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朝田 辰兵衛

todo94さん,大正解です🎉 (2024/12/23 訪問)

出題した画像は,岡崎四郎義實公墓所背後の土塁上から眺望した富士山となります。土塁の先は空堀道と思われ,さらに先には畑が広がっていました。農作業中のご婦人に「富士山キレイなんで,撮影させていただきました」と挨拶すると,「そうなの。だから私も畑を借りて作業してるの…」と。珍しそうに私の方を見ていました。
相模岡崎城は,無量寺,野陣台,岡崎四郎義實公墓所が散策の主要ポイントだと思います。ただ,無量寺周辺には,ノミで手掘りされた道が残っていたりして,ちょっと範囲を拡大して散策することをおすすめします。

にのまるさんへ…
私のセンサーより,にのまるさんのセンサーのほうが,精度が高かったですね…<苦笑>。
武田氏館の解説の時は,チェブさんに「この読み札は,私がにのまるさんをあおって投稿させたんですよね…」と,当時を振り返っておりました。その声が一部漏れて聞こえたのだと思います。
入城招待券ということは,推し城アンケートの当選品ということですね…❓
お城川柳でもグランプリだし…。
「城びと」とのつながりの深さを感じます。
私は「しりとり」で特別賞をいただきましたが,最後までやらせていただくということが副賞に転じたようで,本名も住所も明かすことがいまだに到来していません。
 「無冠ゆえ 個人情報 リークせず」

そういえば,かるたの優秀作品発表ないですねぇ。私はtodo94さんの「高知城読み札」を推しますが…。

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2024/12/01 訪問)

【菖蒲谷砦】
<駐車場他>高速道路の陸橋を渡ります。バリケードがロープで簡単に外せるようになっているので外して進む。砂防ダムの横<35.550410, 136.205539>の分岐から砂利道になるのでここに停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅3城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。
 まずは登城路から。上記駐車ポイントから分岐を左手に入ります。奥に進んで行って、行き止まり的な感じで右手藪化、左手細道、真左りの崖が何となく登れそうな感じになっているので、その崖を直登します。何となく踏み跡の道がありますのでジグザクに登って登り着いたら砦跡があります。砦跡の東斜面から登り着く感じになります。
 尾根の斜面を削った砦跡で、主郭は土塁囲み、北側に深い堀切があり、上段に副郭があります。副郭にも土塁があります。主郭の東側に武者走りがあり、主郭南側は△状の虎口と思われる削平地、細尾根が南に伸びています。副郭の北側の尾根を登って行くと東野山砦にたどり着けます。尾根道は竪土塁、ジグザグに折れのある切通し道があり、切通しは副郭の北側で堀切となって西斜面に落ちていってる所が見応えがあります。
 この東野山砦へと通じる尾根道には上記のような遺構や小さいながら▢状の土塁が残る曲輪があり東野山砦との連携した遺構が観察できます。東野山砦まで車で行けますが、落石が多く落ちていたりして道があまり良くないので距離はありますが菖蒲谷砦から続けて登ると楽しめます。

<満足度>◆◆◇
<追記>菖蒲山砦を見終えて車に戻り水分補給と装備を整えていると視線を感じ‥‥こちらをガン見している奴が。約5分このポーズでフリーズにらみ合いの末、ゆったりと山へ戻っていきました。

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しんちゃん

木造再建天守 (2013/12/13 訪問)

大洲城の前身は伊予宇都宮氏によって築かれた地蔵ヶ岳城とされています。天正13年(1585)に小早川隆景が35万石で伊予に入封し、大洲城は湯築城の支城の一つになりました。文禄4年(1595)に藤堂高虎によって近世城郭として整備され、慶長14年(1609)に脇坂安治が洲本より転封し、藤堂・脇坂の時代に近世城郭として完成したようです。
元和3年(1617)に加藤氏が入り明治まで続きますが、明治21年に天守が老朽化のために解体され、一世紀あまりを経て平成16年に木造で再建されました。

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しんちゃん

宇和島城 (2013/12/13 訪問)

今日はちょっと古い写真を投稿させていただきたいと思います。かつての宇和島城は藤堂高虎による特徴的な五角形の外郭の縄張りを持っていて、西側が海に面していた海城でありました。本丸に残る現存天守は宇和島伊達家によるものです。

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トク

日出城(1/3):木下延俊と鬼門櫓 (2024/12/22 訪問)

ここは大分県日出町(ひじまち)、日出町と言えば(日出城→鬼門櫓→城下カレイ→二階堂麦焼酎→ハーモニーランド)が有名です!(・・・🤔?)

日出城の築城者は「木下延俊」、豊臣秀吉の妻おねの兄「木下家定」の三男です。五男(弟)には、養子に出た小早川秀秋がいます。妻は細川忠興の妹(加賀)です。関ケ原の直前、姫路城主であった家定は大坂城に入るため、延俊に城代を任せます。そこに筑前と三原の兵を引き連れ関ケ原へ向かう小早川秀秋が姫路城に着き、ここで軍勢を休ませてほしいと兄延俊に懇願します。しかし延俊はこれを拒否したそうです。さらに忠興の進言で、秀秋が西軍として大軍勢を率いて向かっている事を即座に家康に報告し、自分は家康様に二心なき事を伝えたようです。秀秋が松尾山に着陣したのは前日ギリギリだったので、こういう所にも影響したのかもしれません。そして延俊は、義父細川幽斎の田辺城を攻めた小野木重勝の福知山城を仕返しにと攻めました。その両方の功績などで、関ケ原後に家康から、豊前へ転封となった細川忠興の領地の南端(杵築)と接する豊後日出の地に3万石が与えられ、日出藩を立藩したようです。(写真⑧⑨)

暘谷駅から10分程歩いて行くと、最初に鬼門櫓が目に入ってきました。鬼門櫓は一度移築されたものが元の場所に戻されているという現存櫓です。思ったより大きな櫓で驚きました。そして鬼門の方向(北東)の角が確かに厄除けのため欠けていました(写真①)。このような珍しい形の現存櫓はここだけだそうです。内部も見学できました(写真②③)。

鬼門櫓の横には歴史資料館があります(写真⑤)。ここには木下家(旧杉原家)の歴史や貴重な資料が展示されていました。ちょうど高台院(おね)の没後400年を記念して、高台院が延俊の事を我が子のようにかわいがっていたという二人の関係や、やりとりした手紙などが特別展示されていました(写真⑥:内部撮影は不可)。

資料館を出ると本丸へ渡る土橋がありました。土橋の先は日出小学校のため、ここから中の本丸へは入れません。土橋の上には、暘谷城の石碑と高欄はかまぼこ石になっていました(写真⑦)。

鬼門櫓と本丸との間の掘から、ちょうど別府湾と高崎山が見えるいいアングルがあったので、思わず撮ってしまいました(写真⑩)。

次は海岸側から本丸石垣を眺めてみようと思います。
 

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カズサン

小島陣屋東側の六段石垣壁 (2024/12/24 訪問)

 小島陣屋の東崖には六段の石垣壁で守られて真下は馬場跡で有ったそうです、しかし近年は民家が5、6軒建ち絶景の六段石垣壁を全体を通して見る事が出来ず、家と家との間の隙間から覗くだけでした。
 しかし残念な事に昨年の豪雨災害により六段石垣壁が部分崩落して現在青シートを被せてあるところ、修復作業中に成ってるところと痛々しい状況です。
 真下の馬場跡の民家は災害に遭われたようで真下全て撤去白地に成って居ました、それにより勇壮な六段石垣壁全体の姿を見る事が出来るようになりました、勇壮絶景です。馬場跡地は暫くジャリ地のままだそうです。
 
 災害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。不謹慎な表現に成ってるかもしれませんがお許しください。
 
  

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カズサン

御殿書院と石垣が見える景色 (2024/12/24 訪問)

 小島陣屋の移築復原御殿書院の外周りを眺めて、書院の内部の臨時見学まで主郭下周り、藩主屋敷地周りから石垣と移築された御殿書院が被って見える辺りを撮影しながら回りました。
 今までと違う風景が見えるようになりました、写真も沢山撮り似たような写真も有るかと思いますが投稿致します。
 草も刈られてよく整備されていました。書院と石垣ホントに絵に成ります。
 
 

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しろちゃん

二重堀 (2024/12/26 訪問)

坂東ゴルフ場内

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しろちゃん

二重堀

坂東ゴルフ場内

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イオ

とことん一乗谷(上城戸・上城戸櫓) (2024/10/13 訪問)

(続き)

上城戸は城下町の南端に設けられた城戸で、長さ105m、高さ5mの長大な土塁と堀跡が遺っていますが、虎口の位置や形態は明らかになっていません。土塁の上に上ると一乗谷の城下町が遠くまで見渡せ、上城戸の巨大さを実感しました。

上城戸を見下ろす丘の上には上城戸櫓が築かれていて、詳細は不明ながら上城戸と連動して南側の防御を担っていたと考えられます。明瞭な登城道はなさそうですが、縄張図を見るに南西側から取り付けそうなので、一乗公民館を過ぎたあたりで県道から東側に入る舗装道を進み、踏み跡っぽいところをたどって直登しました。

尾根に出たところで北に進むと堀切があり、堀切を越えると上城戸櫓の主郭です。主郭の東辺から南辺には土塁がめぐり、南東部は櫓台状に分厚くなっています。上城戸側から攻め上る敵に備えて北端は堀切で遮断していました。主郭の西辺は切岸で防御し、腰曲輪が設けられています。ほとんど人の手は入っていないようで灌木と蜘蛛の巣に悩まされながらの登城であり、せめて上城戸が眼下に見えれば良かったんですが、木々の隙間にわずかに覗くのみでした(写真では何が何やら…)。

さて、駐車場に戻ったところでいい時間になったので丸岡城(お城EXPO)に向かい、お昼前に一乗谷に戻ってきて、今度はあさみゅーを見学します(続く)。


ところで……
この日の早朝は一乗谷に深く朝霧が立ち込めていて、霧に包まれた一乗谷というのも幻想的で良いなぁ…と眺めていて、ふと思い至りました。今朝なら越前大野城も「天空の城」になっているのでは!? 天空の城を謳い文句にしながら、一年にわずか数日しか天空の城状態にならない越前大野城だけに、このチャンスを逃せばもう一生目にする機会はないでしょうし、一乗谷から戌山城(天空の城展望台)まで車で20分+登城20分としても充分間に合います。しかし…一乗谷が霧だとしても大野もそうであるとは限りませんし、そうでなくても予定変更で一乗谷には半日しかいられないのに、見られるかどうかわからない「天空の城」のために一乗谷を犠牲にしてもいいのか…などと散々葛藤した挙げ句、一乗谷を選びました。その選択が間違いだったとは思いませんが、翌朝に城びとの✕で「越前大野城、今シーズン初の天空の城出現」とのポストを見て、あぁ…と頭を抱えたのは事実です(苦笑)
 

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todo94

お祝いクイズの答え (2014/09/23 訪問)

朝田辰兵衛さん ご祝辞、ありがとうございます。お祝いクイズの方は全く自信がありません。自分が訪れているのは10年前で、しかも無量寺周辺だけの散策で撤収していますから。一応、答えは相模岡崎城とさせていただきますが、いかがでしょうか。なお、私がお城EXPOに参戦したのは日曜日でしたので、残念ながらかるたのワークショップには参加できていません。皆さんの投稿で様子を伺いうらやましく思います。高知城の読み札、読み上げられたとのこと、光栄の至りです。

にのまるさんのクイズ、正解でほっとしています。地元といっても私は姨捨駅で下車したことないんですよ。鉄分濃いめのにのまるさん、さすがです。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,沖縄県コンプおめでとうクイズです… (2024/12/23 訪問)

相模国に変更しての出題です。
todo94さん,にのまるさん,チェブさん,赤い城さん攻城済。
とある方の墓所背後の土塁上からの眺望になります。
お城名をお答えください。

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にのまる

川中島、正解です🎊

todo94さんのホームグラウンドを出題させていただきました。
日本三大車窓の景色を眺めるのとスイッチバック体験に何度か篠ノ井線に乗りに行きましたが、この秋の乗り放題切符で初めて姨捨駅周辺散策に出かけました。棚田の上の方からの眺めも素敵でした。
では!朝田さんにバトンタッチです!!

お城expoの皆さんのご投稿を読ませていただきました。
かるたワークショップの整理券番号、6番だったような気がします。イオさんの前!?
(入城招待券をいただき城友さんと行ったので二人連れです。)
前回の投稿で「勘でお声かけすることもできず」と書きましたが、その「勘」というのが実は、列の先頭の方をお見かけした時のことで、「朝田さんかも!?」と直感で思ったのです。印象的な装いでいらしたので記憶に残っています。やはり朝田さんだったのですね。しんちゃんさん、チェブさんもすぐ近くにいらしたとは。
かるた会場入りはギリギリだったので右側の列の後ろの方にいました。
武田氏館の解説の時に前の方から「にのまるさんだ」というような声が聞こえたのですが朝田さんだったのでしょうか。

かるたを購入する際にスタッフの方に一言お礼を申し上げたのですが、そういえば名乗らなかったです…(-。-;
同じグループの方には“にのまるです”と白状(?)し、小城小次郎さんにはお声がけしてご挨拶できたのですが。

みなさまのお写真も拝見しました。
重ね捺しスタンプで朝田さんと同じ真田のクリアファイルをいただいているし、イオさんと同じく崎陽軒ランチしているし、何だか壮大なニアミスEXPOだったようです(^^)
最後になりましたが、遠方よりいらしたみなさま、おつかれさまでした。

尚、ナイトプログラムで
「ちょっとそこのアナタ、痛いじゃないの‼️蹴らないでくれる!?」
と激おこ😡で睨みつけたのは私ではありません。

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小城小次郎

日蓮入滅の地 (2024/03/30 訪問)

池上宗仲の居館に身を寄せた日蓮はここで入滅しやがて池上本門寺という巨大な霊場が誕生する。日蓮を支え日蓮に帰依した池上氏の居館が山の上(本門寺)にあったとの説もあるが山の下(本行寺)にあった方が自然だろう。

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しんちゃん

マトリックス (2024/12/23 訪問)

真鳥山城は畠山重忠の家臣、真鳥日向守の城址とされ石碑が立っています。遺構はまったく見当たらないですが、ここに来るまでの道が狭いです。あと、お堂側の出口から車ででるのはしんどそうです。
しょっと消化不良ですので、お昼は消化に良い物を・・。昼食は「山田うどん」に決定。何気に山田うどんに来るのは初めてだったりします。どれもおいしそうですが何となく気になるメニューがあります。「パンチ食べくらべ定食」??
どうもパンチというのはモツを使った埼玉県の名物料理だそうです。!! パンチで名物と言えば大阪名物「パチパチパンチ」が鉄板じゃないですか? ミニうどんを付けて注文してみると、これがなかなか美味しい。いつも別の「しんちゃん」にパンチでツッコミを入れられている私ですが、こういうパンチは歓迎です。大阪コラボ限定パチパチパンチ定食とかどうでしょうか?(ポカッ♪)。

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しんちゃん

ヒルズ夜景 (2024/12/22 訪問)

todo94さん、ありがとうございます。いつかは玉越です(まずは東海道)。かるた大会‥朝田さんの組 楽しそうですね。おいらも変な遠慮せず、そっちに行っておけば良かったかな?(あとの祭り)
太田道灌城の投稿です。チェブさんの投稿にもありましたが、麻生台ヒルズがすごくキラキラしてます。東京タワーも見えますね。
申し訳ないですが、この城の詳細は私にはわかりません。すっかり開発が進んで、ここが城址であったことを感じさせるものは見当たりません。港区芝神谷町には太田道灌塁とされる城址があったようなので、ここに道灌の築いた城があっても不思議ではないということでしょうか。キラキラに光るタワーやヒルズの高層建築群を見ていると、まさに不夜城といった感じがします。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,沖縄県コンプおめでとうございます🎉 (2024/11/05 訪問)

todo94さん,沖縄県コンプリートおめでとうございます。また,豊見城城の情報もありがとうございました❢
にのまるさんからの解答がアップされたら,次は私が出題したいと思います。
とはいえ,準備していたのが,首里城復興エリアでした…。最新の投稿でまさにソコをレポートされていましたので,最近精力的に訪城している相模国の城に変更して出題いたします。

そうそう,気になっていたのですが,EXPOのカルタ会場にはおられましたでしょうか…❓
今回のかるたで私の一番のお気に入り読み札が高知城。todo94さんの作品です。見事に読み上げられましたョ❢
上五の読み上げで「高知城!」と叫んでいました…<笑>。ただ,高知城絵札が遠くにあったので,他の方がゲットされました。
私の近くには,天守のない絵札ばかりでした…<苦笑>。しかも,対面がイオさん,隣がチェブさんという,城びとオールスターズの強者に包囲されました…<笑>。
実は私も12月24日まで,温暖な太平洋側にいました。todo94さんの避寒の気持ちは身に染みるほどわかります。
私も数年ぶりに沖縄に飛びたくなりました…✈

大蔵館ですが,みなさん同様に第六天橋周辺を撮影して終了です。

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トク

今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(3/3)) (2024/12/20 訪問)

岩屋城の続き(3/3)です。二の丸の紹運の墓からさらに5分、標高281mの本丸にある「ああ壮烈」碑に到着しました(写真①②)。都府楼駅からはゆっくり歩きでトータル90分かかりました。

ここからまた眼下の筑紫平野から博多湾までを眺めました、いつ見ても爽快な眺めです(写真③④⑤⑥)。反対側に目を向けると、標高829mの宝満山も見えました(写真⑧⑨)。

本来の紹運の居城はあの頂上にある宝満山城で、岩屋城は支城にあたります。長男の宗茂を立花道雪(大友家臣筆頭)のいた立花山城へ養子に出し、宝満山城には次男の直次と妻子たちを残し、紹運は決戦の地に岩屋城を選びました。籠城し時間かせぎをするなら、高い宝満山城の方が向いていると思うのですが、なぜ岩屋城の方を選んだのでしょうか?🤔 ここを素通りされ直接立花山城が先に攻められるのを防ぎ、自分の子らを守りたかったからなのでしょうか?

そして島津の猛攻が始まってから14日目、ついに耐えきれず力尽き、もはやこれまでと紹運は自刃して果てました。櫓の扉にはこのような紹運の辞世の句が残されていたそうです。

 流れての末の世遠く埋もれぬ
 名をや岩屋の苔の下水

道雪殿! 私は大殿(大友宗麟)から頂いたお役目を立派に果たしましたぞ! 私もこれから道雪殿の元へ参りますゆえ、どうか我が子・・宗茂と直次をあの世からお守り下され~!

ここに立つと、紹運は最後にこんな言葉を残したのではないかと、私はふと想像してしまいました。高橋紹運(享年39才)、最後まで大友への忠義を貫いた見事な武将でした。

■岩屋城の戦い■
軍勢:大友軍763、島津軍3~5万
大友側戦死者 763(全員玉砕)
島津側戦死者 約3000(+負傷者多数)
 

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イオ

とことん一乗谷(上城戸外側) (2024/10/13 訪問)

一乗谷は2年ぶりの再訪です。前回はとことん一乗谷をめぐる! と意気込みながら、ほとんど山城だけで時間切れになってしまったので、今度こそは一日かけてあさみゅーも復原町並も朝倉館も下城戸から上城戸まで全部めぐる! と思っていたんですが、遠征1日目が仕事でつぶれたため、2日目の午前中は丸岡城(お城EXPO)に行き、午後に一乗谷をめぐることに予定変更。午後だけではとことんめぐり尽くすのは難しそうなので、せめて丸岡城に行く前に朝イチで一乗谷を訪れました。

一乗谷は一乗谷川沿いの谷筋に展開する城下町で、北端に下城戸、南端に上城戸を設けて城下を守っていましたが、上城戸の外側にも町屋が建ち並び、山裾にはいくつもの寺院が建立されていたようです。

御所・安養寺跡(福井市東新町)
安養寺は朝倉孝景が建立した一乗谷で最も大きく格式の高い寺院で、朝倉義景を頼って下向した足利義昭は安養寺北麓を御所として9か月間滞在しています。発掘調査で石垣や礎石建物、柵列、溝などが確認されており、山裾の屋敷跡には石垣や土塁、安養寺跡には石仏や石塔があるようですが、山裾の遺構は見落としてしまいました…。

富田勢源道場跡(福井市西新町)
朝倉氏に仕えた富田勢源が開いた中条流の剣術道場で、伊藤一刀斎の師である鐘捲自斎や佐々木小次郎がこの地で修業したと伝わります。道場跡の北側と南側には穴太積みの石垣が遺っているようですが、こちらも見落としてしまいました…。

一乗滝(福井市浄教寺町)
一乗谷川を遡って行くと、源流にあたる一乗滝に至ります。この地の生まれと伝わる佐々木小次郎は一乗滝での修業により「つばめ返し」を編み出したとされ、滝を望む地に銅像が立てられています。

一乗滝で折り返して朝倉氏遺跡第4駐車場まで戻り、上城戸に向かいます(続く)。
 

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todo94

首里城の現在 (2024/12/23 訪問)

しんちゃんさん ご祝辞、ありがとうございます。極寒の地に暮らしている者ですので、寒い時期に暖かい土地で過ごせることはこの上ない贅沢なのです。全日空の株も200株持っていますが、今回は株主優待ではなく、格安の中でも低価格設定の共同運航便を春先には押さえていました。異様に仕事納めが早くなることが分かっていましたので。しんちゃんさんの沖縄行きが実現することを願っています。

さて、首里城です。正殿焼失の2019年の「新春の宴」以来の攻城です。前日夜にゆいレールの24時間券を購入しているので、豊見城城から奥武山公園駅に徒歩でアクセスし、儀保駅までモノレールに乗車しました。儀保駅が首里城の最寄り駅だと思っていましたが、首里城に続く細い道が、わかりやすくカラーリングされていました。首里杜館で昼食をとってから有料区域に向かいます。24時間券の提示で入場料400円が320円になりました。正殿の復興工事の様子をしっかりと見学してまいりました。焼失前に整備が進められていた池上永一著「テンペスト」の舞台・御内原も見学ルートになっていて東のアザナのてっぺんまで登ることができます。ちょうどその時、正午になりましたので、他の観光客は鐘を鳴らすイベントに参加していらっしゃいましたが、私は遠慮させていただきました。熊本城もそうでしたが、復興工事中ならではの城内の俯瞰ができるというのは大きな魅力だと思います。充分に首里城を堪能して、予約を入れてあるくもじ献血ルームへと向かいました。

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