宮城県伊具郡丸森町の柴小屋館の続きです。「城びと」の城では無いんだけど、よく整備され遺構も良く残っている「良城」です。
山城だけど、比高も高くなく訪れやすい。「ニッポン城めぐり」は何処まで行っても金メのアプリなので都市部のユーザーを釣るため「ちょこ城」が多いのは仕方ないけど、城びとに無いのはちょっと残念。「玉城」も入ってないしね。
登城道を程なく行くと、すぐに本丸にたどり着きます。本丸と二の丸の間には堀切があり、陸橋(土橋のことか?)がかけられ、いつでも外せるようになっていたとのこと。土橋と土橋の間を木橋で結んでいたのかな?
二の丸の裏手の空堀に説明版が有って、天正4年(1579)伊達晴宗・輝宗父子が矢ノ目に本陣を敷き、小斎城(柴小屋城)攻略にかかった際に、同年7月17日・相馬城主相馬盛胤が命じて堀切普請を行ったと書いてある。遺構の履歴が日付で解るなど目からウロコですわ。
その西側の遺構も面白くて、枡形の様な土塁を備えた曲輪があって、その先に周囲に土塁を備えた曲輪がある。曲輪の間も喰違い虎口のようになっていて、枡形の雰囲気がある。余湖さんの縄張図を参考にすると、先の土塁が高土塁になっていて、曲輪の間にはまった敵を攻撃するのに都合が良い。敵はそのまま押されて、竪堀や谷底にまっさかさま・・うん、想像すると楽しい。
人が、人を殺すのを想像するのがそんなに楽しいかと聞かれると・・正直言って「すっごく楽しい」
人を殺すことでは無く、城址がその遺構の威力を存分に発揮することを想像するのが「至上」の楽しみです。サンショは小粒でピリリと辛い・・そんな感じの仕掛けですわ。その先の「もくろ道」は昔は朱雀口と呼ばれ、殿様が通る道と呼ばれたそうです。また、練兵場や的場に行く道とも言われたそうな。
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