寛文7年(1667)加賀藩の流刑地として罪人が五箇山へ送られて来ました。明治維新までの200年間に約150人の罪人が送られてきています。流刑小屋にもいくつか種類があって、集落の中に限って歩ける平小屋、一歩も外へ出られないお縮小屋、小屋の中にさらに狭い檻がある禁錮などが有るようです。写真の小屋はお縮小屋にあたります。
この辺の川の渡しは「篭の渡し」なので一人では逃げることができないようです。
この後、相倉の集落に向かいました。ここは住人がけっこういて、人の気配があります。2013年に訪問した時に、玄関に「おばあちゃんが招き入れても、入らないでください」という貼紙がある家がありました。売店で五箇山そばを食べながら、あのおばあちゃんがどうなったか聞いたら施設に入ったと言ってました。狭い村なので何でも筒抜けなようです。
「五箇山そば」はおおぶりの山菜が入っていて、高野豆腐に栃餅が入っています。この栃の実が重要だと思います。縄文時代からドングリのようにアクを抜いて食べられ、山間部では重要な食糧だったようです。
この栃の実を食べるのは日本だけのようで、古来からの知恵が詰まっています。太古から日本人は山に入り、マタギが熊を獲ったりして生態系の一部を担っていたと思います。完全放置の自然が、本来の自然などと誰が決めたのか?
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