ゆみのきじょう

弓木城

京都府与謝郡

別名 : 稲富城、一色城
旧国名 : 丹後

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竪堀?
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ヒロケン

天橋立 (2024/07/26 訪問)

弓木城は阿蘇海を東に見下ろす丘陵上にあり、南北2つの大曲輪群で構成された広い城域をもっていましたが、北曲輪群は小学校建設時に失われ詳細は不明です。今に残る南曲輪群は周囲が切り立った断崖に囲まれ難攻不落であったことが想像されます。

弓木城は鎌倉時代に稲富氏が城を築き、代々稲富氏の居城でしたが戦国時代に丹後国守護であり室町幕府四職筆頭格の一色義定が細川忠興に攻められ建部山城から弓木城に移っています。弓木城も度々、細川氏に攻められましたが稲富流砲術の祖とされる、稲富祐直軍の鉄砲隊や一色義定の活躍により、これを撃退しましたが一色義定が細川氏に謀殺されその後、弓木城は開城したとされています。

現在の弓木城は城山公園として日本三景の一つ天橋立を見下ろすことができます。城山公園駐車場に駐車できトイレも完備されています。本郭から山裾まで続く竪堀らしきものがありますが、往時のものか後世のものなのか分かりませんが、見応えがあります。
曲輪、切岸、土塁なども確認でき、整備もされているので散策しやすい城跡です。

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織田晃司

信長の野望をプレイしたことのある方は (2023/10/07 訪問)

家臣にして重宝した鉄砲の名手・稲富氏の居城。

最後の写真の縦堀はインパクトありますが実は、神輿を社殿に通すために後年に掘られたものです。

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まーやん

一色氏終焉の地 (2021/05/04 訪問)

峰山から丹後半島を一周し丹後一の宮元伊勢籠神社参拝の後、国道178号から府道に入り岩滝小学校南向かの弓木城跡へ向かった。
室町幕府四職である一色氏の配下稲富氏の居城で、一色氏終焉の地となったところ。
天橋立に仕切られた阿蘇海を東に望む街道が交わる要衝の地に立地している。
小規模ながら急峻な切岸や横堀、郭が残り公園としてよく整備されている。小学校辺りに北の郭があったとかなかったとか。
どこか福知山の猪崎城と似た堅固な土の城だ。

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カズサン

登城始め急な切岸で圧倒される (2020/11/29 訪問)

 久美浜陣屋、松倉城を終えて東に直線約25km程弓木城を目指す、ナビは岩滝小学校と農免道路をはさんで城山公園駐車場(京都府与謝郡与謝野町弓木1542でナビ微調整)を目指す、今回の九州未踏の城廻り累計40城目を初登城。
 駐車場は大型車も可能な大型駐車場でトイレも完備。今回のガイドは古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依る。
 
 駐車場から道路沿い西へ案内登城路、側面南に尾根筋東の伸びる3郭曲輪群の北面急峻な切岸に圧倒される裾に横堀、神社階段を登り本丸北裏に神社の有る曲輪、南に1郭本丸に登る、本丸は低いが二段に成って南の伸びてる、南端に裾まで伸びる長い竪堀、両側は切岸、南斜め下に下城路にて2郭、1郭本丸南面、竪掘りを渡り本丸東面切岸へ、そこには広い大横堀を挟んで4郭二の丸?、本丸東切岸裾道を元の神社へ、神社下に土塁が残ってる、本丸西下に西曲輪群を挟んで大堀切が在るように見える。戻り駐車場南裏に土塁と横堀で出丸跡。
 認識なく初登城でしたが大変良い造りの山城を探訪させてもらいました満足の行く山城です、主な所は草刈りもされており安心して探訪出来ました。

 歴史は鎌倉期に稲富氏が築城、代々居城とし、丹後の守護となった一色氏に従属、戦国期細川氏に攻められるが防戦し、本能寺の変の混乱の中、和議開城したと伝わる。

 今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り、途中に播磨、山陰と廻る11月20日から9泊10日の探訪も40城目弓木城を以ってエンディングです。
 浜松を出発し帰宅まで総走行距離は4,044kmでした。城探訪時間より車に乗ってる走行時間の方が格段に多い車での城廻りです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 稲富氏
築城年 室町時代後期
主な改修者 稲富氏、一色氏
主な城主 稲富氏、一色氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府与謝郡与謝野町弓木城山