芥川山城は三好山の標高182m・比高130mの位地に築かれていました。
初代城主は細川高国の家臣・能勢頼則ですが、芥川山城はやがて細川晴元の手に渡り、三好長慶が晴元と対立すると、長慶の支配下に置かれます。城主(城代)に据えた芥川孫十郎が離反したため、長慶に攻められ阿波に落ち延びると長慶が城主となり、長慶が飯盛山城に移ると息子の義興が城主になりましたが永禄6年(1563)に義興が22歳で没すると、長慶も翌年亡くなっています。
芥川山城は主郭を中心に多くの郭が配され、城主が居住に使った建物も有ったようです。石垣はそれほどありませんが、大手道沿いには石垣が残っています。
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