中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町である大井宿(岐阜県恵那市)。その地に大井城はありました。城びとには未登録の城址です。大井宿本陣近くの恵那市立大井小学校が跡地です。遺構はなく校内にはかってこの地に城があったことが書かれている説明板があるようですが、校内に入る勇気はありません。内城稲荷神社の説明板にこの地に豪族の居館か砦があったとの記載がありました。土岐持益は美濃大井の地に原秀行を送り、大井地域の守備を命じ大井城を築き、名を大井遠江守秀行と改めたと伝わりますが、確証はないようです。戦国時代にはこの地を治めた岩村遠山氏の遠山十八支城のひとつとなっています。
大井城址とされる小学校の北、中央線を越えたところに鷹撃谷(たかちがや)城址(城びとには未登録)があります。空堀が一部残っています。ネットで見るとこちらに大井城の標柱が立っているとの情報がありましたが、見当たりません。雑草が多く隠れてしまっているのでしょうか。もしくは城郭放浪記さんのHPにても見当たらないと記載されていたので、撤去されたのでしょうか。
大井宿は美濃17宿の中で最も繁栄した宿場町で、全国でも「9番目に賑わった」という記録が残っています。敵の侵入を防ぐ「桝形」が6か所も残る特徴的な構造は、中山道の宿場町の中でも大井宿だけと伝わります。大井宿本陣の北側にあったとされる長屋門が残っていますが、岩村城の門が廃城の際に移築されたという説もあるようです。他にも見どころがあり、コンパクトですがそれなりに楽しめました。
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