室町中期に山名忠政が築いた鶴山城を前身とし、江戸初期に入封した森忠政が鶴山を津山と改めて現在見られる津山城を築きました。四代続いた森氏が改易になると松平氏が入って明治まで続きましたが、廃城令により天守と全ての櫓は破却されました。
吉井川と宮川の合流点を見下ろす鶴山に築かれた総石垣の平山城で、頂部に本丸、本丸を囲むように二の丸、三の丸を階段状に配した「一二三段」が特徴として知られます。鶴山の東側は宮川の断崖、南西北側には堀をめぐらせて六つの門を設け、往時は城内に60基の櫓と30を超える城門がひしめく威容を誇り、日本三大平山城のひとつに数えられています。
取りこぼしの回収メインの今回の遠征にあって、全くの初登城は津山城と鬼ノ城だけ(小阪部陣屋もですが)。大いに楽しみにしながら前夜に津山に入って一泊し、朝イチで城下をめぐった後(別途投稿します)、鶴山公園駐車場から登城開始。どうせなら城内にあった櫓や城門を余すところなく見てみたい、ということで「おかやま、城さんぽ」と津山市公式サイトから拾ってきた図面を手にとことん津山城です。
鶴山の南西麓から表門に向かうと三の丸南西隅の石垣が見えてきます。少し先には「忘れ去られた石」と題した矢穴のある石が設置されていますが、説明板によれば、石切場近くの谷川に残置されていた石を築城400年記念の「歴史石曳き」として運び込んだもののようです。忘れ去られた石の背後には矢穴のある石垣石が数多く見られ、この石もこうなりたかったのかな…と、ちょっとしみじみとしてしまいました。入場券売場の手前には写真でよく目にしていた森忠政公の銅像。森蘭丸の弟なら外見もそう悪くはなかったろうに、どうしてこんなぱっとしない姿にしたんだろう…と思っていましたが、説明板を読むと菩提寺の木像を基にしたとのことで、根拠のある姿を伝えるという意味では正しい選択なんでしょうね。妙に納得させられました。城内に入る前に冠木門南側の石垣沿いに東に進み、津山城南東隅の二階門跡と長屋跡を確認。石垣が遺るくらいで特に痕跡は見られません。
表門(冠木門跡)から城内に入ると高石垣に囲まれた桝形が広がり、突き当りには番所があったようです。桝形の南東部には鶴山館へと続く石段がありますが、これは廃城後に設けられたもの。登城道は180度折れて西に石段を上ります。桝形なら石段の手前に櫓門がありそうなものだけど…と思っていたら、北側の石垣の上に櫓門の土台らしき痕跡が遺っていました(何故か松尾芭蕉の句碑が建てられています)。櫓門を設ける予定だったのが、武家諸法度の公布により断念したものと考えられるんだとか。それでなくても豪壮な城だけに、要らぬ嫌疑を受けないためにはやむを得なかったんでしょうね。
桝形から三の丸に上がり、まず西に向かうと、7月の大雨での長柄櫓跡の石垣崩落により十八番門跡付近から先は立入禁止になっていました。今度は三の丸を東へ。表中門を素通りし見付櫓跡の石垣を見上げつつ長屋門跡を抜けた先にはつるまる広場が広がっています。昭和から平成にかけては動物園だったようです。往時は東端に火縄蔵、半地下の煙硝蔵に隣接して煙硝拵所などが建てられていましたが、現在は津山藩学問所「修道館」が移築されて「鶴山館」として津山城の古写真や資料が展示されています。登城ルートから外れているため訪れる人は少なそうですが、鶴山館前からは備中櫓が綺麗に見えました。桜の頃はさぞや…。
さて、表中門まで戻って二の丸に向かいます(続く)。
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