久しぶりの佐和山城です。鎌倉時代初期、佐々木時綱が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝えられています。戦国時代、浅井氏、六角氏、織田氏が、この北近江の重要拠点を巡って攻防を繰り広げました。ただ石田三成の城というイメージが強い気がします。石田三成の時代には、五層の天守を構え、山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、東山道に面して大手門があり、二重に巡らされた堀の内には侍屋敷・足軽屋敷・町屋など形成されていたと伝わります。「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた佐和山城も彦根城の築城に際して破却され、石垣や建物が彦根城築城のため運ばれました。今は当時の雰囲気はありませんが、曲輪の跡や土塁、井戸、石垣のほんの一部などを観ることができます。
龍潭寺から登城しました。西の丸を経て本丸、千貫井、石垣を観て太鼓丸へ行こうとしましたが、太鼓丸は通行止めになっていました。12年前に来た時は行けたような気がします。また千貫井も前に来た時は祠がありましたが、倒木で潰れていました。太鼓丸の通行止看板の横に道があり進んで行くと法華丸方面への道でした。こちらからも登場路が整備されていると登って来られた方に教えていただきました。後で確認すると佐和山トンネルの脇に登城口があります。法華丸付近は深くは進んでいませんが、曲輪と思われる削平地がありました。二の丸方面へも行きたかったので道を探していると、西の丸から本丸へ上がる所に土塁を備えた曲輪があり、そこから二の丸方面への道がありそうでした。途中まで行きましたが、「私有地につき決められたルートをお通りください」と書いてあった案内板を思い出し断念しました。帰りは鳥居本方面へ下りて大手を見て帰りました。主要な場所は整備されていて気持ちよく散策できます。
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