八森城、沼館城を終えて秋田県城探訪往復約200km程経て東北道経由、前沢SAで昼食を摂り、平泉前沢ICよりR4、県道237、箱石橋手前を左折し白鳥舘案内所駐車場へ、東北城探訪4日目岩手県2日目、安倍貞任弟白鳥八郎則任の白鳥舘を初登城。
駐車場:白鳥舘案内所兼駐車場(39°01'23"N 141°07'52"E h=40m)トイレ有、パンフレットボックス有り。
参考資料:余湖図コレクションさん、白鳥舘遺跡パンフレット、グーグルマップに依る。
北上川蛇行地に北東に突出た半島状の丘陵に、前九年の役で源頼義・義家父子と戦った安倍貞任の弟白鳥八郎則任の伝館と有り、またまた胸震え探訪を開始。
案内所より順路に従って郭沿いの西下道を進行、郭間の堀切3條、案内所に近い南の郭は樹木が茂り、4郭3郭は住宅地と成っている、2郭南は住宅地ですが入口に白鳥舘の標柱、そこより西下への順路に従い降りると案内板とパンフレットボックス設置、約200m進むと北への道と西の1郭2郭への登城道に分かれてる。
登城路堀底道を進み堀跡案内板、1郭と2郭の間に在る、堀切道で1郭と2郭の切岸を眺めて、1郭東の帯郭へ、北へ伸びる帯郭と順路、北側及び周辺の探訪は取り止めて、2郭東虎口より2郭内部へ白山神社白鳥神社?が鎮座、神社裏より堀切越しに1郭を眺め、2郭南虎口より一部民家経由西下道へ探訪終了。
近くの史跡マークに箱石橋展望台と北上川に箱石が有るので箱石橋展望台に上り眺めるが良く分からないが北上川の眺めは素晴らしい。
歴史は案内板パンフレットによると
白鳥舘は前九年合戦(1051~1062)で、源頼義・義家父子と戦った安倍貞任の弟、白鳥八郎則任の居所と伝えられてきました。現在遺跡には、堀跡や郭、土塁など15世紀の城館の痕跡がよく残されています。これまでの発掘調査によって、10世紀から16世紀まで長期間にわたり使われていたことが明らかに、10世紀は集落、12世紀~14世紀は手工業生産遺跡、15世紀は城館、16世紀は集落として利用、特に12世紀から15世紀までの間は、北上川の湊として機能したと考えられる。
白鳥舘遺跡は川湊には最適の場所で北上川航路物流拠点として奥州藤原氏繁栄を支えた側面を示しています。
広い城域遺跡にて、すべては見切れませんでしたが1郭、2郭中心に探訪しました堀切、堀切道探訪が楽しい白鳥舘でした。
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