新庄城(陣屋)は屋敷山古墳の上に築かれていました。屋敷山古墳は全長135mの前方後円墳で葛城市では最大の古墳です。戦国時代には布施城を詰めの城とした布施氏の居館があり、慶長6年に桑山一晴が一万六千石で入封し陣屋を築いたとされています。
周囲には堀跡と思しき濠が東西に巡らされていて、眺望は思ったより良好です。この辺一帯が周囲より高台になっているようです。
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2024/11/24 21:23
2024/11/24 21:08
安居神社 (2024/11/17 訪問)
安居神社は茶臼山陣城の北西300m位の所にあります。非常に道が狭いので徒歩で行かれると良いでしょう。こじんまりした神社ですが、真田幸村(信繁)が討死した場所として有名です。境内には案内板の他、真田幸村の銅像もあります。
信繁はここで越前松平家鉄砲組頭の西尾仁左衛門(宗次)の手にかかって討ち取られたとされ、自ら首を差し出したとも、一騎打ちの末に討ち取られたとも言われています。
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2024/11/24 20:57
下山甲斐守城(奈垣) (2024/11/16 訪問)
【下山甲斐守城】
<駐車場他>谷部への降り口<34.591562,136.152772>に車を寄せれば1台駐車可能
<交通手段>車
<見所>土塁・横堀・虎口・切通し・落とし穴?
<感想>日帰り伊賀攻めの旅1城目。下山甲斐守城はここの奈垣と、また比奈知という地区に2つあります。今回は城びとフラッグの方のみ登城。下山甲斐守城はここら一帯の土豪下山氏の築城によるもので、伊勢国司北畠氏に属して(北畠氏館・霧山城から近い)いました。1579年第一次天正伊賀の乱の際に下山甲斐守は織田信雄に伊賀攻めの手引きをしたとされます。城びとの城郭情報では築城年が1579年となっているので、それまで居城としていた比奈知から乱の前後にここの奈垣に築城し入城したと思われます。御存じの通り最初の伊賀攻めは失敗しますので下山甲斐守は自刃したとも第二次天正伊賀の乱で憤死したともいわれますが定かではないようです。
登城口は上記駐車ポイントから城跡の南にある谷部へ降りた道から入ります。しんちゃんさんの案内通りに土橋を渡り登って(道はない)行けば城跡にたどり着けます。城跡は大きく2構造に分かれていて主郭の南側に谷部の扇状の段曲輪があります。上段が主郭で高土塁囲みの曲輪で虎口が南西口と北西口の2か所あります。南西口が大手口のようで外枡形の四方土塁が残り、その枡形の南麓側へ切通しが2本あります。面白いのがその2本の切通しの合流地点(舛形のすぐ下側)に大穴がありどうも井戸ではないようなので私は落とし穴ではないかと判断しました。切通しのうち1本は折れ曲り、主郭の下正面を通るので主郭からさんざんに攻撃される構造です。北西口の虎口は搦手のようで虎口手前から道がジグザグに折れ曲がっている遺構が良く残っています。
主郭は南は大手道がある崖になっていて切岸、土塁はほぼ無い。残りの3方が3m程の高土塁で横堀があり横堀外側の土塁もほぼ同じ高さで囲んでいます。技巧的な虎口の造りと高土塁、見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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2024/11/24 19:55
2024/11/24 17:07
飛騨郡代 (2024/11/22 訪問)
久しぶりの高山陣屋です。当時の主要建築物が残る陣屋址で、新鮮な気持ちで散策しました。
この日の午後は山城へいくつか行こうと思っていましたが、気温の低下と降りだした雨のため予定を変更し高山陣屋と街をぶらぶらしました。最近は無理をしなくなりましたね。平日でしたが、外国人観光客を含め多くの人が高山の街を楽しんでみえました。写真を投稿しようと思ったのですが、人が写りすぎていて街の風景などの写真の投稿は遠慮しました。陣屋へは夕方閉館近くに訪問しました。
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2024/11/24 16:41
上田城探訪 (2024/11/13 訪問)
上田城を訪問しました。現在は上田城跡公園として整備され、上田城跡北観光駐車場からアクセスしました。
最初、上田市観光会館で上田城の案内図を入手して登城しました。
上田城は、真田氏のお城として有名ですが、現在の姿は仙谷氏が再興し、その後松平氏の居城となりました。
見どころは、現存する櫓でしょう。西櫓と再移築された北櫓と南櫓は当時の建物の姿を見せてくれます。
本丸跡の土塁の上を一周してから、西櫓横の階段から尼ヶ淵跡に降りました。そこから河岸段丘の上に聳える西櫓や南櫓の姿がよく見え、良かったですよ。
国道18号沿いの二の丸堀跡に上田温電北東線の鉄道が通っていたとは、びっくりです。
なお、本丸跡には歴代の上田城主を御祭神とした真田神社が鎮座しています。青年真田幸村公の銅像もあり、是非寄って参拝してみてください。
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2024/11/24 16:33
近づけない城 (2024/11/04 訪問)
大三島に上陸。大三島ICを出て南下し堤防道路に入るところにある駐車スペースに車を駐車し登城開始。と言っても甘崎城である島へ進む道はなく対岸の案内板のある場所から全景を眺める。干潮時に見えるという島の周囲の石垣は確認できず。
近くの道の駅多々良しまなみ公園へ場所を移し、塩ソフトを食べながら城を眺める。
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2024/11/24 16:29
松代城探訪 (2024/11/13 訪問)
松代城を訪問しました。
駐車場は太鼓門前にある市営殿町観光駐車場が便利です。無料の駐車場です。
築城はあの武田信玄とのことですが、現在の遺構は江戸時代の真田氏のものとのことです。
廃城令により建物は破却され、現在見ることができる太鼓門、太鼓門前橋、北不明門等は復元されたものとなります。
本丸以外でも二の丸の土塁他が復元されており、当時のお城を実感できますよ。
松代城の周りには、真田邸、文武学校、真田宝物館他の施設もあり、見どころ一杯です。
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2024/11/24 16:14
鮫ヶ尾城探訪 (2024/11/13 訪問)
鮫ヶ尾城を訪問しました。自動車を斐太歴史の里駐車場に停めての登城となります。
まずは近くの斐太神社にて安全祈願をした後、総合案内所を訪れました。この案内所で、登城案内図とともにルートの説明を受けました。お勧めルートは東登城道から本丸に向かい、北登城道から降りるルートだそうです。所要時間は本丸まで約25分となります。丁寧に教えていただけましたよ。
東登城道ではいくつかの堀切を越えて、東一ノ丸跡、二ノ丸跡を過ぎて本丸跡に向かいました。案内板も整備され、登城ルートは分かりやすかったです。
本丸跡からは、三ノ丸跡、井戸跡、虎口曲輪を見た後、北登城道から下山しました。1時間強の登城です。
なお、登城の際は念のため熊除け鈴を持参したほうが安心です。(案内所でも鈴の付いたストックを借りられます)
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2024/11/24 16:11
小川古城 奈良県吉野郡東吉野村 (2024/11/09 訪問)
小川古城は小川氏が小川城を築いて移る前に居城としていたようです。周囲は急峻な崖に囲まれているので、なんとなく小川氏の城郭に対する趣向が分かる気がします。北側にも道が付いていたようですが、現在はふさがっているようなので南側からアクセスします。
普通車1台なら何とか通れるようですが、私は一目見て歩いて行くことにしました。比高もそれほどではないので歩いて行った方が良いですね。川が蛇行していて、そこに突き出た丘陵部の頂部に主郭が築かれ、現在は神社になっています。途中には腰郭が配され、西側の平地も郭の跡の可能性があります。主郭背後、東側には堀切があり尾根から攻めてくる敵を遮断しています。
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2024/11/24 15:44
下の城より (2024/11/09 訪問)
赤埴と名のつく城は二つあって、一つは赤埴上城、もう一つが赤埴下城でございます。いずれも赤埴氏の城ですが、下城のほうは上城の支城のようなものじゃないでしょうか。それほど攻略も難しくないとあれば、両方行きたくなるのが人情というもの。
では、御免なすって。
赤埴上城に向かう道沿いに城址への入り口があるので、そこから入ります。西に進んでいくとすぐに城址に突き当たります。南側から堀切を登っていくと、東が東郭、西が主郭になります。主郭の中はうっすら段になっていて、浅い堀切が有るようにも見えました。西側には堀切が二つあって、その先にも遺構はありそうですが、ここまでにして引き返しています。主郭の北側には腰郭がありました。
道路で隔てられていますが、かつては尾根上に展開する防塁のような城であったのかも知れません。
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2024/11/24 14:42
秋の萩・津和野(1/3)-津和野城へ登城 (2024/11/22 訪問)
秋の津和野城へ5年ぶりに登城してきました。JR津和野駅から徒歩で太鼓稲荷神社を通ってリフトに乗り本丸を目指します。
全体的に登城路が舗装されていて、以前より歩きやすくなっていました。しかし最後の本丸までは崩落があったのか、仮設階段になっていてその階段が鉄で滑りやすかったので気をつけて下さい。
頂上の本丸(三十間台)からは、津和野城下を見下ろす事ができます。とても爽快な景色です。また途中の石垣にうっすらと紅葉が映えた風景はとてもきれいでした。
しかしこの立派な石垣を見ると、なぜか私はこの石垣を築いた男、千姫が来るのを今か今かと待ちわびながら惨めな最期を遂げた、あの坂崎直盛(成正)の事を思い浮かべてしまいます。男版「恋するもののあはれ」ですかね? 詳しい経緯は私の前回の津和野城の投稿をよければ御覧下さい。
今夜は駅前のビジネスホテルに泊まり、明日は城下を巡ります。
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2024/11/24 12:55
ウダウダと・・ (2024/11/09 訪問)
宇陀松山城は南北朝時代に秋山氏によって築かれたとされますが、豊臣秀長の入封に伴い秋山氏は退出し、城主は次々に代わって行ったようです。近代化の改修はこの時期になされ、織田信雄が入封すると城は廃され、松山陣屋が置かれたようです。
春日神社の周辺に残っている石垣は陣屋時代のもののようです。春日神社から道が続いているので、そこから登城します。
今回3度目の登城になるので、きばらずにウダウダと行きたいと思います(ポカッ!)‥すみません、普通にやります。
登城道を進んでいくと、左手に扁平地が段々と続いていきます。杉の植林のための扁平されたのかと思うけど、けっこう昔から残っているものもあるようです。正直まぎらわしいので、扁平したら扁平したって解るようにしておいて欲しいですわ。
登って行くと舗装路に続いているスペースにでます。2回目の訪問の時はここに駐車してショートカットしたけど、今は車は進入禁止なのかな? 春日神社から登った方が雰囲気を味わえます。なんとなく本当にウダウダ投稿になってしまいました。
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2024/11/24 12:27
池上曽根史跡公園 弥生時代の環濠集落 大阪府和泉市池上町 (2024/11/03 訪問)
池上曽根史跡公園は南北1.5km、東西0.6kmという全国でも屈指の弥生時代の環濠集落の跡地に造られた公園です。吉野ヶ里遺跡の外堀が2.5kmだから、それ以上になるのかな? かなりの規模ですね。
さすがに大阪の町中でそれだけ大規模な遺跡の再現は無理なので、大型高床式建物をはじめとした数棟の再現にとどまっていますが、古代のロマンを感じますね。ただの集落でなくて環濠というのが良いですね。城のご先祖様にあたるので、敬意をもって訪問します(どないやねん)。関西にかかわる投稿なのでカッコの中のツッコミの人もエセ関西人っぽくなっています。
ちなみに私、愛知在住ですが関西の血が半分流れています(和歌山系)。
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2024/11/24 12:08
能島村上海賊の拠点の城 (2024/11/04 訪問)
しまなみ海道を通って大島に上陸、今治市村上海賊ミュージアムへ。1階エントランスで続日本100名城スタンプポン。ミュージアムは村上海賊三家の1つ能島村上氏に関する資料を中心に興味深い展示が並び、能島城の発掘調査をはじめ、村上海賊はパイレーツと異なることを解説しています。
ミュージアム前にある宮窪漁港から出る能島城跡上陸&潮流クルーズに乗船し登城開始。満潮時の穏やかな瀬戸内海を船で進み島全体が城である能島城へ上陸。ガイドさんの案内で、東南出丸、本丸、二の丸、三の丸と慌ただしく攻城する。それほど広くない城に200人ほど常駐していたとか、史跡として保存される前は島全体に桜の木があり海面が桜の花びらでおおわれ綺麗だったとか聞かせてもらいました。
予定どおり75分のクルーズを終え、ミュージアムのカフェで鯛だしたまごサンドを食べる。
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2024/11/24 12:06
2024/11/24 10:59
主郭を中心に遺構が充実している (2024/11/03 訪問)
烏帽子形城は国の史跡に指定されていて、大阪府の街中にしては良く遺構が残されています。公園に隣接していて駐車場も有るのですが親子連れが多くて停めれません。しかも展開するスペースが無いのでバックで戻ります‥とほほ。
さて、主郭に向かう近道は通行不能になっているので西の広場からアクセスします。急がば回れというやつですか。途中堀切などもあり主郭に近づくと、より城址の雰囲気が増して来ます。主郭は北側を除く周囲に堀や土塁が巡らされ、東には土橋もかかっています。主郭下、東側一帯に腰郭も配されているようです。北側の切岸は急峻で眺望もなかなかです。そういえばさっきの広場も城址になるのかな?
かつては楠木七城の一つとして、上赤坂城の支城の役割も果たしていたようです。土塁や堀切は戦国時代の物と見られ、楠木正季の子孫である甲斐庄氏が城主を務めていたようです。
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2024/11/24 10:29
南ルートしか登れない。 (2024/11/16 訪問)
ツバイ城‥。アイン・ツバイ(ツヴァイ)・ドライ‥ドイツ語で いち・にー・さん です。ガンプラ好きならおなじみですね。
ゼクアイン・ゼクツヴァイ・ゲードライ‥‥それはさておき。
椿井城は、あの島左近を輩出した島氏の城とされています。南城と北城がありますが、北城は遺構の保護・整備のため立入禁止になっているので未訪問です。でも北城に向かうルートは3つありますが、いずれも藪や倒木で閉ざされ、何年も人が入っていない様子。ずっとこのままの気がしますね。レーザーで調査するのも良いけど調査の基本は足ですぞ!
北ルートが駄目だったので南側から攻めます。段々暗くなってきますね。この日は朝から雨が断続的に続いているので暗くなるのが早い。でもいざという時の為の新しい忍者道具を持参しています。
尾根に取りつくと堀切に土橋がかかっておりその先に副郭が有ります。見晴らしは良好ですが、少し草木が多いです。
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2024/11/24 10:23
暁の登城 (2024/11/24 訪問)
延岡で1泊して朝の散歩がてらに延岡城を見に行ってきた。
まだ、日が昇る前の暗い時間から登り始め、天守台まで上がってきたタイミングで朝焼けで明るくなってきました。
千人殺しの異名を持つ高石垣も見応え十分でした。
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2024/11/24 10:14
整えられた城下町 (2024/11/22 訪問)
大きく湾曲した川の内側に築かれた城下町、飫肥。
城はきれいに切り込み積まれた石垣が印象的で、城下町も景観を残すよう整備され、合わせて観光できるように考えられていました。
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