【天方城】
<駐車場他>駐車場あり<34.848165,137.949001>十数台分。
<交通手段>車
<見所>堀・土塁
<感想>日帰り今シーズン山城ラスト旅のラスト4城目。現地説明板を要約すると天方城は、いつ築城されたかはっきりした資料はないが、応永年間(1394~1427年)には山内対馬守の居城であった。天方通興の代になり世は戦国乱世を迎えた。1569年に徳川家康は遠州に居ながら帰伏せざればと、榊原康政・天野康景・大久保忠隣で城を攻め落城降伏します。翌年にまた下知に従わず籠城したため、再び榊原康政に攻められ降伏します。1572年武田信玄が進軍してくると武田方に降伏してしまい武田方の久野忠宗を入城させてしまいます。1574年に徳川家康が再び攻略して徳川の城となります。天方通興の子の通綱は家康の嫡男信康自刃の際の検使役となりますが、信康の守役で介錯の服部正成が介錯できず、代わりに通綱が行うこととなります。
先に、蔵雲院にある天方氏三代の墓碑と御城城印購入のために立ち寄りました。城跡に駐車場があり、車で上がれますが、退避所が少なく対向車が来ると苦労(下山時に対向車が来て、私の下り優先なのにバックしてくれなくて面倒だった)します。現地は公園化されて北側の駐車場とそばにある曲輪跡が二郭のようですが、スロープ状の傾斜地になっていてよく分かりません。二郭の北隅に薄い空堀が残されています。二郭と主郭の間に深い空堀と土塁が残されています。空堀は北側から西側にかけて残されていますが、東側は改変されているかもしれません。主郭内部は広く展望台が設けられています。
これにてこの旅終了。天候も良く、今シーズン山城ラスト楽しく散策できました。走行距離574㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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