202206遠征(対馬&五島&北部九州)7日目(最終日):太宰府
(2022/06/11 訪問)
乙隈城からの転戦です。太宰府政庁跡駐車場入口(33.513425、130.514148)から進入して駐車しました。
7世紀後半に天智天皇により築かれました。
百済と結んで朝鮮半島で新羅と唐の連合軍と戦ったが破れ、百済は滅ぼされ日本水軍は白村江の海戦で大敗しました。
これにより日本は新羅・唐からの侵攻に備え各地に城を築くことなり九州の統括などを行うため政庁が置かれました。
大宰府は「都府楼跡」の名でも親しまれ、7世紀後半から12世紀後半にかけて、九州を統括する行政機関として機能し、西の都としての役割も果たしました。
地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました。
政庁の建物は失われていますが、古い建築基礎は今も遺されており、現在は史跡公園として整備されています。
公園の入り口近くにある「大宰府展示館」(入館料は200円)では、考古資料の展示をはじめ、西の都・大宰府を紹介しています。
攻城時間は20分(強雨の為、早めに切り上げました)くらいでした。次の攻城先=岩屋城に向かいます。
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