長篠城の南側に新昌寺があり鳥居強右衛門の墓(伝・胴塚)があります。天文8年(1539)長篠医王寺四世月傳太惰大和尚により創建され、当時は「喜船庵」と呼ばれました。長篠・設楽ヶ原の戦いで周囲は戦場と化し、鳥居強右衛門は武田方によって磔刑にされた後、「喜船庵」に埋葬されました。
慶長8年(1608)に鳥居強右衛門の子信商によって強右衛門の墓は作手の甘泉寺に移されますが宝暦13年(1763)に新昌寺に再建されました。一説には新昌寺が胴塚、甘泉寺が首塚とされているようですが実際の所は不明です。
境内には武田方諸将の墓も有ります(おそらく供養塔)。墓碑の文字は「和気善兵衛宗勝」「伝・高坂又八郎助宣」「横田十郎兵衛康景」「小山田五郎兵衛昌晟」と読めます。高坂又八郎助宣は謎の人物ですが山県塚の近くにも墓がありました。
和気善兵衛宗勝は久間山砦の守備中に酒井忠次の配下に奇襲を受け討死しています。
横田康景は武田軍の足軽大将で武田二十四将・原虎胤の子とされています。
小山田昌晟は詳細不明の武田家臣で長篠か設楽原のいずこかの戦いで討死しています。
なぜこのメンツになったのかは良く分かりません。
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