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ゆい

初めての観音寺城 (2024/01/06 訪問)

今日もぼっちで登城。
昨日の三雲城に引き続き、観音寺城にやって来ました!

佐々木六角氏の居城の観音寺城。
こちらも三雲城同様、山城です。

今回初登城だったので、1番難易度が低いであろう観音正寺経由で登城しました。

繖公園ソフトボール場の方へ信号を左折。
少し進むと、急勾配のアスファルトの坂が現れます。
狭く、待避所があるところ以外は対向不可です💦
途中、警笛鳴らせの看板が出てくるのでぜひ鳴らしてください。
私は鳴らしながら通行していましたが対向車に突っ込まれそうになりました。
その後直ぐに料金所が見えます。
車(軽自動車含む)は600円。

駐車場も広くないので運転が得意ではない人は軽自動車で行くのがおすすめです。
私は特に問題なく駐車出来ました。
16:30には駐車場のゲートが閉まるのでそこは注意。

駐車場の隅に大きな石碑があり【観音正寺】と書いていました。

そこから砂利道を上がっていき、途中で【佐々木城】と書いた看板と明らかに林道に入っていく道が現れたので登っていきました。

山城あるあるですが階段は急で、平面の同じ距離を歩くより数倍キツイです。

進んでいくと徐々に汗ばんできました。

途中、イノシシのフンを見つけてしまい怖かったです。
近くにいたらどうしよう、と少しパニックになりました。
GPSで位置を確認しながら登っていきましたが、イマイチ城跡の石碑が発見できなく諦めて帰ろうかと思った時に石碑と看板を見つけました。

山登り初心者で女1人、安全面を考えてあまり奥には進まないようにはしているのですが、帰り道少し迷ってしまい、慌てて電話で観音正寺に助けを求める始末。
ご迷惑おかけしてしまいました、、、

基本的には電波は届きますが、一部圏外になる場所もありました。

観音正寺の方に目印などを伝え帰り道を教えていただき、無事下山。
そのまま観音正寺に行きました。
観音正寺の入山料は500円との事ですが、絶対に払わないといけないわけではないようです。
受付にも誰もいなく、どこで支払うのか分からなかったです。

1番奥の本堂で御城印や御朱印を販売されていました。
日付も書いていただきました。
100名城スタンプは、入口からほど近い事務所の壁沿いにありました。

今日はあまり時間がなかったので、通っただけですが、なかなかに見応えありそうな雰囲気だったので、次回はお寺もしっかり見たいなと思いました。

無事に帰って来れて良かった、、

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しんしんちゃん

二郭に向かう道はなかなか恐い。 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-2 八木城の投稿です。
八木城は太田川の北側にあり、高瀬大橋を渡った先の東側の丘陵上に築かれています。東西の二峯の上に郭があり、東側が主郭で西の祠がある郭が二郭のようです。周辺に駐車場は無く車は置いて来るしかありません。また二郭に向かう道は車では通行出来ません。
二郭に向かう尾根の北側はコンクリートでがっちりと補強されていて落ちたら大変なことになります。ガードレールがありますが、高所恐怖症の人にはかなりキツそうですね。
城主は香川氏で承久の乱の功績で八木村の地頭として移ってきたそうです。香川氏は戦国期には武田氏に従っていましたが武田氏が内部分裂で滅ぶと毛利氏→吉川元春と仕え後に岩国に移っていったそうです。ちなみに二郭にある祠には香川氏の祖・鎌倉権五郎景政を祀ってあるそうです。

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HKISD

朝日山城散策 (2024/01/02 訪問)

ここは鳥栖駅の駐車場からだとかなり登山ですね。
車で山頂まで行って散策しましたが展望台はしっかりしており
鳥栖全体が見渡せました。

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森長俊 (2024/01/06 訪問)

 森長俊が築いた陣屋です。物見櫓が今に残る陣屋唯一の建造物とのことで、中御門、長屋等を含めて復元整備されています。三日月駅へ行く途中に移築された表門や武家屋敷群を観ることができます。

 JR姫新線三日月駅から陣屋まで徒歩約15分でした。

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しんしんちゃん

恵下山・山手遺跡群 (2023/12/31 訪問)

年末一ノ槍-1 恵下山城の投稿です。
恵下山城は北は太田川、南は三篠川に挟まれた丘陵上に築かれています。恵下山・山手遺跡群に位置づけられていて弥生時代から人が暮らしていたようです。推定の城主は金子氏ではないかされていますが詳細は不明です。
構造は東西の丘陵上の二股に分かれ北尾根でつながっています。西側が本城で東側の郭は出丸とされ、いつの時代のものかは不明ですが出丸の周囲には石積みが残っています。本丸の南側に二の丸が隣接し北側の堀切を隔てて郭が配されているようです。本丸と北郭からは周囲を良く眺望できます。

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佐用兵庫介範家 (2024/01/06 訪問)

 赤松氏の重要拠点のひとつとなっていた城ですが、戦国時代黒田官兵衛、竹中半兵衛らによって攻め落とされたと伝わっています。土塁上に福原霊社が建てられています。

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くうくう

数々の復元によりますます魅力上昇中の舞鶴城

一条小山の地に武田躑躅ヶ崎館にかわる平山城が豊臣重臣の浅野長政幸長親子により築かれた。対徳川を意識しての城であったが、江戸期には徳川氏直轄地となり江戸西側の防衛を担った。天守は天守台までのようだが、一二三段の高石垣など石垣の魅力が満載。近年は稲荷櫓、鍛冶曲輪門、山手渡櫓門、鉄門など復元され整備が進んでいる。近くの山梨県防災新館地下1階には「甲府城石垣展示室」があり発掘で確認された内堀の石垣や胴木が移設復元されている。

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山中鹿之助 (2024/01/06 訪問)

 山陰の覇者であった尼子氏の再興が潰えたことで知られる城です。
上月歴史資料館前から登城しました。登城路は整備されていて歩きやすく、主郭までは約20分で行くことができました。曲輪跡、浅くなっていますが堀切等を観ることができます。眺望はよく利神城方面まで観ることができるようですが、この日は小雨が降っていてよくわかりませんでした。早めに西側の堀切を過ぎたところで下山しましたが、そのまま目高集落方面へ歩いて行くと砦跡があるようです。雨も降ってきていたことあり早めに下山すると晴れ間が見えるようになりました。

 JR姫新線上月駅から徒歩約10分で登城口のある上月歴史資料館に行くことができます。電車の本数は少ないので要注意です。

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くうくう

方形居館の土塁空堀遺構がみごとに整備されている

築城年・築城者についてははっきりわかってない。戦国期武田氏の蔵前の庁所という説もあったが、遺跡発掘から15世紀前半から中頃に使用されていたと考えられている。武田氏が甲斐東部へ勢力を伸ばしていた時期に重なり、その関連性が注目される。それにしても見事な土塁空堀だった。一辺が約130mある不等四辺形の屋敷跡。ただそれだけなのが想像を掻き立てる。

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しんしんちゃん

恐れ知らずの村上海賊の城。 新年第一稿 (2024/01/01 訪問)

新年の祝賀を申し上げたいのですが、今はとてもそのような状況にありません。一連の災害で亡くなられた方のご冥福と一刻も早い状況の改善を祈ります。地震が起きた元日、私はちょうど中国地方の城を攻略していました。
上関城や周辺の台場を攻略している最中に車内のTV(音声のみ)からアナウンサーの絶叫が聞こえてきました。ただ事ではないぞと思いスペースを見つけて駐車して家族に連絡を取りました。夕焼けにつられてか、どんどん人が集まってきます。自分の無事を家族に伝え先方の状況を確認しますが、同じ本州の海でも上関はこんなにも静かで美しいのです。
被災地の方々が心配ですが私にはどうすることも出来ないので旅をつづけました。
上関城は能島の村上義顕の子吉敏によって海関として築かれ、代々居城とされました。上関を通過する船や周囲を監視するのに適した海に突き出ている標高49mの丘陵上に築かれており、大きく北と南の郭に分けられ南の郭の方が高地にあります。南郭の背後には巨大な土塁があり、その向こう側は確認できません。能島海賊衆はこの城で上関を通過する船から通行料(帆別銭)を徴収していたのですが大内氏とモメて一度は上関から追い払われるのですが反撃をして奪い返したそうです。

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カズサン

木造復元天守30年掛川城新年登城 (2024/01/06 訪問)

 令和6年の初登城は掛川城としました。今年は平成6年4月公開された木造復元天守閣30年と記念の年と成り正月明けの6日登城しました。
 駐車場:掛川大手門駐車場(有料)

 正月明け6日の土曜日なのか大勢の方が登城されて居りました、海外の方も、四足門前には正月定番の門松、霧噴き井戸にはしめ縄を付け、天守付櫓入口にもしめ飾り、天守に登りましたが30年経っても木組みは真新しいまま、二階に鯱展示にもしめ縄飾り、階段は急で一段一段ゆっくりと登り展望階へ、掛川駅方面、西には磐田台地越しに浜松アクトタワーが望めます、天守より二の丸御殿を眺め、掛川古城も手に取るよう。
 二の丸御殿へ、此処も大勢の方が見えて居りました、入館券は天守閣と御殿合わせ大人410円、JAF割で320円。サラッと回ったつもりでも約1時間半、駐車場代は300円でした。
 現在天守登城路の土塀、同板屋根、天守東下帯曲輪土塀、同板屋根の経年劣化痛みが増しており修復工事中でした。
 
 この後は南西10km程に在る遠江三山の一つ法多山に寄り初詣と名物の厄除け法多山団子を1箱購入600円。帰って家族で頂きます。
 本年もぼちぼち城探訪、城びと投稿させて頂きますので宜しくお願い致します。
 
 元旦の令和6年能登半島地震、2日の海上保安庁機とJAL機の衝突事故で新年の挨拶がしにくい状況で控えます。
 亡くなられた方々へのご冥福と被害を受けられた方々へのお見舞いを申し上げます。

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いんげん丸虫

古城 長野県青木村 (2023/12/02 訪問)

標高895mの山城です。
一つの尾根に主郭を中心に堀切、2曲輪、両端に
二十堀切とシンプルですが遺構の残存状態も良く
好きな城跡です。
古城(ふるじょう)という、よくある名称ですが
山城好きの方にはお薦めです。
沓掛温泉の駐車場に駐車可能です。その背後の
山をほぼ直登します。かなりの角度がありますね。

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イオ

水攻め関連遺跡めぐり (2023/10/15 訪問)

(続き)

城跡から南東約900mの高松城水攻め史跡公園は、羽柴秀吉が水攻めのために築いた約3kmにわたる堤防の起点となった地で、幅15.2m、高さ4.5mの堤防(蛙ヶ鼻築堤)が現存しています。堤防前に立てられた高松城跡高さ表示板と堤防を見比べると、本丸を水没させるに足る規模で築かれていることがよくわかります。蛙ヶ鼻での発掘調査では堤防の基底部に杭列や土俵の痕跡が確認され、その一部はモルタルで固めて見学できるようになっていました。

蛙ヶ鼻築堤から北西約2.5kmの足守駅付近が水攻め築堤の北端で、副堤を築いて足守川の水を引き入れた場所と伝わります。足守川の水の取入れ口と副堤の北端に標柱が立てられていました。蛙ヶ鼻から副堤北端まで車で走っても約15分。これほどの距離にあれほどの規模の堤防をわずか12日間で築いてしまうとは…。実際に訪れてみてスーパーゼネコン秀吉組の実力のほどを改めて実感させられました。

時間があれば秀吉本陣はじめ、「高松城水攻め」パンフレットに載っている諸将の陣跡にも行きたいところでしたが、その辺はまたの機会に。
 

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HKISD

日隈城跡散策 (2024/01/02 訪問)

公園の上に城跡があり。
なんと言ってもこの二方に流れる川が絶景で驚きました。
この散策は最高でした。

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HKISD

永山城跡散策 (2024/01/02 訪問)

しっかりとした石垣が残っていました。
整備もキチンとされており登りやすかったです。
登った後の日田の街並みを見下ろしたのは最高でした。
近くに豆田の城下町も散策出来素晴らしかったです。

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ゆき

初江戸城 (2023/11/25 訪問)

虎ノ門から官公庁が密集している霞ヶ関をゆっくり歩いてみました。しかしながら舐めてました。広すぎる‥
見附を巡りながらと思いましたが諦めてササっと撮影して終わりましたが再挑戦したいです!

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

南関御茶屋敷の駐車場から登りました。

登りきるまでは屋敷の庭園ですが、登った先には立派な石垣を見れます❗

官軍墓地もある激戦の地だったみたいなので手を合わせて帰りました。

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

ここまで大きい堀切に囲まれたお城だったとは…下からゆっくり見て上がるのがやっぱり楽しいですね

駐車場もありトイレもあり、のんびり見れました。

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

下から見れば公園登ればお城❗

空堀や曲輪など見てまわれます。

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ぴーかる

横尾八幡城 (2023/11/25 訪問)

【横尾八幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目10城目。現地説明板によると横尾八幡城は大永年間(1521~1528年)に尻高三河守によって築城された伝えられます。後に塩原源太左衛門が城代となり、1580年真田昌幸の吾妻進出によって富沢豊前守が配置されました。武田氏滅亡・本能寺の変後は北条氏が進出してくるようになり、真田昌幸は利根・吾妻の2郡を長子真田信幸に任せます。信幸は吾妻の武士たちをこの城の番衆として守らせます。1589年北条氏邦が攻めてきますがこれをよく守り撃退しています。
 城跡へは登城口から案内版矢印に従って行けば主郭背後の帯曲輪に入り主郭に着けます。城跡は主郭とその下段に副郭の大きく2つの曲輪があり主郭に帯曲輪が取り巻き、主郭は土塁囲みになっています。土塁が高く主郭内、主郭の帯曲輪から見上げるとまあまあ迫力があります。主郭東側の副郭のさらに東側の奥が急峻な崖になっていて土塁も何もなく落ちたらヤバイ状態になっており珍しい構造、後年崩れたものかもしれません。城跡内は雑草化していますが登城口から城跡内まで舗装道なので簡単に攻められる山城です。

<満足度>◆◆◇

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