御土居は豊臣秀吉が聚楽第の惣構として築いた総延長22.5kmに及ぶ巨大な堀と土塁で、洛中と洛外を区画する役割を果たしました。明治以降、宅地化によりそのほとんどが失われましたが、一部は現存し、うち9か所が国史跡指定を受けています。
6年前に雨のため中断したままになっていましたが、今度こそ御土居を一周(少なくとも国史跡の9か所は全て)めぐるべく、例によって西院駅で阪急レンタサイクルを借りて登城(御土居めぐり)開始。北野を除く西ノ京から紫野までの4か所は前回も訪れていますが、どうせ通り道なので再訪しました。
西ノ京御土居(京都市中京区西ノ京原町・国史跡)
市五郎稲荷神社の奥に土塁が南北に遺っていて、社殿脇から土塁に上ることもできます。鳥居が立ち並ぶ参道あたりが堀跡のようです。
北野中学校御土居(京都市中京区西ノ京中保町)
「御土居の袖」と呼ばれる西側張出部の土塁が北野中学校の敷地内に遺っています。中学校の周囲は目隠しフェンスで囲まれていますが、北辺の目隠しが途切れたあたりから見ることができました。
北野御土居(京都市上京区馬喰町・国史跡)
北野天満宮境内の西辺を流れる天神川(紙屋川)沿いに御土居が良好に遺っています。土塁の上から堀代わりの天神川を見下ろすとかなりの高低差があり、往時の規模を感じることができる…のは良いんですが、御土居があるもみじ苑は紅葉(例年10月下旬~12月上旬)と青もみじ(例年4月中旬~6月下旬)の頃のみの公開です。梅苑の公開時(例年2月上旬~3月下旬)にも土塁の上は歩けますが、川沿いに下りることはできません。また、北野天満宮の北門を出たところには北門前町延命地蔵菩薩と呼ばれる御土居から出土した石仏が祀られています。
平野御土居(京都市北区平野鳥居前町・国史跡)
天神川沿いの住宅地の中に芝が植えられ綺麗に整備された土塁が遺っています。南端部には御土居から出土した石仏が祀られていました。
紫野御土居(京都市北区紫野西土居町・国史跡)
天神川沿いの住宅地の一角に土塁がわずかに遺っています。西土居町という町名にも御土居の名残が見られます。西側を流れる天神川とは結構な高低差があり、自転車を走らせていると自然地形を活かして築かれていることを実感しました。
途中、聚楽第に寄り道しながら紫野御土居までの御土居をめぐり、船岡山城、大徳寺 龍源院に続いては、いよいよ初探訪のエリアに足を踏み入れます(続く)。
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