「球磨川に 打ち勝ち復興 人吉城」
(くまがわに うちかちふっこう ひとよしじょう)
【祝!人吉城完全復旧🙌】
待ちに待った人吉城歴史館が復旧!(写真①)。あみりんさんの投稿を拝見して知り、いてもたってもいられず、猛暑の中を行って来ました。情報ありがとうございます。
2020年7月九州南部豪雨で球磨川が氾濫、濁流は堤防を越え人吉城は完全に水没しました(写真②③)。歴史館は屋根の下まで水泥につかり、相良氏の貴重な数百年間保存され続けてきた家宝や資料も、水泥に浸かってしまいました。あれから5年、歴史館以外は昨年復旧を終えていましたが、ついに最後の歴史館も復旧です。家宝や資料の修復は相当大変だったと思います。私は正直「無理かな」と思っていたので、あきらめずに努力された関係者の皆様には頭が下がる思いです。本当にお疲れ様でした。でも安全のため6~9月の増水時期に家宝はまだ展示されないとの事、よって今回は見られませんでした(ガク!)。10月に出直しです。100名城スタンプも歴史館入口受付前に移されていますので御注意下さい。
その代わり「謎の地下室」は見学する事ができました(ラッキーです!)。川より3m高いにもかかわらず水量が一定に保たれているのは不思議です。ここは藩主へ逆らい「御下の乱」を起こした相良清兵衛の屋敷跡の地下だそうです。井戸だけでなく抜け穴か何かのからくりがこの奥にあるのでしょうか? いまだ謎が解明されていないようです(写真⑤⑥)。
また跳ね出し石垣復旧のための解体工事中に、新たな発見がありました。ここは江戸時代初期「相良長毎」により石垣(下半分)が積まれ、その上には当時は塀がありました。しかし1862年に城下であった寅助火事の時、火の粉が飛んできて塀やその奥の御殿まで焼失するという大惨事となりました。石垣の上に御殿は再建されたのですが、再び燃える事を防ぐため、この上には再び塀ではなく4m石垣を高く積み増して、かつ跳ね出しをつける事で防火機能を高めたされていました。今回その積み増しした境目の部分から、焼けた地層が発見されたそうです。これで寅助火事が本当にあった事が、資料以外でも証明されたという事でした(写真④⑤)。
帰りに少し足を延ばし人吉駅まで行ってきました。駅前には引退した「SL人吉」が展示保存されています(写真⑩)。JR肥薩線に復旧の目途が立たず、運転や整備のできる人もいなくなったため、SL人吉号は昨年現役引退しました。今はここで静かに展示保存されています。こちらもお疲れ様でした。
+ 続きを読む











