関ケ原の戦いの功により伊予国20万国を与えられた加藤嘉明が築いた城で、勝山の頂部に本丸、南西麓に二之丸と三之丸を配し、日本三大平山城に数えられています。加藤嘉明の会津転封により入城した蒲生忠知が無嗣断絶となると、大洲藩預かりを経て松平定行が入り、久松松平氏が16代続いて明治を迎えました。
地元のとある集まりの旅行で湯築城(と道後温泉)に行った後は松山城にも。大手道を登っていきたいところでしたが、城好きでもない他の面々を歩かせるのも申し訳ないので、東雲口からロープウェイでの登城です。山上の長者ケ平は東側への備えとして設けられた曲輪ですが、ロープウェイ・リフトの駅と駅前の広場として整備され遺構は見られません。
長者ケ平から少し行くと、目の前に聳える本丸石垣! 立ち止まって惚れ惚れと見上げる私を置いて一行はどんどん進んで行きます。お前ら…この素晴らしい高石垣を見て何とも思わんのか!? 急いで後を追い、太鼓櫓の扇の勾配の石垣を横目に戸無門をくぐったところで振り返ると、戸無門の向こうに太鼓櫓、さらに奥には小天守と南隅櫓が覗いています。筒井門で待ってくれていたので、先行して筒井門を抜け、隠門から背後に回り込んで驚かせるなど、隠門の仕掛けを体感しました。
太鼓門を抜けると本丸北側の本壇まで本丸広場が続いています。売店前の井戸は深さ44.2mにも及び、築城時に本丸の谷部を井戸として残して埋め立てたものなんだとか。本丸西辺の石垣は屏風折れになっていて、復元された馬具櫓越しに本壇の天守群から搦手側の乾門、乾櫓が見渡せます。本丸広場を北に進むと本壇の天守群が近付いてきました(続く)。
+ 続きを読む










