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難波田城公園 (2025/07/31 訪問)

 武蔵七党のひとつ村山党に属する金子氏の一族難波田氏の城と伝わっています。難波田城公園として整備され水堀、土塁等が復元されています。

 公園の北側に本丸土塁が残っているとの情報がありましたが、今回は行っていません。

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長命寺 (2025/07/31 訪問)

 豊島氏の一族板橋氏の居城と伝わっています。長命寺、上板橋小学校付近が城址です。
上板橋小学校校門近くに石碑と説明板があるとのことで行きましたが、業者の車が校門内に多数停車していて石碑も説明板も校門の外からではほとんど見えません。作業中のようで何人かの業者の方はみえましたが、小学校の職員らしき方の姿はありません。無断で敷地内に入ることはできないので石碑、説明板の写真を撮ることを断念して撤退しました。夏休みということで児童さんもいないだろうと思い校門の外から写真撮影するつもりでしたが、やはり夏休みを利用して作業されていたのでしょうね。誤算でした。

 東武東上線「ときわ台駅」から徒歩10分くらいでした。

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しんちゃん

ありがとうございます 

トクさんへ
熊本城はさすがに早かったのでもう削除してあります。くまモン情報ありがとうございます、勉強になりました。

イノシシ、鹿、カモシカのフンは形状に特徴があるので見れば容易に判断が付きます。
私が見たのは宮崎の日南市です。馬と牛がいるはずもない山の中でした。またサイズからして犬のモノではないと思います。

実は本州には熊を勝手に放獣していた例があり、その類の人たちが九州の特定の場所に目を付けたのではないかと心配しました。
逆にそれ以外の九州の山の中では熊の痕跡は一切見ていません。日南市だけですね。
一件は鵜戸神宮に近い山中、ここのフンはかなり大きかったです。
もう一件が酒谷城です。ここには大量のフンがあり、和歌山の赤松城と島根の未踏の山中に大量にまき散らしてあったフンとよく似ていました。九州には熊がいないという話だったのですが、特定の場所で見慣れたものを見てしまったので、不思議に思った次第です。
九州の山の中に牛や馬が放し飼いでいるとも思えませんが、確認したところ、いずれとも特徴が異なります。
人フンとも異なりますし、熊でなければ現状、落とし主不明の謎のフンですね。

島根・和歌山・富山の未踏の城は普段、人が来ない場所が多いので熊のフンとの遭遇率は非常に高かったです。実はけっこう人里のすぐ近くまで来ているんですよ。私にとって獣のフンの情報は重要なのでいろいろ調べてあります。

思い違いであれば良いとは思いますが、九州には熊がいないので駆除の対象になっておらず、捕獲した熊をトラック等で、騒動になり難い地域に持ち込んで来ている可能性を心配しました。この件はずっと頭の片隅に引っかかっています。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

河岸段丘 石垣眠る 三戸城
(かがんだんきゅう いしがきねむる さんのへじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「泣く子はいねがー」城下にこだます 脇本城
(「なくこはいねがー」じょうかにこだます
わきもとじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

高低差 歩いて実感 花巻城
(こうていさ あるいてじっかん はなまきじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

共に生く アイヌ憶えし 勝山館
(ともにいく アイヌおぼえし かつやまだて)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

荒波の彼方 春待つ 松前城
(あらなみのかなた はるまつ まつまえじょう)

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トク

熊本城(くまモン)と九州の城

【しんちゃんへ】
くまモンは、熊本城前にある「くまモンスクエア」に、ほぼ毎日出勤しています。そこに行けば会う事ができますよ!(無料:HPで出勤時間確認要)。よって今度来られた時は、ぜひくまモンスクエアまで足を延ばして下さい。ただし子供が多いです(笑)。また日本各地のイベントに出張している影武者を含め、くまモンが計何匹いるかは今だ謎になっています。

そして九州には野生の熊はいません(島根県が日本の南限です)。よって、しんちゃんが以前に宮崎で見たフンは、インシシか牛か馬か犬のフンだと思います。安心して九州の山城に来てください(笑)。
 

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ぴーかる

船上山城 (2025/06/07 訪問)

【船上山城】
<駐車場他>船上山登山口展望駐車場に駐車しました。飲み物必須。
<交通手段>車

<見所>土塁・智積寺跡石垣
<感想>尼子十砦制覇旅1城目。船上山城は南北朝時代に伯耆守である名和長年が隠岐を脱出した後醍醐天皇を迎える為に行宮を築いたのがはじまりとされます。後醍醐天皇はここで幕府方の軍を迎え撃ち、80日間行在したそうです。
上記駐車場からは東のルートを登って行くことになります。駐車場の前に現地案内板があり登山口があります。途中に分かれ道があって、探勝道(横手道)の看板があり急峻で健脚向きとあります。あさんもチャレンジしたルートなので負けてられない、迷わず探勝道を選択して登りました。途中までの横道は屏風岩の真下の横道を通るので迫力がありますが、屏風岩からの正面登山道が急峻でハイキングレベルではありません。私も息があがりました。お勧めできないので、距離は長くなりますが、屏風岩を間近で見たい方は見たら、東ルートに戻って登るのを勧めます。
 東ルートを登りつめると休憩所に出ます。山上は東西に長い平地になっていて、東端は武者溜まりのような平場になっています。西に向かって進むと智積寺跡と思われる石積み虎口跡があり、ここから先が曲輪・坊跡の土塁遺構が見られます。船上神社の手前に寺院跡の石垣遺構が見られます。行宮跡は船上神社本殿の裏手の小道を進むと奥の院がありますので、奥の院の数十メートル手前に案内があります。行宮は土塁囲みの曲輪になっていて虎口土塁には少し礫石があります。
 時の帝が島流しになるのも平和な今となってはすごいことだし、また脱出してこんな急峻な山の上を御座所としてここから倒幕の綸旨を出して巻き返したのもすごいことだと思いました。歴史感じる場所でなかなか良かった。

<満足度>◆◆◇
 

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/13 訪問)

「四角形? 実は五角の 宇和島城(しかくけい? じつはごかくの うわじまじょう)」
宇和島城の外郭は一見四角のように見えて、南東に一辺多い五角形になっています。合戦の際にはダマしの効果もあると思います。
二の丸、本丸の形状はもっとエゲつなく、余湖さんの縄張図を見ると、さんざん走りまわされた挙句、矢や銃で火だるまにされる様が目に浮かびます。山鹿流を取り入れた赤穂城の本丸も、なかなか凝った形状をしていましたね。
個人的には山鹿流とか国学とか言ってる人は、なんとなく胡散臭いな~と思ってたりしますが(〇田〇陰とか)。

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todo94

【赤色立体地図かるた】 (2011/02/19 訪問)

とろろ汁と まあるい遺構の 鞠子城 (とろろじると まあるいいこうの まりこじょう)

14年前、東日本大震災の20日前に行われた「まーるい城ミニオフ」にて訪れた思い出の城です。三日月堀、砲座のごとき半円形堡塁といったまあるい遺構が特徴的な鞠子城ですが、他にも見どころいっぱいで数え上げたらきりがありません。赤色立体地図でもはっきりと特徴が表現されることと思います。ミニオフの締めには弥次喜多も舌鼓を打った鞠子宿名物のとろろ汁を頂きました。読み間違え防止のため、敢えて「鞠子」の宿場名を使ってみました。続100名城選定のアンケートでもかなりの票を集めたはずの丸子城。今回の選定を喜んでいるお城Fanは多い筈です。

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シェル

幕末まで残った栃木の石垣の山城 (2025/04/25 訪問)

 JR烏山線の終着駅 烏山駅から三ノ丸(麓)まで徒歩20分です。
 そして裏ルートとして、茨城県常陸大宮市の道の駅 みわ から那須烏山市営バスが県境を越えて烏山駅まで運行されています。今回はそちらを利用して茨城から烏山へ向かいました。(本数は1日4本ほどですので注意)市営バスの「鍛冶町」というバス停で下車し、そこから三ノ丸(麓)まで徒歩15分くらいでした。
 駐車場は、那須烏山市役所烏山庁舎の北側駐車場が利用できます。駐車場には、烏山城の案内図が設置されていました。
 駐車場から登城口(七曲口)へは、県道10号線を道なりに北に進んで行くと、城址入口の案内板があり、そこを左に進むと、三ノ丸跡に到着です。
 麓の三ノ丸居館跡には、関東では数少ない石垣があります。
 三ノ丸から大手の七曲口方面へ進んで行くと、パンフレットの入ったボックスが設置されています。
 七曲がりを登りきると山城エリアに入ります。
 山城エリアは本丸、古本丸、中城、北城、西城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪の大きい曲輪を中心にそれに付随する曲輪で構成されています。
今回は、七曲り→車橋跡(常盤門跡)→吹貫門跡→正門跡→本丸→古本丸→中城→桜門跡→北城→大野曲輪→西城→若狭曲輪→正門跡(二回目)→太鼓丸の順でぐるっと一周しました。
 皆さんも投稿されていますが、吹貫門跡、正門跡(本丸)の二ヶ所の石垣と各曲輪間の堀切は、迫力満点で素晴らしかったです!!
 正門跡の石垣に関しては、若干崩れてしまったようで、ロープで近づけないようになっていましたが、見学は可能でした。
 また西城から若狭曲輪へ向かうルートに関しては、若狭曲輪周辺が、かなり急斜面の道となっていますので、見学される際はご注意ください。
 城跡の見学を終えて、市内に残る移築神長門へ
三ノ丸跡から南に徒歩40分ほどにある民家に移築されています。移築神長門は、三ノ丸の裏門としてつくられたもので、烏山城で唯一現存する建築物です。
 また烏山駅近くの山あげ会館では、受付で御城印が販売されていたので購入しました。また館内の物産コーナーでは、烏山城の縄張り図のクリアファイル(全2種)が販売されています。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2014/01/10 訪問)

「武者返し 君を待ってる 人吉城(むしゃがえし きみをまってる ひとよしじょう)」
武者返しの石垣だけでは無くて、謎の地下室も有ったりします。属性が多くて良いですね。キャラ造りって大事だと思いますよ。
ウマ娘だと 寡黙で大食いは 〇〇〇キャップ
ちっちゃっくて関西弁でツインテールだと 〇〇〇クロス・・みたいな
球磨川沿いの石垣も昔は長櫓があったようですが、火事で焼失して武者返しになっています。櫓を再建するよりは安上がりってことなんだろうか・・ 
いいペースでネタが埋まって来たら かぶせていっても良いですよね? そういう企画だよね、確か?

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【赤色立体地図かるた】 (2025/04/25 訪問)

①「山あげを 烏と見守る 烏山城」
(やまあげを からすとみまもる からすやまじょう)
②「烏山 信雄とのぼう 節目の地」
(からすやま のぶかつとのぼう ふしめのち)

 二句ほど浮かびましたので投稿いたします。

 一句目は、烏山城の城下の名物、山あげ祭りを題材としました。
山あげ祭りは、毎年7月末に烏山で開催されるお祭りでユネスコ無形文化遺産に指定されています。「山」とは、竹で組んだ木枠に烏山特産の和紙を幾重にも貼り、山河などを描いたものです。祭りでは人力で「山」を持ち上げて、それをバックに野外歌舞伎を行います。

 二句目は、烏山城の城主より
 烏山城は那須氏によって築城されましたが、秀吉の天下統一以降、城主はたびたび変わっています。
 まず織田信長の次男 織田信雄は、小田原征伐ののち、改易に等しい処分を受け、烏山2万石を与えられます。その後、秋田氏(安東氏)預りとなる短い間、城主を務めたとされています。
 次に忍城の「のぼう様」でおなじみの成田長親の主君 成田氏長は、忍城開城後、蒲生氏郷預かりとなっていました。その後、天正十九年(1591)の九戸政実の乱の活躍などから、烏山を与えられ、大名として復帰を果たしました。一方、成田長親は、『成田系図』によると忍城の戦いの際に、豊臣軍に内通していたと氏長に疑われたことを契機に烏山を去り、尾張国で亡くなったとされます。
 このように織田信雄と成田長親の栄枯盛衰の節目を見届けたのが、烏山城だったということで題材としました。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/10/10 訪問)

「自ずから 人質櫓か 津和野城(おのずから ひとじちやぐらか つわのじょう)」

散策していると,ふと我に返り,「自ら人質になりに出向いているようだ」と。たぶん,私だけじゃないと思います。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2016/11/30 訪問)

「魅惑的 石垣曲線 中城城(みわくてき いしがききょくせん なかぐすくじょう)」

ここは沖縄の中で一番気に入っている曲線美です。一言でいうとセクシー。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2018/09/01 訪問)

「籠城戦 一度も落ちず 国吉城(ろうじょうせん いちどもおちず くによしじょう)」

境目の城ゆえの宿命か。ほぼ毎年,約10年にもおよぶ朝倉氏の攻めを,籠城戦で一度も落ちることがなかったことは奇跡です。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2018/05/19 訪問)

「男鹿名所 脇本城に ゴジラ岩(おがめいしょ わきもとじょうに ごじらいわ)」

かるた大会を考えると,中七に城郭名が入るフェイントも変化があっておもしろいと思います。実際,上五で争奪しそうですが…<笑>。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2022/07/12 訪問)

「春遠からじ 復興進む 熊本城(はるとおからじ ふっこうすすむ くまもとじょう)」

復興を待ち望む気持ちと,春を待つ気持ちをかけてみました。まだ復興途上ですが,ゴールはそう遠くないぞっていうエールを込めて。

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