なれうまじょう

馴馬城

茨城県龍ケ崎市

別名 : 馴馬沼田城、馴馬楯
旧国名 : 常陸

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空堀
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歴史民俗資料館の裏 (2024/03/30 訪問)

 龍ヶ崎城跡から徒歩30分ほどで到着。龍ヶ崎市歴史民俗資料館の裏手が城跡にあたります。資料館の駐車場奥に城址の入口があり、説明板が設置されています。
 先の投稿の龍ヶ崎城は戦国期の土岐氏のお城でしたが、こちらは南北朝時代のお城跡です。
 南朝の北畠親房の傘下であった春日顕国が大宝城(茨城・下妻)の陥落後、北朝の攻撃から逃れ、馴馬城を占拠。ここで北朝方に抵抗するも最終的には落城したとのことです。南朝方の城郭であったということで、戦前に県の史跡に指定されたようです。
 説明板の入り口から城跡に入ると土橋と空堀の遺構を見ることができます。
 空堀の中を南に進むと、城址の標柱が左側の木々の中にあります。(少し見つけにくかったです。)

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チェブ

多宝塔と涅槃像。 (2023/02/25 訪問)

茨城県龍ヶ崎市の「馴馬城」は歴史民俗資料館の奥に遺構があります。
、、、実際、よく分かりませんでした。空堀かな?と進むと民家で、遺構かは分かりません。
「馴馬城」は文献資料によると、南北朝時代にあったようです。
南朝方の、春日 顕国さんが籠城し、北朝方の 宍戸 朝里さんに攻略されました。
お二方とも、初めましてで、どのような方々なのでしょう?
そして、写真③が「馴馬城」として写したつもりですが、何を写したのだか自分でも分かりません。

ちょっと歩くと、『来迎院』がありました。
多宝塔があり「江戸崎城」の城主が室町時代に修築したそうです。て、ことはもっと古い建築物です。
どっしりとしてますが、木々の組み方が繊細です。
多宝塔の後ろには涅槃像が横たわってお休みしてます。最近、足がつるので、仏様の足をなでなでしてきました。肩こりや腰痛もあるんだよな~と、仏様も目を覚ましちゃうんじゃないかと言う位、うろうろ。
*写真はありません。なでなでに一生懸命で忘れました。

「馴馬城」攻めのついでに『来迎院』、いかがでしょうか?
プロフィール写真を変えました。
、、、緑は目に良いから、が理由です。

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城好きのメガネ

「馴馬城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
馴馬城は、南北朝時代に南朝方であった春日顕国が拠点としたとされる。現在、遺構は消滅している。私有地であるため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
関東鉄道竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅 徒歩15分

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小城小次郎

いろいろはっきりしないのではあるが (2021/02/27 訪問)

どこまでが遺構なのかはっきりしないお城ではあるが、南北朝時代に春日顕国が拠ったというあたり関城や大宝城と同じようなものと思えばよいのだろう。明確に南朝方のお城なのに国史跡になれなかったのがちょっと不思議ではある。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 春日顕国
築城年 南北朝時代
主な城主 春日氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)、土橋
指定文化財 県史跡(馴馬城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 茨城県龍ケ崎市馴馬町2507
問い合わせ先 龍ケ崎市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0297-60-1563