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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪② (2025/06/28 訪問)

岐阜に来たのは2回目。
今回、岐阜城は時間の関係上天守まで登らず、麓の現存遺構2か所を訪問。妙照寺と法華寺にそれぞれ岐阜城から移築された門が現存している。
かつて信長もこの門の下をくぐったのかなー、と考えると非常に感慨深い。

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駿府城

歴史を感じるひとときーS-Waveラジオに出演しました!

皆さん、S-Waveラジオの番組「shizuoka Vibes TAKE5」のコーナー「Shizuoka Quest」はお聴きいただけましたか?このコーナーでは、静岡市内の文化財や史跡の魅力を、毎月第3火曜日にお届けしています。
6月17日(火)の放送では、駿府城公園内にある「坤櫓(ひつじさるやぐら)」の魅力や、現在進行中の駿府城跡天守台の野外展示事業についてお話しさせていただきました。
坤櫓は、その堂々とした姿がとても美しく、間近で見るとその迫力と気品に圧倒されます。普段何気なく通り過ぎてしまう方も、ぜひ立ち止まってじっくりとその姿をじっくりとご覧ください。
また現在、駿府城跡天守台の野外展示事業も進行中です。※詳細は静岡市公式ホームページ(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013130.html)をご覧ください。
この事業では、発掘された天守台の保存と展示をはじめ、より間近で見学できる見学ルートやガイダンス施設の整備、さらに、デジタル技術を活用した天守などの再現などが進められています。設計、工事を経て、令和9年度からの公開開始を予定しています。
ぜひ駿府城公園にお越しの際は、坤櫓と駿府城跡天守台発掘調査現場に足を運んでみてください。

◆S-Waveラジオ「shizuoka Vibes TAKE5」今後の出演予定(毎月第3火曜日17:20~17:30)
7/15、8/19、9/16、10/21、11/18、12/16、1/20、2/17、3/17
今後もラジオを通じて、静岡の歴史の魅力をお届けします。ぜひご聴取ください!

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シャンシャン

岐阜~滋賀の城探訪① (2025/06/28 訪問)

岐阜といえばもちろん岐阜城が筆頭に挙げられるが、駅の南側にあるこの加納城も国の指定史跡となっており見どころが多い。
かつての堀の多くは埋められてしまっているが、本丸周囲は武骨な野面積みの石垣が多くが残っている。
本丸内は公園として整備されており、訪問時はシニアの方々はゲートボール、子供たちは虫取りを楽しんでいた。街中に市民の憩いの場となる城跡があるのは羨ましい。

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シャンシャン

戦国最大級の総構 (2025/06/26 訪問)

2回目の小田原城訪問。
今回は戦国最大級と称される大堀切や土塁など総構を中心に見学!
秀吉の侵攻に備えて造成された堀切の数々は規模がすごい!特に小峯御鐘ノ台大堀切は堀の深さ、土塁の高さは目を見張るものがある。
見どころが多過ぎて歩くと大変なので、駅前でレンタサイクルするのがおすすめ。

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にのまる

霧の中に。 (2025/04/23 訪問)

牧志からバスで座喜味下車。
バス停付近には座喜味城の気配はありません。
一体どんなふうに現れるんだろう?とわくわくしながら住宅街を歩きました。

徒歩約15分で到着。
この日は一日雨予報でユンタンザミュージアムも閉館日でした。長の道中、こんな日もあります。気にしません。

結界のような木立の道を抜けた先に、霧のベールに包まれた城壁が現れました。一体どれくらいの大きさなのか、ここからでは確認できません。しかし大きくカーブを描く石の壁は謎めいて神秘的。自然と気持ちも引き締まります。

アーチ門を潜ると幻想的な空間が広がっていました。独り占めするのが申し訳ないくらいです。
同時に戦中戦後の使われ方にも首肯する閉塞感があり、時代の変遷と共に生きてきた城であったことを思いました。

帰る頃にはぼちぼちと来訪者もいらっしゃり、「晴れていなくて残念だったね。」と声をかけられましたが、(今日のこの景色が見られて幸せでした。)と心の中で返事をしました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町) (2025/05/31 訪問)

安宅本城から車で5分くらいで、春日神社鳥居前空スペース(33.579895、135.459773)に着きました。

詳細は不明のようですが、安宅氏の執事を勤めた大野五兵衛の居城とされます。

春日神社の駐車場に案内板が設置されており、そこから5分ほどで主郭に着きます。
小規模ながら土塁、堀切など遺構もよく残っています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=龍松山城へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:安宅本城 (2025/05/31 訪問)

車は安宅八幡宮駐車場(33.581476、135.46418813)に置いたまま八幡山城から徒歩5分くらいで、安宅本城標識(33.579565、135.463887)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528年〜1532年)に安宅河内守によって築かれたと云われています。
安宅氏は橘姓で足利尊氏の命により淡路国沼島の海賊を退治するため、淡路国由良に居城していたそうですが、南北朝時代の初期に淡路より移り安宅本城を築いて本拠としました。
室町時代には熊野水軍を率いて淡路もその勢力に治めていましたが、1530年(享禄3年)実俊の跡目を巡り、子安定丸と弟定俊が争い安宅一族の勢力は衰退しました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州攻めで帰参し羽柴秀長に仕えました。

道路に案内板があり、そこから低い石垣を見ることができます。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町)へ向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:八幡山城 (2025/05/31 訪問)

要害山城から車で20分くらいで、安宅八幡宮駐車場入口(33.581476、135.46418813)に着き、そこから安宅八幡山登城口(33.581842、135.463972)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、安宅本城の詰めの城として安宅氏によって築かれたようです。
1530年(享禄3年)安宅実俊の死後に起きた安宅氏の跡目相続争いの際には実俊の弟、安宅定俊がこの城に籠城し、勝利したようです。

安宅八幡宮横の登城口から攻城。
石積みや土塁のほか、巨大な曲輪を防御する堀切や竪堀もはっきり確認することができます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=安宅本城へ徒歩で向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:要害山城 (2025/05/31 訪問)

紀伊田辺駅でレンタカーを借り、車で50分くらいで分岐点(33.637511、135.405170)に着きました。
GPSが「NatIRte42」沿いの為IC間を行ったり来たりしてしまい、彷徨った結果、到着まで50分くらいかかりました。(本来は25分くらいで到着する距離です)
分岐点を右折せず直進して突き当りを左折し、次の分岐点(33.639514、135.408578)を峠の茶屋方面へ進み、登城口説明板付近(33.638701、135.410811)に着きました。

1494年(明応3年)安宅氏の家臣の吉田春秀によって築かれたと云われています。
安宅本城を居城とした安宅氏は龍松山城を居城とする山本氏との争いに備える為にこの地に城を築いたと云われています。
1494年(明応3年)に山本主膳守はこの地に兵を送り「馬谷城合戦」と呼ばれる戦いが起こりました。

堀切、竪堀などを確認しました。眺望はあまりよくありません。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=八幡山城へ向かいました。
当初の予定では、八幡山城の攻城の前に安宅中山城(城びと未登録 和歌山県白浜町)と土井城(城びと未登録 和歌山県白浜町)を攻城する予定でしたが、要害山城到着に時間がかかった為、スルーしました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:田辺藩扇ヶ浜台場(城びと未登録 和歌山県田辺市) (2025/05/31 訪問)

宿泊先ホテルの朝食前に、田辺城と田辺藩扇ヶ浜台場(城びと未登録 和歌山県田辺市)を攻城しました。
田辺城から徒歩5分くらいで、説明板前(33.730506、135.372608)に着きました。

1852年(嘉永5年)に田辺藩によって築かれました。
佐久間象山のもとで学んだ柏木兵右衛門を師範に迎え、和歌山藩の許可を得て台場を築いたそうです。

現在は紀伊田辺カトリック協会の敷地となっていて遺構はなく、説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=要害山城を攻城する前に、ホテルに戻り朝食を食べました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:田辺城 (2025/05/31 訪問)

宿泊先ホテルの朝食前に、田辺城と田辺藩扇ヶ浜台場(城びと未登録 和歌山県田辺市)を攻城しました。
宿泊先ホテルから徒歩20分弱くらいで、水門跡説明板前(33.730506、135.372608)に着きました。

和歌山に入部した徳川頼宣の付家老の安藤直次が、田辺30,000石を賜り、1619年(元和5年)に築きました。
以降は明治時代まで安藤氏が城主をつとめ、明治初年に田辺城は廃城となり城郭は解体されました。

錦水神社脇の階段を降りた先に、水門と石垣の遺構が残っています。
錦水神社の向かって左に小さな建物を模した飾り棚があります。中に鯱瓦が展示されています。(投稿した写真ではガラスに建物が反射して見えずらいです。すみません)
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=田辺藩扇ヶ浜台場(城びと未登録 和歌山県田辺市)へ徒歩で向かいました。

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天守無しがアツい

福井城坤櫓(ひつじざるやぐら)復元プロジェクト (2025/06/24 訪問)

山口里御門2階の展示にて「福井城坤櫓復元プロジェクト」の存在を知った私は…その翌日…県庁4階…交通まちづくり課を訪れました

職員の方に募金希望の旨を伝えて…1000円を募金箱に納める…その返礼品は募金記念用の御城印でした

返礼品は他にも御城印帳だの生活用品だの…複数ありました。返礼品によって金額も異なります💸

募金箱に入っているお金はまだまだ少なく…募金されてる方が少ないようです😭

「坤櫓が復元される事を願っております…」と去り際に職員に伝えた私…ふるさと納税でも寄付を募ってるそうなので、もしこの記事をご覧になり、「坤櫓が復活してほしい」と思われた方は…寄付をしてあげてください

https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/sokou/granddesign/fukuicastle.html

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トク

三隈川に囲まれた毛利高政の城 (2025/05/15 訪問)

日隈城は三隈川(筑後川の上流)を天然の堀として比高50mに築かれた城です。JR日田駅から徒歩15分の所にあります。戦国時代の日田は豊後大友氏の所領でしたが、1594年大友義統が改易されると秀吉の直轄地となり、宮城豊盛が代官として入り築城を開始します(写真⑧)。その2年後1596年に「毛利高政」が入り、高政はここに五重の天守を持つ城を築いたとされています(豊西記より)。いったいどんな天守だったのでしょうか? 天守台の遺構や絵図も残ってないのが残念です。

そして1600年九州の関ケ原では、黒田如水の要請で東軍として出陣した加藤清正は、西軍として角牟礼城にいた毛利配下の軍勢を牽制しながら別府石垣原の決戦(黒田如水VS大友義統)に向いますが、何と間に合わず、今度は引き返し、この日隈城を攻めようとしましたが、守っていた城代が開城の説得に応じたため、結局は攻めなかったとされています。

翌1601年、家康の命で高政は佐伯へ転封となり、代わって日田へ入った小川光氏が新たに永山城を築城すると(前回投稿)、日隈城は一国一城令で廃城となったようです。

四方を流れの早い三隈川に囲まれ(写真①②)、山頂の主郭には現在は日隈神社が建っています(写真⑥)。そこには日隈城碑があり(写真⑦)、また南西麓には大手桝形虎口と当時の石垣がわずかに残り(写真③④⑤)、川の流れの音とともに、ここに城があった事を静かに伝えていました。


追記【坂本城】
私もイオさんと同じ、あさんの投稿で、坂本城が国の史跡に指定され、埋め戻されている石垣も、今後活用される事を知り安堵しております。大津市文化財保護課の皆様、山王不動産流通様、また携われた関係者の皆様の御努力に感謝申し上げるとともに、一光秀ファンとして今後どのように変わっていくのか楽しみにしております。
 

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イオ

つぶやきあれこれ

特別版 お城EXPO in 松江 2025

松江城は国宝指定前に観光程度で行ったきりでもあり、お城EXPOとあわせてぜひ! と思っていたんですが、子どもの用事と重なってしまい泣く泣く断念…。次々流れてくる✕のポストや赤い城さんのレポートをうらやましく拝見しておりました。中でも一番の衝撃は新たなかるた企画の情報です。続編があるとすれば続100名城だろうと勝手に思い込んでいて、赤色立体地図とは予想もしませんでした。読み札募集もクラファンも、せひとも参加させていただきます!


祝! 坂本城国史跡指定

保存されるはずだった三の丸石垣が埋め戻されている、との報を受け、いったいどーなってるんだ!? とモヤモヤしていましたが、あ さんの講演会レポートで国史跡指定を受けるまでの遺構保護のための措置と知ってひと安心。そしてめでたく史跡指定を受けたことで、今後がますます楽しみになりました。公開されたらまたぜひ行きたいものです。


コンデジ復活!

破損していたコンデジが修理から戻ってきて、先々週の城めぐり(長篠の戦い)からまた活躍してくれています。いつかの日に備えてスマホでの撮影に慣れることも心掛けていますが、やっぱり使い慣れた相棒はいいなぁ…。長く使えるように今後は大事に扱っていきたいと思います。

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雨にけぶる春日山城 (2025/06/15 訪問)

上杉景勝は、御館の乱を制したことが評価されて、並み居る歴戦の戦国大大名と伍していけた、と読んだことがあり、御館は気になってました。また、春日山城と結構近いことを今回知りました。公園の説明板右下に、近くの線路脇から春日山城を眺めた写真があり、私も写真を撮りに行きました。小雨の中、山の上の方はけぶっており、どれが春日山かいまいち判別できませんので、説明板の写真のアングルに合わせて撮影しました。
 続いて、福島城、高田城を訪問しました。

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にのまる

100名城98個目 (2025/04/22 訪問)

おもろまち駅前からやんばる急行バス・空港線で2時間で到着しました。
今回訪れる予定のグスクの中ではいちばん遠くだったので、無事に着いてまずはホッとしました。

とにかく広くて石垣の塁線も美しく、見惚れるを通り越してそわそわしてきて落ち着いていられません。
縄張図を見ながら歩きましたが、ポイントごとの解説板が足りない知識を補い、また新しい知識を授けてくれて、歴史を伝える遺構に出会えた喜びと同時に大切に守っていかなければという気持ちになりました。

志慶真門郭、御内原、御嶽跡、大隅郭……。今思い返しても全てが素晴らしかったとしか表現できません。写真を見返しながら思い出に浸っています。
下りは旧道を通りました。タイムスリップ感のある道でした。

最後にミームングスクに行ってみたのですが、『ネズミより大きくてイタチより小さく、胴と尻尾が長くて足が短い小動物』が目の前を横切りました。マングースだったのかなぁ?

滞在時間は4時間。
大満足でした!

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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:手取城 (2025/05/30 訪問)

吉原御坊(城びと未登録 和歌山県美浜町)から自転車で70分くらい走って、手取城登り口道標(33.899933、135.219844)に着きました。
またまたミニサイクル地獄です。アップダウンの道に疲労困ぱいです。移動距離の半分近くはミニサイクルを押して歩きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に玉置大宣によって築かれたと云われています。
玉置氏は、南北朝時代に大和国から日高川の上流地域に鶴ヶ城を築き、さらに下流へ降って山崎城の川上兵衛則秋を攻略してこの地域を支配しました。
玉置直和の代には亀山城主・湯川直春の娘を妻に迎え、日高地方を二分する勢力となるまで拡大しました。
しかし、1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州征伐に際して秀吉に味方したため、秀吉に抵抗した湯川直春の軍勢に攻められ落城しました(坂ノ瀬の合戦)。
紀州が秀吉に平定されると直和と息子の永直は新たに紀伊の領主となった羽柴秀長に臣従し、所領は減ったとはいえ手取城主に返り咲きました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍に加担したため、戦後、改易となってしまい、城は廃城となりました。

堀や曲輪の斜面に石垣が点在しており、大きな竪堀跡も確認できます。
また、本丸跡からは御坊市街や亀山城まで見渡すことができます。(写真は撮りましたが投稿枚数の都合で投稿は割愛しました)
攻城時間は60分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
当初の予定では、この後、道成寺やいくつかの城びと未登録のお城を巡る予定でしたが、ミニサイクルでの移動に疲労困憊してしまい取りやめました。
本日の宿泊先に向かう為、丸仁商店(日高観光案内所 JR御坊駅前)で自転車を返却し、御坊駅から電車で紀伊田辺駅に向かいました。
歩行歩数=31613歩、歩行距離=22.1Kmです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:吉原御坊(城びと未登録 和歌山県美浜町) (2025/05/30 訪問)

本之脇城から自転車で25分くらい走って、松見寺山門前(33.890271、135.144605)に着きました。

天文年間(1532年~1555年)に亀山城主湯河直光が、本願寺10世証如上人の恩義に報いるため建立した寺院で、のちに次男信春を出家させ唯可と号して住職としました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の紀州攻めによって焼失、1595年(文禄4年)に現在の御坊市に再建され本願寺日高別院として現在に至っています。

吉原御坊は現在の松見寺境内付近に建立されていたようで、遺構は北背後に土塁があります。
山門脇に石碑があり、境内には案内板があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=手取城へ自転車で向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:本之脇城 (2025/05/30 訪問)

小坊子城から自転車で50分くらい走って、説明板付近空スペース(33.894648、135.115976)に着きました。
ミニサイクル地獄です。こいでもこいでも進みません。平坦な舗道さえも砂利なら本当に進みません。移動だけで疲労困憊です。
城跡までは舗装された遊歩道が整備され、居館跡から20分ちょっと歩くと目印の進入口に着きます。

築城年代や築城者など詳細は定かではないようですが、美濃左衛門が居城したといわれています。
美濃左衛門は1522年(大永2年)阿波の三好義長が由良に上陸した際の一族で、ここに拠点を置いたと推測されているようです。

堀切や石垣も一部残っており、数段の曲輪が確認できます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=吉原御坊(城びと未登録 和歌山県美浜町)へ自転車で向かいました。

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昌官忠

(東海&関西)遠征16日目:小坊子城(池田城) (2025/05/30 訪問)

亀山城から自転車で45分くらい走って、池田城跡登城口空スペース(33.946175、135.130741)に着きました。
ミニサイクル地獄です。こいでもこいでも進みません。池田城跡登城口までの最後の1Kmの登り坂をミニサイクルを押して歩きました。

1522年(大永2年)阿波の三好義長が小坊子城を築城し、支城として入山城(城山)を築いたそうです。ここを根拠地として、鞍賀多和城を攻め落としたそうです。
義長は義継に城を守らせ阿波に引き上げたが、同年冬、畠山高国が湯川政春とともに攻めてきたため落城したそうです。

土塁、空堀、堀切、竪堀などを確認しました。
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=本之脇城へ自転車で向かいました。

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