因幡山崎城からの転戦です。グーグルマップに載っている敬愛高校のグランドに、どうしてもたどり着くことができず、周辺の道路を何度もぐるぐると回ってしまいました。結局、野坂川の北側から歩いて橋を渡って何とかたどり着くことができました。ぴーかるさんが写真投稿されている登城箇所にたどり着いた時の喜びと言ったら。鉄塔が建つ主郭からの帰路はあさんと同じルートをとらせていただきました。
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2025/06/04 06:31
ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑤ (2025/05/04 訪問)
因幡山崎城からの転戦です。グーグルマップに載っている敬愛高校のグランドに、どうしてもたどり着くことができず、周辺の道路を何度もぐるぐると回ってしまいました。結局、野坂川の北側から歩いて橋を渡って何とかたどり着くことができました。ぴーかるさんが写真投稿されている登城箇所にたどり着いた時の喜びと言ったら。鉄塔が建つ主郭からの帰路はあさんと同じルートをとらせていただきました。
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2024/10/27 18:41
新山城 (2024/10/05 訪問)
【新山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.496717, 134.197762>の道路脇か、狭いが奥へ行って<35.495218, 134.197798>が広場になっている。
<交通手段>車
<感想>初秋の鳥取縦断平山城攻め旅2城目。新山城の情報は少ないので城びとの城郭情報から、築城は天文年間(1532〜1555年)に山名氏が築城したようです。
レポートされている、あさんの登城情報が大変役立ちました、ありがとうございます。登城口は鳥取敬愛高校運動場の西側に回り込んだ上記駐車ポイントの奥の広場の手前に進入口(最後の写真)があります。右手に獣捕獲の檻罠を過ぎて左に曲がり進むと中国電力の看板と山に登る樹脂の階段があり、特に立入禁止の看板やバリケードも無く登っていけます。山頂まで尾根道が続いていますので難なくたどり着けます。
城跡は道中の中間地点程に一旦山のピークがあり、それを過ぎて下り登った辺りからかなあという感じを受けました。山頂の鉄塔の手前に切通しの堀切があり、その南北が尾根上の削平地があります。その先が谷を下って登ると鉄塔のある山頂に着きます。全体的に遺構が表面観察ではよく分からない城跡でした。
<満足度>◆◇◇
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2022/09/08 19:48
カズサンさんのリベンジ (2022/09/04 訪問)
鳥取城周辺の城を探していると、2020年11月のカズサンさんの新山城記事に接しました。立ち入り禁止のフェンスに阻まれ、また、道路の交通量が多く、遠景も撮れなかったと。
古城登城の達人のレポートを何度見ても、立ち入り禁止を乗り越えて行った感が。しかし、そうでは無かろうと、山の東側からの侵入道を探すも果たせず。遠景を撮影してよしとするかと思ったのですが、カズサンさんの無念を晴らすべく、googleマップをチェック。
山の西側に鳥取敬愛高校があり、そこの山側に切り開いた斜面あり。ところが、西側に回り込み、高校に至ると、「カメラ作動中、侵入者があれば直ちに通報します」と。前科を作りたくないので、高校の麓を更に南下。グラウンドが途切れたところで、畑作地あり、その奥に、木々を伐採した斜面あり。新山城の本郭に送電線鉄塔が立っているのですが、その南にも別の系統の送電線の鉄塔あり。なんとこの斜面にその鉄塔に行くメンテナンス道があるではありませんか。難なく登り、そこから、北進して新山城へ。北進道は、中国電力が整備されているようです。中国電力と書かれた立札がいくつかたっていました。
帰りは、徳尾貯水タンク横を通り、下山すると、見た覚えがある、立ち入り禁止のフェンスあり。帰りは横を近道をさせてもらいました。
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2020/12/18 14:52
布施街道の見張り城郭 (2020/11/29 訪問)
前日鳥取の近くで城びと未投稿の河口城(鳥取県東伯郡湯梨浜町泊)と会下城(鳥取県鳥取市気高町会下)を雨の中訪ねましたがもう一城、新山城(鳥取県鳥取市徳尾)を翌日に訪ねました、今回の九州未踏の城廻り累計37城目。
新山城は帰省の折よく通行してる道筋で布施国体道路と現国道29号線の交差点南西角に在り、崖上には貯水タンクが在り立ち入り禁止地区と成ってる。ここも城跡だったのかと思った次第。
案内板、資料も無く、鳥取市文化財課発行の山陰の城館跡、因幡の山城小冊子にも掲載が無いので、日本城郭全集11鳥取県島根県山口県編人物往来社昭和42年発行より新山城を調べると下記の様。
歴史は天文(1532~54年)の頃布施の因幡守護山名誠通に依り、但馬の山名裕豊との国境抗争で鳥取城と新山城を同時に築いた、布施の本城天神山城を防御する出城、新山城は千代川西の山尾根先端崖上で鳥取、布施の往来が真下に見える見張り砦、定番として家老中村伊豆守を置いた、現在は国体道路、国道29号線開通、貯水タンク設置等で大幅に壊されてるが城址上には城の平、曲輪が有る様です。
今回の探訪は徳尾貯水タンク登り坂、国道29号線と布施国体道路の交差点の南側約100m(国道29号線下り側)程の所に登り坂が有り、車は登り坂に突っ込み路駐、但し坂道の途中にフェンスが有り立ち入り禁止。
坂道を撮影したのみ、北より新山城はの全景を撮ろうと29号線を北に走るが交通量多く路駐できず撮影断念。中途半端に成りました是非次の方の投稿を宜しくお願いします。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 山名氏 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 中村氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、横堀、堀切、竪堀 |
住所 | 鳥取県鳥取市徳尾 |