福束城を終えて揖斐川を渡り南西に約7.2km程の津屋城を初登城、津屋城旧城門と伝わる長屋門を初確認。
駐車場:津屋城跡に建つ本慶寺参道の北側と南側に駐車場有り。
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
北側のジャリ駐車場に駐めて、山門である旧津屋城門を側面から眺め、西側の城塁?石垣を眺めて東側参道入り口へ、参道北側に津屋城跡石碑、津屋城跡案内解説板が立っている、ゆっくり読んで確認勉強、解説板の東前に寺院の石碑、「獅子吼山本慶寺、側面に蓮如上人由緒教如法主旧跡之地」と刻まれている。
移築城門の山門を潜り本堂を参拝し周辺を目視、南から北へ土塁が走る、本堂奥は更に一段上がっている、土塁の南側は竹が茂り鬱蒼としており土塁、空堀を確認する事が出来ない。
案内解説板によると、本堂の奥北西の隅の一画が一の曲輪、それより一段低い平地(本堂)が二の曲輪、南側の内堀の外側に三の曲輪(畑地)が在り大手門が在ったと考察されると記されていた。主郭を囲む内堀と三の曲輪を内側にした外堀の二重堀であった、北、西、南側は空堀、東側は水堀とし津屋川を中心とした池、沼に成っていた。
山門を出て念のために、南側の土塁、内堀が残って居ると言われる竹藪を孟宗竹、真竹、小竹などいろいろの竹が鬱蒼と茂っており良く確認する事が出来ない、東、南、西は養老鉄道路線側まで行き西側を確認するが良く分からない。
歴史は案内解説板によると、津屋城は関ケ原戦まで高木八郎左衛門正家が居城していた、関ケ原戦で西軍に従ったために没落廃城と成った。現在は慶長8年(1603年)に当時の領主徳永法印寿昌(高須城主)に許しを得て移された本慶寺と成っている。
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