やかみじょう

八上城

兵庫県篠山市

別名 : 八上高城
旧国名 : 丹波

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ブロせ

偶然見つけたので.........。 (2020/09/19 訪問)

篠山城に向かってたら、看板が!
何気なく寄って、登城!
甘くみてました(--;)
攻城するのにかなり苦労しました(笑)

でも、麒麟のおかげが、木が切られて絶景でした(^^)

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くっしー

光秀の母親が殺された城 (2020/09/09 訪問)

これはなかなか堅固な城ですよ!
明智光秀が兵糧攻めで攻略したらしいですが、なるほど普通に攻めるのは難しいなと思います。
というのも素人が普通に登ろうとすれば一時間近くかかります。さらにけっこうたくさん竪堀があります。また、曲輪も多数あり、その比高差もそこそこです。本丸に石垣が残っていました。今確認できるのは一部ですが、きっとかなりの範囲で石垣があったのではないですかね。城好きとしてはめちゃくちゃ満喫できるお城ですが、攻めるのは難しいでしょう!
ちなみに本当かどうかはわかりませんが、光秀の母親が殺されたとされる城ですね。波多野氏と交換で光秀の母親が人質になったのに、その波多野氏が安土で信長に殺され、報復で殺された。本能寺の変の原因っていう人もいますね。

駐車場もあるので、体力に自信がある人は是非登城してみてください!!

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イオ

周辺の曲輪群 (2020/03/01 訪問)

(前編・中心部編から続く)

八上城の曲輪は本丸周辺だけでなく、北西、北東に続く尾根筋にも小規模な曲輪群が連なっており、高城山北麓には主膳屋敷と呼ばれる前田茂勝の居館跡があります。
主膳屋敷の北にある春日神社が登城口で、登城口近くには新しく無料駐車場(20台以上)が整備されています。藪化していて遺構が確認しづらい主膳屋敷跡を抜けて登っていくと、尾根筋に出たあたりに鴻の巣と呼ばれる曲輪があり、そこから尾根沿いに下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸と続き、中の壇付近には竪堀も見られます。この北西尾根から本丸に至るルートが大手道のようです。
北東尾根は、池東番所南下の大竪堀から茶屋の壇、馬駈場、芥丸、西蔵丸と曲輪群が続き、北側斜面には数条の竪堀が、芥丸と北東端の西蔵丸との間には堀切が設けられています。茶屋の壇の手前には、波多野氏の人質となっていた明智光秀の母が磔にされたと伝わる松の跡がありますが、あくまで伝承であって、史実としては否定されているようです。
また、篠山城北隣の青山歴史村には八上城内の屋敷門が移築されています。

下調べ時に、支城として機能したとされる奥谷城や法光寺城にも行こうかとも思いましたが、縄張図を見つけられず、おそらく私の手に余るだろうと考えてやめておきました。帰宅してから、六神合体さんの投稿を拝見し……やめて正解だったかな、と(^^;
 

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イオ

波多野氏の居城 (2020/03/01 訪問)

戦国初期に波多野清秀が高城山南麓の奥谷に居館を構えたことにはじまり、二代・元清が山頂部に八上城を築いて本城としました。以降、波多野氏の本拠として数多の籠城戦を乗り越えてきましたが、明智光秀の丹波攻めで落城、波多野氏は滅亡しました。
その後、幾人かの城代を経て前田主膳正茂勝が城主となるも、改易となった後に入封した松平康重が天下普請で築かれた篠山城に移ったことにより廃城となりました。

丹波富士と呼ばれる高城山の山頂部に本丸、岡田丸、二の丸、三の丸、右衛門丸らの曲輪群を配し、本丸と右衛門丸には一部石垣も見られます。各曲輪は高い切岸と虎口で守られ、二の丸西部の虎口には門の礎石が残っています。また、本丸南東下の朝路池は、北東、南西の二つの尾根に囲まれた立地で、両尾根上には番所(曲輪)を設け、両尾根筋は大竪堀(堀切)で断ち切るなど、八上城の水源だけあって厳重に守られています。

(後編・周辺編に続く)
 

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 波多野元清
築城年 永正5年(1508)
主な改修者 前田茂勝
主な城主 波多野氏、前田氏
廃城年 慶長14年(1609)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(八上城跡)
住所 兵庫県篠山市八上上字高城山他
問い合わせ先 篠山市教育委員会地域文化課
問い合わせ先電話番号 079-552-5792