だざいふ

大宰府

福岡県太宰府市

別名 : 太宰府
旧国名 : 筑前

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太宰府政庁正殿跡
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しんちゃん

九州の防備の要でもあった都城。 (2019/12/31 訪問)

大宰府は大野山の南の平野一帯に築かれ、中心に太宰府政庁が置かれています。
北は大野城、南は基肄城、西は水城に守られ、北を除く周囲を御笠川が流れる
天然の要衝でもある都城だったようです。九州の大陸に対する防御の要として鎌倉時代初期
あたりまでは機能していたようですが、しだいに衰退していったようです。
正殿跡には礎石が残り、東西に脇殿跡が残ります。南の大手にあたる南門跡には
周囲に築地跡が続いています。脇殿の周囲には回廊が配され脇殿と正殿を繋いで
いたようです。

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トク

大宰府天満宮の飛梅 (2023/02/16 訪問)

大宰府天満宮に梅の花が咲きました。この香りを皆様の元へお届けします。

東風吹かば
にほいおこせよ梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ
(菅原道真)

「梅ヶ枝餅」も御一緒にどうぞ😊!
 

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)7日目(最終日):太宰府 (2022/06/11 訪問)

乙隈城からの転戦です。太宰府政庁跡駐車場入口(33.513425、130.514148)から進入して駐車しました。

7世紀後半に天智天皇により築かれました。
百済と結んで朝鮮半島で新羅と唐の連合軍と戦ったが破れ、百済は滅ぼされ日本水軍は白村江の海戦で大敗しました。
これにより日本は新羅・唐からの侵攻に備え各地に城を築くことなり九州の統括などを行うため政庁が置かれました。

大宰府は「都府楼跡」の名でも親しまれ、7世紀後半から12世紀後半にかけて、九州を統括する行政機関として機能し、西の都としての役割も果たしました。
地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました。
政庁の建物は失われていますが、古い建築基礎は今も遺されており、現在は史跡公園として整備されています。
公園の入り口近くにある「大宰府展示館」(入館料は200円)では、考古資料の展示をはじめ、西の都・大宰府を紹介しています。

攻城時間は20分(強雨の為、早めに切り上げました)くらいでした。次の攻城先=岩屋城に向かいます。

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刑部

広いですね! (2022/04/29 訪問)

かなり広いです、岩屋城からもよく見えます。そこから目を少し右に向けると水城の土塁全体が伺えます。

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城郭情報

分類・構造 都城
天守構造 なし
築城主 天智天皇
築城年 7世紀後期
主な城主 大宰帥
遺構 道路跡
指定文化財 国特別史跡(大宰府跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県太宰府市観世音寺4
問い合わせ先 太宰府市文化財課
問い合わせ先電話番号 092-921-2121