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ぴーかる

桜町中将城 (2024/11/16 訪問)

【桜町中将城】
<駐車場他>滝川氏城のグランド下部の公園に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀
<感想>日帰り伊賀攻めの旅2城目。桜町中将城は1581年に第二次天正伊賀の際に織田信雄(桜町中将)の陣城として築城しました。登城口は<34.654479, 136.142319>の畑のあぜ道を南下して林に入るとすぐ左手に土塁と横堀が現れるのですぐ分かります。城跡は単郭方形の高土塁のある主郭のみで周囲を横堀で囲んでいます。主郭の周囲はやはり守りに特化した遺構は見られないが、主郭の北側の曲輪には井戸跡が残されています。石組でないところから見ると当時のものかとも思われます。土塁の高さはすごくて3.5mほどあり見応えがあります。虎口は南に切り虎口が1か所あります。良好に遺構が残されていていい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

天守閣と本丸御殿が現存する唯一の城。 (2013/12/14 訪問)

高知城は現存天守に現存の本丸御殿が残る唯一の城郭です。追手門など15棟の建造物が現存し、すべて国の重要文化財に指定されています。戦国時代ここには大高坂山城という城がありましたが、慶長6年(1601)西軍に与して改易された長宗我部氏にかわって入封した山内一豊によって本格的な近世城郭に築城されました。

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しんちゃん

祝「日本100名城かるた」発売決定! (2014/01/13 訪問)

おめでとうございます。クラウドファンディングで購入した「かるた」が届くのが楽しみです。

岡城は文禄3年(1593)中川秀成が播磨国三木より移封され3年がかりで大規模な修築を施し、近世城郭として整備されました。「荒城の月」の作曲家・瀧廉太郎が大分県出身であることから二の丸には瀧廉太郎の銅像があります。また「荒城の月」のモデルには会津若松城など複数の候補があるようです。
中央の頂部に本丸が置かれ、尾根上に曲輪が展開する、非常にスケールの大きい総石垣の城です。

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朝田 辰兵衛

見どころは二重空堀の他にも… (2024/10/26 訪問)

見どころは,虎口を抜けてすぐの二重空堀ですが,他にもあります。主郭北側の堀切です。足元に自信のない方や,悪天候時は,滑落の危険が伴いますので無理は禁物のエリアです。また,晴れていても日が当たらずに泥状態の部分がある登城路ですので,しっかり準備なさってください。
これで,山形県コンプまで,残り1ケタとなりました。

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しんちゃん

とう・・ (2018/01/03 訪問)

丸亀城は標高66mの亀山の周りを、麓から4段の石垣を積み重ねて完成した平山城で、石垣の合計の高さは60mにもなるそうです。壮大すぎる石垣と、てっぺんにちょこんと鎮座している天守閣のギャップが良いですね。何気に大手門も現存のもので、天守と大手門が残っている城は他には、高知城と弘前城だけだそうです。

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しんちゃん

で・・ (2018/01/05 訪問)

岡豊城は長宗我部氏の居城です。最近はなかなか長期休暇も取れないので四国に行く機会もありません。ちょっと26(ふる)い写真になりますが、載せさせてくださいませ。
構造としては主郭(詰)を頂部に置き、東に二ノ段、西に四ノ段、南に三ノ段と郭が害されています。郭の呼び名も特色があって良いですね。北西には竪堀群が配されていて、西に厩跡曲輪が独立して配されています。長宗我部氏の本城だけあって、なかなかしっかりした造りの山城(平山城)です。

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カズサン

2度目の登城-1/8 見所編 (2024/11/10 訪問)

 国史小田城は鎌倉期、鎌倉殿13人で活躍した八田知家を祖とした小田氏15代の広大な城域を持った平城 です、8年前の2月末の一般公開前で一部工事中の処も有った時期に初登城し見学できるエリアを廻りました、今回はその時に小田城跡歴史ひろば案内所は閲覧して居ませんでしたので、下野の国飛山城を終えて南に約50km超(昼食を入れて約2時間地道走行)で常陸の国小田城に2度目の登城と新しく開館してる「小田城跡歴史ひろば案内所」を見学初を兼ねて再度じっくりと見学したいと出掛けた次第。
 又小田城は南北朝時代南朝方に味方して、南朝の重臣北畠親房を迎え入れ、その折北畠親房が「神皇正統記」を起稿した事でも有名で石碑が案内所と北西入口の中間地点に黒く歴史の重みある石碑(写真は-8/8で掲載)が立っています。

 今回約百枚撮影したので、最初の一番目に小田城の見所ポイントを10枚にまとめてみました。
 ①本曲輪北虎口と土橋
 ②本曲輪北東突出し櫓台?
 ③本曲輪東虎口・木橋と城名石碑
 ④本曲輪南西虎口
 ⑤東曲輪を本曲輪北東角より
 ⑥南西馬出を南土塁上より
 ⑦本曲輪南西角の涼台を南西馬出より
 ⑧本曲輪北西角(出入口)
 ⑨本曲輪を北東角より南西方向に見る
 ⑩小田城立体模型(歴史ひろば案内所在)

 2度目の登城-2/8 東曲輪編に続く。
 

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駿府城

「デジタル技術でありし日の駿府城を再現しようプロジェクト」のPR動画ができました!

静岡市では、デジタル技術を駆使して「ありし日の駿府城天守」を高精細なVR映像で再現するプロジェクトを進めています。この取り組みは、駿府城公園やその周辺を訪れた方々に、駿府城の歴史の魅力をより深く理解していただくことを目指すものです。現在、このプロジェクトの実現に向けて、寄附を募集中です。詳しくはこちら(https://www.city.shizuoka.lg.jp/s6725/s013130.html#bosyutyukihu)をご覧ください。
今回、プロジェクトの魅力をより多くの方に伝えるためにプロモーション動画を制作しました。この動画では、春風亭昇太さんのナレーションとともに、駿府城の歴史や再現プロジェクト概要を臨場感たっぷりにお届けします。(https://www.youtube.com/watch?v=y9YBC1Ht1ac)
難波静岡市長よりメッセージが添えられています。ぜひご覧ください。

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イタさん

堀は面影くらいだが土塁はよく残る (2024/11/22 訪問)

連方屋敷は資料に乏しく、築城者・呼称の由来については定説化したものがない・・・、甲斐国志に蔵前衆頭。古屋氏との関連を推定・・、武田氏時代の直轄領の年貢・銭貨など管理・運営する、云々と説明板に記載されている。於曽屋敷と同じく私有地で、三分の一は民家・果樹・畑になっている。民家側では跡地の南の入口から西に向けて土塁が残り、北から西に向けても民家で入れないが、先に続いている。西の土塁はほぼ残らないが、道路寄りに僅かに残る高さのある土塁が見える。

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イタさん

特に南の土塁が圧巻 (2024/11/22 訪問)

於曽公園として整備されている。説明板のように、二重の堀と土塁に囲まれていたようで、外土塁は北側を除いて消滅。内土塁は他の三方向に残る。内堀は西と南に水路として残り、東は浅くなった凹地が残る。公園の南側には於曽第二公園が隣接する。第二公園の北西に、おそらく外土塁の一部であろう低い土壇がある。公園の半分は民家になり入れない。南の土塁の切れた門跡は、民家の入口二なりポストがある。塩山駅北口前には甘草屋敷(旧高野家住宅)があり、拝観料は要するが主屋の見学が出来る。

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イタさん

金上城跡(かねあげ) 茨城県ひたちなか市金上 (2024/11/18 訪問)

江戸氏の一族、金上氏の居城としている。溜池(金上溜)前の道路に駐車出来そうだが、近くのふれあいセンターにお願いしたほうが安全。池脇の切り通し状の道を入ると、左に石段が現れる。階段の数m先に若干上がる堀切状の窪みがある。上がれば民家が建ち、庭・畑になっている。石段を上がれば大きな郭で、中心に熊野神社が建っている。北側には土塁が残るが、草木が多く写真ではよく分からない。土塁の後ろが民家だが、地続きなので防御上、堀くらいの存在あったか。南には堀切は確認できるが、土塁以上に木々が密生しており、足を踏み入れられなかった。

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イタさん

武田氏館 茨城県ひたちなか市武田 (2024/11/18 訪問)

甲斐武田氏の発祥の地と大きく石柱が湫尾(ぬまお)神社鳥居前に立っている。説明板の概略は源頼義の子、新羅三郎義光は常陸介などに任ぜられ、三男・義業を久慈郡佐竹郷、三男・義清を吉田郡武田郷に土着させている。義清は地名から武田氏を名乗り、武田冠者と呼ばれ甲斐武田氏の祖となった・・・と載る。

板塀に囲まれた館が模擬復元されている。月曜日で休刊日のため門内には入れず。神社側から塀越に母屋・厩の上部のみが見える。神社の境内まで入れれば広さを確保出来そうだが、それでも館としてはこぢんまりしすぎる。神社のある字が塙とある通り台地の舌状部に位置するのは分かる。西は那珂川に続く湿地帯だろうし、東は台地続きだが館跡より数m低い。

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駿府城

東京駅八重洲口で静岡市のPRを行いました!

11月14日(木)・15日(金)に東京駅八重洲口で開催された沿線都市PRイベントに静岡市が出展しました。このイベントは東海道新幹線60周年を記念して行われ、多くの来場者で賑わいました。
静岡市のブースでは、駿府城や江戸城、浜松城などの精巧な模型が展示され、訪れた方々に静岡市の歴史と魅力を紹介しました。

静岡市は、温暖な気候に恵まれ、古くから今川氏や徳川家康公の城下町として栄えてきました。市内には日本平や三保松原から望む雄大な富士山の景色が広がり、自然の美しさを堪能できます。特に注目していただきたいのは、駿府城跡天守台発掘調査現場です。ここでは、当時の駿府城天守台を間近で見学することができ、歴史の息吹を感じることができます。静岡市の豊かな自然と歴史を体感しに、ぜひお越しください♪

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イタさん

椿城跡 千葉県匝瑳市椿 (2024/09/18 訪問)

説明板・案内は見当たらなかった。星神社の鳥居のはす向かいに台地に上がる道がある。如何にも虎口風な風景だが、単に車で畑地に行く為のものかも知れない。城跡は驚く程の広さがあるが、耕作地が一面に広がっている。区画されたような遺構は分からない。先人さんの情報に東と西側に土塁跡が見られるようで、近くに寄ってみたところ、高くはなく篠など植物が生い茂り判断がしづらい。周辺の台地の端はこんもりと植物が高い場所が多く、全て土塁跡かと見てしまう。遺構ではないが、星神社の社殿が建つ辺りの方が余程城跡らしく見えてしまう。

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イタさん

八日市場城址 千葉県匝瑳市 (2024/09/18 訪問)

説明板らしきものは見当たらない。主郭下の空堀跡に城址の標柱があるのみ。諸情報では、押田氏の築城と記され、天正18年に小田原北条氏が敗れると、廃城となったと。

駐車場辺りは帯郭の一部だろうか、北の斜面も二段ほどの帯郭を形成している。上に出がれば広大な広場だが、天神山公園として整備されている。こども広場のある周囲には、土塁か段差のある小郭か、遺構らしきものがある。主郭の東下にはかなり浅いが堀が見られる。堀の中に城址の標柱が立っている。主郭は二段になり、下には井楼風な展望台が建つ。上段には忠魂碑と、一段高い物見台らしき場所に神社が祀られている。主郭下の堀底は広大な郭(広場)の南下の帯郭風な平地が東隅まで続く。広場の東端に、遺構の中で一番と思う堀切がある。

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イタさん

閑かな集落の城址 (2024/09/18 訪問)

半分ほど隠れる説明板に、大きく三郭からなり、今でも地名に上の馬場、後里、御城など名残があるらしい。案内板のある農村公園は溜池があり、中央に弁財天を祀っている。ただ池は遺構ではないらしい。野手氏は千葉氏の一族だが、徳川家康の江戸入城後に本田氏により討伐された、と読める。

広範囲に広がっているようだが、遺構らしいものは分からず。地図上の野手城跡の印辺りは民家・畑になり、反対側には朗生寺があり、お寺周辺も中心部だったのだろうか。

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イタさん

浅くはあるが堀幅は見事 (2024/10/14 訪問)

説明板は色あせ・塗料はがれで、縄張図・文字が判別しづらい。築城した阿久沢氏累代の墓がある正円寺は、天正18年以降、廃城になった後に移っているとのこと。

お寺の北側に堀跡・土塁があるらしいが、お参りするだけで犬に吠えられ続けるので遠慮した。お寺の東に、その続きと思われる堀切がある。本丸北側はかなり埋まった堀だが幅は広く、南下には二の丸との堀の底から続く帯郭があり、本丸との高低差がすごい。二の丸の東にも台地を分断する堀が見られ、自然地形かも知れないが竪堀状に南に落ちている。

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イタさん

梅原館跡 群馬県桐生市 (2024/10/14 訪問)

説明板の概略は、本館址は平安末期から鎌倉時代初めにかけ、この地を根拠とした足利俊綱の家臣、桐生六郎の館跡と推定される。その後桐生城を築き、その麓に居館を移す・・・。南の一部、北の大部分、西の土塁の一部が明らかに存在して、外側の堀は大部分埋まっている・・・、と記されている。
 薬師堂の裏(北側)は墓地で、背後は土塁と思われるが、奥の民家地は土塁と高さが変わらない。薬師堂の建立時に削平した残りと思えたが、民家側が土盛りおして高くしたかも知れない南は分からないが、西には一部土塁が確認出来るし、民家との間が僅かに低い。

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イタさん

西に渡良瀬川の渓谷が紅葉で有名 (2024/10/14 訪問)

現地案内板に、山田七郎吉之が築城、十代目の則之の時、桐生国綱に滅ぼされる。その後、里見家七代・義連の三男・氏連が桐生氏より任され、仁田山八郷に入る・・・。

展望台・トイレのある駐車場があり近くまで行ける。駐車場も南端の郭だったようだ。散策路の入口は如何にも虎口を思わせる。要害神社の建つ主郭まで、数段の腰郭が見られる。主郭下には腰郭が一周する。主郭・周囲は土塁・堀跡は分からなかったが、主郭から北尾根には少なくとも二条の堀切が見られた。

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チェブ

【日本100名城かるた】発売、おめでとうございます。

おめでとうございます!「日本100名城かるた」発売するんですね。
これは、お城EXPOに駆けつけねばなりません。
そして、ダルマに右目を書き入れたいと思います。
只今、仕事中。
喜びの気持ちを早く伝えねばと思い投稿しました。

城びとスタッフの皆さま、ありがとうございました。

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