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しんちゃん

どこまで広がる?八王子城 (2024/01/28 訪問)

八王子城・詰の城の続きです。とにかく見所が多く、キリがないので無印に移動いての紹介です。ここに至るまでにも崩された石垣の痕跡が大量にあったので、往時は小規模な総石垣の山城のような佇まいだったのではないかと想像します。天守台の北東にも曲輪が連なり、側面にも石垣の痕跡が残ります。この辺は遺構が崩れかかっているので、注意して見学です。天守台の先には大堀切があり富士見台まで至る道が続きますが、自分はここで電池が切れたようで引き返しています。正直どこまで遺構が続いているのか分かりません。
北条に 仇成す敵を 迎え撃つ(川柳)
氏照公が残って指揮を取っていたら、どこまで持ちこたえたでしょうか? それともすでに山城の時代が終わったということを痛感するだけだったのでしょうか?

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しんちゃん

小山田氏 (2024/01/27 訪問)

小野路城は東側より道が続いているので停めれそうな場所に車を駐車して、そこから城址まで歩いていきます。案内板によると小野路城は小山田城主・小山田有重が築いた副城で、その子の次郎重義が守備に当たったとされています。築城は承安年間(1171~1174)とされ、主郭には小さな社が祭られ、北側に土塁が残っています。西側の鉄塔がある扁平地の周辺にも郭があったようで、主郭の北には小野小町ゆかりとされる小町井戸があり、そこから東南へ100mほど行った所にある崖下の「滝つぼ」と呼ばれる湧水と共に貴重な水源になってたようです。

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小城小次郎

築城者夫婦の祖父と祖母 (2024/01/13 訪問)

明石城と福山城はともに元和になってから山陽道に徳川幕府が打ち込んだ楔のようなお城で伏見城の遺材が用いられた点も共通。築城者の小笠原忠真は夫婦ともども徳川家康と織田信長を祖父に持ついとこ同士であることに気がついた。

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カズサン

【近江 妓王屋敷】滋賀県野洲市 平家物語で有名な妓王妓女の屋敷 (2024/06/24 訪問)

 永原御殿(永原城)を終えて、御殿移築門が在る浄専寺に行く途中に、グーグルマップの史跡マークも有る妓王屋敷跡に寄りました。

 住職:滋賀県野洲市中北(グーグルマップの史跡マーク記載あり)
 駐車場:無し。石碑の有る東の細道を北に50m程にビニールハウス東横の空きスペースに路駐し即退散。東屋トイレ有。
 参考資料:グーグルマップに依る。現地案内板。

 妓王屋敷跡には樹木が大きく鬱蒼としている中に大正5年建立の石碑が有り、妓王妓女物語が漢文で刻まて居る、入口東側には平成26年?案内板が有ります。南西奥に東屋風のトイレも有る。

 案内板によると。
 妓王妓女は今から約800年前に橘次郎持長の娘として生まれた、保元の乱で父を亡くしたために母とともに京に出て白拍子に成る、平清盛に仕えて寵愛を受ける、ある時清盛より望みを聞かれて、故郷の水不足を訴え水路の開削がなされて、付近一帯3000反の水不足が解消し有数の米どころとなった。この時妓王は21歳妓女は17歳でした、この水路は袛王井川と呼ばれて今なお役に立っており、村人は感謝して妓王寺が建てられた。
 平家物語では清盛の寵愛を失って妓王妓女は母と嵯峨野の祇王寺で仏門に入ったと、嵯峨野の祇王寺は楓が春、夏の新緑、青葉、秋の紅葉ととても美しい所です。

 永原御殿の北東角に「土保神社」があります、ここは妓王嘆願の水路開削工事が蹉跌したとき、夢に現れた童子が工事の手法を授けた事により完成したもので、上流を妓王井川、下流を童子川となずけ、この童子を土保神社に祀ってあります。(土保神社由緒)
 ※妓王妓女と祇王祇女の違いは良く分かりませんが、案内板、由緒、嵯峨野祇王寺の出典に合わせました。

 妓王寺には寄って居ません。
 
 

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/29 訪問)

沖縄城廻 第三日 最終日

平成の大修理の後で行けないまま正殿等が焼失、大変残念でしたが、今回は修復中の現場も見学できました
来年2025年の完成が待ち遠しいですね
アーチ門のほか相方積みの石垣も素晴らしい、本土にない城の魅力がたくさんありました!!

また、首里城は周りに玉陵など世界遺産構成要素があるのでこちらの見学も合わせるのがおすすめです
帰りは空港近くの温泉施設でで海や飛行機の発着を見ながら風呂で汗を流し、空港内での沖縄料理をたらふく食って帰途につきました

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊

9:02安里(バイパス向)、9:10首里城公園入口 
 (徒歩3分)首里城公園(首里杜館8:30-18:00) +玉陵見学
13:40首里城公園入口(路線バス)、14:19,14:30赤嶺駅(路線バス)、14:43ウミカジテラス
 瀬長島ホテル 瀬長島温泉
18:09ウミカジテラス(路線バス)、18:30那覇空港
20:00那覇空港(航空機)、22:20羽田空港

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/28 訪問)

沖縄城廻 第二日その1

阿麻和利のお城。あまわりパークで勝連城の歴史を予習してから登城
なんといっても石垣の重厚感がすごい。どっしりとして頑丈さも感じます

以前行った時と比べいろいろ整備が進んでおり、カートで登城の途中まで送ってくれました
世界遺産になって観光地化されましたね
あとチケット売り場近くのカフェのパッションフルーツコーヒーがうまかったです、つぶつぶの実入りです!

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※勝連城と共に登城

8:59泊高橋(路線バス)、9:50,10:13コザ、10:34勝連城跡前
 (徒歩1分)勝連城跡
12:01勝連城跡前(路線バス)、12:40,13:00北中城村役場(コミュバスめぐりん)、13:08中城城跡
 (徒歩1分)中城城跡
14:58中城城跡(コミュバスめぐりん)、15:07,15:18石平(路線バス)、16:05泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/28 訪問)

沖縄城廻 第二日その1

阿麻和利のお城。あまわりパークで勝連城の歴史を予習してから登城
なんといっても石垣の重厚感がすごい。どっしりとして頑丈さも感じます

以前行った時と比べいろいろ整備が進んでおり、カートで登城の途中まで送ってくれました
世界遺産になって観光地化されましたね

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※中城城と共に登城

8:59泊高橋(路線バス)、9:50,10:13コザ、10:34勝連城跡前
 (徒歩1分)勝連城跡
12:01勝連城跡前(路線バス)、12:40,13:00北中城村役場(コミュバスめぐりん)、13:08中城城跡
 (徒歩1分)中城城跡
14:58中城城跡(コミュバスめぐりん)、15:07,15:18石平(路線バス)、16:05泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/27 訪問)

沖縄城廻 第一日その2

なんといっても石垣の中にあるアーチ門が見所ですかね。重厚化なる石垣と、石垣隅部も本土の慶長期の城なら算木積で直角なのが多いが、ここは隅部も丸まっていて、全体的に流線形、丸味を帯びた石垣群でした。それは魔除けの一種と聞くが、沖縄の城の一番の特徴と思える

なお、最寄りのバス停に行くバスはいい時間がなかったので、30分前後歩くことになったが、真夏のような好天の中ではきつかった。もし同様にいかれる際は、熱中症対策をお忘れなく。

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※座喜味城と共に登城

8:53おもろまち一丁目(やんばる急行バス)、10:58今帰仁城跡
 (徒歩1分)今帰仁城跡(今帰仁村グスク交流センター9:00-17:30無休)
13:01今帰仁城跡(やんばる急行バス)、14:04,14:23道の駅許田(路線バス)、15:16親志入口
(徒歩32分)座喜味城跡(ユンタンザミュージアム9:00-17:30 水休)
(徒歩30分)17:41喜名(空港リムジンバス)、19:00泊高橋

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/06/27 訪問)

沖縄城廻 第一日その1

ちゅら海水族館の北にあり那覇からも遠いが、やはり琉球石灰岩でできた流線的な石垣は見事でした。
スタッフの方に聞いたら優良エリア入口の平郎門左右の穴は鉄砲狭間とのことですが、築城当時のものではなくのちの時代に修復時につけられたものとの話も小耳に挟みました。
築城時の時代的に鉄砲狭間はない気がしますが…

今回は目的を城めぐりだけに絞ったので、沖縄に来て初めてレンタカーを借りない旅行でした
本日の行程は以下の通り
※前日那覇市内泊
※座喜味城と共に登城

8:53おもろまち一丁目(やんばる急行バス)、10:58今帰仁城跡
 (徒歩1分)今帰仁城跡(今帰仁村グスク交流センター9:00-17:30無休)
13:01今帰仁城跡(やんばる急行バス)、14:04,14:23道の駅許田(路線バス)、15:16親志入口
(徒歩32分)座喜味城跡(ユンタンザミュージアム9:00-17:30 水休)
(徒歩30分)17:41喜名(空港リムジンバス)、19:00泊高橋

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トベシュン

神岩チャシ跡 (2024/06/27 訪問)

1泊2日で釧路、根室のチャシ跡巡りしてきました。
釧路:モシリヤチャシ、ハルトルチャランケチャシ
根室:神岩チャシ、オンネモトチャシ、ノツカマフ1号・2号チャシ

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カズサン

永原御殿本丸外堀探訪と移築門 (2024/06/24 訪問)

 永原御殿本丸発掘中の続きです。

 永原御殿本丸内部と発掘調査中現場を見学観察して、永原御殿の外堀を見学できる範囲で探訪、入口の東の外堀は埋まっています、北側は駐車場、南側は発掘調査現場作業コンテナ事務所エリア、南の外堀は水田に成っている、北側は集落の道と発掘調査作業機器の置き場倉庫、西側は一面水田ですが、畦道が舗装されて北から南へ伸びて居る、畦道から本丸土塁の間が水堀跡、水堀の半分は埋めれれて水田に成っている、水堀が有る事は判るのですが樹木、草が茂り良くは判らない、水堀が東に折れる南掘り辺りまで確認して戻る。
 北に約600m程の所に浄専寺(野洲市北941)が在り、南側に永原御殿移築門が在ります、が痛みが激しく近くは立入禁止、同南側に「史跡永原御殿御門」の案内板が有るが生垣の新芽の伸びで下半分判読できない。
 車は乗専寺と北自治会館の間の広い道の浄専寺側に幅寄せして路駐可。

 永原御殿本丸内部と水堀の一部復元がされて史跡公園化で今後の保存整備がなされると大変ありがたい。
 当日の真竹伐採作業ボランティアの方々に感謝も仕上げます。
   

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イオ

城内散策とひこにゃん (2024/06/29 訪問)

(続き)

この日は耐震工事により天守内部には入れませんが、彦根城は天守だけでなく天秤櫓や西の丸三重櫓などの現存櫓も内部公開されていますので、天守に入れない代わりに見学しました。…いえ、天守内部公開の有無に関わらず毎回見学しているんですけどね(笑)

天秤櫓ではいつものように表門山道と大堀切を見下ろし、佐和山城を遠望して、佐和口多聞櫓と違って貫が塗り込められていない内壁を眺めていて、柱や梁のちょうな痕に気が付きました。これまでにも視界には入っていたはずですが、見えていても気が付かないこともあるものですね。

この時季は山崎郭周辺がサギの繁殖地になっていることから、7月末まで山崎周回路は通行止めになっていますが、西の丸三重櫓から山崎郭側を見渡すと、樹々の上に遠目にもはっきりわかるサギの群れ…。通行止めはちょっと大袈裟なのでは? とも思っていましたが、なるほどこれなら通行止めも納得です。

内堀に開けた門のうち裏御門だけは周辺立入禁止のため、これまで存在を意識していませんでしたが、玄宮園から戻る際に門跡を確認。ここから着見櫓まで登り石垣がのびているはずですが、木々が生い茂っていてよくわかりませんでした。なお、着見櫓側から見ても登り石垣は草木に覆われてよくわかりません。

そして彦根城で会うのは久しぶりのひこにゃん。この間もお城イベントでは何度か会っていますが、天守の下では初めてかもしれません。写真撮影タイムやひこにゃんにちなんだ〇×クイズが行われる中、夏場だけに合間にごくごくタイムを挟んでお茶缶(のぬいぐるみ)を持ったひこにゃんが水分補給をすすめていました。…いや、我々観客もだけど、ひこにゃん(の中の人)こそ水分補給必須だろ!? と思っていたら、真夏日だったこともあり、予定時間を繰り上げてひこにゃん退場…。ひこにゃん、お疲れさま。この日はニッポン城めぐりのイベントスポット(ひこね街なかプラザ)にあわせて、四番町ダイニング前広場でのステージも観覧しています。ゆるキャラ数あれど、やっぱりひこにゃんの可愛らしさは群を抜いているよなぁ…。

…ということで、特別公開2箇所に加えて城内を(城下も)散策し、お土産にひこどらを買って彦根を後にしました。満足満足。

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カズサン

永原御殿本丸発掘中 (2024/06/24 訪問)

 近江の永原御殿を探訪したいと思っており、近年発掘調査・現地説明会等も開催されて居り各博物館等で永原御殿発掘のチラシも散見されて探訪を誘われて居りました。前泊の八日市から戻る形で野洲市の永原城・永原御殿を初登城。

 駐車場:永原城北東堀跡埋められてジャリ駐車場を利用。
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップ、野洲市HPによる。

 東側に真竹を切り開いた導入路が有り進行するが鎖チェーンが張られて進入禁止、近くにコンテナの事務所が有り人の気がするのでノックして、訪ねると気持ちよく鎖チェーンを外して本丸内部の発掘現場ブルーシートの掛かってる辺りまで案内頂きました。最近も発掘調査結果現地説明会が開催されたようです。
 南側の土塁、西土塁、坤角櫓跡、本丸中心部の御殿跡発掘調査現場はブルーシートが掛っている、乾角櫓跡もブルーシートが掛っている、登る階段が有ったので土塁まで登にり近くで観察、外の水堀は真竹竹林で良くは見えないが少しは竹林間で見える。発掘調査現場は真竹を伐採して見学歩きやすくなっていますが、伐採の竹の残りと新しい真竹が伸び始めてツンツンしており登山靴、安全靴での探訪が安心安全です。
 当日は現場作業の方々で真竹の伐採をされて居ました、今年の春に伐採したばかりですと言っていましたが真竹の成長は早く伸びも早い、大変な作業です。
 滋賀県には江戸幕府の宿泊所・御茶屋御殿がここの永原御殿と水口城御殿、伊庭御殿、柏原御殿と4ヶ所も有り歴史文化財が豊富です、発掘調査が更にされて成果の結果として史跡公園永原御殿の復元が楽しみです。

 撮影見学して、現場作業事務所に寄りお礼の挨拶し、もし資料が有ったらとお願いしたが残って居なかった、後日野洲市のHPより永原御殿の発行必要資料を入手する。
 
 続き、永原城本丸水堀跡と移築門を投稿します。
 

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todo94

10年前の攻城 (2014/05/11 訪問)

日野新選組まつりに参戦した翌日の日曜日にこの城は攻城していました。三田線終点の西高島平から少々歩いて赤塚城にアプローチしています。かなりの広さを持つ本丸広場周りは都立赤坂城跡公園として整備されていました。少し離れた東京大仏乗蓮寺が二の丸で二の丸城址碑もありました。千葉自胤がこの城に入城し太田道灌に従ったとのことです。

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赤い城

鹿角城 香川県高松市 (2024/06/30 訪問)

高松空港に向かう国道193号線を少し入ったところにあります。
「かのつの」城と読みます。
城趾には鹿角神社が鎮座し、城趾の石柱が立っています。
周囲は水田で遺構はありません。
裏手の水路が堀跡なのでしょうか。

新居氏の居城でしたが長宗我部氏の侵攻により降伏しました。

近くには剛麺で有名な中西うどんさんもありますよ。
ここも美味しい。

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火ノ島豊後守正宗

川越城 (2024/07/10 訪問)

正73城目。
JR川越駅より川越城下町をねり歩きながら徒歩30分程度で到着しました。
ちょっとした城址公園です。正直言うと城郭よりも城下町の方が見る価値は大きかったですね。着物姿の観光客が城下町に映えました。

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ぎりょう

信州の五稜郭に感動! (2024/06/29 訪問)

今年もはや半年を過ぎて、前半の締めとして、長野県佐久市と小諸市に。一日目の午前中は日本に二つしか無い五稜郭、龍岡城(本来は陣屋)を訪問することができました。
この城は江戸時代終わりの文久3年(1863)に大給松平氏の乗謨(のりかた)が三河国奥殿から信濃国田野口に移封、稜堡式の城郭の建設を申請し、翌元治元年3月に着工されます。慶応三年(1867)四月に建物が完成し竣工式を行ったといいますが、実際は未完成のまま工事は中断されたようです。当時乗謨は、老中格・陸軍総裁の要職についており、崩壊寸前の幕府内にあって、自領の城を完成させる余裕は無かったのでしょう。
星形稜堡の五稜郭は平野に築かれてこそ本来の機能が発揮されるのですが、城地の北側には山が控えており、もしそこが敵陣となり砲弾を浴びせかけられれば、たちまち落城してしまうことを、早くから洋学を志した乗謨には承知のことだったと思います。生涯に一度の築城のチャンスに、これまで学んできた洋式城郭の知識を集大成した思いが伝わってきます。
城内の堀や石垣、土塁、現存建物である御台所など遺構はとても良く保存され楽しめたのですが、やはり全体の姿が観たくなるのが城好きの習性です。城址の北側に位置する中世山城、田口城跡にある「五稜郭展望台」に向います。ここ数年里山でのクマ出没で休んでいる山城探訪のせいで身体もなまっており、前夜の雨でぬかるんだ、比高150mほどの登城路を息も絶え絶え登りきりました。函館五稜郭の半分ほどの規模なのですが、青空の下の五稜郭の姿にとても感動しました。




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しんちゃん

詰の城・天守台 (2024/01/28 訪問)

前回の八王子城の投稿ですが、北条氏直公らの話で少々脱線気味でした。これも伏線の一つとしてご容赦を。
さて本丸から大堀切を経て詰の城に向かいます。城びとで詰の城まで行かれている方は二名おられるようで、やはり首都圏の城びとにとって八王子城は特別な城みたいです。詰の城までは少し距離がありますが、大きな起伏も無いので遺構を楽しみながら進むことができます。目的地に近づいてくると周辺に石垣が目立つようになって来ます。思ったより広い範囲に築かれているようですが、麓の御主殿ほど洗練されてはいないようで、いつごろ築かれたのか興味の湧くところではあります。正直思ったより広く、立派で驚きました。本丸周辺ほどの広さは無いですが、なかなか見応えのある遺構が残っています。かなり大規模な破壊を受けたようで途中、至る所に石が散乱しています。
地元が配布しているパンフレットなどでは、だいぶ控えめに記載がされている詰の城周辺ですが、安全面と遺構の保存のための配慮かもしれません。とにかく遺構を壊さないように気を付けて周辺を散策します。

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キンヤ

「家忠日記」を記した松平家忠の誕生地で城主を勤めた城跡 (2024/06/08 訪問)

NHK Eテレ 先人たちの底力 知恵泉「松平家忠日記に見る戦国処世術」を見て興味を持ち、家忠の誕生地と紹介されていた深溝城と瑞雲山 本光寺に行きました。 
 
「松平家忠日記」は、家忠自筆の天正3年(1575)から文禄3年(1594)までの17年間の日記で、戦国時代の様子を伝える貴重な史料として重要文化財に指定されています。

深溝城は、鎌倉時代又は室町時代前半に三河大庭氏により築かれました。
16世紀前半に大庭氏が松平氏に討たれた後は深溝松平家の居城となり、深溝松平家4代の家忠も城主を勤めました。
後の寛永16年 (1639)、板倉氏が深溝陣屋を構えました。
城跡は工場と宅地になってますが、周囲を散策すると高台にあることが分かります。
工場西側の一角に城址碑が建てられており、工場東側と宅地の間の道沿いに遺構と思われる高い土塁が一部見られました。
深溝陣屋の門が医師の名家であった高橋家に移築され、今でもお宅に立派な門が残されていました。

瑞雲山 本光寺(深溝松平家の菩提寺・墓所)
深溝松平氏は各地に移封を重ね、島原7万石の大名となり明治を迎えましたが、当主が死去しても遺をこの地に運び埋葬されました。
島原藩主深溝松平家墓所として国史跡に指定されています。
東西の御廟所に分かれ、初代忠定から19代忠諒までの墓所があり、家忠のお墓にもお参りできました。6代から19代までのお墓は神殿石造りで珍しいです。
ちょうど紫陽花まつりが開催されていて、見頃前でしたが綺麗でした。

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小城小次郎

海峡を睨む、本気の台場 (2024/01/13 訪問)

一見すると明石海峡大橋を望む普通の公園だが大砲のオブジェもあるし、よく見ればW字型の石垣も垣間見える。淡路島の松帆台場と一対で明石海峡を睨みつけていた本気の台場がほぼ形を保って地中に眠っている。

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