駿府城の残りの写真です。何気に駿府城から富士山が見えるんですよ。私は家康公が頻繁に天守閣に上がっていたんじゃないかな?と思います。家康公、富士山大好きですからね。駿府城の模型にも欄干が付いているしねえ。何気にいいトレーニングになりますし、階段は最高のトレーニング器具です。
今川義元公の下での人質時代も後の天下人への基礎を養うのには最適だったようです。巽櫓には臨済寺の竹千代手習いの間が再現されています。ここで竹千代(後の家康公)は今川家軍師の雪斎和尚から学問を学んだとされています。元々義元公は竹千代を人質として骨抜きにするために「酷く育てよ」と言っていたそうです。酷くとは甘やかせという意味なんですね。
でも酷く育てるはずの竹千代に英才教育を施したということは、竹千代に氏真の右腕としての役割を期待していたのではないでしょうか。義元公も後の家康公の非凡すぎる才能に気が付いたということでしょう。でも桶狭間の合戦で義元が討ち取られると、元康は今川を見限る決断をします。そのため多くの三河武士の人質が串刺しにされてしまうのですが、家康公は普段は温厚で慈愛に満ちていても、いざとなると容赦なく決断を下し、いかなる犠牲をも受け入れる二面性を持っているように見えます。
なんというか非常に闇が深いですね。信長公にしろ、秀吉公にしろ天下統一を志す、もしくは成し遂げた人物は皆、底知れない闇を抱えていますが、家康公は別格な気がします。
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