茨城県龍ヶ崎市の「馴馬城」は歴史民俗資料館の奥に遺構があります。
、、、実際、よく分かりませんでした。空堀かな?と進むと民家で、遺構かは分かりません。
「馴馬城」は文献資料によると、南北朝時代にあったようです。
南朝方の、春日 顕国さんが籠城し、北朝方の 宍戸 朝里さんに攻略されました。
お二方とも、初めましてで、どのような方々なのでしょう?
そして、写真③が「馴馬城」として写したつもりですが、何を写したのだか自分でも分かりません。
ちょっと歩くと、『来迎院』がありました。
多宝塔があり「江戸崎城」の城主が室町時代に修築したそうです。て、ことはもっと古い建築物です。
どっしりとしてますが、木々の組み方が繊細です。
多宝塔の後ろには涅槃像が横たわってお休みしてます。最近、足がつるので、仏様の足をなでなでしてきました。肩こりや腰痛もあるんだよな~と、仏様も目を覚ましちゃうんじゃないかと言う位、うろうろ。
*写真はありません。なでなでに一生懸命で忘れました。
「馴馬城」攻めのついでに『来迎院』、いかがでしょうか?
プロフィール写真を変えました。
、、、緑は目に良いから、が理由です。
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