柏に用事があったので、ついでに北柏駅から散歩ついでに登城。北口から徒歩約15分、整備された公園で土塁、曲輪、見張り台などの遺構を楽しめた。
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2026/04/12 18:37
北柏駅からお散歩①松ヶ崎城跡 (2026/04/12 訪問)
柏に用事があったので、ついでに北柏駅から散歩ついでに登城。北口から徒歩約15分、整備された公園で土塁、曲輪、見張り台などの遺構を楽しめた。
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2026/04/12 18:19
『北条 氏政 氏照 墓所』の巻。 (2026/03/28 訪問)
前回投稿した『城山公園』から駅前に移動して食事をすることに。
いつもなら江戸情緒漂う『ミナカ小田原』で、海鮮やらアジフライやらを頂くのですが、たくさんの行列を見て商店街へと歩きました。
夜は居酒屋さんになるお食事処で地魚を頂き、散歩することにしました。
15年以上前に『北条 氏政 氏照 墓所』に行った事を思い出し歩きます。
『おしゃれ横丁』という名の通り近くに御二人は眠っています。
、、、『おしゃれ横丁』はいつ頃のおしゃれを指しているのか不明な横丁です。駅前はたくさんの人だったけど、ひっそりとしてました。
私達の前に、ご夫婦で手を合わせてます。
小さい天守台のような、一段高い場所に上がりました。
自刃したと伝わる石台にはお水が置かれてました。
私も北条家の領内の住民なので、日頃のお礼を゙伝えます。
そして墓所を囲む冊には『幸せのすず』が結ばれてます。
『幸せのすず』は鈴に願いを掛けて、叶ったらぶら下げるようです。
たくさんの鈴、たくさんの願いが叶ったのだなと、触れると軽やかな可愛いらしい音。
ならと、シャラシャラシャラと奏、お疲れ様でしたと失礼しました。
私達の後には二組の方々が順番待ちしてました。
その後、なぜか『真実の口』のレプリカを見つけました。おしゃれ横丁、真実の口、小田原面白い。
「小田原城」は北条家の悲しい物語を語ります。
でも、領民を長引く戦にこれ以上巻き込まれないようにと「小田原城」を明け渡しました。
悲しい結末かもしれないけど、かっこいい御館様だったんだな。北条家の領民で幸せです、と再確認した『北条 氏政 氏照 墓所』訪問でした。
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2026/04/12 16:43
不忍の滝 (2026/04/11 訪問)
長篠城は宇連川と寒狭川の合流地点に築かれた扇状の段丘上にある城です。また、城内の本丸と弾正曲輪の間に碁石川が流れ、寒狭川に流れ込む手前に不忍の滝があります。城内に滝が在る城は珍しく八王子城くらいしか思い浮かびません。(AIに尋ねたところいくつかあるそうですが自分は行ったことがありません。)数年前までは本丸城址碑の裏から滝つぼまで行けたのですが、今では立ち入りを禁止されています。また、本丸と野牛曲輪を分断し、JR飯田線が走っています。本丸・野牛曲輪から電車が通過するのを見ることもできます。
本丸跡から、長篠・設楽原の合戦時の鳥居強右衛門磔跡や武田氏5砦を望むことができます。
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2026/04/12 11:51
春先既にクマの噂 (2026/04/06 訪問)
秋田城から程よいバスがなかったためタクシーで移動。3,000円程度でした。タクシー運転手さんに既にクマがで始めていると聞いてびっくり。
昨年も千秋公園にクマが居着いて立ち入り禁止になったそうです。
御隅櫓は中も外も見応えありました
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2026/04/12 11:44
ボランティアのやさしさ (2026/04/06 訪問)
ちょうど桜が開花した日に登城しました。
史跡管理棟のボランティアの方がやさしく、スタンプの押すコツを教えてくれました。
やさしくポンッと押すときれいに押せました。
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2026/04/12 07:19
年度末山陰の攻城・尼子十砦編⑤【城びと未登録】亀遊山城(島根県安来市) (2026/03/29 訪問)
出雲豊岡城からの転戦です。ぴーかるさんの投稿のおかげで、城びとに登録されていない尼子十砦の城を落とすことなくめぐることができ、感謝の限りです。県道9号線開鑿で断ち割られてしまった城と見受けました。最初、階段がついている側の丘に登ってしまいましたが、墓地が広がっていました。その反対側は中に立ち入ることはできそうになかったので、城址碑だけ撮影して先に進むことにしました。
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2026/04/11 18:57
萩城 (2026/03/21 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2026/04/11 18:54
岩国城 (2026/03/21 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2026/04/11 18:51
広島城 (2026/03/20 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2026/04/11 18:49
福山城 (2026/03/20 訪問)
クラブツーリズムのツアーで行った
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2026/04/11 18:40
浜松城 (2026/04/05 訪問)
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2026/04/11 18:38
岡崎城 (2026/04/05 訪問)
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2026/04/11 18:36
名古屋城 (2026/04/05 訪問)
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2026/04/11 18:32
小牧山城 (2026/04/04 訪問)
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2026/04/11 18:29
犬山城 (2026/04/04 訪問)
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2026/04/11 18:26
墨俣城 (2026/04/04 訪問)
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2026/04/11 17:16
ブルーインパルス✈︎ (2026/04/11 訪問)
狙ってこの日に登城した訳ではないが、本当にラッキー。一昨日、昨日と悪天候だったけど、今日は最高の天気!
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2026/04/11 17:02
土塁の規模が大きい (2026/04/08 訪問)
佐野市のホームページの概略に、築城は平安時代末の治承2年(1178)足利俊綱とされ、源頼朝と志田義広が戦った志田義広の乱では志田方として、室町時代の古河公方と関東管領上杉氏が対立した享徳の乱では古河公方方として戦っている。
戦国時代の永禄2年(1559)に佐野氏の支配下になり、唐沢山城の支城として、足利長尾氏の備えを担うことになる。天正18年(1590)秀吉の北条氏攻めで、佐野天徳寺宝衍が、北条方から唐沢山城を奪還し、天正20年(1592)に隠居時に赤見城を隠居所している。慶長19年(1614)の佐野家改易とともに廃城となる。
主郭の南東隅に欠けた土塁を補うように保育園が建っている。当然園内は入れないが、東の標柱部から土塁に階段が設けられている。上がって端まで行けるが、下の主郭は一周フェンスが囲っているので当然入れない。北東の民家フェンス手前から西へ入れる。先に水堀が見え、二重(あるいは三重)の土塁の一部が残っている。二重目の外から土塁に上がれば、下で見えた堀が折れて南に延びている。土塁の西は堀跡の名残で水路が通っている。土塁から園の屋根がわずかに見え、内側土塁の高さが確認出来る。
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2026/04/11 16:44
佐野駅と直結した城山公園 (2026/04/08 訪問)
一帯は良く整備された城山公園になっている。案内板に慶長7年(1602)佐野信吉が佐野厄除大師を移転させ、築城・町割りをし、1607年に唐沢山城から移り、唐沢山城は廃城になる。1614年に改易となり廃城になる、などが記されている。連郭式で南から三の丸、二の丸、本丸、北出丸と繋がる。外堀はほぼ埋め立てられ一部に名残があると云う。
南の三の丸は遊具のある公園、駐車場で、南下に佐野駅があり、三の丸と連絡通路で結んでいる。東下駐車場から上がってくる道が二の丸との堀切であったろうか。一段高い二の丸に東には城山記念館が建つ。本丸間に堀切が残り、堀底に下りられる。本丸には東斜面の井戸跡の通路と思われる石畳と石垣が発掘されている。北の堀切の先が北出丸となり、堀幅は手前の方がやや広く深い。
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2026/04/11 16:29
石垣の多用が想像以上でした (2026/04/08 訪問)
案内に、天慶の乱を平定した藤原秀郷の築城で、子孫とされる佐野氏の代々の居城と伝わる。今の姿は16世紀中頃に整ったとある。
唐沢山神社参道入口では石垣造りの喰違虎口で、右手に天狗岩がそびえ、登れば西の山並みから南の三毳山辺りまで眺められる。先の堀に神橋が架かり神社に続く石段が始まる。脇に井戸(大炊の井)、左後ろには数段の曲輪が残る避来矢山(ひらいし)があり、武具土蔵があったと載る。右は西城と載る天徳丸がある。
石垣の残る坂を上れば、左に二の丸への道を分け社務所の建つ南城下に着く。本丸へは左に平場を2段上がれば、社殿の建つ本丸になる。東と北に石組みの土塁が見られる。西には本来の虎口なのか鏡石らしき大きな石、下に土塁が残る二の丸(武者詰)が見える。南に開いた虎口は石垣で固めている。虎口先は有名な高石垣が現れる。西には三の丸(帯曲輪とも)があり、更に西下に当初幅の広い横堀と思ったが、西端の土塁で堀状に見えたが帯曲輪とある。
神橋から北に回り込み、東の遺構に向かう。縄張図の長門丸と金の丸の堀切に着き、西(右)へ行けば本丸北の引局を通り二の丸に行く。金の丸には家屋が建つ、東側に土塁が残るが、杉曲輪は堀ではなく段差を利用。杉曲輪と北城間はよく残る堀切で区切られている。北城の北東下は二重の堀切と載っているが、両斜面に落ちる竪堀で判断可能な場所であった。駐車場から南の鏡岩に寄ってみた、木戸があったと載るが今は車道が通過する。上杉謙信が攻めた際、西日が反射して攻めるのが困難であったという物語から名付けられたと標識に書かれている。
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