金森長近が越前大野城を築くまで斯波・朝倉による地域支配拠点であったお城からは「天空の城」大野城がよく見える。戦国期城郭の戌山城の方が近世城郭の大野城よりずっと高くてずっと大きいという事実にふと気付く。
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2025/03/27 22:39
2024/12/03 19:41
2023/12/16 01:39
大野斯波氏の拠点で天空の城スポット。 (2023/12/08 訪問)
戌山城は標高324.6mの犬山の尾根上に築かれています。斯波高経の三男、義種が入り大野斯波氏の始まりとされています。南北に渡って郭や堀切が連続して続き主郭周辺には畝掘や空堀が多数配されています。主郭の東尾根にも遺構が続きますが大野城を早く見たいので主郭を経由して南を目指します。城址の南端が郭になっていますが、その手前に天空の城鑑賞スポットがあり、この周囲だけ木が切り倒されていて眺望が開けています。朝、大野を目指して車で走っている途中、周囲はすごい霧だったのでひょっとしたらと期待していたのですが、大野城の周辺だけ霧が少ないですね。どうやら街全体が完全に霧で埋まらないと天空の城にならないようです。
確か大野市の市長が自分で売り込んできたはずですが、なかなかハードルの高い天空の城です。南側の遺構を散策して戻ってくるとさっきよりガスが増えている気がする。ちょっとだけ天空の城の感じが出てきました。とりあえず、今はこれが精いっぱいです。
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2022/08/25 06:36
2022夏の青春18キップ10日目:戌山城 (2022/07/29 訪問)
伊自良氏館からの転戦です。伊自良氏館から当初予定したルートは通行止めになっていた為、迂回ルートを捜してみくら清水口付近(35.98519、136.46863)に着きました。
当初予定したルートでは17~18分で着くところ、35分かかってしまいました。
室町時代、幕府の重臣(管領)斯波氏の一族斯波義種により築かれました。
3代目城主斯波持種の子義敏と義廉との家督争いに端を発した斯波氏の内紛に乗じ、朝倉氏に攻め落され、一族の朝倉下野守経景の居城となりました。
1573年(天正元年)朝倉氏滅亡後、織田信長の武将金森長近の城となり、1577年(天正4年)大野城を築くまで、越前美濃の国境の要として重要視されました。
みくら清水口(城内の飲料にされたと伝わります)の登山道入口から登りました。説明案内板が建てられています。
主郭から三方(北西側、北東側、南側)に伸びる尾根に曲輪を配しています。
北東側の大きな堀切には階段やロープが設置されていました。北西側と南側には時間の都合で行っていないのでわかりません。
堀切のオンパレードと畝状竪堀があり、堀切好きの自分は大満足です。(投稿写真を10枚に絞り込むのが難しいです)
主郭から越前大野城の天守が見えると言われていましたが、生い茂る木や草に邪魔されて見えませんでした。(見る方向は間違っていないと思いますが?)
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=越前大野城に向かいます。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 斯波義種 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 斯波氏、朝倉氏、金森長近(織田氏家臣) |
遺構 | 曲輪、堀切、畝状竪堀群 |
指定文化財 | 市史跡(戌山城址) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 福井県大野市犬山 |
問い合わせ先 | 大野市文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0779-65-5520 |