いぬやまじょう

戌山城

福井県大野市


旧国名 : 越前

投稿する
南東尾根を断ち切る堀切
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イオ

南東尾根と南出郭群 (2026/04/12 訪問)

(続き)

主郭南下段の曲輪から南東にのびる尾根の付け根は堀切で遮断されています。尾根筋にも幾条かの堀切があり、その先には南出郭群が広がっています。南出郭群は雲海に浮かぶ「天空の城」越前大野城の展望台として整備されていて、あるいは…と少しは期待していましたが、雲海どころか見事な晴天の下の越前大野城でした(やはり1年半前に来ていれば…)。階段状に設けられた小曲輪群の頂部が南出郭群の主郭で、南東裾には横堀がめぐり、主郭部のような畝状空堀群は見られないものの、南東、北東、南西に派生する支尾根には小さな堀切がありました。以上、2時間弱で戌山城をひとめぐり。

一時的にであれ金森長近の居城となった城でもあり、金龍紀行の一環として登城しましたが、各尾根に幾重にも設けられた堀切といい主郭部を取り巻く畝状空堀群といい、実に見応えのある城でした。戌山城それ自体よりも「天空の城」目当てで訪れる人のほうが多いのかもしれませんが、山城好きならきっと満足できるものと思います。南東麓から鍬掛ルートで登城される方もぜひ展望台から主郭部まで足をのばしてみてください。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

北東尾根と主郭部 (2026/04/12 訪問)

(続き)

主郭部から北東にのびる尾根の付け根も巨大な堀切と竪堀で断ち切っています。北東尾根にはいくつかの小曲輪と堀切が設けられていました。北東尾根付け根の堀切まで戻って西に向かうと、主郭南面には隙間なく畝状空堀群が連なっています。主郭南下段の曲輪を抜けて向かった主郭部西面にもびっしりと畝状空堀群が続いていました。主郭部のほぼ全周を囲むこの凄まじい畝状空堀群。これぞ朝倉の城! という感じですね。そして主郭北下段の曲輪から主郭へ。主郭を囲む切岸はなかなかの高さ、鋭さがあります。戌山城は堀切や畝状空堀群が充実している一方で、土塁はわずかに主郭の北辺に見られるくらいです。

さて、主郭から南下段の曲輪に下りると、南東尾根に向かいます(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

北西尾根と小曲輪群 (2026/04/12 訪問)

南北朝期に斯波義種が大野盆地を見渡す犬山頂部に築いた城で、室町中期には朝倉氏の大野郡支配の拠点となりました。朝倉氏の滅亡後、土橋信鏡(朝倉景鏡)が越前一向一揆に討たれると、一揆鎮圧の功により大野郡の3分の2を与えられた金森長近が入りましたが、翌年に越前大野城を築いて移ったことにより廃城となりました。

みくら清水近くの駐車場(無料・6台ほど)から登城開始。みくら清水は戌山城の水源として一日に三度(三くら)水を汲みに下りてきたことから、その名がついたんだとか。説明板のある登城口から10分弱で北西尾根の最初の堀切に到達。少し先に2条目の堀切、さらに進むと巨大な堀切と両端の竪堀で北西尾根からの侵攻に備えています。ロープをたよりに堀切を越えたところからが城域で、土橋のある堀切をはさんでいくつかの小曲輪が設けられています。北端の曲輪の東面と西面には畝状空堀群があるようですが、藪でよくわかりませんでした。小曲輪群の先は城内最大の大堀切と両端の竪堀が主郭部への侵入を阻んでいます。主郭部へと上がる前に北東尾根に行こうと主郭部の東側へと回り込むと、主郭部北面には幅も深さもある畝状空堀群が展開していました(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

「天空の城」より高くて大きい (2024/05/12 訪問)

金森長近が越前大野城を築くまで斯波・朝倉による地域支配拠点であったお城からは「天空の城」大野城がよく見える。戦国期城郭の戌山城の方が近世城郭の大野城よりずっと高くてずっと大きいという事実にふと気付く。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 斯波義種
築城年 南北朝時代
主な城主 斯波氏、朝倉氏、金森長近(織田氏家臣)
遺構 曲輪、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 市史跡(戌山城址)
再建造物 碑、説明板
住所 福井県大野市犬山
問い合わせ先 大野市文化財課
問い合わせ先電話番号 0779-65-5520