続日本100名城

うだまつやまじょう

宇陀松山城

奈良県宇陀市

別名 : 秋山城、阿紀山城、神楽岡城
旧国名 : 大和

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宇陀松山城
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higekam

広大な縄張りが見渡せる (2021/03/23 訪問)

冬枯れの時期、手入れも良くされており縄張りが良く理解でき、堪能。往時は石垣も多用されていたことも分かるが、相当破却されているのが至極残念。豊臣政権時、大和三城のひとつだったというのも納得できた。
 帰路の途中、近くに又兵衛桜という立派な枝垂れ桜があると聞き寄り道。大坂の陣で戦死した後藤又兵衛が実は生き延びてこの地で余生を送ったという言い伝えがあり、その住まいにあった枝垂れ桜がこれだという。

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カズサン

麓の織田信雄陣屋跡 (2014/05/02 訪問)

 宇陀松山城に登城前後麓の宇陀町並みと織田信雄が福島高晴元和元年(1615年)改易後5万石の大名として入封、領地は大和宇陀郡3万石と上野甘楽郡2万石、宇陀松山城の麓に陣屋を築いた。

 現在春日神社の辺りに春日門跡が残り櫓台石垣が立派に残ってる、神社石垣もその残りか?街中に松山西口関門が残ってる。

 次の柳生陣屋に向かう前に後藤又兵衛ゆかりの桜を季節外れですが桜としても有名ですし後藤又兵衛の名前に引かれて葉桜と又兵衛を見学、偲びました。桜は見事な大木枝ぶりが見事です。

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カズサン

発掘調査され景観見応え有る織豊城郭です (2014/05/02 訪問)

 7年前の5月連休、五條市五條代官所の探訪を終えて石舞台遺跡横を通り宇陀松山城へ「道の駅宇陀路大宇陀」へ着く前あたりから宇陀城の山頂景観が眼前に入り登城前から浮き浮きドキドキ状態、道の駅でトイレ休憩、情報収集?何時もながらガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさん頼り。
 宇陀の町並み保存地区を眺めながら春日神社参道より入り銀行裏手の駐車場が連休で空いて居り隅の方に駐車させて頂きました。

 登城口の春日口から入り陣屋時代の櫓石垣が見事です、神社に登り宇陀松山城への案内石柱から道なりに登城へ、石柱には杖が沢山置いて有りました、登城者の汗と努力の結晶でしょうか?
 登城口から杉木立で鬱蒼としてます、5月で歩けば汗だく比高100m程の登城路ゆっくりと歩いてると杉木立が空けて草に覆われた土塁状の景観が現れる、堀底道か?前面は側面は土塁か?発掘調査で復元整備された屈曲した大手虎口石段石垣が見えて来ます、山頂部は樹木が伐採されて城塁、土塁、大手虎口、帯曲輪、本丸、天守台、大御殿、御加番、段曲輪群、各堀が良く観察出来ます。
 二の丸は杉木立が密集し草茂り余り踏み込めずですが二の丸の櫓台は確認、二の丸と大御殿の間の石垣堀も確認、天守台の周囲には石垣が確認できます。
 兎に角山頂部の景観が素晴らしい大御殿から眺めると天守台、裾野の残る石垣、往時の石垣に覆われた天守曲輪、本丸が眼前に飛び込んで来るような想像をして仕舞います、関ヶ原、一国一城令まで在った城が廃城破却された事は残念です。
 また近年台風、大雨で土砂崩れ被害に遭った事は残念です、お見舞い申し上げます。復旧を祈ってます。

 歴史的には南北朝期秋山氏の城、豊臣秀長時代大和百万石の郡山城の支城として高取城、宇陀松山城が織豊系城郭として石垣造り城郭として改修され見事な城郭だった事が想定されます、廃城が実にもったいなく残念。

 麓の織田陣屋跡は別途投稿いたします。

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ブロせ

宇陀松山城! (2020/12/13 訪問)

バイクで攻城!
行ける所までいって、崖みたいな所を登ってやっと天守跡まで到着♪
そこにいたおじいさんに、聞いたら、正規のルートがあるとか^^;
石垣を見れましたが、大変でした(爆)

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 南北朝時代
築城者 秋山氏
主要城主 秋山氏、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種、福島高晴
文化財史跡区分 国史跡(宇陀松山城跡)
近年の主な復元・整備 福島高晴
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、門、石垣、堀切、横堀(空堀)、竪堀、虎口
住所 奈良県宇陀市大宇陀岩清水、春日、拾生
問い合わせ先 宇陀市商工観光課
問い合わせ先電話番号 0745-82-2457