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しんちゃん

がさごそ (2013/08/23 訪問)

三浦の晃ちゃんさんの情報では本丸に入れないそうです。今年の1月1日の能登半島地震の影響ですね。被災地の復興を願うとともに、できるだけ早い復旧を願います。がさごそ‥
ふむふむ‥駐車場から調度丸までの区間は復旧しているようですね。ちなみに本丸駐車場のトイレは使えないようです。
七尾城は能登国守護・畠山氏が16世紀前半に築いた山城で石動山系一帯に城域が広がっています。天正5年(1577)上杉謙信によって落城させられ、上杉方の城になりますが天正9年(1581)に前田利家が入っています。利家が拠点を小丸山城に移したあとは、子の利政が入りますが天正17年(1589)に廃城になりました。

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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり② (2024/07/27 訪問)

蟹江城から蟹江駅には戻らず、直接徒歩にてアプローチしました。体温越えの高温の中を延々と歩いたため大層な発汗量となりました。尾張には常滑市にも大野城がありそちらの方が有名かなとは思います。こちらは蟹江城の支城です。

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しんちゃん

駿府城  いろいろ (2024/07/13 訪問)

駿府城の残りの写真です。何気に駿府城から富士山が見えるんですよ。私は家康公が頻繁に天守閣に上がっていたんじゃないかな?と思います。家康公、富士山大好きですからね。駿府城の模型にも欄干が付いているしねえ。何気にいいトレーニングになりますし、階段は最高のトレーニング器具です。
今川義元公の下での人質時代も後の天下人への基礎を養うのには最適だったようです。巽櫓には臨済寺の竹千代手習いの間が再現されています。ここで竹千代(後の家康公)は今川家軍師の雪斎和尚から学問を学んだとされています。元々義元公は竹千代を人質として骨抜きにするために「酷く育てよ」と言っていたそうです。酷くとは甘やかせという意味なんですね。
でも酷く育てるはずの竹千代に英才教育を施したということは、竹千代に氏真の右腕としての役割を期待していたのではないでしょうか。義元公も後の家康公の非凡すぎる才能に気が付いたということでしょう。でも桶狭間の合戦で義元が討ち取られると、元康は今川を見限る決断をします。そのため多くの三河武士の人質が串刺しにされてしまうのですが、家康公は普段は温厚で慈愛に満ちていても、いざとなると容赦なく決断を下し、いかなる犠牲をも受け入れる二面性を持っているように見えます。
なんというか非常に闇が深いですね。信長公にしろ、秀吉公にしろ天下統一を志す、もしくは成し遂げた人物は皆、底知れない闇を抱えていますが、家康公は別格な気がします。

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小城小次郎

西に向いた意識は誰が誰を意識したものか (2024/01/27 訪問)

静岡平野に突き出す細長い丘陵は乱流していた安倍・藁科川とともに駿府の守りの要。西に向けた強い意識は今川が狩野に向けたものか武田が徳川に向けたものか徳川が豊臣に向けたものなのか。これを突き止められたら面白いぞ。

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しんちゃん

阿尾城 ついでに投稿 (2015/10/24 訪問)

鳥越城の写真と一緒に阿尾城の写真も出てきちゃったので、ついでに投稿します。案内板には天正・文禄年間(1573~1596)ごろに菊池右衛門入道・十六郎父子が居城したとされています。菊池氏は佐々成政に従いますが、後に前田利家に寝返り、子孫は加賀藩士になったそうです。阿尾城は富山湾に面した、独立丘陵の上に築かれ、東から伝本丸、白峰社旧知、伝二の丸、伝三の丸と続き、伝本丸には櫓があったとされています。
伝本丸の周囲はものすごい崖で、しばらく立ち入り禁止だったようですが2023春より入れるようになったようです。

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しんちゃん

通行止めらしいけど (2015/10/24 訪問)

鳥越城登城道は2022年8月4日の大雨により土砂崩れが起き通行止めになっているようです。一刻も早い復旧を祈ります。
ガサゴソ‥というわけで昔の写真を持ってきてしまいました。
鳥越城は車道が城址のすぐ近くまで来ており、駐車場も用意されています。西側から南に回り込むと本丸の南に枡形虎口が再現されており、そこから本丸に入ります。枡形にかかる枡形門と本丸門が再現されており、土塁などの遺構も非常に良く再現されているようです。枡形門の周囲は石垣で固めてあり眺望もすばらしく、一向一揆の白山麓門徒の城を十分に堪能させていただきました。

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零汰

遺構が鮮明 (2024/05/10 訪問)

こちらは春採湖に突き出た半島?にあるチャシです。
入口の二重の濠、南側の濠などの配置等から砦が主だったと思われます。
書面にはしかりとした土橋も残っています。
半島の付け根に堀切あるかもと探しましたがそれは無かったです。
こちら遺構が鮮明ですのでお勧めです。

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イオ

とことん江戸城(外濠プロジェクションマッピング) (2024/05/30 訪問)

5月30日から6月2日までの4日間、牛込濠の南西部法面にプロジェクションマッピングの上映が実施されるとのことで、折しも出張で東京に来ていることでもあり、これはぜひ観て帰らねば、と仕事と夕食を終えた後、外濠公園に向かいました。

会場周辺は北東側からの一方通行になっていて、思いのほか多くの人が集まっています。牛込濠の南西部まで来ると、対岸の法面に何やら投影されているのが見え、音楽も流れているようですが、あいにくの雨に加えて帰りの時間も迫る中、傘をさしながら腰を据えて観ることができなかったこともあり、結局 内容はよくわからないまま外濠公園を後にしました。

都知事選で話題になった都庁のプロジェクションマッピングも小池知事再選で引き続き実施されるでしょうし、この企画も外濠浄化プロジェクトの一環として外濠への興味・関心を持ってもらうため、とのことなので、今後また実施されることもあるかもしれませんが、いろいろと改善できる余地はありそうです。
 

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赤い城

四国の役で長宗我部元親が拠点とした城 (2024/07/15 訪問)

国道319号線から少し登ったところに宿泊施設があり、この周辺が城趾です。
バス停の名前も白地城址、しかし地形以外にはその影も無さそうですが、ホテル駐車場に説明板が立っています。

一段下がったところには老人ホームと大西神社があります。
ここも曲輪跡、神社の横に石碑が設置されています。
その背後には土塁の塹壕があり、遺構と言えるのはこれくらいかな。

皆さんのレポートにもあるようにここはまさしく四国の中心。
伊予、讃岐、阿波の三国にも街道がつながる要所と言えます。
一度ここにも泊まってみたいです。
リーズナブルな城泊かな?

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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり① (2024/07/27 訪問)

一番の目的は名古屋駅近くのイオンモールにあるフォレスト献血ルームでの献血でした。体温越えの猛暑ですので無理して城めぐりをすることもなかったのでしょうが、蟹江駅から徒歩にてアプローチしてしまいました。蟹江駅の改札前にA41枚のリーフレットがあり、ありがたく戴いてきました。あまりの高温に買ったばかりのミラーレス一眼レフの動作に異変が生じていましたが、無事に撮影出来ていてほっとしています。小城小次郎さんが「奇跡的に」と表現されている井戸、本当にその通りだと思います。車が通れないような細い道とはいえ、路上にでんと井戸が鎮座しているのですから。撤去されなかったのはまさに奇跡と思えます。公園の一角に建てられている「伝えよう!蟹江城址 子々孫々」の一句にも好感が持てました。

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HKISD

大阪城散策#2 (2024/07/05 訪問)

大阪城2度目の散策でした。やはり風格の違いを感じました。

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HKISD

岸和田城散策 (2024/07/04 訪問)

駅から近くとても味があって良い城でした。
七夕が飾ってあり1週しました。

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HKISD

滝山城散策 (2024/05/25 訪問)

歩くにはとても気持ちよいコースで散策出来ました。

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HKISD

八王子城散策 (2024/05/25 訪問)

八王子城に登りました。上から見た関東平野は最高でした。
鳥の写真を撮る人が多くそれに一番ビックリしました。

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零汰

城びと登録本土四極城跡訪問達成 (2024/07/28 訪問)

俗っぽいですが、最西端長崎県の籠手田城、最北端北海道ヤムワッカチャシ、最東端同じく北海道ポンモイチャシの3つは訪問済。そして残った一つの最南端鹿児島の勝尾城に行きました。城びと本土四極城跡訪問の達成です。因みに離島城跡についてはタイパが悪いので還暦過ぎてから行く予定、それまで動けるうちに時間をやりくりして山城に行きたいです。今回城びと登録本土鹿児島に2か所残っていたのでその2か所とチラホラ別城跡を訪問しました。

鹿児島の城跡を400城以上行っているのですがこちらはTOP10に入るほどの過酷な城跡です。主郭迄5・600m程の距離なのですが倒竹の為に1時間を超えました。入って5分で帰りたくなりましたが地元の城なので主郭迄は行き着きたいと進みました。地元なのでバッシングしますが鹿児島は城跡の訪問や保存等に馴染みが薄くこんな城跡が数多くあります。中には整備したらきっと負けない城跡になるんだけどなと思う城跡があるのですが。唯一救いなのは模擬天守などが全く無い事くらいでしょうか。鹿児島城にも天守が無かったそうなので不思議ではないですが。

遺構としてはまともに見えませんが曲輪があり、1か所土橋があります(写真2)この土橋を見つけられなかったので先の曲輪に進む事が出来ませんでした。ですが荒れていてもやはり城跡です、東から主郭に辿り着く迄に4つの堀切を降りては登りを繰り返しました。おかげで両腕は擦り傷だらけ、倒竹を潜るときに背中にも擦り傷。おまけにタオルを何処かの枝に奪われ、腰からぶら下げていたペットボトルを紛失し主郭に辿り着くころにはグロッキー気味でした。まぁ好きで行っているので仕方ないのですケド。

地元の人間としてこちらの城跡はお勧めしません。ケガしますよ。
入口の神社とか全体の山の外観を撮る事で訪問完了とした方が良いでしょう。



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しんちゃん

主に三つの曲輪から成る。 (2024/07/14 訪問)

暑いっすね~。皆さん暑い中お疲れ様です。2週間前も暑かったけど、ここんとこの暑さは常軌を逸してますわ。まさにブッ壊れ猛暑です。
丸山城は出城と本城と詰の城で構築されており、出丸の東側は元々は入江になっていて、出丸は海に突き出した監視用の砦の様な役目を果たしていたようです。元々は土肥を本拠にして西伊豆地方に勢力を誇っていた富永氏の出城で、富永氏は伊勢宗端の軍門に下って、以降北条氏重臣の海賊衆(水軍)として、西伊豆沿岸警備の役目を負っていたようなので、丸山城は山城でありながら、水軍の海城としての性質を持っていたようです。
出城から詰の城まで周辺に段状に曲輪を配しているようなのですが、それぞれの中心となる曲輪を訪問するに留まっています。本丸にある「おこり石」は粗末に扱うと、怪我や病気などの災いをもたらすという言い伝えがあるようです。

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しんちゃん

ブーメラン♪ ブーメラン ♪ (2024/07/16 訪問)

ブーメランフック! ブーメランスクエア! ブーメランテリオス!
なんのこっちゃ‥
50代以上の方ならお分かりかもしれませんが、元ネタは「リ〇グにかけろ」です(大丈夫?)。
深沢城は城郭としては諏訪原城の下位互換くらいと書きましたが、三の丸の三日月堀は素晴らしいと思います。三の丸は道路によって西側が分断されているのですが、その部分の外側が三日月掘になっていて、きれいなカーブを描いています。
やや西寄りの南側1kmあたりにある大雲院には深沢城の大手門が移築されていて、大雲院自体にも土塁が付いています。元ネタは「城郭放浪記」さんからです。それではオーバー・ザッ・レインボッ!

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零汰

変則横濠 (2024/05/20 訪問)

こちらは変則的な濠となっていました。
hを逆さまにしたような濠の配置です。
東側は崖迄続くチャシには珍しい幅広の横濠があります
西側は自然地形なのか加工されたのか判断付き兼ねる崖迄続く横濠があり南に延びています。
その東西の横濠をお互い繋げるように横濠が入っています。
目視ではその繋げる横濠を確認出来たのですが写真では分かりかねます。
その写真は先輩の投稿に有りますので参照されると助かります。

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たか

休暇の空いた時間に (2024/07/28 訪問)

酷暑の中、家族も出かけているため行きやすいお城は無いかと調べて行ってきました。
ご城印も石浜神社の売店で購入できるということで一石二鳥。
なんて喜んでいたのも最初だけ…とにかく暑い!
南千住駅を出てJR貨物の基地を迂回しながら隅田川を目指しました。

遺構は無く説明書きがあるだけで、確認するといくつかの候補地の中で有力なのが石浜神社という事でした。
神社も立派で参拝もでき有意義な休暇でした。

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モト

これこれ、見たかったのはこんな城跡です! (2024/07/28 訪問)

城の間取りがわかる縄張り、そこにある虎口、残る石垣、素晴らしい遺構たちでした。
城跡のある山頂付近まで車で行け、そこからは5分で三の丸に入ります。
石垣がかろうじて残る三の丸や本丸にある虎口。
またそれぞれの曲輪を守る石垣はどれも雰囲気のある見所あるものばかりでした!
ここは説明するより、まずはみなさんにぜひ行っていただきたいです!
建物はなくとも残る石垣が好きや、縄張りを把握して歩くのが良い方には絶対おすすめです。

訪問した日は神事を執り行う日でした。
毎年7月28日にやっているとの事です。
城跡を皆さんで守ってくれているんですね。
感謝です。

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