①「総石垣 近世の始まり 安土城」(そういしがき きんせいのはじまり あづちじょう)
②「淡の海 金箔輝く 安土城」(あわのうみ きんぱくかがやく あづちじょう)
③「信長の 天主も三年 安土城」(のぶながの てんしゅもみとせ あづちじょう)
安土城へは50~60年前に初登城以来何回となく訪ねて居りますが、初登城時は今の発掘された大手道は無く東側の摠見寺への道を登って黒金門跡本丸天守台に登って行きました、又百々橋口登城路からの昇り降りで入城料は無しでした。
現在は大手道石段の発掘、大手道沿いの屋敷郭の発掘が進み奇麗整備されて有料入城と成り、登り口は大手道のみ、百々橋口は閉鎖されて元摠見寺跡、三重の塔、仁王門からの下城は途中で大手道への迂回と成って居ます。
黒金門跡の鏡石枡形、二の丸信長廟、本丸跡、天主台跡の礎石と総石垣の安土城を思う存分楽しむ事が出来ます、光り輝く天主閣は天正4年(1576年)1月築城開始し天正7年(1579年)5月天主閣完成し信長移り住む、天正10年(1582年)6月本能寺の変で信長は無くなり、その後焼失しています。城下から琵琶湖から金箔で光り輝き聳え立つ天主閣は3年で信長の夢とつゆと消え去りました。
天守閣、櫓、瓦葺き、石垣を用いた織豊系城郭の始まり、城郭建造の始まりは安土城で城の大先達であります。
投稿写真の1、2、3、4は2010.5.22撮影。5、6は2011.7.13日撮影です。
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