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ぴーかる

采女城 (2025/01/18 訪問)

【采女城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.929929,136.573471>のポイントが橋の交差の待避所になっていて、2台程駐車できる。
<交通手段>車

<見所>横堀・曲輪・切岸
<感想>現地の由来書き板によると采女城は、1260年三重郡の地頭となった後藤基秀がこの采女山に築城したのが始まりとされます。以来三百有余年後藤氏が続きますが、1568年に織田信長によって落城します。
 城跡は大きく9つの曲輪に分けられていて、各曲輪は周囲を横堀で囲んで単体で独立した曲輪構造になっています。7郭は6郭の下段、9郭は斜面の削平地で横堀は備えていないが、それ以外の郭は深い横堀と郭は土居で囲んでいて、ひとつひとつの郭を見て巡るのが非常に楽しかった。登城口から少し登ると、正面に虎口郭が立ち塞がっています。虎口郭から右方向の堀底道を進むと8郭、左方向に進むと5郭に行きます。5郭南側の横堀を降り渡ると6・7郭に行けます。主郭の奥に2・3郭があり、3郭西側堀切を渡り4郭があります。3・4郭の南側が谷になっていて谷底郭になっていた様子で所々段が残っています。4郭の西側がスロープ状の斜面を降りて行くと小さな9郭の削平地があります。
 こういう城郭構造は近畿(三重県だけど、もう近畿に入れちゃえ!)には珍しく、後日談になりますが、埼玉県の比企城跡群の1つ、武蔵松山城と非常によく似ていて、武蔵松山城に行った時にこの城跡がフラッシュバックしました。築城年代と場所と築城者が全然違えど、似た城郭構造のお城もあるもんだと感心しました。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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しんちゃん

日枝神社が西城跡 (2024/09/17 訪問)

青山城は鎌倉時代初期の関東武士・佐原十郎義連の孫、五郎左衛門尉盛時の子孫の佐原氏(加納殿)の居館が有ったとされています。かつては東城と西代があったとされますが、現在確認できるのは西城のみで、日枝神社の一帯に築かれていたようです。
日枝神社の置かれた丘陵の頂部が、物見台で、周囲にも郭がありますが、確かにこの時期は藪がきつくて散策には向いていません。北と南に郭があり、土塁が残されているようです。

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しんちゃん

壮大な土の城 (2025/03/15 訪問)

新府城は武田勝頼が長篠の合戦に大敗した後の天正9年に築いた城です。西は七里岩の断崖絶壁で北と東には堀を配しいています。大手は南に付きますが、三日月堀や丸馬出、枡形虎口に小型の枡形などが複合して防御力を高めています。見ていて、一番テンションが上がるのが、この南側の遺構です。本丸は非常に広く、この新府城の特徴ともいえる部分です。
本丸以外にも二の丸・馬出・東三の丸・西三の丸などの曲輪を備えていて防御力も高いです。北側が搦め手になりますが、堀を迂回して攻め込んで来る敵を東と西の鉄砲出構が迎え撃ちます。矢もビュンビュン飛んで来るので乾門までたどり着くのは困難だと思います。
甲州流築城術の集大成とも言える城ですが、天正壬午の乱の際に徳川家康が本陣を敷いたとされるので・・微妙に嫌な予感が・・

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ぴーかる

大河原氏城 (2025/01/18 訪問)

【大河原氏城】
<駐車場他>うぐい川公園駐車場
<交通手段>車

<感想>先達の投稿からここは私有地?の山なようなので、憚られました。入り口正面の写真を撮影して終了しました。おまけで行ったポチさせてもらいます。m(_ _)m

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dougen

2019.12.27登城 (2019/12/27 訪問)

島田市北部の山間部にある石上地区に石上城址があります。
城址は市の史跡に指定されていますので、整備がされており、問題なく散策できます。
遺構としては、小規模ながら郭跡や堀切などの遺構が確認できます。

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朝田 辰兵衛

どの季節においても,一長一短を感じる城…🏰 (2025/03/15 訪問)

三の丸は雪が深くかなり緩かったため,私が歩くことで全層雪崩を誘発する危険を感じました。土塁の下を右に行くと井戸があるハズでしたが,突入を断念しました。
ただ,本丸~二の丸間の堀切を撮影するには,ベストシーズンだったと思います。他の方の投稿を拝見しても,かなり厳しい季節に攻城されたようで,イイ画像はなかったように思います。
天守台背後下に物見のような曲輪がありましたが,ここも私が歩くことで全層雪崩を誘発する危険を感じました。
どの季節においても,一長一短を感じる城だと思いました…。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「内守谷城」 (2025/03/01 訪問)

前回、投稿した「弘経寺」から、欲を出して「内守谷城」へ転戦。
こちらは、どなたがいつ頃に築城したのかは不明です。
単純に名前から「守谷城」と関係があるのかもしれませんが、位置的には「菅生城」が近いです。

車では不向きな道路が続きます。細いしアスファルトはヒビだらけ。これはJAFが助けに来れないレベルです。
ナビの案内では曲がれと指示しますが、側溝に落ちそうです。
ぐるっと大回りして「内守谷城」に到着。
『香取神社』がありました。
遺構等は分かりません。雰囲気は、あります。
新しい赤いニット帽を目深にかぶった大黒様がいらっしゃいます。

誰のお城かは分かりませんが、近隣の方々が大切にされているのが分かった「内守谷城」攻めでした。

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イオ

続々・『城めぐりのきっかけ』告白リレー

ヒロケンさん、とある煩悩の登城目録さん、『城めぐりのきっかけ』告白リレーへのご参加ありがとうございます。ほんの思いつきからこうして皆さまのお話を伺えて、ありがたいやら自らを省みてお恥ずかしいやらですが…。

ヒロケンさん
人生というのはいろんな人や物事との出会いによって紡がれていくものなんだなぁ、と改めて。ヒロケンさんを城めぐりに導いた先輩が早逝されたことは言うべき言葉もありませんが、自分のことを忘れずにこうして城めぐりを続けていてくれることは、きっと喜んでおられますよね。私もヒロケンさんの先輩のように、死後も誰かに思い返してもらえるような人との関わり方をしていきたいものです(城めぐりに限らず)。

とある煩悩の登城目録さん
やっぱり100名城スタンプラリーの影響力は大きいんだなー、と。最初は何となくだったとしても、小谷城のような名城に出会ってスイッチが入るきっかけになるという意味でも。そしてさらにハマれば(続)100名城に限らず、城びと登録城にも限らずに行くようになる……全くもって共感しかありません。とある煩悩の登城目録さんの投稿を拝見して小谷城にもまた行きたくなりましたし、良い城には何度でも再訪したいですよね。


ところで…

あさん、遅ればせながら大阪・京都コンプリートおめでとうございます。滋賀と奈良はコンプ済み、兵庫もリーチとなると近畿で残すは和歌山のみですね。先日、和歌山の未投稿4城は県民としての責務、などと申しましたが、あれは「オレの獲物だ、手出し無用」という趣旨ではなく「和歌山中南部の人跡未踏の城に県外から来てもらうのも申し訳ないしなぁ…」というようなものなので、行こうというお気持ちがあれば、どうぞ気兼ねなく一番槍つけちゃって下さい。

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ryu

残雪の若桜鬼ヶ城 (2025/03/09 訪問)

鳥取からJR因美線とバスを乗り継いで若桜町に着く。
若桜町観光案内所で荷物を預け、若桜鬼ヶ城の情報を収集すると、まだ雪が残っていて登城は危険なのでおすすめはできない、登るなら自己責任でお願いしますとのこと。
冬眠から早起きしたクマと出会うと嫌なので、持ってくるのを忘れた熊鈴を借りて登城する。

八幡広場登山口から登るも登り出しから思った以上に雪が残り、踏み抜くと膝下までイボる。
予想外の雪山登山となったが、山頂の本丸からの眺望は素晴らしい。下山は六角石垣を見て周回、町民体育館登山口に下山する。

スタンプが置いてある観光案内所の方はとても親切で登城前にぜひ立ち寄ることをお勧めする。

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ryu

鳥取城探訪 (2025/03/08 訪問)

わかさ氷ノ山スキーと兼ねた山城探訪。

鳥取駅から100円循環バス「くる梨」緑コースで仁風閣で下車。
北の御門跡から入り、西坂下御門→三階櫓跡を経由して、まず山上ノ丸(久松山山頂)を目指す。仁風閣前から約30分で山頂。
天守跡からは鳥取市街や鳥取砂丘を遠望できる。
東坂の上城門跡、登石垣を見て下山。

山麓の山下ノ丸で天球丸→巻石垣→太鼓御門跡→復元工事中の中ノ御門→西坂下御門→二ノ丸登石垣→三階櫓跡と見てまわる。
仁風閣は保存修理のため長期休館中でガイダンス施設「鳥取城・仁風閣展示館」にスタンプがある。

探訪後、鳥取砂丘に向かい、砂丘を散策する。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

野崎駅の西側にある三箇菅原神社が三箇城址となります。
遺構は残っていませんが、城址の石碑が設置されています。また、三箇神社の解説板に三箇城についても触れられています。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

高石駅の南東にある専称寺が綾井城址となります。
山門の前に水濠跡の遺構が残っています。城址の標柱や解説碑が設置されています。

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dougen

2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)

泉大津駅の北西にある南溟寺が眞鍋城址となります。
遺構はありませんが、城址の石碑と手作りの解説板が設置されています。

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シェル

文禄・慶長の役の拠点 (2025/02/26 訪問)

 唐津バスセンター(大手口)の2番乗り場から朝の始発のバスに乗車し、約1時間で到着。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の拠点となった陣城です。周辺には、全国の諸大名の陣屋跡も残されています。案内板や説明板は、一部「信長の野望」仕様になっていました。さすがに陣屋も巡りはじめてしまうと、時間が足りないので、名護屋城を名護屋城歴史博物館が開くまでの時間を利用して、2時間かけて巡ってきました。
山里口→広沢寺→上山里丸→水手口→船手口→二の丸→遊撃丸→搦手口→馬場→三ノ丸→本丸→(下山)→東出丸→大手口の順で見学。
 各曲輪の石垣が、尋常ではない規模で、さすが秀吉の城といった印象です。また石垣の隅角部を壊したものや、等間隔でV字に崩されたものなど破却された石垣も随所に残っています。石垣の破却の様子を見ることができる貴重なお城でもあるなと感じました。
 一通り見学を終えて、名護屋城博物館へ。100名城のスタンプは、受付で押印できました。あいにく常設展は改装中で見学できませんでしたが、企画展示の方は見学することができました。
帰りは、博物館から少し歩き、「鎮西市民センター前」というバス停から、乗り合いタクシーを利用して、呼子でバスに乗り換えて唐津に向かいました。

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イオ

麒麟がくる紀行(東奔西走)

(続き)

明智光秀は丹波攻めの前から織田信長の命により朝倉・浅井攻め(福井県・滋賀県長浜市)、高屋城(大阪府羽曳野市)の戦い、長篠の戦い(愛知県新城市)、越前一向一揆攻め(福井県)と東奔西走していましたが、さすがに信長肝いりの丹波攻めの間くらいは専念させてもらってたんだろう…と思いきや、丹波攻めを始めて間もないうちに越前・丹後への援軍を命じられるわ、丹波攻めが頓挫するや石山本願寺(大阪市中央区)との戦いに駆り出されるわ、天王寺の戦い(大阪市天王寺区)の後には過労(赤痢とも)で倒れ、療養の甲斐あってようやく快復したと思ったら今度は妻の熙子が病死…。光秀にとって心身ともにつらい時期だったことでしょう。

それでも東奔西走の日々は続きます。雑賀攻め(和歌山市)、信貴山城(奈良県平群町)の戦いに続いて丹波攻めを再開するも、羽柴秀吉の援軍として神吉城(兵庫県加古川市・未訪)攻め、信長に反旗を翻した荒木村重が籠る有岡城(兵庫県伊丹市)の戦いに動員されるなど、やはり専念はさせてもらえませんでした。それでも何とか丹波平定を果たし、京都御馬揃えの運営責任者も無事に務め、甲斐武田氏を滅ぼして安土城(滋賀県近江八幡市)での徳川家康の饗応役を命じられたところで光秀に一大転機が訪れます(続く)。
 

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todo94

献血前の攻城② (2025/03/15 訪問)

駒城からの転戦です。駒城からはかなり離れていますが、水戸に向かう途次に立ち寄ったということです。今回はグーグルマップの記載を頼りに周辺を散策してみました。まずは、龍泉院を経由して大門跡へ。すぐわきの民家には大門を意識したかのような立派な門が建っていました。大門跡前の用水路のような川は外堀の跡のようです。川沿いの道に出て歩いていくと、蔵屋敷土塁跡。ただの竹藪にしか見えませんが中に土塁が潜んでいそうです。主郭跡のポイントは小高くなっていて墓が鎮座していました。すぐ近くには二郭土塁跡。最後に新善光寺で締めとしました。

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赤い城

東郭群(古城)と内構 (2025/03/09 訪問)

三重堀切から本丸のある東郭群を目指しさらに進みます。
途中のアベノ門跡には「本丸跡600m」の案内板。
あとわずかです(感覚がマヒしてます)。

堀切から急勾配を登っていきます。
残雪を踏みしめながら滑らないように慎重に登って行きました。
さすがに標高高い、途中の岩肌からは立派な氷柱が垂れています。

登って3時間、ようやく本丸に着きました!
達成感😀
本丸は崖で守られ、見下ろすと断崖、落ちたらひとたまりもないです。
崖の向こうには小筈も見えます。
とてもあちらには行けません。

帰りは美作河井駅に向かって北側に降りる予定でしたが雪が積もっていたため断念。
元の道を復習しながら下山しました。
往復5時間の攻城は大満足。

麓に降りたあと内構と呼ばれる草刈氏の居館跡に立ち寄り。
石垣の残る広い館跡です。
こちらからも登れるとのことですがいつかチャレンジするのかな?

美作と因幡に勢力を持った国人領主草刈氏の居城です。
秀吉や宇喜多氏の攻撃を退けた堅城です。
麓から見ると山頂がV時に窪んでいて矢の末端の弓に掛ける部分に似ていることから矢筈城と呼ばれています。

【見どころ】
・崖の上の本丸
・本丸からの眺望
・土塁が付いた曲輪
・内構と呼ばれる居城跡


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しんちゃん

マグマで形成された丘の上に築かれている。 (2024/09/16 訪問)

猪苗代城は地元では亀ヶ城と呼ばれているようです。三浦氏の一族・佐原義連が奥州征伐の軍功で会津四郡を与えられ、その子盛連の長男・大炊介経連が猪苗代を領して、猪苗代氏を名乗り当地に城を築きました。
14代盛胤は天正17年(1589)「摺上原の戦い」で蘆名方に属し敗れ、湖南横沢に引退し、城主を頂く猪苗代城の歴史は終わりました。ただし廃城にはならず、城代が置かれ、戊辰戦争で焼失するまで会津の守りの城として健在でした。
城が築かれている丘は、20~40万年前に古磐梯火山の赤埴山を形成した火山活動によって、噴出したマグマなどが溜って形成されたとされています。一部崩壊してはいますが、石垣で整備された近世城郭で、本丸に至るまで、さまざまな石垣を楽しむことができます。

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宗春

キュンパス使って仙台日帰り弾丸城巡り その2 仙台城 (2025/03/12 訪問)

JR東日本のサービス「キュンパス」を利用して、仙台日帰り城攻め&仙台東照宮参拝&牛タン・ずんだフロート堪能弾丸ツアーしてきました。

その②は仙台城
前回訪問時(2022/10)は修理中でお目にかかれなかった伊達政宗公騎馬像を拝んで来ました。
また、前回通れなかった道が徒歩のみ通れるようになっていたので、前回見られなかった遺構(中門跡)が見られました。

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宗春

キュンパス使って仙台日帰り弾丸城巡り その1 多賀城 (2025/03/12 訪問)

JR東日本のサービス「キュンパス」を利用して、仙台日帰り城攻め&仙台東照宮参拝&牛タン・ずんだフロート堪能弾丸ツアーしてきました。

その①は多賀城
前回訪問時(2022/10)には説明パネルしか無かった外郭南門が復元されたので、見に行ってきました。ついでに、南門復元記念の御城印と南門がデザインされたマンホールカードを頂いてきました。

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