https://kishiwada-castle-70th.jimdosite.com/
2024年11月、岸和田城は復興天守建設より丁度70年となりました。
各季節ごとにこれを記念した各種催しをしております。秋のイベントは12月8日まで。
そして冬はその締めくくりとして建設当時に行われた武者行列が復活。という事で只今参加者募集をしております。ご自身でお持ちの武将コスチュームや甲冑での参加も歓迎です。
ご応募お待ちしております。
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2024/11/12 14:43
岸和田城・天守復興70周年「秋」「冬」
https://kishiwada-castle-70th.jimdosite.com/
2024年11月、岸和田城は復興天守建設より丁度70年となりました。
各季節ごとにこれを記念した各種催しをしております。秋のイベントは12月8日まで。
そして冬はその締めくくりとして建設当時に行われた武者行列が復活。という事で只今参加者募集をしております。ご自身でお持ちの武将コスチュームや甲冑での参加も歓迎です。
ご応募お待ちしております。
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2024/11/12 14:15
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:滝川西城(城びと未登録 滋賀県甲賀市) (2024/10/06 訪問)
上野城より自転車で2~3分くらいで、登城口(34.897056、136.248778)に着きました。
滝川西城は滝川氏によって築かれた城です。城は滝川城から谷を挟んで西側の尾根に築かれていました。
現在、城址には曲輪、土塁、堀切などが確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=鯰江城へ向かう為、油日駅で自転車を返却後、油日駅からJR➡近江鉄道➡東近江市ちょことバスを乗り継ぎ、鯰江バス停へ向かいました。
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2024/11/12 14:11
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:滝川城 (2024/10/06 訪問)
上野城より自転車で15分弱で、城址東側入口(34.895932、136.251678)に着きました。
滝川城は滝川氏によって築かれた城です。甲賀で有名な櫟野寺の南側に、櫟野川を挟んである小山に築かれています。
織田信長の家臣、滝川一益が一時居城したとも、生誕地であるとも伝えられています。
現在、城址には土塁などが確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=滝川西城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。
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2024/11/12 14:06
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:上野城 (2024/10/06 訪問)
殿山城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分ちょっとで、標識入口登城口(34.885358、136.233337)に着きました。
上野城は甲賀五十三家のうちの南山六家に数えられる上野氏の居城です。室町時代に上野主膳正による築城とされますが、詳細は不明のようです。
登城口は北西にあり、道は藪になっている箇所もありますが、土塁などの遺構を確認することができます。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=滝川城へ自転車で向かいました。
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2024/11/12 13:59
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:殿山城(城びと未登録 滋賀県甲賀市) (2024/10/06 訪問)
和田支城郡(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分弱で、殿山登り口(34.885288、136.228896)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、平安時代に和田満政によって築かれたと云われています。
1184年(寿永3年・元暦元年)伊勢平氏平田四郎が兵を挙げて近江国へ侵入すると、 近江源氏の佐々木秀義がこれを迎え撃つために列血野に陣を布き、 平田四郎は殿山に陣を布き油日川を挟んで合戦となったそうです。
石段を登って少し行くと標識があり、本来はここを右に行くところをそのまま真っ直ぐ階段を登ってしまいました。
事前調査で堀切や土塁があるはずなのだが、無いなと思いながら下城しました。
下城時に標識を見て誤りに気づいたのですが、時間の都合上、トライは諦めました。(堀切や土塁を見たかった)
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=上野城へ自転車で向かいました。
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2024/11/12 13:54
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:和田支城郡(城びと未登録 滋賀県甲賀市) (2024/10/06 訪問)
和田城より自転車で5分弱で、支城1説明板前(34.879022、136.223917)に着きました。
その後、支城1登城口(34.878828、136.222940)➡支城2説明板(34.880406、136.224185)➡支城2登城口標識(34.880608、136.224220)➡支城3説明板登城口(34.882297、136.224895)の順番で巡りました
支城1
和田城から和田川を挟んで西側の丘に築かれていました。
主郭は西端にあり、西側と北側に土塁が残り、東側の土塁付近にお稲荷さんがありました。
支城2
和田川の西側にあり和田支城1と和田支城3の間の丘陵にありました。
主郭は西から北側にかけて高土塁があり、その外側に空堀が残っています。堀切が見所です。
支城3
城は和田川の西側、和田支城2の北側の丘に築かれていました。
主郭は高土塁が巡り、北側は堀切で断ち切られています。虎口は南側にありました。
個人的には支城2が最高でした。堀切が見所です。
攻城時間は移動時間を含めて50分くらいでした。次の攻城先=殿山城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。
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2024/11/12 13:49
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:和田城 (2024/10/06 訪問)
油日駅のレンタサイクルで自転車を借り、油日駅より自転車で10分くらいで、説明板前(34.878886、136.226597)に着きました。
和田一族の本拠である和田城は甲賀城郭群の代表的な城です。平安時代末期の築城ですが、戦国時代に入ってから本格的に整備されたようです。
和田の地は、のちの15代将軍足利義昭が潜伏していたことでも知られています。
和田氏の祖先は応和年間(961~64年)に和田を領有した源満政といわれ、室町幕府3代将軍足利義満の頃に和田に移住したと伝えられています。近江国守護佐々木氏の重臣であり、五反田や毛枚を領有する土豪でした。
戦国時代の武将として和田惟政(1530~71年)がいます。惟政は1565年(永禄8年)興福寺から亡命してきた一乗院覚慶(後の足利義昭)をかくまったことで知られ、後に15代将軍となった足利義昭に仕えました。
しかし、同時に織田信長にも仕え、三好三人衆を撃退した功により摂津国守護として任じられ、茨木・高槻城の城主を兼任、京都所司代となりました。
1571年(元亀2年)摂津国白井河原(現大阪市茨木市)で同じく摂津国守護であった池田氏の家臣荒木村重と戦い敗死しました。
油日駅に置いてある「和田城館群」のパンフレットが便利です。
登城口は山の北側で、曲輪、土塁、横堀(空堀)などが確認できます。
主郭南辺の巨大な土塁が見所です。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=和田支城郡(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。
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2024/11/12 13:42
公共交通のみで(東海&関西遠征)15日目:大塚城 (2024/10/06 訪問)
おーみ満喫パス(20141006)を利用して、今日1日の交通費(近江鉄道/近江鉄道バス/近江鉄道湖国バス)を節約します。(近江鉄道はICカードが使えないので、おーみ満喫パスを使えば改札が楽です)
八日市駅から朝日大塚駅に着きました。そこから徒歩5分くらいで、大塚城跡馬掛石前(35.051621、136.190883)➡線路北西側茂み入口?(35.051383、136.193234)付近を廻りました。
大塚城は、室町時代に六角氏の家臣・大塚氏によって築かれました。
詳細なことは定かでないようですが、大塚氏は近江守護六角氏に仕え、天文年間に六角定頼の下で大塚八郎右衛門が湖水の船手奉行をしていたそうです。
妙厳寺裏手の田んぼ中と寺の西側の集落の中に馬掛石があります。
近江鉄道の線路で分断されていますが、雑木林の北辺に大塚城内堀と土塁の一部が残っています。
電車の時間が迫っているので、駆け足で回りました。攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=和田城を目指す為、朝日大塚駅から電車で油日駅に向かいました。
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2024/11/12 12:53
発掘の様子を間近で見学できるチャンス!
現在、駿府城跡天守台発掘調査現場では一部エリアで発掘調査が行われており、掘削作業を間近で見ることができます。
※発掘調査についての詳細は前回の記事をご覧ください。
作業員たちがツルハシやスコップを使って、一つ一つ慎重に掘り進めていく姿は迫力満点です!
さらに、発掘作業員の姿にも注目!全員が揃って着用しているユニフォームは、徳川家康にちなんだ特別デザインです。ビブスには「葵紋」があしらわれ、ヘルメットには家康公の甲冑である歯朶具足(しだぐそく)の兜(かぶと)の模様が施されています。このこだわり、歴史好きにはたまらないですよね。
発掘調査の様子を間近で見られるのは発掘調査が行われている期間だけです!
静岡にお越しの際は、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場に足を運んでみてください。
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2024/11/12 11:03
2024/11/12 10:59
2024/11/12 10:53
2024/11/12 10:48
2024/11/12 10:37
2024/11/12 10:31
2024/11/12 05:42
公共交通のみで(東海&関西遠征)14日目:西宮砲台 (2024/10/05 訪問)
香櫨園駅から徒歩20分くらいで、説明板前(34.724389、135.333042)に着きました。
1863年(文久3年)江戸幕府によって築かれました。江戸幕府は大阪湾防備のため砲台を築くことを決め、軍監奉行勝海舟がその築造場所を調査決定しました。
完成は1866年(慶応2年)で当初の予定であった稜堡式ではなく円形で築かれました。
西宮砲台は御前浜公園の一角にあり、堤防の外側の砂地に堡塔が残されています。
攻城時間は15分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に向かう前に、東町バス停から阪急バスと阪急神戸本線の電車を利用して十三駅に向かい、そこでコインロッカーより荷物を取り出し、本日の宿泊先の滋賀県の八日市駅に向かいました。
本日の攻城徒歩=34068歩、攻城距離=23.84Kmでした。
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2024/11/12 05:37
公共交通のみで(東海&関西遠征)14日目:小松城 (2024/10/05 訪問)
武庫川駅から徒歩5~6分くらいで、供養塔入口(34.721389、135.379902)に着きました。
現在、岡太(おかだ)神社となっている場所が城跡推定地のようです。
最も著名な城主は、平安時代の武将かつ、公家だった平清盛の嫡男・平重盛です。現在は地形も改変されてしまったようですが、かつては「伏松」と呼ばれる小高い丘が、神社の西南にあったらしく、そこに重盛の居館があったと考えらているそうです。
供養塔を確認しました。
電車の時間が迫っていたので、速攻撤退です。攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=西宮砲台を目指す為、武庫川駅から電車で香櫨園駅に向かいました。
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2024/11/12 05:32
公共交通のみで(東海&関西遠征)14日目:大和田城 (2024/10/05 訪問)
千船駅から徒歩10分弱で、大和田小学校正門前(34.706579、135.445386)に着きました。
大和田城は「石山合戦」の舞台となった城のひとつです。石山本願寺の支城として下間氏が守備していましたが、1575年(天正3年)に織田信長の命を受けた荒木村重が攻撃して落城させています。
その後は石山本願寺包囲網のひとつとして信長によって改修され、村重の家臣である安部仁右衛門良成が城主をつとめました。
遺構はなく、大和田小学校の敷地内に石碑が建てられています。門外から写真を撮りましたが、レンズに着いたゴミで投稿できません。
門外にある説明板の写真は大丈夫でした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=小松城を目指す為、千船駅から電車で武庫川駅に向かいました。
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2024/11/12 05:28
公共交通のみで(東海&関西遠征)14日目:黒丸城 (2024/10/05 訪問)
鳥飼本町一丁目バス停から徒歩5分くらいで、黒丸城石碑前(34.780559、135.587825)に着きました。
黒丸城の詳細については不明のようですが、三好一族の同族争いや、三好氏と織田信長との戦いにおいて使用された三好氏の支城と考えられてます。
鳥飼仁和寺大橋北側道路の東側歩道上に石碑と案内板があります。
鳥飼本町一丁目バス停でのバス待ち時間に家具アウトレット(ビッグウッド)さんにトイレを借りました。
攻城時間は2~3分くらいでした。次の攻城先=大和田城を目指す為、鳥飼本町一丁目バス停から近鉄バス➡阪急電車➡阪神電車を乗り継ぎ、千船駅に向かいました。
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2024/11/12 05:24
公共交通のみで(東海&関西遠征)14日目:沢良宜城 (2024/10/05 訪問)
真砂一丁目バス停から徒歩15分弱で、美沢公園内石碑/説明板前(34.798221、135.569141)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、城主は藤井三位で1399年(応永6年)周防山口の大内義弘が堺へ進出したきたときに、室町幕府の「御馬廻衆」として二千騎を率いて出陣したそうです。
沢良宜城は佐和良義神社の西側一帯に築かれていたと考えられていますが遺構はなく、参道入口の西にある美沢公園に石碑と案内板があるのみです。
佐和良義神社の参道は南北に長く残っており、かつての沢良宜城の馬場であったとも云われています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=黒丸城を目指す為、沢良宜橋バス停から近鉄バスで鳥飼本町一丁目バス停に向かいました。
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