々。土塁北上には加賀爪氏累代の墓があり、江戸時代初めに加賀爪氏が陣営を設けるが、天和元年(1681)に改易と説明がある。


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むらひろ

高坂氏館 (2023/07/01 訪問)

高坂氏館とのことだが、案内板に記載の通り館というより城と言えるような防備

土塁の高さは4〜5mくらいはあったんじゃないでしょうか。
中世の館といえば普段の暮らしをするのに最低限の防備というイメージでしたが、ここの防備は一見の価値ありだと思います!!

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 高坂刑部太輔
築城年 南北朝時代
主な城主 高坂氏、加賀爪氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県選定重要遺跡(高坂館跡)
住所 埼玉県東松山市高坂
問い合わせ先 埼玉県教育局市町村支援部生涯学習文化財課
問い合わせ先電話番号 048-830-6988