ふくしまじょう

福島城

福岡県八女市


旧国名 : 筑後

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①	福島城本丸跡(八女公園)
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トク

【筑紫広門】(6)八女福島城(広門最後の居城) (2025/05/17 訪問)

筑紫広門の続き(6/6)です。八女(やめ)市にある福島城を訪れてきました。八女と言えば、今では日本有数の「ひな人形」の産地として有名です。

猫尾城のある黒木から堀川バス(羽犬塚駅行)で少し戻り、途中の福島で下車しました。西鉄久留米駅からは西鉄バス八女営業所行に乗り福島で下車しても交差点を挟んだ場所に停車します。そこから徒歩5分の市役所前にある八女公園が、福島城の本丸があった場所です。現在は本丸の櫓台跡が残っていました(写真①②)。

1588年に秀吉から上妻郡1万8千石を与えられた広門は、いったん蒲池氏の支城であった山下城に入りますが、山城で手狭であったため、翌年新たに麓の平地に福島城を築き居城としました。

そして広門は、この福島城から秀吉の命で二度朝鮮へ出兵します。そしてその後の関ケ原では西軍に付き、毛利秀包(久留米城主)・立花宗茂(柳川城主)らとともに関ケ原へ向かいますが、大津城で京極高次の足止めにあい、1日の差で本戦に間に合わず、福島城へ引き返します。しかし帰郷してすぐ、家康から改易されてしまいました。関ケ原の後、ここは筑後柳川に入った田中吉政の領地となり、吉政はこの福島城とその城下町の整備を行い、三男の田中康政を城主として入れますが、その後の一国一城令で廃城となったようです。

吉政は三重の堀で城を囲み。商人を集めて城下町を形成したようです。その堀は現在ほとんど埋められていますが、わずかに残っている場所もありました(写真③④)。また歩いて5分の所にある八女民俗資料館には、吉政当時の天守の鯱が保存されていて、当時の模型なども展示されていました(写真⑥⑦)。白壁の町並みは今でも城下に残っており、散策するにはとてもよい所でした(写真⑧⑨)。さすがは吉政! 本当に城下町作りの名人ですね(写真⑩)。

改易された広門は、黒田・加藤・細川を頼り転々と流浪して亡くなったようです。同じく改易された立花宗茂は3代徳川家光の時に柳川藩主に復帰しますが嫡子がなく、弟直次の子忠茂が柳川藩2代藩主となります。そしてその血筋が幕末まで代々柳川藩主を務めます。そしてその末裔の方が今でもいらっしゃいます。広門には養子がいて、大坂の陣でも活躍し、旗本として3000石が与えられますが実子ではなかったようです。

つまり、直次の妻は広門の娘なので、広門の血は立花家の中で流れ続け、そして400年以上たった今でも彼の血は絶えずに流れ続けているという事になるのです。おそらく広門は、立花家の中ではあれど、血を絶やすなという家訓が守られている事に安堵し、あの勝尾城の山頂からこの筑後の街を見守っているのかもしれませんね😊。

以上、全6回読んでいただきありがとうございました。
 

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朝田 辰兵衛

「福島県のお城」ではありません。 (2023/07/11 訪問)

高良山神籠石から路線バスで西鉄久留米に戻ったら,八女営業所行きのバスが停まっていました。まさに発車寸前でしたので,飛び乗りました。降車バス停は,柳病院前。片道【510円】でした。ここから,約1.2km離れていますが,鉄道利用よりも断然近いです。
城址碑は石段ワキにひっそりとたたずんでいます。見落とし注意です。
この後,越後に帰還しました。ホントは基肄城の水門を見たかったんですが…次回に持ち越しです。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)6日目:福島城 (2022/06/10 訪問)

猫尾城からの転戦です。民家前空スペース(33.212028、130.556022)に駐車し、八女公園櫓台階段(33.211873、130.556095)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、1587年(天正15年)頃に筑紫広門によって築かれたと云われています。
豊臣秀吉による九州征伐の後の国割りによって、上妻郡には肥前国勝尾城主であった筑紫広門が封ぜられます。
このとき広門は山下城を居城とし、福島城を支城として築いたそうです。
1601年(慶長6年)関ヶ原合戦によって西軍に属した筑紫広門は改易となり、田中吉政が筑後一国を与えられ柳河城を居城としました。
このとき福島城には城代として田中康政が30,000石で入り、城が大改修されました。
1620年(元和6年)田中忠政が嗣子なく没して除封となると破却されました。

福島城は現在の八女公園一帯に築かれていました。
八女公園にある櫓台へ上がる階段横に福島城の石碑があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=高良山神籠石に向かいます。

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カズサン

三重掘総構だった田中吉政築城の支城 (2016/06/21 訪問)

 平成28年6月吉野ケ里遺跡、姉川城を終えて地道経由田圃、田植えの風景を見ながらの走行、今夜の宿泊先八女市のホテルにチェックイン後夕食前に八女福島城に初登城、八女市役所の西が八女公園で本丸跡、本丸の北西に大きな櫓台天守が在ったかも?本丸堀跡は一部周囲に堀の痕跡を表す表示の仕方で雰囲気を出してる。
 城下は八女商人の町並み、白壁土蔵の商家が立ち並び往時の風情を醸しており散策には楽しい博物館かも。

 夕食は本丸、二の丸の南側に在る食事処街の中より名前の良いうどん屋さんで具の天ぷらを肴に地酒にビール、福島城を見に来たと言ったら珍しそうに初めて聞いたと若干驚きながらも話し相手に成ってくれた、その内八女の広報資料で福島城に関連した資料、八女福島の町並み案内パンフレットを頂きました。 ありがとうございました。
 それを見るとなんと三重濠で総構えの縄張り図、三重目の外濠が水路として残ってるとの事。こんな凄い城跡を造ったのかと驚き流石田中吉政、支城でも凄いの一言。
 
 その後は八女の夜街案内情報を頂きスナックが多い八女市とか、とあるスナックで酒と喋りとカラオケで八女の夜を満喫。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 筑紫広門
築城年 天正15年(1587)
主な改修者 田中吉政
主な城主 筑紫氏、田中康政(田中氏家臣)
廃城年 元和7年(1621)
遺構 曲輪、櫓台、横堀跡
再建造物 説明板
住所 福岡県八女市本町
問い合わせ先 八女市文化振興課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 0943-23-1982