黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(1/2)
(2025/02/21 訪問)
黒田六端城を行く、3城目は「鷹取山城」です。六端城の由来と(1城目)黒崎城(2城目)若松城は以前お伝えしたので、その続き3城目からまた始めさせて頂きます。
黒崎城から南へ20km、直方(のおがた)市の標高633m(比高550m)の山頂に鷹取山城はあります。六端城の中では訪れるには最大の難所だと思います。黒田長政は重臣の「母里太兵衛友信」に18,000石を与え築城させました。母里太兵衛(もりたへえ)と言えば、福島正則との飲み比べに勝ち、あの黒田節のモデルとなった事で有名な槍の名手です。大河ドラマ軍師官兵衛では「速水もこみち」さんが演じられていましたね。
城びと先人の方々の投稿を拝見すると、南側に車を止めて人気の上野登山口の南ルートから攻めていたようなので、そこがいちばん整備された道で登りやすそうです。しかしその近くに行くバスは無く、直方駅から山の北側に行くバスがあり、そこから北ルートがあるようなので、私は北ルートから攻めてみる事にしました。まず博多駅前にある太兵衛の銅像にあいさつしてから出発します(写真⑩)。そしてJR篠栗線で博多から直方へ、直方駅前からバス[2][3]道目木循環に乗り15分、「出口」のバス停で下車しました。ここから鷹取山を見上げると、うわ!結構高い😯(写真①)。
歩き始めて30分、登城口の「鳥野神社」に着きました(写真②)。鳥居のすぐ前のダム湖沿いに駐車場とトイレがあり、車の方はここまで来れそうです。鳥居をくぐって石段を登り、安全祈願をして神社の右側から入りました(写真③)。この先どこが道なのかよくわからない場所が多かったです。30mぐらいの間隔でピンクのリボンがあったので、迷わぬように慎重に、それらを一つ一つよく探しながら登りました。登山道というより、これはもう修験道ですね(笑)。
途中の山の中腹で大規模な畝状竪堀とその一部が石で積まれた登り石垣のような場所がありました(これはすごい!)。竪堀は風化されていますが、それでもかなりの深さと長さです。その上には櫓台のような石積があり、このあたりはかなり強固な防御陣地が築かれていたようです(写真④⑤)。下には鳥野神社もあり、ここは黒崎に最も近い場所なので、たぶんこのルートが昔は最も防備を固めた大手道だったのではないかと推測しました。
さらにこの先を尾根伝いを進むと、数十メートル間隔で大きな石がゴロゴロありました。これらは破却された石垣のようです(これもすごい!)。よっていくつもの砦がこの尾根伝いに数十メートル間隔で築かれ、かなり壮大な防御網がここにあったようです(写真⑥)。よって黒田長政は、もし細川忠興と一戦交える事になった場合、この鷹取山城を六端城の中でも最重要拠点と考えていたのではないかと私は推測しました!🤔。
しかしながら、長政は一国一城令の出た1615年頃には、江戸幕府から危険人物とされてしまったので、特にその原因となった六端城は、これ以上疑われぬよう徹底的に破却したようです。これらの石は、そんな大規模な破却の跡のように感じました。最後は福岡城の天守まで壊したくらいですからね。
そしてやっと山頂(鷹取山城)へ到着。案内図では神社から1時間40分と書かれていましたが、健脚でない私の足では3時間もかかり、もう息絶え絶えです(笑)。でも先人の方々が見られなかった、大規模な畝状竪堀や破却の跡などを見る事ができたので、疲れ以上に満足感がありました。
次は、その山頂本丸の様子(2/2)に続きます。
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