菩提山城から車で30分くらいで、上石津郷土資料館駐車場(35.286718、136.466453)に着きました。
高木家は関ヶ原の合戦の功により、1601年(慶長6年)に時・多良を拝領しました。
高木家の石高は西高木家2300石・東高木家1000石・北高木家1000石でしたが、交代寄合として大名の格式を許され、幕末までこの地を治めていました。
高木家を区別する為に、陣屋の位置により西高木家、東高木家、北高木家となっているそうです。
また、(水奉行)として木曽三川の治水にもあたり、宝暦治水(1754年(宝永4年)から4年の歳月をかけて行われた木曽川流域の治水工事)にも深く関わったそうです。
上石津郷土資料館(開館時間9:30~17:00 休館日は火曜日(祝日の場合翌日)、入館料100円)です。
入口にも掲げられている島津の退き口もこのあたりだそうです
表門と呼ばれる長屋門は唯一の現存建物で、嘉永5年(1852年)の棟札が確認されています。
この門は本来ここにあったものではなく、もともとは下屋敷御門だったものを移築したものです。長屋門の奥には主屋が残りますが、非公開です。
埋門の石垣を経て西高木家陣屋の石垣は、高く積まれていて何段も重なっており非常に立派です。
お隣の東高木家陣屋跡こちらは遺構少なめですが、立派な土蔵が残ります。文政年間(1818年~1831年)の建物と伝えられる蔵は、修復を経て今も綺麗な海鼠壁を残しています。
また、石垣に挟まれた坂道がなんとも言えない良い雰囲気です。
反対側の石垣は、北高木家陣屋跡のもので、北高木家陣屋跡は三家の中でも最も保存状態が悪いとされ、遺構はほぼこれだけのようです。
陣屋が三軒並ぶ珍しさ。いずれも遺構を残す珍しさ。圧倒される折り重なる石垣。
長屋門も含めて非常に興味深いところでした。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=高室山城に向かいました。
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