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todo94

特別設定 えきねっと限定 大人の休日パス スペシャルで青森の城めぐり④ (2024/11/16 訪問)

平舘台場からの転戦です。続・東北の名城を歩く~北東北編に所収の城ですが、そこに「私有地があるので注意が必要である。」との記述があり、いやな予感はしていました。舗装された林道の入り口には立入禁止の大きな看板が建っていたので登城は断念しました。このあと、風の吹きすさぶ竜飛崎に足を延ばすものの、青函トンネル記念館はすでに冬期休館に入っていましたし、帰りがけに寄ろうと思った柴崎城に続く国道339号竜泊ラインも前日に冬期閉鎖となっていました。ちょっと残念な1日目の終わりとなってしまいました。

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しんちゃん

世界遺産 石見銀山遺跡とその文化的景観 (2013/10/05 訪問)

石見銀山は島根県太田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけ最盛期を迎えた日本最大の銀山です。最盛期には世界で産出される銀の三分の一を産出したとも言われており、2007年には日本で14番目の世界遺産に登録されています。
一時期は登録が危ぶまれていましたが、木々を伐採したり、山を崩したりせずに狭い坑道を掘り進んで採掘するという、エコロジーな方法が委員の共感を得たようです。じゃあ、山を削りまくっている佐渡の金山が登録されたのはなぜだろうという新たな疑問が生まれてきますが、それは置いておきましょう。
坑道では最もメジャーな龍源寺間歩や代官所跡(石見銀山資料館)、羅漢寺五百羅漢などの寺社、山吹城などの城郭群、変わった所では石見銀山処刑場なども登録の対象になっています。街中に車を乗り入れるのは禁止されているので、駐車場から鉱山まで2kmほど歩きます。
思ったより散策に体力を使います。

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しんちゃん

土 方歳三資料館 東京都日野市石田2-1-3 (2024/05/04 訪問)

土 方歳三資料館は土 方歳三の生家の一部を資料館として公開しています。古い家屋は平成二年に建て替えられ、今風の建物に代わっていますが、土 方歳三がぶつかり稽古をしたという柱が一部残されています。2022年11月末に一度、長期休館に入りましたが、2024春に公開を再開しました。ちょうど私が訪れたころだと思います。個人宅を資料館にしているので、それほど広くない館内に大勢の土 方ファンが詰めかけていました。なかなか良いお値段のするグッズが飛ぶように売れていましたね。
確かにここでしか買えない貴重なものもあるし、推しのためならば‥というやつですね。

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しんちゃん

とうかん森 八坂神社 宝泉禅寺 (2024/05/04 訪問)

とうかん森‥東京都日野市石田一丁目23-3
とうかん森は幼き日の土 方歳三が遊んだと伝わる場所で、樹齢250年と言われる樹が2本残っています。かつては祠(稲荷神社)に鳥居が有り、ムクやカヤの木が7本ほどあったようですが、今はこのように姿を変えてしまっています。それでも姿を消さずに残っていることが有難いです。近くには土 方家の菩提寺である石田寺があります。

八坂神社‥日野市日野本町3-14-12
安政5年(1858)に近藤勇、沖田総司、井上源三郎ら天然理心流の門人たちが剣の上達祈願の為に奉納した額が納められています。

宝泉禅寺‥日野市日野本町3-6-9
境内には新選組の六番隊隊長・井上源三郎の碑と墓所があります。天然理心流の免許皆伝まで10年かかった努力家で、近藤勇の兄弟子でもあります。浪士組の頃から近藤と行動を共にし、六番隊隊長として近藤を支えますが鳥羽・伏見の戦いで敗退した後の「淀千両松の戦い」で腹部に敵の銃弾を受け戦士し、首は甥の井上泰助が持ち帰ろうとするも重くて運びきれず、やむをえず墨染(伏見区西桝屋町)の欣浄寺のあたりに埋めたと考えられています。

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三成にすぎたるものが三つ??? (2024/11/30 訪問)

 龍潭寺より登城し本丸周辺を散策し大手である鳥居本方面へ下山しました。鳥居本方面では大手の跡や堀の跡を見ることができます。
佐和山自歩道トンネルを通って彦根駅まで歩いて帰ってきました。佐和山自歩道トンネルの石碑に「三成にすぎたるものが三つある・・・島左近と佐和山城と百間橋」と書かれていました。すぎたるものは二つじゃないのか。百間橋って何と思い調べると彦根市観光ガイドに「通称「百間橋」は、当時佐和山城の西に広がっていた松原内湖にクランク状に架けられた通路のうち、松原側(琵琶湖側)に設けられた木橋のことで、古絵図などの記録から幅三間(約5.4m)、総延長三百間(約540m)に及ぶものと伝えられています。」「石田三成はその佐和山統治期に松原内湖の西側を三ヶ所切り、運河とするとともに松原と東の蒲生坂に向けて、内湖に土堤(大道・大海道)と百間橋を架けました。」と記載してありました。また「三成に過ぎたるものが二つあり 嶋の左近に百間の橋」という言葉もあるようです。龍潭寺の近くの踏切を渡ってすぐの所に「百間橋跡」の石碑がありました。
 龍潭寺に行く前の民家から野猿に遭遇し、境内や城域にも野猿に注意するように表示がありました。実際にかなりの数の野猿と遭遇しました。たまたま画面に入った猿の写真を撮りましたが、ビビってて少しボケていますね。

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三成に過ぎたるものが二つあり (2024/11/30 訪問)

 久しぶりの佐和山城です。鎌倉時代初期、佐々木時綱が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝えられています。戦国時代、浅井氏、六角氏、織田氏が、この北近江の重要拠点を巡って攻防を繰り広げました。ただ石田三成の城というイメージが強い気がします。石田三成の時代には、五層の天守を構え、山上に本丸以下、二の丸・三の丸・太鼓丸・法華丸などが連なり、東山道に面して大手門があり、二重に巡らされた堀の内には侍屋敷・足軽屋敷・町屋など形成されていたと伝わります。「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた佐和山城も彦根城の築城に際して破却され、石垣や建物が彦根城築城のため運ばれました。今は当時の雰囲気はありませんが、曲輪の跡や土塁、井戸、石垣のほんの一部などを観ることができます。
 龍潭寺から登城しました。西の丸を経て本丸、千貫井、石垣を観て太鼓丸へ行こうとしましたが、太鼓丸は通行止めになっていました。12年前に来た時は行けたような気がします。また千貫井も前に来た時は祠がありましたが、倒木で潰れていました。太鼓丸の通行止看板の横に道があり進んで行くと法華丸方面への道でした。こちらからも登場路が整備されていると登って来られた方に教えていただきました。後で確認すると佐和山トンネルの脇に登城口があります。法華丸付近は深くは進んでいませんが、曲輪と思われる削平地がありました。二の丸方面へも行きたかったので道を探していると、西の丸から本丸へ上がる所に土塁を備えた曲輪があり、そこから二の丸方面への道がありそうでした。途中まで行きましたが、「私有地につき決められたルートをお通りください」と書いてあった案内板を思い出し断念しました。帰りは鳥居本方面へ下りて大手を見て帰りました。主要な場所は整備されていて気持ちよく散策できます。

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しんちゃん

近藤勇墓所 土 方歳三墓所 (2024/05/04 訪問)

東京都三鷹市の龍源寺に近藤勇の墓所があります。近藤は「鳥羽・伏見の戦い」で敗れた後、隊名を「甲陽鎮撫隊」と改名しますが「甲州勝沼の戦い」で敗れます。江戸に引き揚げ再起を謀るため名を「大久保大和」に改めますが、下総国流山で新政府軍に捕縛され東京都板橋区の板橋刑場で斬首され、首は京都の三条河原で梟首された後に行方が分からなくなったようです。
一説には新選組の隊士により持ち出され(斎藤一とも)愛知県岡崎市の法蔵寺に葬られたとする伝承が残っています。
また山形県米沢市の高国寺にも近藤の首を葬ったとする伝承があるようです。
三鷹市の龍源寺の門前には近藤勇の胸像があり、岡崎の法蔵寺にある胸像とよく似ています。

土 方歳三の墓は東京都日野市の石田寺にあります。函館戦争の最後に五稜郭の周辺で戦死したと伝わり、遺体は発見されていませんが、土 方家の墓所である石田寺に墓碑と墓が建てられています。

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しんちゃん

近藤勇生家跡  東京都調布市野水1-6-8 (2024/05/04 訪問)

調布市野水には新選組局長・近藤勇の生家の跡があります。近藤勇は天保5年(1834)宮川久三郎の三男として生を受けました。15歳の時に天然理心流近藤周助に入門し、翌年理心流の目録を得て周助の養子になり、近藤姓を名乗ったとされます。
当時、宮川家の屋敷は約7000平方mの広さがあり、母屋の他、蔵屋敷・文庫蔵・乾燥納屋・地下蔵などさまざまな建造物がありましたが、今では敷地の一部に社が置かれ、当時使われていた井戸を残すのみになっています。

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しんちゃん

高幡不動尊 (2024/05/04 訪問)

高幡不動尊「金剛寺」の境内には新選組副長・土 方歳三の像が建てられています。金剛寺の南の丘陵に高幡城は築かれていたとされ、北西から尾根沿いに郭が続き、主郭の南東に見晴らし台が配されています。私はちょっと遠回りをして、見晴らし台から訪問しています。草に埋もれてわかりづらいですが、竪堀などもあるようです。

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しんちゃん

行善寺 (2024/05/04 訪問)

瀬田城は世田谷台地の上の行善寺のあたりに築かれていたようです。自然の要害と言える地形にあり、天文年間の頃に小田原北条氏の家臣・長崎伊予守重光がここに移り城を築いたとされています。すっかり宅地化が進み、どのような姿をしていたか、今となってはわかりません。

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しんちゃん

喜多見氏三代の陣屋 (2024/05/04 訪問)

喜多見慶元寺の門前にかつて「天神の森」と呼ばれた小高い丘があり、そこに江戸氏の末裔・喜多見氏三代の陣屋があったとされています。小田原北条氏に仕えた喜多見勝忠は小田原落城後、徳川家康から多摩郡木田見村500石を安堵され徳川家に仕え、旗本となったそうです。二代後の重政の代に2万石の大名に抜擢されるも、「勤使疎かなるにより」改易されてしまったそうです。
境内には江戸太郎として知られる江戸重長の銅像があります。源頼朝に仕えた御家人であるようです。

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ぴーかる

服部半蔵生誕地 (2024/11/16 訪問)

【千賀地氏城】
<駐車場他>県道687号線道路脇<34.709576,136.103979>(カズサンさん案内による)
<交通手段>車

<見所>土塁・櫓台・堀切
<感想>日帰り伊賀攻めの旅ラスト4城目。千賀地氏城の築城は室町時代の後期に足利義晴に仕えていた服部保長がこの地に移り住み、地名の千賀氏を名乗り築城したとされます。服部保長の子、服部正成(半蔵)はこの地を出て徳川家康に仕え旗本8000石を与えられています。同地に藤堂藩の家老藤堂采女が出ています。
 県道から案内板がありますので城跡へはすぐにたどり着けます。単郭の城跡で北側背後に櫓台を兼ねた高土塁があります。土塁背後に堀切があります。堀切の北側は自然の尾根が続いているので南側の小さな腰曲輪を合わせても非常に小さな極小と言ってもいい程こじんまりとした城跡です。この日少なめ、248㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

八田知家子息時家の築城にて現柿岡小学校 (2024/11/10 訪問)

 柿岡小学校周辺が鎌倉殿13人で活躍した八田知家の子息時家が築城した柿岡城にあたり、時家の家系は後に柿岡氏を名乗り約300年に渡りこの地を治めた。(案内板による)

 小田城を終えて陽も有り近くの未踏の城は?と、石岡城と柿岡城に当たり宇都宮への地道帰路を考えて北東約12km程の柿岡城を選択、ナビに柿岡小学校北側の案内板辺りを定めて進行、割と近く案内板の処に着きました、北側の土手法面は城塁を彷彿させます、北側を撮影して、案内板横に駐車場の指示板、従って旧柿岡中学校校門門柱を入り指定駐車場で無い石岡市農村高齢者センター東前の駐車場を利用。
 城名石碑、土塁跡、堀跡を求めて柿岡小学校へ、西校門が開いており少し中に入って様子を窺うが良く分からない、丸の内稲荷神社が校内に在り参拝、校門を出て南へ草刈された状態の土塁が有り南に伸びて居るが、保育園のフェンスが近接して入り込めない。
 南側に参り込めないので西に大きく回って、石岡市高齢者センタ、やさと中央保育園西側の大駐車場から南へ南は崖に成っていて、南西方向へ目を凝らし空堀跡を追うが樹木が茂り良く分からない。
 南北に残る土塁はやさと中央保育園の西側のフェンス越しに眺めるが東フェンス近接の土塁を確認するが微かな確認。
 見張台が在ったと言う諏訪神社へは行きませんでした。

 その後柿岡城・柿岡氏は勢力を増した佐竹氏配下へ、佐竹氏秋田へ転封後、江戸期春日局の子・稲葉正勝の所領となって柿岡藩が置かれたが間もなく正勝が小田原藩主に転じて柿岡藩は廃された。(案内板による)

 柿岡小学校周辺の丘陵端が城跡であった事は周辺の土手法面などでそうであろうと納得。

 地道を約50km程北西に少し細い山道も有りましたが、以前訪ねた草壁城、久下田城、桜町陣屋の横を通り寄った事を思い出しながら無事に孫達の居る宇都宮へ到着約2時間弱程。
  

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しんちゃん

東名高速道路によって改変 (2024/05/04 訪問)

かつてこの地は殿山と呼ばれ、源義仲の父・義賢の屋敷があったという伝承があるようです。大永年間(1521~28)には京から石井良寛という人物が移り住んだとされています。石井氏は世田谷吉良氏に仕え天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封されてからは土着して名主になったそうです。現在は東名高速道路によって地形は大きく変わり、端部に住宅地が残るのみです。

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ぎりょう

中世は大規模な山城に (2024/11/09 訪問)

 横手の三城目は金沢柵と推定されている金沢城跡を訪問しました。ここは御三年の役において源義家と清原武衡・家衡が合戦におよび、兵糧攻めで落城した場所とのこと。比高約90m、東西900m、南北600mという規模の大きな山城跡です。
 金沢柵のイメージで攻城を開始したのですが、現在目にすることができる本丸、二ノ丸、北ノ丸は14世紀後半以降に南部氏・小野寺氏によって中世山城として改変された姿のようです。慶長7(1602)年に佐竹氏が常陸から秋田に入部した折にはここが居城候補にもなったようですが、その後廃城になったそうです。
 今に残る曲輪や堀切などしっかりとした遺構はとても見応えがありました。また前記の北側曲輪群は削平されているのに対し、西ノ丸は自然地形の曲輪であり、より古い時代から使われた遺構のように思われました。金沢柵時代と推定される遺構も発掘されているようですが、短時間の訪問で確認できませんでした。
 城址は現在、金沢公園となり藩主佐竹氏が尊崇した金澤八幡宮が祀られています。近隣の「御三年合戦金沢資料館」を訪問して、情報収集してからの攻城をおすすめします。

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しんちゃん

よりによって警察署。 (2024/05/04 訪問)

永禄7年、深沢村名主谷岡氏の祖・南条右京亮重長は下総の国府台合戦に功を立て、北条氏康より感状を賜り、深沢村・兎々呂城を賜ったとのことです。南条氏は本城を村の東端に、出丸を兎々呂城に置いたとのことです。
本城の位地は玉川警察署付近とも、都立園芸高校とも言われはっきりはしません。とりあえず両方見ておきます。最近は街中や住宅地で写真を撮るときは気を遣います。警察署の近くならなおさらですわ。闇バイトの下見じゃありませんよ~(汗)。

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しんちゃん

上の城 虎口らしき場所が南北にある。 (2024/11/09 訪問)

赤埴下城を攻略した後は上城に向かいます。ここはマイナーな割にはけっこうおもしろい遺構の残る城です。登城道も少々細いですね。
登りきった後は北上して行くと虎口があって、その先にも堀を挟んで虎口があります。南北に虎口がついているようで、それぞれに土塁と堀切が付いています。北の虎口の先は郭になっているのですが、そこには向かわず東から回って南のピークを目指します。
こういう場所ってたいてい何かあると思うのですよ。

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しんちゃん

新しい忍者道具。 (2024/11/16 訪問)

5時近くになってきたので、だんだん暗くなってきました。副郭から堀切をこえて南郭の主郭部に向かいます。椿井城は北郭と南郭に分かれていて、それぞれに中心となる郭があります。堀切もしっかり残ってるし、北郭の遺構がどのようなものか興味はありますが、立入禁止なので訪問は控えます。というか北郭への道は藪ぼうぼうです。正直何年も調査はやっていないのではないでしょうか。
放置というやつですね。おそらく、しばらくはこの状態のままでしょう。
引き返すことにしますが、ここで新しい忍者アイテムの出番です。以前、伊豆の鎌田城から帰ってくる時にライトが暗いな~と思っていたので、軽くて明るいライトを購入しました。500ルーメンはあるのでかなり明るいです。USBで充電でき、逆にスマホを充電することが出来る、なかなかの優れものです。光の当たっている場所は昼のように明るいので、暗い山道では非常に心強いですね。

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しんちゃん

一日市場館 岐阜県端浪氏 (2021/03/21 訪問)

一日市場館は鶴ヶ城の南南西3kmほどの位置に有ります。ここはたしか城びとの城ではなかったと思いますが、少し面白い館跡です。
源頼光の子孫が美濃に来て土岐氏の祖となり、最初に築いた館とされ、「明智光秀公ゆかりの地」の石碑に小さく「土岐源氏ここに発祥す」と書かれています。これ逆のほうが良かったんじゃ‥。
八幡神社境内には年代不詳の土塁があり、「鎌倉幕府御家人源土岐三郎光衡公之像」と明智光秀公の石像があります。
お昼は和食レストランでカレーうどんとスイーツのセット(ライス付き)を頂きました。辛い食事に甘いスイーツの組み合わせがたまりませんな。

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しんちゃん

多治見市モザイクタイルミュージアム  タイルマン!! (2021/03/21 訪問)

今日は11月29日です。キン肉マン公認の「いい肉の日」なのですが新鮮なネタが有りません。スルーしようかなと思いましたが、せっかくなので、いつものしょーもない投稿をさせていただきたいと思います。いや、させて下さい。
岐阜県多治見市笠原町にある多治見市モザイクタイルミュージアムはモザイクタイルに特化した博物館なのですが、ムーミンやトトロの世界に出てきそうな牧歌的な外観で人気のある施設です。笠原町は日本一のタイルの生産地でありタイルに関する展示が充実しています。

・・・タイルマンをご存じでしょうか? そう、あのタイルマンです。フランスの超人で、超人強度は20万パワーとそれほど高くないものの、身長3.25mと堂々たる体躯を誇ります。第二次超人オリンピックでは新幹線を会場から博多まで突き押して、優勝候補並のパワーを見せつけました。・・今回調べて初めてわかったのですが、多治見市には「タイルマンを造る会」という人たちがいて、彼らが造ったタイルマンの像がJR多治見駅の脇に飾ってあるそうなのです。今度多治見市によったら是非、訪問しなくてはいけませんね。
世の中いろんな人たちがいる‥ お土産はもちろんキン肉マンのタイルです(800円)。いろいろキン肉マンに縁のある街のようです。

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