坂元城は亘理郡一帯を治めていた亘里氏の家臣「坂本三河」が元亀3年(1572)に築いたとされています。天正19年、亘里氏が涌谷に移ると、坂元氏もそれに従い、以降 後藤・黒木・津田と城主が替り、元和2年(1616)に大條宗綱が伊達政宗より城を拝領して以来、明治維新までの252年もの間。大條氏の居城となっています。
人里近くにあるものの城址は当時の面影を比較的良く残しています。本丸は坂元神社、二の丸は坂元小学校となり、さらに北側には三の丸を備えていました。本丸と二の丸は直に接し、周囲は水堀で囲まれていたようです。縄張りを見ると北に備えを置いているように見えますが、北は仙台になるので、なんじゃこりゃといった感じです。要害とはいえ、どう見ても立派な城で、うるさい徳川幕府が存続を許していたのが不思議です。本丸の西側に大堀切が残り、その西の山中には大條氏の墓所があります。
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