連方屋敷は資料に乏しく、築城者・呼称の由来については定説化したものがない・・・、甲斐国志に蔵前衆頭。古屋氏との関連を推定・・、武田氏時代の直轄領の年貢・銭貨など管理・運営する、云々と説明板に記載されている。於曽屋敷と同じく私有地で、三分の一は民家・果樹・畑になっている。民家側では跡地の南の入口から西に向けて土塁が残り、北から西に向けても民家で入れないが、先に続いている。西の土塁はほぼ残らないが、道路寄りに僅かに残る高さのある土塁が見える。
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2024/11/26 15:18
堀は面影くらいだが土塁はよく残る (2024/11/22 訪問)
連方屋敷は資料に乏しく、築城者・呼称の由来については定説化したものがない・・・、甲斐国志に蔵前衆頭。古屋氏との関連を推定・・、武田氏時代の直轄領の年貢・銭貨など管理・運営する、云々と説明板に記載されている。於曽屋敷と同じく私有地で、三分の一は民家・果樹・畑になっている。民家側では跡地の南の入口から西に向けて土塁が残り、北から西に向けても民家で入れないが、先に続いている。西の土塁はほぼ残らないが、道路寄りに僅かに残る高さのある土塁が見える。
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2024/11/26 14:51
特に南の土塁が圧巻 (2024/11/22 訪問)
於曽公園として整備されている。説明板のように、二重の堀と土塁に囲まれていたようで、外土塁は北側を除いて消滅。内土塁は他の三方向に残る。内堀は西と南に水路として残り、東は浅くなった凹地が残る。公園の南側には於曽第二公園が隣接する。第二公園の北西に、おそらく外土塁の一部であろう低い土壇がある。公園の半分は民家になり入れない。南の土塁の切れた門跡は、民家の入口二なりポストがある。塩山駅北口前には甘草屋敷(旧高野家住宅)があり、拝観料は要するが主屋の見学が出来る。
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2024/11/26 14:30
金上城跡(かねあげ) 茨城県ひたちなか市金上 (2024/11/18 訪問)
江戸氏の一族、金上氏の居城としている。溜池(金上溜)前の道路に駐車出来そうだが、近くのふれあいセンターにお願いしたほうが安全。池脇の切り通し状の道を入ると、左に石段が現れる。階段の数m先に若干上がる堀切状の窪みがある。上がれば民家が建ち、庭・畑になっている。石段を上がれば大きな郭で、中心に熊野神社が建っている。北側には土塁が残るが、草木が多く写真ではよく分からない。土塁の後ろが民家だが、地続きなので防御上、堀くらいの存在あったか。南には堀切は確認できるが、土塁以上に木々が密生しており、足を踏み入れられなかった。
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2024/11/26 14:18
武田氏館 茨城県ひたちなか市武田 (2024/11/18 訪問)
甲斐武田氏の発祥の地と大きく石柱が湫尾(ぬまお)神社鳥居前に立っている。説明板の概略は源頼義の子、新羅三郎義光は常陸介などに任ぜられ、三男・義業を久慈郡佐竹郷、三男・義清を吉田郡武田郷に土着させている。義清は地名から武田氏を名乗り、武田冠者と呼ばれ甲斐武田氏の祖となった・・・と載る。
板塀に囲まれた館が模擬復元されている。月曜日で休刊日のため門内には入れず。神社側から塀越に母屋・厩の上部のみが見える。神社の境内まで入れれば広さを確保出来そうだが、それでも館としてはこぢんまりしすぎる。神社のある字が塙とある通り台地の舌状部に位置するのは分かる。西は那珂川に続く湿地帯だろうし、東は台地続きだが館跡より数m低い。
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2024/11/26 13:29
東京駅八重洲口で静岡市のPRを行いました!
11月14日(木)・15日(金)に東京駅八重洲口で開催された沿線都市PRイベントに静岡市が出展しました。このイベントは東海道新幹線60周年を記念して行われ、多くの来場者で賑わいました。
静岡市のブースでは、駿府城や江戸城、浜松城などの精巧な模型が展示され、訪れた方々に静岡市の歴史と魅力を紹介しました。
静岡市は、温暖な気候に恵まれ、古くから今川氏や徳川家康公の城下町として栄えてきました。市内には日本平や三保松原から望む雄大な富士山の景色が広がり、自然の美しさを堪能できます。特に注目していただきたいのは、駿府城跡天守台発掘調査現場です。ここでは、当時の駿府城天守台を間近で見学することができ、歴史の息吹を感じることができます。静岡市の豊かな自然と歴史を体感しに、ぜひお越しください♪
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2024/11/26 12:33
椿城跡 千葉県匝瑳市椿 (2024/09/18 訪問)
説明板・案内は見当たらなかった。星神社の鳥居のはす向かいに台地に上がる道がある。如何にも虎口風な風景だが、単に車で畑地に行く為のものかも知れない。城跡は驚く程の広さがあるが、耕作地が一面に広がっている。区画されたような遺構は分からない。先人さんの情報に東と西側に土塁跡が見られるようで、近くに寄ってみたところ、高くはなく篠など植物が生い茂り判断がしづらい。周辺の台地の端はこんもりと植物が高い場所が多く、全て土塁跡かと見てしまう。遺構ではないが、星神社の社殿が建つ辺りの方が余程城跡らしく見えてしまう。
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2024/11/26 12:20
八日市場城址 千葉県匝瑳市 (2024/09/18 訪問)
説明板らしきものは見当たらない。主郭下の空堀跡に城址の標柱があるのみ。諸情報では、押田氏の築城と記され、天正18年に小田原北条氏が敗れると、廃城となったと。
駐車場辺りは帯郭の一部だろうか、北の斜面も二段ほどの帯郭を形成している。上に出がれば広大な広場だが、天神山公園として整備されている。こども広場のある周囲には、土塁か段差のある小郭か、遺構らしきものがある。主郭の東下にはかなり浅いが堀が見られる。堀の中に城址の標柱が立っている。主郭は二段になり、下には井楼風な展望台が建つ。上段には忠魂碑と、一段高い物見台らしき場所に神社が祀られている。主郭下の堀底は広大な郭(広場)の南下の帯郭風な平地が東隅まで続く。広場の東端に、遺構の中で一番と思う堀切がある。
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2024/11/26 12:09
閑かな集落の城址 (2024/09/18 訪問)
半分ほど隠れる説明板に、大きく三郭からなり、今でも地名に上の馬場、後里、御城など名残があるらしい。案内板のある農村公園は溜池があり、中央に弁財天を祀っている。ただ池は遺構ではないらしい。野手氏は千葉氏の一族だが、徳川家康の江戸入城後に本田氏により討伐された、と読める。
広範囲に広がっているようだが、遺構らしいものは分からず。地図上の野手城跡の印辺りは民家・畑になり、反対側には朗生寺があり、お寺周辺も中心部だったのだろうか。
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2024/11/26 11:57
浅くはあるが堀幅は見事 (2024/10/14 訪問)
説明板は色あせ・塗料はがれで、縄張図・文字が判別しづらい。築城した阿久沢氏累代の墓がある正円寺は、天正18年以降、廃城になった後に移っているとのこと。
お寺の北側に堀跡・土塁があるらしいが、お参りするだけで犬に吠えられ続けるので遠慮した。お寺の東に、その続きと思われる堀切がある。本丸北側はかなり埋まった堀だが幅は広く、南下には二の丸との堀の底から続く帯郭があり、本丸との高低差がすごい。二の丸の東にも台地を分断する堀が見られ、自然地形かも知れないが竪堀状に南に落ちている。
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2024/11/26 11:35
梅原館跡 群馬県桐生市 (2024/10/14 訪問)
説明板の概略は、本館址は平安末期から鎌倉時代初めにかけ、この地を根拠とした足利俊綱の家臣、桐生六郎の館跡と推定される。その後桐生城を築き、その麓に居館を移す・・・。南の一部、北の大部分、西の土塁の一部が明らかに存在して、外側の堀は大部分埋まっている・・・、と記されている。
薬師堂の裏(北側)は墓地で、背後は土塁と思われるが、奥の民家地は土塁と高さが変わらない。薬師堂の建立時に削平した残りと思えたが、民家側が土盛りおして高くしたかも知れない南は分からないが、西には一部土塁が確認出来るし、民家との間が僅かに低い。
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2024/11/26 10:40
西に渡良瀬川の渓谷が紅葉で有名 (2024/10/14 訪問)
現地案内板に、山田七郎吉之が築城、十代目の則之の時、桐生国綱に滅ぼされる。その後、里見家七代・義連の三男・氏連が桐生氏より任され、仁田山八郷に入る・・・。
展望台・トイレのある駐車場があり近くまで行ける。駐車場も南端の郭だったようだ。散策路の入口は如何にも虎口を思わせる。要害神社の建つ主郭まで、数段の腰郭が見られる。主郭下には腰郭が一周する。主郭・周囲は土塁・堀跡は分からなかったが、主郭から北尾根には少なくとも二条の堀切が見られた。
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2024/11/26 10:40
【日本100名城かるた】発売、おめでとうございます。
おめでとうございます!「日本100名城かるた」発売するんですね。
これは、お城EXPOに駆けつけねばなりません。
そして、ダルマに右目を書き入れたいと思います。
只今、仕事中。
喜びの気持ちを早く伝えねばと思い投稿しました。
城びとスタッフの皆さま、ありがとうございました。
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2024/11/26 10:33
秋の萩・津和野(3/3)-萩城散策 (2024/11/23 訪問)
津和野駅から路線バスに乗り90分東萩駅へ到着です(料金2140円なり😱!)。そこから市内100円循環バス「ぐるりん号」に乗り換え萩城へ向かいました。
まず毛利輝元様の御尊顔を拝してから入城します。凛々しくいいお顔です。そして(萩城碑+天守台+指月山)が一枚に入るこの位置から写真を撮りました。
次に入場料を払い天守台へ。すると美しい扇の勾配の天守台が目に入ってきます。そしてここに門があった事を想像しながら天守への階段を登ると、広大な堀や城下が一望できました。天守の礎石も実によく残っています。120万石から30万石へ減封され、この地へ来た毛利輝元は、どんな思いで完成したばかりの天守から、萩の町を眺めていたのでしょうか?
最後に、花江茶亭周辺の色づき始めた庭園を眺めながら、歴代藩主を祀る志都岐山神社にお参りしました。雨が降っていたので、指月山に登るのは断念しました。
帰りは、東萩駅前から新山口駅行の高速バス(スーパーはぎ号)に乗りました。ハローキティ号でした。予約不要:料金1600円、路線バスより安いのは何故🤔?
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2024/11/26 08:49
祝!「日本100名城かるた」発売!!
「日本100名城かるた」の発売、おめでとうございます! 「出張! お城EXPO in 滋賀・びわ湖 2024」でお聞きしたところでは11月中旬~12月上旬発送予定とのことでしたので、先々週からもうそろそろアナウンスがあるかな…と日々期待して待っておりました。
公開された写真を見てみると……会津若松城の読み札、彦根城の絵札に採用されてるーっ! 朝田辰兵衛さんやにのまるさん、美夢さん、赤い城さん、トクさん、ヒロケンさん、POYO58さんのお名前も見えますし、予約注文していた現物が届くのがますます楽しみになってきました。
さらに「お城EXPO 2024」では「日本100名城かるた」のワークショップ開催とな!? さすがに発売直後でかるた大会までは無理だろうな、とは思っていましたが、監修の加藤理文先生に解説いただけるとは! その日は仕事が入っているんですが…何とか調整できないかな…。
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2024/11/26 00:36
め・・・ (2014/01/14 訪問)
杵築城は現在、公園として整備がされています。本丸には資料館兼展望台の模擬天守が設置され眺望は良好です。杵築城は木付氏の城でしたが、主君の大友義統が文禄の役での失態により改易されると、当主の木付統直は自刃し、木付氏は滅びたとされます。慶長5年(1600)2月には細川忠興の所領となり城代が置かれますが、慶長20年(1615)の一国一城令で城の部分が配され、居館部に城郭の機能が移されています。
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2024/11/26 00:20
お・・・・ (2014/01/14 訪問)
最近は東海道を西に東にいそがしいです。なかなか九州まで行く時間がありません。せっかく26の日なので大分県の日出城の写真を投稿させていただきます‥というか投稿させて下さい。
現在残っている日出城は木下延俊が義兄である細川忠興の支援を受けて築いたとされています。この御人、我らがヒーロー 小早川秀秋の同母兄弟になります(‥‥)。
現在は日出小学校の敷地になっています。この地域の小学生は恵まれたスクールライフを送っておりますな。
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2024/11/25 23:51
「日本100名城かるた」発売おめでとうございます❢ (2024/11/01 訪問)
紆余曲折しましたが,発売までたどり着き,大変におめでとうございます❢
パシフィコ横浜で購入しようと思いますが,すぐに在庫が切れるようなトラブルがないことを願います。例えば,初日の昼過ぎにはすでに“SOLD OUT”となってしまっているとか…。城びとスタッフのみなさん,最後まで詰めが甘くならないように準備願います。年に一度のお祭りですので…。
烏山城ですが,豪徳寺駅にほぼ隣接の山下駅から東急世田谷線に乗り,下高井戸駅から京王線に乗り換えて千歳烏山駅下車。キャリーバッグを転がしながら向かいました。世田谷文学館に隣接の芦花翠風邸の門構えに風情を感じたのでパシャリ📷
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2024/11/25 20:38
はるばる来たぜ 二上山城 ♪ (2024/11/16 訪問)
二上山城を訪問した日は天気予報では雨だったので、高速を併用して少し急いでやって来ました。雨が降る前に訪問してしまおうという作戦です。二上山城は南に雌岳、北に雄岳があり、北の雄岳の方が主郭のようです。天候が怪しいので、まずは雄岳の方を訪問。
雄岳と雌岳を繋ぐ「馬の背渡り」という尾根を通って雄岳を目指します。主郭には西側から向かっていくことになり、堀切や複数の郭を経て主郭に到着します。東に進んでいくと悲劇の皇子「大津皇子」の墓があり、その周辺も郭になっているようです。私はその先には進まず、北側の腰郭を経て主郭に戻ります。そろそろ雨が降って来そうですが雌岳に向かいます。
二上山城は楠木七城の一つとして、楠木正成によって築かれたとする伝承が有るようです。戦国時代にも使用されているようですが、一部の堀切を除いて技巧的な遺構は見当たりませんでした。
大津皇子は天武天皇の皇子で皇位継承をめぐって異母兄であり皇太子である草壁皇子のライバルとなり得る存在だったようですが、親友の密告で謀反の疑いをかけられ磐余(いわれ)の訳語田の自邸で自害したとされています。初代斎王の大来皇女は大津皇子の異母姉であり、夏見廃寺は大津皇子を弔うために皇女の発願によって建立されたとする説があるようです。
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2024/11/25 19:57
やって来ました信貴山城。 (2024/11/10 訪問)
信貴山城は松永久秀が織田信長との戦いに敗れて自害した城として有名です。どうやら平蜘蛛茶釜とともに爆死したというのは誤りで、茶釜を叩き割った後に自害したということらしい。茶釜と一緒に爆死のほうが久秀らしくていいのにな(ロックンロール)。
信貴山城へは朝護孫子寺を通って行くのがわかり易いです。文字通り虎口を通って城へ向かいます。城域は非常に広く、南の峰には雌岳があり、南端部に城らしい雰囲気が残っています。主郭は北の雄岳に築かれていて眺望は良好です。さらに北側には尾根にそって多数の郭が連なっています。主郭まで行きましたが、まだまだ始まったばかりという感じです。うへ~
ちなみに平蜘蛛茶釜は織田信長が修復して使用したようです。意外とセコイのね。そういえば安土城で入城料とってるエピソードもありましたね。
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2024/11/25 19:19
なにげに世界遺産。 (2024/11/17 訪問)
久々に訪問しました。小山城は津堂城山古墳を利用して築かれた城です。史跡城山古墳の石碑は二つあって、一つは北西の津堂八幡神社側に付いています。もう一つは東側に付いているのですが、埋もれて「史跡城山古」になっていますね。なんで埋まってるのか知らんけど、そのうち「史跡城山」になったりして(ニヤリ)。主郭部は全長208mの前方後円墳なので、なかなか広いです。
古市古墳群の一つとして国の史跡に登録されており、2019年には世界文化遺産に登録されています。
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