ホテルでの朝食前に菰野城を攻城しました。
中菰野駅より徒歩5分くらいで、案内板/石碑前(35.011522、136.508920)に着きました。その後、隅櫓跡案内板前(35.011678、136.508028)➡菰野藩邸案内板前(35.012908、136.508687)の順番で巡りました。
1601年(慶長6年)ひしがた丹波守雄氏によって築かれました。それ以前は滝川一益時代の代官所跡であったそうです。
ひしがた雄氏は織田信長・信雄に仕えた雄久の長男で豊臣秀吉に仕えて3,000石の所領がありましたが、秀吉没後のに徳川家康と本多正信が画策した「幻の家康暗殺事件」の容疑者として父雄久に連座して改易となりました。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦直前に罪を許された雄氏は、徳川家康の命で加賀の前田利家の説得にあたりその功で菰野12,000石を与えられ大名に列したそうです。
初代雄氏の時代の菰野陣屋は滝川一益時代の代官所跡を修築した程度で、雄氏は主に京の屋敷に住んでいましたが、織田信雄の娘八重姫を正室に迎えるにあたって「堀もないような城の主には娘をやれない」といわれ二日間昼夜兼行で堀を設けてたという逸話が残っているそうです。
陣屋の建物と城下町は二代雄高の時に整備されました。また幕末の1868年(明治元年)には堀と二重の隅櫓を整備しました。
菰野陣屋跡には現在、菰野小学校が建っており、小学校の南側道路脇に案内板と石碑が建っています。
遺構はほとんど残っていないようです。
城門が金蔵寺と光徳寺に移築され現存しているようですが、時間の都合で行っていません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=萱生城へ行く前に、一旦ホテルに戻り朝食を食べる為、電車で中菰野駅から近鉄四日市駅に向かいました。
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