二之丸 大手二之門の枡形から北側、西之丸 大手馬出跡南東側の刻印を探しに行って来ました。
二之丸 大手二之門の枡形内には、池田輝政(羽柴三左衛門)のものとされる「平むさし内 きし越中」があり、肉眼ではある程度読めました。
丁場割図でも枡形は羽柴三左衛門となってます。
輝政は名古屋城築城に長男の利隆を参加させ、利隆は官職名の松平武蔵守を刻印に使っており、この「平むさし内」の前にあった「松」が消えてしまったのかもしれません。
その枡形から北へ延びる石垣の内側に刻印が多くあります。
文字では輝政の名前「三左衛門」を使用した「三左内」、更に利隆の「松平むさし」と思われる刻印もあります。
そこから北側は山内家の刻印となるため、池田家と山内家の分担の境のようです。
丁場割図で二之丸 大手二之門の北側は山内忠義(松平土佐守)となってます。
特に馬魂碑そばに刻印が集中しています。
山内家の家紋「丸に三つ柏」が多く、文字では「□山内左太」が2つ、「松平土佐守内 百々出雲(?)」、紋様では「矢が的に的中」の面白いものもありました。
歩兵第六聯隊之跡碑そばにも刻印が集中し、ここも「丸に三つ柏」が多いです。
百々出雲の「いづも」かもしれない明瞭な文字もあります。
ここからは、西之丸 大手馬出跡の南東側をレアなアングルで見られます。
その石垣隅部の算木積に蜂須賀至鎮(蜂須賀阿波守)の「蜂須賀内 山田織之助」があります。
堀越しで遠く、私のカメラでは鮮明に撮れなかったですが、双眼鏡である程度読めました。
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