ゆみのきじょう

弓木城

京都府与謝郡

別名 : 稲富城、一色城
旧国名 : 丹後

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大手虎口
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しんちゃん

一色氏最後の城 (2025/07/01 訪問)

弓木城は東に阿蘇海を臨み、南に野田川が流れる丘陵上に築かれており、現在は城山公園として整備され駐車場も用意されています。北の小学校もかつての城址・北曲輪郡とされ遺構は消滅していますが、南曲輪群は遺構を残しています。
古い書物には「いみの木」の城主が「稲富どの」と記されていて、この「いみの木」が「弓木」になったのではないかと思います。稲富氏は最初は山田氏を名乗っていたようです。
最後の城主は一色氏とされ、天正10年(1582)9月に一色義有は細川氏に殺され、弓木城も落城したようです。最高所が本丸とされ「水無水神社神輿庫」が置かれ北西には「城山稲荷」のある曲輪があります。南東に細長い曲輪があり大手が付いていますが、大手道はかなり急坂です。大手から東にも曲輪が続き、周辺にも曲輪が残っています。

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小城小次郎

砲術一筋で命拾い (2024/10/12 訪問)

残存しているのは半分くらいと言われるが残っているところだけでも素晴らしいし何しろ比高がほとんどないのが嬉しい。城主の稲富氏は時の天下人にその砲術を認められあちこちで命拾いしている。そういう生き方もあるんだな。

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ヒロケン

天橋立 (2024/07/26 訪問)

弓木城は阿蘇海を東に見下ろす丘陵上にあり、南北2つの大曲輪群で構成された広い城域をもっていましたが、北曲輪群は小学校建設時に失われ詳細は不明です。今に残る南曲輪群は周囲が切り立った断崖に囲まれ難攻不落であったことが想像されます。

弓木城は鎌倉時代に稲富氏が城を築き、代々稲富氏の居城でしたが戦国時代に丹後国守護であり室町幕府四職筆頭格の一色義定が細川忠興に攻められ建部山城から弓木城に移っています。弓木城も度々、細川氏に攻められましたが稲富流砲術の祖とされる、稲富祐直軍の鉄砲隊や一色義定の活躍により、これを撃退しましたが一色義定が細川氏に謀殺されその後、弓木城は開城したとされています。

現在の弓木城は城山公園として日本三景の一つ天橋立を見下ろすことができます。城山公園駐車場に駐車できトイレも完備されています。本郭から山裾まで続く竪堀らしきものがありますが、往時のものか後世のものなのか分かりませんが、見応えがあります。
曲輪、切岸、土塁なども確認でき、整備もされているので散策しやすい城跡です。

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織田晃司

信長の野望をプレイしたことのある方は (2023/10/07 訪問)

家臣にして重宝した鉄砲の名手・稲富氏の居城。

最後の写真の縦堀はインパクトありますが実は、神輿を社殿に通すために後年に掘られたものです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 稲富氏
築城年 室町時代後期
主な改修者 稲富氏、一色氏
主な城主 稲富氏、一色氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府与謝郡与謝野町弓木城山