だざいふ

大宰府

福岡県太宰府市

別名 : 太宰府
旧国名 : 筑前

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①	開花した梅(紅)
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トク

大宰府天満宮に梅の花が開花しました (2024/01/15 訪問)

大宰府天満宮に梅の花が開花しました。去年より2週間以上も早いようです。満開までにはまだ少しかかりそうですが、早くも春の訪れを感じました(写真①-⑤)。

今年の九州の冬は比較的暖かくて穏やかな日々が多く、昼にコートを着るような日はほとんど少なかったです。秋から短い冬を飛び越え一気に春が来てしまったような季節の変化に、梅もさぞかしびっくりして咲いたのかもしれません。

しかし一方で、能登地震のニュースなどで、雪の降る中で行方不明者の捜索をされている方々や、避難所で寒さに耐えている方々の映像を見ると、とても申し訳なく思い心が痛みます(すいません)。一日も早く復旧し元の生活に戻られる事を祈ります。

本殿は、現在修復リニューアル工事中で、仮本殿になっています。九州では数少ない平安時代の遺構を残す建築物なので、どのようにリニューアルされるのか楽しみです。

大宰府天満宮には「菅原道真」公が祀られています。道真は学問にとても秀でており知識も豊富で、当時の天皇からの信頼も厚く、京では右大臣にまで登りつめた人物でした。しかし、それをよく思わぬ藤原氏の陰謀であらぬ謀反の疑いをかけられ、大宰府に左遷されその生涯を閉じてしまいます。

同じ平安時代でも、現在の大河ドラマ「光る君へ」の主人公の藤原道長や紫式部より100年前の人物ですが、もし道真がこの二人と同じ時代に生きたなら、どんな事を語り合ったのだろうか? などとありえない事を、この梅の木の下で想像してしまいました(笑)。

帰りにまた、名物「梅ヶ枝餅」買って帰りました(写真⑩)。この味、私はやみつきです😊
 

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しんちゃん

九州の防備の要でもあった都城。 (2019/12/31 訪問)

大宰府は大野山の南の平野一帯に築かれ、中心に太宰府政庁が置かれています。
北は大野城、南は基肄城、西は水城に守られ、北を除く周囲を御笠川が流れる
天然の要衝でもある都城だったようです。九州の大陸に対する防御の要として鎌倉時代初期
あたりまでは機能していたようですが、しだいに衰退していったようです。
正殿跡には礎石が残り、東西に脇殿跡が残ります。南の大手にあたる南門跡には
周囲に築地跡が続いています。脇殿の周囲には回廊が配され脇殿と正殿を繋いで
いたようです。

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トク

大宰府天満宮の飛梅 (2023/02/16 訪問)

大宰府天満宮に梅の花が咲きました。この香りを皆様の元へお届けします。

東風吹かば
にほいおこせよ梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ
(菅原道真)

「梅ヶ枝餅」も御一緒にどうぞ😊!
 

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)7日目(最終日):太宰府 (2022/06/11 訪問)

乙隈城からの転戦です。太宰府政庁跡駐車場入口(33.513425、130.514148)から進入して駐車しました。

7世紀後半に天智天皇により築かれました。
百済と結んで朝鮮半島で新羅と唐の連合軍と戦ったが破れ、百済は滅ぼされ日本水軍は白村江の海戦で大敗しました。
これにより日本は新羅・唐からの侵攻に備え各地に城を築くことなり九州の統括などを行うため政庁が置かれました。

大宰府は「都府楼跡」の名でも親しまれ、7世紀後半から12世紀後半にかけて、九州を統括する行政機関として機能し、西の都としての役割も果たしました。
地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました。
政庁の建物は失われていますが、古い建築基礎は今も遺されており、現在は史跡公園として整備されています。
公園の入り口近くにある「大宰府展示館」(入館料は200円)では、考古資料の展示をはじめ、西の都・大宰府を紹介しています。

攻城時間は20分(強雨の為、早めに切り上げました)くらいでした。次の攻城先=岩屋城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 都城
天守構造 なし
築城主 天智天皇
築城年 7世紀後期
主な城主 大宰帥
遺構 道路跡
指定文化財 国特別史跡(大宰府跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県太宰府市観世音寺4
問い合わせ先 太宰府市文化財課
問い合わせ先電話番号 092-921-2121