弓木城は東に阿蘇海を臨み、南に野田川が流れる丘陵上に築かれており、現在は城山公園として整備され駐車場も用意されています。北の小学校もかつての城址・北曲輪郡とされ遺構は消滅していますが、南曲輪群は遺構を残しています。
古い書物には「いみの木」の城主が「稲富どの」と記されていて、この「いみの木」が「弓木」になったのではないかと思います。稲富氏は最初は山田氏を名乗っていたようです。
最後の城主は一色氏とされ、天正10年(1582)9月に一色義有は細川氏に殺され、弓木城も落城したようです。最高所が本丸とされ「水無水神社神輿庫」が置かれ北西には「城山稲荷」のある曲輪があります。南東に細長い曲輪があり大手が付いていますが、大手道はかなり急坂です。大手から東にも曲輪が続き、周辺にも曲輪が残っています。
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