上野(あがの)登山口近くの無料駐車場を利用し、1時間ガッツリ登山。本丸下段南北と上段東西に計4か所残る枡形虎口は疲れを忘れさせる素晴らしさ。水仙咲き誇る本丸からの眺望も素晴らしい
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2026/01/01 22:04
20190418鷹取山城(福岡県直方市) (2019/04/18 訪問)
上野(あがの)登山口近くの無料駐車場を利用し、1時間ガッツリ登山。本丸下段南北と上段東西に計4か所残る枡形虎口は疲れを忘れさせる素晴らしさ。水仙咲き誇る本丸からの眺望も素晴らしい
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2025/06/03 14:28
黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(2/2) (2025/02/21 訪問)
鷹取山城の続き(2/2)です。山頂からの360°の眺めは最高でした。汗をかいたので風がとても気持ちよかったです。前回写真⑦の説明で太兵衛が日本一だと言っていた、ここよりまだ高い福智山がドンと目の前に見えます(写真①)。あの上からこの鷹取山城を見下してみたいですが、私の足がもう限界と言っているので無理そうです。ここで持ってきたお茶とおにぎりを頬張りました(うまい!)。神社からここまで誰にも会わず、この雄大な景色をゆっくりと一人占めできました!(写真②③)。結局平日のせいか、行きも帰りも最初から最後まで誰にも会いませんでした。
鷹取山城は二段になっていました(写真④)。上段の主郭には隅櫓の礎石跡があります(写真⑤⑥)。下段の外郭にも櫓の跡がいくつかありました(写真⑦)。また四方に虎口があります(写真⑧)。当時はさらに上段・下段とも多聞櫓で厳重に囲まれていたようです。斜面には石垣の跡や畝状竪堀も見られたので、破却前はいったいどんな城だったのか? かなり壮大な城だったように思えました。
帰りは福智山ダムルートで下山しました(前回写真⑨)、というか同じ道を下るつもりが間違えてしまい、1時間も遠回りしてしまいました。結局全行程4時間くらいでバス停まで戻り着くだろうと甘く考えて登り始めたのですが、私は健脚でないにもかかわらず、さらに道まで間違え遠回りしてしまったので、終わってみれば7時間もかかってしまい、翌日筋肉痛に襲われたのは言うまでもありません(笑)。
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2025/06/02 09:15
黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(1/2) (2025/02/21 訪問)
黒田六端城を行く、3城目は「鷹取山城」です。六端城の由来と(1城目)黒崎城(2城目)若松城は以前お伝えしたので、その続き3城目からまた始めさせて頂きます。
黒崎城から南へ20km、直方(のおがた)市の標高633m(比高550m)の山頂に鷹取山城はあります。六端城の中では訪れるには最大の難所だと思います。黒田長政は重臣の「母里太兵衛友信」に18,000石を与え築城させました。母里太兵衛(もりたへえ)と言えば、福島正則との飲み比べに勝ち、あの黒田節のモデルとなった事で有名な槍の名手です。大河ドラマ軍師官兵衛では「速水もこみち」さんが演じられていましたね。
城びと先人の方々の投稿を拝見すると、南側に車を止めて人気の上野登山口の南ルートから攻めていたようなので、そこがいちばん整備された道で登りやすそうです。しかしその近くに行くバスは無く、直方駅から山の北側に行くバスがあり、そこから北ルートがあるようなので、私は北ルートから攻めてみる事にしました。まず博多駅前にある太兵衛の銅像にあいさつしてから出発します(写真⑩)。そしてJR篠栗線で博多から直方へ、直方駅前からバス[2][3]道目木循環に乗り15分、「出口」のバス停で下車しました。ここから鷹取山を見上げると、うわ!結構高い😯(写真①)。
歩き始めて30分、登城口の「鳥野神社」に着きました(写真②)。鳥居のすぐ前のダム湖沿いに駐車場とトイレがあり、車の方はここまで来れそうです。鳥居をくぐって石段を登り、安全祈願をして神社の右側から入りました(写真③)。この先どこが道なのかよくわからない場所が多かったです。30mぐらいの間隔でピンクのリボンがあったので、迷わぬように慎重に、それらを一つ一つよく探しながら登りました。登山道というより、これはもう修験道ですね(笑)。
途中の山の中腹で大規模な畝状竪堀とその一部が石で積まれた登り石垣のような場所がありました(これはすごい!)。竪堀は風化されていますが、それでもかなりの深さと長さです。その上には櫓台のような石積があり、このあたりはかなり強固な防御陣地が築かれていたようです(写真④⑤)。下には鳥野神社もあり、ここは黒崎に最も近い場所なので、たぶんこのルートが昔は最も防備を固めた大手道だったのではないかと推測しました。
さらにこの先を尾根伝いを進むと、数十メートル間隔で大きな石がゴロゴロありました。これらは破却された石垣のようです(これもすごい!)。よっていくつもの砦がこの尾根伝いに数十メートル間隔で築かれ、かなり壮大な防御網がここにあったようです(写真⑥)。よって黒田長政は、もし細川忠興と一戦交える事になった場合、この鷹取山城を六端城の中でも最重要拠点と考えていたのではないかと私は推測しました!🤔。
しかしながら、長政は一国一城令の出た1615年頃には、江戸幕府から危険人物とされてしまったので、特にその原因となった六端城は、これ以上疑われぬよう徹底的に破却したようです。これらの石は、そんな大規模な破却の跡のように感じました。最後は福岡城の天守まで壊したくらいですからね。
そしてやっと山頂(鷹取山城)へ到着。案内図では神社から1時間40分と書かれていましたが、健脚でない私の足では3時間もかかり、もう息絶え絶えです(笑)。でも先人の方々が見られなかった、大規模な畝状竪堀や破却の跡などを見る事ができたので、疲れ以上に満足感がありました。
次は、その山頂本丸の様子(2/2)に続きます。
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| 分類・構造 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 築城主 | 永井宗久 |
| 築城年 | 永承元年(1046) |
| 主な改修者 | 黒田長政 |
| 主な城主 | 永井宗久、少弐氏、筑紫氏、大友氏、母里氏(黒田氏家臣) |
| 廃城年 | 天正15年(1587) |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、竪堀 |
| 住所 | 福岡県直方市大字永満寺鷹取山、田川郡福智町 |
| 問い合わせ先 | 直方市教育委員会庶務課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0949-25-2243 |