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駿府城

駿府城跡天守台野外展示プロジェクトへのご支援をお願いします

駿府城跡(静岡市葵区)では、近年の天守台発掘調査で、徳川家康公が築いた2つの天守台や金箔瓦など、重要な発見が相次いでいます。これにより天下人家康公の一生や歴史のストーリーを現地で体感できる唯一無二の文化遺産として高く評価されていますが、それだけでは駿府城や家康公の歴史を十分に体感することはできません。
そこで、訪れる方が歴史を楽しく体感し、歴史散策を楽しめるように、現在駿府城跡天守台野外展示プロジェクトに取り組んでいます。
駿府城跡天守台野外展示プロジェクトの詳細につきましては、こちら(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013130.html)をご覧ください。
文化遺産とデジタル技術を融合し、「ありし日の駿府城」の姿を再現し、子どもたちの学びや県内外からの観光などに活用するプロジェクトに、ぜひご支援をお願いします。

今後も駿府城跡天守台野外展示プロジェクトに関する取り組みの様子や最新情報など静岡市公式ホームページ【文化財ブログ】(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s012603.html)で更新予定ですのでぜひご覧ください。

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イオ

とことん江戸城・番外編(増上寺) (2024/05/28 訪問)

今年もこの時季の東京出張が決まりましたので、とことん江戸城の続きを。といっても、過去2年で主なところはだいたい行っているので、城めぐりというよりゆかりの寺社めぐりですが…。

まずは昨年断念した芝の増上寺から。江戸城とは直接関係ありませんが、徳川将軍家の墓所とあらば行かずばなりますまい。JR山手線・浜松町駅から歩いて行くと、大門を過ぎて突き当りに三門と呼ばれる三解脱門が聳えています。江戸初期建立の朱漆塗・三戸二階二重門で、将軍家の威光を示すためでしょうか、唖然とするほどの巨大さです。増上寺の建物は戦災によって多くが焼失していますが、境内の水盤舎は、清揚院(家光三男・綱重)霊廟から移築された数少ない遺構です。大殿、安国殿をちょっと覗いて、お目当ての徳川将軍家墓所へ向かったところ、墓所の門は閉ざされていて受付には定休日の掲示…。火曜(祝日除く)が定休日だったっけ!? 昨年に下調べした際には令和5年は定休日なしだったので油断していました。幸い2日後も東京出張(ともに日帰り)なので、徳川将軍家墓所はその時にまた来るとしましょう。

気を取り直して周辺の現存建造物をめぐります。増上寺の北側、現在の東京プリンスホテル敷地は北廟と呼ばれ、五代に及ぶ徳川将軍の墓所が設けられていましたが、戦災でほとんど焼失し、敷地の北東部に有章院(七代・家継)霊廟の二天門、北辺に御成門交差点付近から移築された御成門が見られるくらいです。南側の芝公園は南廟と呼ばれ、台徳院(二代・秀忠)霊廟が設けられていましたが、こちらも戦災で焼失。芝公園の北東部に台徳院霊廟の惣門が移築されていて、惣門と勅額門の跡地に案内表示が立てられています。芝公園内の芝東照宮は増上寺の旧安国殿のようですが、見落としてしまいました。

そして2日後に増上寺を再訪し、今度こそ徳川将軍家墓所へ。墓所の門として文昭院(六代・家宣)霊廟の中門が移築されています。旧国宝の見事な鋳抜門です。墓所には戦災で焼失した御霊廟から台徳院(二代・秀忠)、文昭院(六代・家宣)、有章院(七代・家継)、惇信院(九代・家重)、慎徳院(十二代・家慶)、昭徳院(十四代・家茂)の宝塔のほか、静寛院(和宮)の宝塔や将軍生母や子女の合祀塔が改葬されています。家茂と和宮の宝塔が並んでいる様子には、家茂とともに眠ることを望んだという和宮の願いが今も叶えられているんだな…としみじみしたり、木造だった秀忠の宝塔は御霊廟とともに焼失してしまったため江与の宝塔(石塔)に間借りしている様子には、死後も肩身の狭い思いをしているのかなぁ、と苦笑させられたり、8基の宝塔が建ち並ぶだけの墓所ですが、再訪してまで来た甲斐がありました。
 

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todo94

グーグルマップにはありません (2024/07/13 訪問)

城島城からの転戦です。グーグルマップで海津城を検索すると松代城がひっかかります。こちらの海津城はグーグルマップには登録されてないようです。この城びとの海津城のページにある地図のポイントはかなり正確に城址碑の位置を示していますので、この地図を頼りにされれば、圃場整備された広大な農地の中に佇む城址碑を難なく見つけることができるかと思います。

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小城小次郎

昔ながらの武家居館の風情がある (2024/01/14 訪問)

越前からやってきた川島氏が赤井氏に仕えて設けた館で南北朝以来の歴史を持つのだそうだが地域が地域だけになんとなく「鉢の木」の舞台はこんな館だったんじゃないかなと想像したくなるような風情があった。

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しんちゃん

戦国残酷物語 (2024/07/15 訪問)

何でも今日は一年で一番暑い「大暑」の日らしく、冗談抜きに暑いです。暑すぎてタイショできん(言ってるじゃん)。
深根城は標高70m、比高50mほどの台地上にありますが、車で来られる方は途中に駐車出来そうなスペースがあるので、歩いて訪問したほうが無難です。道は狭いし、ガケから落ちそうだし、そもそも城址周辺には駐車スペースが無いです。
殿屋敷と呼ばれる地に民家が二軒建っていますが、周辺に遺構らしきものは見当たりません。堀越公方重臣・関戸播磨守吉信の居城とされ、伊勢新九郎に最後まで抵抗して老若男女ことごとく首を刎ねられ晒されたとされています。
城址の西300mほどの所に足利茶々丸夫妻の墓があるとのことですが、地元の方の話ではここからは行けず県道側からアクセスしなくてはいけないようです。城址碑も県道15号にかかる「ふかねばし」の南の道端にあったようなのですが、開発が進んでいて見当たりませんでした。

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しんちゃん

音無神社と日暮神社 佐殿と八重姫の伝説の地 静岡県伊東市 (2024/07/16 訪問)

伊豆に流された若き日の源頼朝は監視役の伊東祐親の三の姫・八重姫と仲良くなって音無の森で「愛」を語らったと案内板に記載が有ります。そのさい頼朝が日暮れを待っていたのが、ひぐらしの森であったとされています。ようは「ひぐらしの森」で良い時間になるのを待って、「音無の森」でちちくり合っていたということですが、祐親殿!監視がなっておりませんな。
音無の森が有った所には音無神社が建立され、今でも人気はありません。ここで「底抜けの柄杓」を借り受け、お腹を撫でると安産をもたらすという言い伝えがあり、無事安産のお礼に底に穴の開いた柄杓を奉納する習わしになっているようです。
日暮の森があった場所には日暮神社がありますが、周囲は住宅地になっており、かつての静けさは失われているようです。佐殿、ここに潜んでいたら祐親殿が飛んで来ること請け合いですぞ。

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零汰

公園内にあります (2024/05/20 訪問)

こちらのチャシは札幌市内の天神山緑地のだいたい中心にあります。
ナビの案内で東側の相馬神社よりキツイ勾配の坂を登って向かいました。
写真の如く、天端はやや平滑(安定の熊笹まみれ)になっており砦だと思われます。
が、砦の特徴である周囲の曲輪?通路?が見当たりません。
公園化の際に多少加工されているのかもしれませんね。
若しくは元々無かったのかもしれません。

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ぴーかる

新居城 (2024/05/25 訪問)

【新居城】
<駐車場他>公園駐車場、2か所数十台分あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾7城目。現地説明板によると新居城の築城は1460年ころで、この地を開拓した南北朝時代の豪族の水野良春の4・5代後の子孫水野宗国によってこの場所に改たに築城、または改修されたようです。その後城の詳細は不明なようです。
 現地は城山公園になっていて、城跡地には主郭背後の大土塁が残されています。大土塁の内側の傾斜地が主郭跡、テニスコートが二郭であったようです。主郭跡の北側の橋の所が主要部と北側を分断する堀切であったようで窪地になっています。主郭跡の南麓に旭城という模擬天守があり内部入れます。1Fのレストランで昼食を取ろうかと思っていましたが休業中でした。城跡北側にあるスカイワードあさひは無料のタワー塔で内部に民族資料館、最上階展望台、レストランがあり楽しめます。城跡の見所はやや少ないですが、城山公園全体では色々あって楽しめていい城跡公園になっています。旭城の横に小さな薔薇園があり、ちょうど咲いていてそこも楽しめました。

<満足度>◆◇◇

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/14 訪問)

大分+α城廻3日目その2
※佐伯城跡と共に登城
※前日佐伯駅付近に宿泊

千人殺しの石垣をはじめ石垣が見所。スタンプの横に石垣パンフレットがあるのでそれを参考に回るのが良いかも。(パンフはネットにもありました)
石垣以外は残っているものは少なく、本丸には今も(?)時刻を知らせる釣鐘がありました
なお、夏の時期は蚊が多く虫よけスプレーは必須と思います

【本日の行程は以下の通り】
8:13佐伯(路線バス)、8:20大手前
 (徒歩1分)歴史資料館(続百名城スタンプ、9:00-16:30月休)
 佐伯城跡(本丸まで片道25分)

10:38大手前(路線バス)、10:45,11:06佐伯(JR特急)、12:07,12:20延岡(路線バス)、12:26中央通2丁目
 (徒歩8分)延岡城跡(続百名城スタンプ二ノ丸広場管理事務所入口前:24HOK)

15:01中央通2丁目(路線バス)、15:06延岡駅
15:30延岡(高速バス:ごかせ号)、20:05西鉄天神高速BT
※泊:博多

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/14 訪問)

大分+α城廻3日目
※延岡城跡と共に登城
※前日佐伯駅付近に宿泊

九州に線状降水帯予測もあり雨が強いと登場諦める予定だったが、朝ぱらついていた雨も本丸につく頃には日が差すことも、ラッキーでした。
資料館で情報得てから登城したかったが、開館前だったので先に登城。三の丸の櫓門を経て藩政時代からある登城の道を20分強登と西の丸につきました。そこから二の丸、本丸、北の丸をみてさらに若宮道を少々下って雄池、雌池も見学。池も一部に石垣で囲われてました
本丸にわたる石垣で囲った堀切状の橋が、記憶に残る場所でした

【本日の行程は以下の通り】
8:13佐伯(路線バス)、8:20大手前
 (徒歩1分)歴史資料館(続百名城スタンプ、9:00-16:30月休)
 佐伯城跡(本丸まで片道25分)

10:38大手前(路線バス)、10:45,11:06佐伯(JR特急)、12:07,12:20延岡(路線バス)、12:26中央通2丁目
 (徒歩8分)延岡城跡(続百名城スタンプ二ノ丸広場管理事務所入口前:24HOK)

15:01中央通2丁目(路線バス)、15:06延岡駅
15:30延岡(高速バス:ごかせ号)、20:05西鉄天神高速BT
※泊:博多

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/13 訪問)

大分+α城廻2日目その2
※岡城跡と共に登城、臼杵石仏も寄りました
※前日大分駅付近に宿泊

岡城からの移動の途中、臼杵石仏によりました、国宝だけあってみる価値ありで、立ち寄りおすすめです
なお、平日なら拝観40分位で臼杵に向えるバスがあります

臼杵城は築城時は島だった通り、こんもりとした丘全体が城跡でした。観光プラザ側から登ると岩の一部をくりぬいて石垣で塞いだ穴らしきものが幾つかあり、修験場?のようなものかもしれません
畳櫓と卯寅櫓の現存する重箱櫓が見所でしょうか。大手門から見る畳櫓はいい眺めでした


【本日の行程は以下の通り】
7:01大分(JR)、8:34豊後竹田
 (タクシー5,6分:800円) 岡城跡(9:00-17:00百名城スタンプ)

12:12(徒歩22分)豊後竹田(JR)、12:38(駅前でランチ),13:21三重町(路線バス)、14:13臼杵石仏
 国宝臼杵石仏見学
15:48臼杵石仏(路線バス)、16:02辻口
 (徒歩3分)臼杵市観光交流プラザ(9:00-18:00続百名城スタンプ) 
 (徒歩2分)臼杵城跡

(卯寅櫓から徒歩7分)17:09臼杵(JR) 、17:47佐伯
※泊:佐伯

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/13 訪問)

大分+α城廻2日目
※臼杵城跡と共に登城
※前日大分駅付近に宿泊

豊後竹田駅から土日はバスがなく、徒歩で20分強で行けそうだったが、雨が降ってきそうだったので、タクシーで移動しました。(おかげで城跡散策中は雨に見舞われず見ることができました)
券売所から少し歩くとかまぼこ石の塀のある登り口、登りやすいよう木製階段もできていました。大手門の石垣をはじめ、ここは石垣を端のできる城跡。廟所や西の丸などをじっくり見ると2時間以上は必要ですが、その価値ありです。西の丸はあまり人が来ないようだが、近戸門跡や埋見門跡、屋敷の板張り復元など見所があり時間がある方はぜひ行ってみてください
大手門や近戸門は、扉に車がついていたのか開閉のレールみたいのがあったのが何気に気になりました
また、ボランティアの方が草刈りをしていて城跡保存の努力に頭が下がります

【本日の行程は以下の通り】
7:01大分(JR)、8:34豊後竹田
 (タクシー5,6分:800円) 岡城跡(9:00-17:00百名城スタンプ)

12:12(徒歩22分)豊後竹田(JR)、12:38(駅前でランチ),13:21三重町(路線バス)、14:13臼杵石仏
 国宝臼杵石仏見学
15:48臼杵石仏(路線バス)、16:02辻口
 (徒歩3分)臼杵市観光交流プラザ(9:00-18:00続百名城スタンプ) 
 (徒歩2分)臼杵城跡

(卯寅櫓から徒歩7分)17:09臼杵(JR) 、17:47佐伯
※泊:佐伯

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日その3
※中津城、角牟礼城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

城内は24時間入城が可能、西の丸西南櫓付近は修復拘置エリアで立ち入りはできなかったが、現存する人質櫓、宗門櫓や復元された廊下橋などを見ることができた(廊下橋は夜間通行不可)
また、当日夜は、廊下橋を渡った山里曲輪で、お神楽を奉納していた。石見神楽にある龍に酒を飲ませて退治する演目だったが、花火も炸裂、迫力ある神楽で、見ることができラッキーでした
なお、本丸を囲む一部の堀は埋め立てられ、本丸辺りは駐車場になっていたのが残念

【本日の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日その2
※中津城、大分城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

歴史博物館から本丸まで徒歩で約40分。石畳や石段の箇所もあるが結構な上り坂。
天気の良い暑い日だったので、木々による木陰はあるものの汗だくの登城でした。
三の丸まで車で行くことができ駐車場もありそこからだと本丸までは10分かからない。

本丸は石垣修復中で半分以上立ち入り禁止区域だった。石垣の見事さと急斜面による攻め入る難しさを感じた城でした


【本日の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日
※角牟礼城、大分城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

中津に前泊したので、朝早めに城跡を散策
模擬天守だが、城の風格を感じた、石垣からはみ出した石落としなどが美しい
石垣は黒田時代と細川時代のつなぎ箇所が何か所か確認でき、横に拡張したつなぎ目と縦に高く拡張したつなぎ目があるのが面白い

あと中津川沿い他本丸辺りにも石垣の隙間等に沢蟹がたくさんいました、鋏を振り上げ一生懸命威嚇してくるのがかわいい

【今回の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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まさお

京都 二条城 (2024/07/20 訪問)

数十年ぶりに訪問しました。猛暑で早々に退散しました。

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赤い城

晴れの国の烏城 (2024/07/07 訪問)

昨年ちょっとだけ立ち寄った岡山城、今回はじっくりと見学してきました。

今回は後楽園の駐車場に車を置き、まずは月見橋から天守を望みます。
旭川が自然の堀になっていることがよくわかります。
橋を渡り、まずは西の丸方面へ。
市街地になっていますが石垣が残るところもあります。
コインパーキングから西の丸西手櫓を見上げることもできます。

次に旧本丸があった石山に向かいます。
福祉施設の駐車場になっていますが徒歩なら行くこともできます。
元は宇喜多直家がここに本丸を置いた場所です。
現在の岡山城天守を望めました。

さらに川沿いの東門跡を見に行きましたがちょうど朝市?が開催されていて人だかり、断念して本丸に向かいました。
途中、県庁前の内堀を見ながら内下馬門へ。

ここから入城です。
とりあえず石垣を見上げながら一周、旭川沿いの北東部が味があり良い感じですね。

一周し、鉄門から本段へ。
天守を見上げます。
時間帯の関係なのか人はやや少なめ、良い写真も撮れました。
天守には入らず月見櫓や宇喜多時代の石垣などを見学して終了しました。

晴れの国岡山とはいえこの日はとても暑かった。
3時間以上歩き回ったのでちょっとへばりました。

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todo94

筑後川の向こうは肥前 (2024/07/13 訪問)

生津城からの転戦です。久留米市立城島小学校の隣接地にある城島天満宮に城址碑と説明板がありました。立花道雪に生津城を攻め落とされた西牟田家周が築城。ここを島津に攻められると肥前に逃亡します。近くを流れる大河・筑後川の対岸はもう肥前国ですからね。

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小城小次郎

現役の居館なので (2024/01/14 訪問)

赤松氏の一族と伝わる福地氏が佐野氏の客将として居館を構えたのがこの場所。佐野氏改易後に帰農した福地氏はどうやら今もご子孫がそのまま居館の地にお住まいらしい。つまり民家敷地なので遠くからそっと眺めるだけに留めた。

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大福

登頂 (2023/07/21 訪問)

夏場には、しんどい。
トイレは登頂口近くの登山者用の駐車場に簡易トイレが、ありました。

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