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駿府城

3月21日(金曜日)発掘調査現場の見学ゾーン北側入場制限のお知らせ

3月21日(金曜日)は9時から12時まで水中ポンプ撤去のため、発掘調査現場内の見学ゾーンの北側を入場制限します。12時以降は通常通り見学できます。
ご迷惑をお掛けしますが、ご理解ご協力のほど宜しくお願い致します。

※赤塗りの範囲を9時から12時まで入場制限します
※12時以降は通常通り見学できます。

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駿府城

駿府城公園が生まれ変わる!?再整備の全貌をチェックしよう!

駿府城公園の再整備に関する説明看板が、公園内の各所や関連施設に設置されました。
この看板では、駿府城公園の歴史やこれからの公園の姿をわかりやすいイメージ図とともに紹介しています。整備後の公園は、「歴史遺産」「市民の憩い」「防災拠点」をテーマに、訪れる皆さんが歴史を感じながら楽しめる空間へと生まれ変わる予定です。

看板は、駿府城跡天守台発掘調査現場「発掘情報館きゃっしる」や駿府城公園内の施設、静岡市歴史博物館にも設置されています。お散歩の途中や公園を訪れた際には、ぜひチェックしてみてください。

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にのまる

木曜日はお休み (2025/01/23 訪問)

佐土原城から路線バスで宮崎市街に戻り、次に目指すのは綾城です。
バスの乗り換えまでに30分くらいあり、じっと待っているのもつまらないので行けるところまで進もうと歩いていたら宮崎神宮に着いたのでお詣りしました⛩️

綾城は「綾待合所」バス停から徒歩で行けます。
ところが……、
坂道をどんどん登り、着いたー!と思ったら休館日でしたΣ(゚д゚lll)
木曜日だったので大丈夫だろうと油断していました。完全に下調べ不足です。
こんなことなら佐土原城のあと、2択で迷った都於郡城へ行けばよかったかな……と一瞬思いましたが、まぁそんなに落ち込むことでもありません。現実を受け入れるのみです。
せっかくここまで来たので天守を遠望できるところはないか探してみると、吊り橋からいい感じで見えたので今回はOK🙆‍♀️です!

九州城めぐりひとり旅6日目。
少々疲れてきたので、後半戦を乗り切るために、増えてきた荷物を宅急便で自宅に送りました。身軽がいちばん😊

この日の遅いお昼は宮崎駅のごぼううどん。
ずっと外食(ほぼ携行食)ですが、しっかりしたものを食べに行く元気もないので、
夕食は、東横イン最上階の眺めのいい部屋で、
カルシウムを摂ろう!→牛乳
繊維質が足りない!→野菜スティック
肌荒れ防止に!→ビタミンウォーター
コラーゲンでアンチエイジング!→チョコマシュマロ
にしました😄

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todo94

プレミアムナイトツアー③ 今年初公開の「井郭櫓東室」 (2025/03/08 訪問)

天守から出て備前丸では、やはり並び立つ西小天守と大天守の写真を撮影したくなります。10人の貸し切りですから、それこそ撮り放題。そして、これまた今年初公開の井郭櫓東室へ。井戸周りの板を踏み抜かないよう、一人ずつ、案内されました。最後はぬの門の石落としから足軽に扮したスタッフめがけてボールを落として当てるイベントでした。夜の姫路城内をたっぷりと楽しんで迎賓館に戻ると、地物素材で作られた軽食の提供、そして解説員の工藤茂博さんとのお城談義で締めとなりました。17:00の受け付け開始から21:30の終了まで、トイレに行かずに済んだことに我ながら非常に驚いています。歳をとってトイレがかなり近くなってきていましたので。トイレのことを忘れるほど楽しかったということにしておきましょう。

収入が激減している中でこんな贅沢をしてよいものかとも思いますが、70代、80代になった時、こういうイベントを楽しめる健康状態(例えば、現存天守の階段を上り下りするための足腰の保持とか)である保証はありません。退職金を取り崩してでも60代の今、楽しめることはしっかり楽しんでおこうと思っています。

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赤い城

大松山城 岡山県高梁市 (2025/02/23 訪問)

備中松山城は小松山城とも呼ばれ、元々は中世の山城。
備中兵乱後に毛利氏の支配となり、近世城郭へ改修されました。
元はさらに奥、秋葉三郎重信により築かれた大松山城より始まります。

小松山城の背後、土橋と呼ばれる堀切を過ぎて進むと相畑城戸跡に着きます。
備中兵乱の古戦場といわれ、広場のようになっています。
さらに進むと天神の丸跡、臥牛山の最高所にあたります。

堀切を通り進んで行くと大松山城への分岐に着きますがまずは大池へ。
水は無く発掘調査中でした。
なので石積もしっかり見学できます。
ここで首や刀を洗ったと伝えられ、「血の池」とも呼ばれています。

大池の先を下ると展望台方面への吊り橋に。
雲海が望める展望台に続いています。
今回は渡らず左に進み切通と番所跡を見学して引き返しました。

ようやく大松山城へ。

説明板を読んで進むと井戸があります。
右手に主郭、二郭との間には浅くなった堀切があります。
二郭と三郭の間には明確に分かる堀切が残り、この堀切は発掘調査により箱堀状だったとのこと。
その先はさらに段になって曲輪が続いています。

皆さんのレポートにあるように夏の登城は厳しいかもしれませんが是非ここまで足を伸ばして欲しいです。

【見どころ】
 ・相畑城戸跡
 ・天神の丸の堀切
 ・大池
 ・大松山城の曲輪と堀切

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Tokyobay

田安、清水に比べて一橋は・・・ (2024/10/20 訪問)

あらためて「一橋」の痕跡を確認。もはや「一橋」と言えば「御三卿」ではなく「大学」というイメージだが、「国立」にあるのに「一橋」を名乗るのもどうかと思うし、そもそも一橋大学は銀座に発祥の碑があるしと思って歴史を調べたら、既に関東大震災後に国立に移転したにも関わらず、戦後に学生投票で「一橋大学」になったとか。なんじゃそりゃ???
それにしても田安門・清水門はある意味「ガチで健在」なのに、一橋門の無惨な姿はなんなのか。これも江戸城に最も近い「立地の良さ」ならではの結果なのか。まあ、全ては東京五輪の再開発のせいなのかと。日本橋もその「犠牲者」だろうが、首都高地下化で「日本橋には空がある」世界に期待。でも、一橋は無理か。丸紅がカネ出して復元すればいいと思うが。そもそも地下鉄すら通さない皇居に首都高通すって何事なのかと。「北の丸は皇居じゃない」と舐めてるとか?その辺の経緯は都市開発の歴史として興味深いので別途考察したいテーマではあるが。

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Tokyobay

「帝都」の昭和遺産 (2024/10/20 訪問)

某大学の近現代史の先生と歴史散歩。江戸城内外には江戸時代の「幕府」のみならず、戦前昭和の「帝都」ならではの遺跡があり、平安~幕末の京都とはまた違って「重層的」に歴史を感じられるところが魅力。戦国や幕末と違って、昭和はあまり人気ないのが残念ではあるが、「帝都」を無視して江戸から東京への変遷は語れないというのが持論。

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しんちゃん

遺構はいずこ? (2025/03/15 訪問)

能見城は二度目の訪問になりますが、正直まったく記憶に残っていません。それもそのはずで小山の上が城址になるのですが、遺構が何も見当たらなかったからです。舗装された車道が上までついているようなので、雨天もあり、車で登ってみたのですが、途中から酷い悪路になりました。やはり下から歩いたほうが無難です。
南北朝の時代に甲斐国守護職武田氏の一族の穴山義武が当地を本拠地としたとされています。能見城は天正9年(1581)新府城の支城として武田氏によって築かれたとされています。また天正壬午の乱の際に徳川氏に改修されたとも伝わりますが、その割にはめぼしい遺構は見当たりません。

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しんちゃん

中野景継 (2025/03/16 訪問)

この日は朝から雨です。あまり城攻めに向かない日ですが、平城なら傘をさせば行けないこともないです。神光寺一帯が城址とされ北側に土塁らしきものがありますが、詳細は不明。案内板には南麺に塁濠らしきものがあると記載があるけど未確認。
文永2年(1265)新田義重の子孫、中野景継によって築かれたとされ、その子 藤内左衛門が延元3年(1338)越前国藤島において、主君の新田義貞とともに戦死した後、廃城になったようです。戦国時代には小泉城主・富永氏の臣・宝田和泉守は当城を本拠としたが、天正18年(1590)廃城となったようです。

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しんちゃん

山梨道中 (2025/03/15 訪問)

15日は山梨、翌日は佐久市、群馬を経て栃木県まで行ってきました。先週は富山まで行ってたのに、けっこうせわしなく移動しています。一月足らずで本州・四国・九州の24都府県を訪問しました。今年に入ってからは28ですか、東北も行きましたからね。
周辺で未訪なのは和歌山県・・地理的に後回しになっていました。イオさん、そのうちお邪魔するかもしれません。
さて、山梨といえば、やはり「ほうとう」。躑躅ヶ崎館(武田神社)の正面にある「蕎麦カフェ 由布姫」で「ほうとう」を頂きます。ここのほうとうはボリュームがあって美味しいです。
「桔梗信玄餅ソフト」も美味しそうですが、ちょっと食べきれない。武田神社をひとしきり散策して二順目の百名城スタンプを捺印して・・そうこうしているうちに腹にスペースが出来てきたので、デザートにおいしくいただきました。

補足・・武田神社を訪問してデザートを頂いた後、廻国異能の者・出雲阿国を見つけました。ラッキー、来てよかった。それから程なくして新府城周辺で出浦盛清を発見。見るからに異能の者といった出で立ちです。まさかの異能の者2連チャンです。まだ2時間もたってないのに、いる所には居る、でもタイミングが良すぎるな・・
盛清くん、君ひょっとして阿国さんのスト・・いやいや考えすぎか。なんにせよ良かった。

盛清くん、1万石加増してあげるから、ちょっと越後まで武将探索に行ってきてくれないかな。

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畝状竪堀があります (2025/03/09 訪問)

 二段の広い主郭に八幡宮があります。主郭の奥に切岸と腰郭があり、更に尾根を進むと、堀切があります。主郭の西斜面の南寄りに、薄くなってはいますが、畝状竪堀が見えました。
 姿は見えねど、電車が鉄橋を渡る大きな音が。城の下を山陰本線のトンネルが通っています。

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姫街道

一城別郭 (2025/03/15 訪問)

高天神城唯一の弱点と言われている西面の緩斜面の地形を補う「堂の尾曲輪」は何度見ても圧巻だ。城はH形状の一城別郭。中央を繋ぐ井戸曲輪部だが、何故堀切を打たなかったのだろう…。打つ必要が無かったのか?掘りたくても岩で掘れなかったのか?それなら何故井戸は掘れたのか?久しぶりに登城すると、以前とは違った見方が出来て楽しい。
伐採が行われていたり、案内看板も新調されていた。本丸、二ノ丸には複数の建物跡が確認出来ているらしい。建物復元も含めて再整備していって欲しい。

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朝田 辰兵衛

「浦賀,まってろよ❢」 (2025/02/23 訪問)

ここはみなさんの投稿にもあるように,民家の石段をパシャリ📷です。ついでに民家の前の道ぐらいかな…と。
金沢八景駅からほど近く,浦賀行きの電車が停車しているのが見えました。浦賀には浦賀城の他にも横須賀美術館という周辺観光ポイントが存在します。思わず…
「浦賀,まってろよ❢」
とつぶやいていました…<笑>。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

貝塚市役所の西側にある要家住宅(貝塚市重要文化財)が畠中城址となります。

城址としての遺構はありませんが、元城主の子孫の方が居住している江戸時代の屋敷が残っています。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

水間鉄道名越駅から近木川に架かる千石橋を渡ったところにある小山が千石掘城址となります。
案内板は少ないものの整備されており、散策は問題なくできます。
遺構としては、郭跡や土塁、空堀などが確認できます。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

JR和泉橋本駅近くの明教寺が積善寺城の本丸跡となります。秀吉の紀州征伐後、廃城となったこともあり、遺構は残っていませんが、貝塚中央病院から明教寺方面に行く橋のところに解説板が設置されています。

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カズサン

小山城-6/6 能満寺諸堂編 (2025/03/10 訪問)

 小山城-5/6の続です。
 
 能満寺には諸堂在り特に女坂を登った桝形郭の様な一角(小山城跡南西角一段下)に虚空蔵尊堂が鎮座、西側エリアに6体石仏が安置祀ってあります。
 以前若かりし頃の初登城時には今は立入禁止に成ってる急峻な石段を昇ったものです、今は女坂4折れして登ります。
 その他に立入禁止の石段下に中段の郭?が有り、東に大日如来堂、西に不動明王堂が祀ってあります、鐘楼の西対面辺りに弘法大師堂が祀ってあります。その辺りには大ソテツの案内解説板、小山城跡案内板が設置されています。

 もう少しで桜咲きいい季節に成って来ます、大ソテツと桜、能満寺、展望台小山城天守閣、小山城遺構をお楽しみください。
 
 長々と投稿をご覧いただきありがとうございます。
  

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カズサン

小山城-5/6 大ソテツの能満寺編 (2025/03/10 訪問)

 小山城-4/6の続です。

 小山城へ登城するには南麓の能満寺山門より入り国指定天然記念物大ソテツの本堂を参拝して大日堂、不動明王堂の在る中段郭?を参拝通って女坂より登ります。
 能満寺は古く行基菩薩が三体の虚空蔵菩薩のうち一体を安置したのが始まりの様です、又本堂前に在ります国指定天然記念物大ソテツは平安時代の陰陽学者安倍晴明が唐から長徳元年(995年)持ち帰って植えたとの寺伝、大ソテツは1000年も経ち根株周り高さも大きく立派で見所満点です、今まで何回となく訪ね参拝して居ましたが気にして居なかったせいか、本堂前の中門?の屋根構造が四方に唐破風造りの唐屋根と成ってる事を認知した次第。山門と中門の間やや東に吊鐘を安置した鐘楼が有り枝垂れ桜が咲誇るのを持っています。
 能満寺院は大井川の氾濫で流失、武田信玄の再興、江戸時代は徳川家康の庇護も受けていた歴史があり、現在は臨済宗妙心寺派の寺院です。

 小山城-6/6に続きます。
  

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トク

紅葉の岡城 (2024/12/01 訪問)

昨年12月に訪れた岡城です。一昨年は散った直後で時期を誤りましたが、昨年は紅葉がいちばんきれいな時期に訪れる事ができました。 「春高楼の花の宴~♬」と歌にもあるように、春の岡城の桜もきれいだろうなと思い昨年訪れましたが、やはり時期を誤り失敗してしまいました。今度こそリベンジしたいと思っているのですが、山城は平地と時期が少し遅れて咲き、また散るのも早いので予測が難しいですね🤔。ちなみに今年の岡城さくらまつりは、4月5日(土)に行われるそうです。
 

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todo94

プレミアムナイトツアー② 今年初公開の「天守の内室」 (2025/03/08 訪問)

大天守での扉を開けるイベントには立候補させていただきました。ぎしぎしときしむと重い扉でした。天守内の井戸を見て連立天守の内側の天守曲輪に入ります。塩蔵、東小天守の地階と貴重なスポットに案内していただきます。プレミアム感があったのは用意していただいたスリッパ。足をすっぽりと包み込むフワフワの防寒対策バッチリのスリッパでした。今回初公開の内室は、5名ずつ2グループに分かれての入室です。天井が低いのでヘルメットを装着しての入室でした。柱に記された番付を見ることができました。天守最上階では参加者全員で一斉に窓を開けるイベント。大天守から姫路の夜景を望むというのも貴重な体験です。大天守を出たところのいの渡櫓との間の間隙は耐震のための造りだそうです。

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