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よっしー

2026年3月1日から入場料が値上げ (2025/02/28 訪問)

2026年3月1日から入場料が値上げ大人1000円→2500円に成ります。
世界遺産であり国宝で有る。
2回の大修理を経て今に400年前の建築技術と歴史のロマンを感じる姫路城。
値上げ前に一度鑑賞してみてください。

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todo94

イベント前の攻城① (2025/03/08 訪問)

この日は夜にお楽しみのイベントがあるので、前泊ではなく、始発のしなので西下しました。11時に姫路駅前でレンタカーを借り受け、書写山に向かう前にここに立ち寄った次第です。空堀を確認するためだけの再訪でした。書写山ロープウェイが運休していたので、圓教寺再訪は断念いたしました。

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トク

秀吉の命で築かれた朝鮮出兵の兵站基地 (2025/03/09 訪問)

勝本城は、壱岐島の北部の勝本町の高台に位置し、180°海が見渡せる大変眺めのいい城です。

博多埠頭からジェットフォイル(写真⑦)に乗り70分、壱岐島南部の郷ノ浦港に到着。そこから10分程歩き、バスが出ている本町から勝本行バスに乗り30分、城山で下車するとそこが勝本城です(写真①)。本町のバス待合所では島内1日フリー乗車券(1000円)を売っているので利用するととても便利でした(写真⑧⑨)。

豊臣秀吉は、朝鮮出兵のための兵站基地(食料備蓄と渡海する兵の休息場所)として、平戸城主の松浦鎮信に4ヵ月で築城せよと命じます。鎮信は、五島純玄・大村喜前・有馬晴信などのオール長崎衆の助けを借りて、短い期間でしたがそれを成し遂げました。城の北側の大手門周辺は、見事な穴太衆が築いた石垣で積み上げられています(写真②③)。とても4カ月で築城したとは思えない規模です。また本丸は東西40m南北80mあり、ここに館が三つほど建っていたようで(写真④)、兵站基地にしては、かなり本格的な城だったようです。

その本丸に立ち、海を眺めてみました。眼下には勝本港が見えました(写真⑤)。北西(写真⑥)の水平線上には対馬が見えるはずですが、天気がいいのになぜか見えなかったのがちょっと残念でした。

【余談】壱岐高校
島のいたる所にはこんな垂れ幕やポスターで、もう大盛り上りです(写真⑨⑩)。来週18日から始まる春の選抜高校野球大会に、ここ壱岐島から「壱岐高校」が出場します。郷ノ浦港では私と入れ替わりで、ちょうど出発の激励会が行われていました。離島からの甲子園出場は、春夏を通じて初めてだそうです。秋の長崎県大会に優勝しているので、21世紀枠ですが実力はそこそこありそうです。また野球部員21人全員が壱岐生まれの壱岐育ち、この「壱岐っ子」たちがどんな野球を見せてくれるのか、私は楽しみです。
 

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にのまる

バスで行ったけど路線図見て感泣 (2025/01/22 訪問)

九州城めぐり旅5日目です。
鹿児島から志布志への行き方はいくつかあるようですが、
・鹿児島中央→(日豊本線🚃)→都城
・都城→(路線バス🚌)→志布志駅
で行きました。

都城→志布志のバスは直通もありますが時間的に途中で乗り換えとなりました。
2本とも他に乗客はおらず運転士さんと2人きり。googleマップで見ると感動するくらいの山の中で、地元の人間でもないのにここを運んでいただけるなんて!と感謝しきりでした。

志布志駅前の観光案内所で情報をいただいてから埋蔵文化センターへ徒歩で向かいました。そこで見たジオラマがものすごくて!今思い出しても感動がよみがえってきます。

志布志へ行ったら絶対に行きたかった志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所に寄ってから志布志城へ。

観光案内所の方に4つの城郭のうち見学できるのは松尾城と内城。ただ、内城の方は中野久尾まで行こうと思えば行けるけれど厳しめだと伺っていたので、無理はしないで本丸までにすることにしました。
はじめに松尾城へ。知覧城で見たのと同じシラス台地を掘削した空堀。しーんとした山の中を歩くのは慣れているはずですが、初めてのところはやはり緊張します。ビクビクしながら行って戻ってきました。
続いて内城へ。こちらには幟や案内板、散策コースマップがありました。初めは恐る恐るでしたが本丸に到着すると気持ちの余裕も出てきてじっくり観察できました。曲輪3下段、曲輪2上段の発掘調査の詳細な解説板に、ジオラマに違わぬすごいお城だったんだなぁと感動しました。

下山後は福山氏庭園に寄りました。昨夏大規模修復を終えたそうです。貴重なお話をたくさん伺えました。100年後の将来を見据えた修復という説明にお城の復元に通じるものがあるなと思いました。

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イオ

『城めぐりのきっかけ』告白リレー(笑)

チェブさん、朝田 辰兵衛さん、赤い城さん、にのまるさん、『城めぐりのきっかけ』告白リレーへのご参加ありがとうございます……って、一週間あまり確定申告に追われていた間にそんなことになっていようとは(笑)

チェブさん
妊娠でのドクターストップがきっかけとは……本当に人生何がどう繋がっていくかわかりませんね。子どもの送迎などもあってまだ思うままに城めぐりはできませんが(と言いつつわりと好き勝手やってますが)、大学生くらいになったらもっとできるようになるかなぁ…。

朝田 辰兵衛さん
全国行脚の付加価値に城めぐりは最適ですね。全国どこにでもある上に時間的な制約も(あまり)受けませんし。私も仕事で今よりもっとあちこちに行っていた頃に城めぐりを始めていたら…と思うことがありますが、まだ間に合ったかな、とも。それと、遅ればせながら東京都コンプリートおめでとうございます。私は今年中の都道府県コンプリートはなさそうですが、奈良県は来年あたりには何とか…。

赤い城さん
なるほど、100名城スタンプラリーがきっかけで、城めぐアプリを通じて世界が広がった、と。赤い城さんといえば関東コンプリートを「すげぇ…」と拝見していましたが、四国の城のレポートも楽しみにしております。私は…もう転居することはないだろうからなぁ。

にのまるさん
「城びと」サイトとの出会いがなかったら…というのは全く同感です。東京出張を有意義に過ごせたのはにのまるさんの「江戸城36見附めぐり」投稿のおかげですし、私自身、城びとに投稿することが登城した城についてさらに理解を深めるきっかけになっていますので。

ところで、「登録3,000城投稿コンプリート記念パーティ」の件、私も大賛成です。しりとりの時のように城びとのみんなで力を合わせて大きな目標を成し遂げる……考えるだにわくわくします。関東や東海など各都府県をコンプリートした猛者も幾人もいらっしゃいますし、すでに8割以上は達成されてるんじゃないかと思いますが、和歌山県内には4つ(写真が未投稿の城を含めれば5つ)ほど未投稿の城がありますので、ここは地元民の責務を果たさねばなりますまい…。
 

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小城小次郎

回遊できる範囲は広くなったが (2024/05/06 訪問)

国史跡指定を祝して2024年5月に見に行った時には以前より回遊できる範囲が広がってはいたが石垣等が検出されて盛り上がっていた本丸・二の丸は立入禁止で肩透かしを食った(しょんぼり)。今は改善されているのだろうか。

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はまけん

窪川城跡(2025年3月9日訪城) (2025/03/09 訪問)

高知県立埋蔵文化財センターの講座「窪川城跡フィールドワーク」に参加しました。窪川城跡は以前一度登った事がありましたが、道が無く尾根を直登したので他に道があるのかと、また専門家の説明が聞けるので。登ったのはやはり前回登った尾根でした。ある意味間違ってなかった。食い違い虎口や、土橋。井戸や主郭を囲繞する低土塁。縦土塁や畝状竪堀群など見所満載の山城です。

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朝田 辰兵衛

山形県の城びと未投稿城,これで解消です🏰 (2025/03/08 訪問)

山形県の城びと未投稿城,これで解消です。私の山形県コンプリートまではもう少しかかります。降雪が長引いたことが影響しています。
全国の城びと未投稿城はあとどれくらいだろう…東北地方北部は多い気がしていますが,かなりtodo94さんが攻めている印象があります。
にのまるさんが提案されました「編集部さん、登録3,000城全ての投稿が埋まったらお祝いパーティしましょうよ!!」という件,私も賛成です。簡単な検索方法あるかな…❓

さて,上野館ですが,ホントはもう少し待とうかと考えていました。職場に山形市から単身赴任している方がいて,けっこう山好きです。その方に私の城めぐりは伝えていませんが,何気ない日常会話に挟んで「南側斜面や,日当たりの良いところはけっこう雪解けしている」という情報を引き出しました。
私は私で,山形市の天気予報を日々チェックしており,日中は気温が上がっているが,夜間は氷点下になっているという状態が続いているということを確認しておりました。これは,積雪の上を歩けるということです🐾
アトは現場に行って雪崩に注意。クラックを発見したら近づかないこと。悔しいけど撤退。
こんなリスクを抱えつつも向かってみました。
結果,予想どおりバッチリ散策できました。しかも,残雪具合が絶妙で,主郭と腰曲輪の境目が浮き出ました。これは,通常ならワケわかんない画像になり,使えなくなっていたことでしょう。

攻城後,長谷堂城を東側から遠望しましたが,まだまだ雪に覆われていました…。
山形県も神奈川県も,ラストを2択で悩んでいますが,どちらも天気予報次第になるかと思います。

赤い城さん,にのまるさん,私を持ち上げてくださりありがとうございますm(__)m

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ヒロケン

石垣が立派 (2025/02/01 訪問)

星ヶ崎城は、鏡山から北にのびる丘陵先端尾根頂上部に築かれた山城で、北端麓には旧東山道が走り北西麓の鏡集落には中山道鏡宿が置かれており、古くから栄えた交通の要衝であり、更には嵯峨天皇の勅願所・鎌倉時代から室町時代にかけて将軍などの宿陣が置かれた西光寺跡が城山の麓にあります。
星ヶ崎城の主郭部には、長さ35m、高さ1~2mで3~5段の石垣と、反対側の南西部に少しの石垣が残っています。(主郭部は幅約20m×縦35mほぼ方形で、虎口と思われるところもあるのですが、要衝の地でありながらこの主郭部以外にこれといって城の遺構等が見当たらず、西光寺の何かの遺構であったのではと疑いたくなります。)

道の駅竜王かがみの里に駐車し、建物を背にし駐車場を左側に斜め横断した所に登城口があり、害獣除けの柵を開けて直ぐに西光寺跡があり、そのまま15分位登ったところに主郭があります。この城の主郭部にある石垣は立派で見所で、西光寺跡の重要文化財・石塔等と合わせて見学下さい。

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カズサン

日の入り前の西尾城二の丸編ー1/2 (2025/03/01 訪問)

 本證寺、岩根城を終えて日の入り時間は17時44分、残りの40分に掛けて南西方向5km程の西尾城を目指して進行。

 駐車場:西尾城二の丸東の駐車場を利用。

 二の丸駐車場入り口で既に満車状態、こんな夕刻になぜ?老若男女スマホをいじってる大勢の人が二の丸周辺にたむろしている、やっと2台の空きを確認して駐車場IN。

 聞くと新しいキャラクターが発表されてゲットするのに集まってるとの事、名古屋城はもっと大勢ですよと教わる。スマホ集団をしり目に日の沈む時間に二の丸復元丑寅櫓、屏風折れ続き土塀、復元天守台を北側の通りより撮影見学、天守台下北西の橋架け替え工事で天守台下に入れない、北側、西側からの天守台を狙ったのですが撮影は出来ず、戻って二の丸に再入し天守台を内から、本丸土橋の本丸裏門から本丸へ、本丸の神社が工事中、本丸表門から資料館へ、資料館は時間切れで閉まってる、資料館裏からの本丸丑寅三重櫓、東、北の内堀を確認、鍮石門を潜って北方向の本丸丑寅三重櫓を眺めて撮影、樹木が伐採されて景観は素晴らしい、眺め良好です。

 二の丸の復元丑寅櫓が令和2年7月に竣工公開された時に訪ねていますので5年振りの探訪で日没頃は初の探訪でした。
 天守台の復元は平成26年3月ですから11年も経っています。
 
 「日の入り前の西尾城本丸編ー2/2」へ続きます。
 

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ぴーかる

足利氏館 (2025/01/11 訪問)

【百名城72城目】
<駐車場他>鑁阿寺東側観光駐車場数十台分無料駐車しました。
<交通手段>車

<見所>鑁阿寺本堂・鑁阿寺山門・堀
<感想>新春1泊2日栃木・群馬旅1城目。人生初の栃木県に訪れました。東門から入り⇒本堂にてスタンプ押印、御城印の購入⇒鑁阿寺境内を散策し一旦出て、⇒織姫神社、神社内の蕎遊庵にて昼食をとりました。戻って⇒南と西側の堀を見て⇒山門をじっくり観察して鑁阿寺を終了し⇒最後に足利学校を訪れました。
 城跡としての遺構が堀・土塁のみのようなので見応えは少なかった。しかし足利氏が創建した鑁阿寺としての歴史が古いので国宝の本堂・重要文化財が多数ある建造物の見応えは良かった。また有料だが経堂にて巨大な八角の輪蔵(経蔵)を押して回す初体験ができたのは面白かった。関西人の私には経堂の方の生の栃木弁の説明も新鮮でした。★の満足度は少ないですが、織姫神社からの足利市の眺望や歴史の教科書に出てくる足利学校を見たりして、初めての土地を散策はなかなか楽しかった。

<満足度>★★☆☆☆

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「向石毛城」 (2025/03/01 訪問)

前回の「石毛城」から鬼怒川を渡り、「向石毛城」へ転戦しました。
とは言っても、到着して「向石毛城」だと知りました。
グーグルには『平将門公本據 豊田館跡』とあります。

茨城県 常総市 向石下 121
小さな公園に、「石下城」よりも更に大きな説明碑が、どでーんとありました。
向って右手が、平将門さんの功績と豊田館について。
左手が、豊田館の場所に「向石毛城」が築かれた等。
そして真中には1976年の大河ドラマ『風と雲と虹と』の将門さんの騎乗姿が刻まれてます。
少し前に総集編を観ました。
『将門さん、英雄だけど理不尽な出来事ばかり続くな〜
』が感想で、
『緒形拳さん、カッコいい〜。草刈正雄さん、若い!』
等、ぜんぜん物語を覚えてない自分が怖かったです。

説明碑の裏には「向石毛城」の図と賛同者のお名前も彫られていました。
私の住む東京の端っこにも、平将門さんが関わる神社があります。
「石毛城」の向こう側に「向石毛城」。
「豊田城」に来たら足をのばしては いかがでしょうか。

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シャンシャン

渋谷にも城があった! (2025/03/05 訪問)

渋谷駅から歩いて10分ほどの距離にある城跡。
渋谷は何度も行ったことがあったけど、再開発が進み高層ビルが立ち並ぶ喧騒の街に、こんな厳かな場所があることはまったく知らなかった。
現在は金王八幡宮という神社になっており、城の遺構はかつての石垣が「砦の石」として唯一置いてあるのみ。

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とばつびしゃもん

那覇の港を守る城 (2025/01/02 訪問)

三重県在住者としては気になる城名なので攻城。駐車場はなく同伴者に車を任せて登城開始。
ホテルに隣接し海に面したところにある。自然石を利用して作られた砲台で、陸地とつながる3か所の石橋をつくったため三重城と呼ぶとか。虎口付近に見られる石垣は当時の遺構かどうか不明。5分のスピード攻城。
年をまたぎ沖縄4日間で13城攻略し帰国。

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とばつびしゃもん

首里以前の王都の城 (2025/01/02 訪問)

浦添大公園南エントランス駐車場から攻城する予定のところを道に迷い、浦添グスクようどれ館駐車場に着陣しここから登城開始。
浦添ようどれは後にして、ルートに沿って復元石垣のところから城内に入る。館跡の先には浦添市街を展望できるところがあり、沖縄戦の激戦舞台になったことを示す案内板がある。その先、城の東側は立入が難しそう。
城の中心と思われる殿を通り城の南側へ・浦添城の前の碑のところから城の南方、復元中の首里城正殿の囲いを望む。
石畳道を通って浦添大公園南エントランスに立ち寄る。入館はできなかったがパンフレットを入手。
調査で発見された南側の石垣は目地が縦に直線になっているのがわかる。
ルートを一周した後、北側の崖下にある浦添ようどれへ。復元された王家の墓は立派の一言。墓番の屋敷跡地を通り抜け駐車場へもどる。80分の攻城。

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しんちゃん

困ったもんだね

名古屋城天守閣の再建について、なかなか元気な意見が出てきましたね。私も基本的に史実に基づく木造再建には賛成です。そもそも戦前の軍国主義のドあほうどもが要らない戦争を起こして国内外の多くの命を失い、領土を喪失し、貴重な城郭建造物を破壊してしまったのだから。何してくれんねんというのが正直な感想です。
国が起こした戦争なのだから、政治家や役人が地面に頭を擦り付け、三顧の礼をもって「お願いですから、◯◯城の天守を元通りに復元させてください」と言ってくるのが本来の筋であるのに、現状やっていることは全く真逆ですからね。
城郭は公共の場でもありますが、それ以上に貴重な歴史的遺構であるので勢いだけでバリアフリーを進めるのは危険です。一番重要なのが、団体(活動家)の無茶な要求に憤慨して怒りを一般の障害者の方に向けないようにすることです。
活動家の中には悪い人がいて、弱者をエサにして差別を助長しようとする者が居るからです。弱者や障害者の人たちには出来る限り親切にしたいものです。
でも木造再建の天守閣にエレベーターを付けろと言うのは、それとは別の話になりますね。

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飯羽間城 (2025/03/08 訪問)

  岐阜県恵那市にある城びとには未登録の城址です。鎌倉時代に岩村遠山氏から分流して発祥した飯羽間遠山氏の居城で、遠山十八支城の一つとされています。この地域には珍しく平山城で、本丸を最高所に階段状に曲輪が配置され帯曲輪、出曲輪なども備えられています。防御は急峻な自然地形と切岸で、堀、土塁などは見られません。県道近くから飯羽間城の看板が見え所在は容易に把握できます。見学路は整備されていて標識もあり迷うことはありません。県道近くから登城する道もありますが急峻で足元も不安定な所もあり、標識に従って登城した方が無難です。西側に出丸と思われる曲輪がありますが、登ってみると藪になっていて散策は断念しました。城内を散策していると「信長は今見あてらや飯羽間城を明知と告げの串原」と書かれた看板が置かれていました。天正2年正月、武田勝頼は大兵を率いて美濃に侵入し、1ケ月半の間に信長方の十八の城砦を落とします。この歌は戦勝気分にわき返っている武田軍の陣中で詠まれた歌で、「今見」「阿寺」「飯羽間」「明知」「串原」と、武田勢が抜いた城が詠み込まれています。

 明知鉄道岩村駅から徒歩30分弱で行くことができます。岩村城とは反対方向です。

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トク

梅満開の大宰府天満宮 (2025/03/08 訪問)

春のポカポカ陽気に誘われ、大宰府天満宮へ行ってきました。梅の花がちょうど満開で、大変多くの方々が訪れていました。毎年この時期にここに来ると、やっと春が来たなという感じがします。ちょうど高校・大学の合格発表が終わったばかりのせいか、菅原道真公にお礼に来ていた受験生が大変多かったように思いました。皆さん若い方の希望に満ちた顔が、ちょっとうらやましい・・・🤔。
 

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にのまる

城めぐりのきっかけ

『城めぐりのきっかけ』告白リレーに参加します(^^)

10数年前、会津旅行の際に立ち寄った会津若松城で「日本100名城」と「スタンプラリー」の存在を知りました。
帰宅後、早速スタンプ帳付きの公式本を購入し、名古屋城からスタンプラリーを始めました。なぜ名古屋城だったのか?多分、新幹線で行きやすかったからだと思います。

そこからスタンプ沼に嵌っていくのですが、『お城=天守』『天守閣=天守最上階』と思っていたくらい知識ゼロからのスタートだったので、全国各地のお城を訪れるたびに新しく知る「そうだったのか!」がおもしろくてたまりません!スタンプを押す瞬間の快感もたまりません!

ただ、ここまで続いているのは「お城が好き」なだけでなく「逃げ出したい現実」があったことも偽りのない事実です。(詳細は省略^^;)
お城に行くと日常を忘れてその世界にどっぷり浸れます。城郭検定の勉強をしたのも何かに没頭したかったという理由もあります。
つまり一言でいうと【現実逃避の城めぐり】です🤭

「城びと」サイトを知ったのは2017年の「お城EXPO 」で、早速会員登録しました。todo94 さんとじゅんじんさんが地道に投稿しておられ投稿欄を繋いでくださっていました。
「城びと」サイトとの出会いがなかったらここまで楽しくお城めぐりができていなかったと思います。コロナ禍の「しりとり」での朝田さんのご尽力はどれだけ感謝してもしきれません。

お城めぐりには皆さま同様、城郭放浪記さんや余湖図コレクションさん、また日本百名城塗りつぶし同好会さんのサイトを参考にさせていただいていますが、「城びと」もみなさまの投稿がどんどん増えてきて、行きたいお城の現状や交通手段などを知ることができて助かっています。単独で無茶して行くことも少なくないので、行った人にしかわからない現地の情報をいただけるのはとてもありがたいです。感謝していますm(__)m
編集部さん、登録3,000城全ての投稿が埋まったらお祝いパーティしましょうよ!!

朝田さん、福祉関係というのは何度か投稿で拝見していました。私もそっち関係(⁉︎)で、NPO法人立ち上げに関わったりプライベートでもいろいろありました(詳細省略②)。今は電車と徒歩にこだわってお城めぐりをしていますが、かつてはデカいハンディキャブを運転したりしていました。(もう無理です。)

「ニッポン城めぐり」のサイトは丸子城(静岡)を彷徨っていた時に出会った方に教えていただきました。主に移動の列車内でポチポチしています。「城めぐり」には八丈島の大賀郷陣屋が登録されており、もし「城びと」に登録されていたら東京都コンプリートはできていなかっただろうと、ホッとしています笑。合戦戦績は現在5勝14敗ですが、11連敗したことがあり、連敗がストップした時は嬉しいより“勝ってしまった”という複雑な心境でした。(もちろん全力で参戦しています。)HNは【式部卿にのまる】です。よろしかったら伝言お願いします。

以上とりとめもなく書いてしまいましたが、当面の目標は100名城と続100名城のコンプリートです。“いつか”は向こうからやってきてくれないとようやく気づきました。

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国府津辰之助

木造復元にバリアフリーを求める革新派に物申す!

 どうも初投稿です。国府津辰之助と申します。

 さて、河村前市長が計画を発表して以来、揉めに揉めて遅々として進んでいない名古屋城天守木造再建計画ですが、当然木造で昔のまま作ろうとするとエレベーターがないわけですからバリアフリー団体が黙っていないわけです。
「せっかく木造再建するんだから、すべての人が平等に見られるようにすべき」だの、「車椅子利用者はどうするんだ」だの。正直に言いますと、「うるせぇよ」と思うんですね。
この木造再建の目的と言いますか、意義と言いますか、そういうのは結局、「江戸時代の技術・建築を後世に伝えること」ではないかと思うんです。正しく技術継承をしていく上で、当時存在しなかったエレベーターの設置は邪魔なわけです。
 新市長が再建計画をどうしていくのかは分かりませんが、木造再建計画をそのまま引き継いでいくのであれば、ぜひエレベータのない姿で再建して欲しい限りです。

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