沢田城から車で10分くらいで、八上城登山者用駐車場(35.066496、135.2502876)に着きました。
八上城は、丹波富士とも呼ばれる高城山に築かれた山城で、戦国時代に多紀郡(現篠山市)を支配した波多野氏5代にわたる居城です。波多野秀治の居城として知られています。
初代清秀は応仁の乱(1467年~1477年)の戦功によって、室町幕府管領細川政元から多紀郡を与えられ八上へ入ります。
その後、波多野氏累代は、戦国時代を通して勢力を蓄え、1527年(大永7年)に管領細川高国を放逐、1538年(天文7年)に丹波守護代内藤氏を攻略、永禄年間(1558年~1559年)には三好長慶や松永久秀と戦いを繰り広げます。
天下布武を目指す織田信長が上洛すると、5代秀治はそれに従わず、1575年(天正3年)信長が派遣した明智光秀の攻撃を受け、1579年(天正7年)4年にわたる籠城戦のすえ落城し、秀治ら兄弟3人は安土城下に移され落命します。
この時、なかなか城が落ちないので、光秀は母親を人質に出して波多野秀治らの安全を保証して投降を誘い、光秀は彼らを信長の下に連れていったところ、思いもかけず磔に処され、ために光秀の母も城内で殺害されてしまったとういう逸話があります。
ただし、創作の可能性が高いとされています。
明智氏の滅亡後は羽柴秀勝や前田玄以の属城となり、江戸時代には徳川家康の実子である松平康重が入城しますが、天下普請によって篠山城が築かれたため、八上城は廃城となりました。
高城山北西麓の無料駐車場を利用し春日神社より。1㎞、45分の案内です。(自分も見学しながら本丸まで45分かかりました)
登山道は整備されていて登りやすいですが、山頂までずっと階段です。道に迷うような事はありませんが、ちゃんとしたシューズと飲料を用意して臨んで下さい。
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=淀山城へ向かいました。
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