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天守無しがアツい

3回分の訪問記 (2024/01/14 訪問)

高島城には3回行ったことがあります
まず1回目…小学生の時のことを当時つけていた日記から抜粋して紹介

8/4 今日すわ湖に行きました。白鳥のゆうらんせんにのって3がいに行ってみると山とか、すわ湖の水とか町が見えてきれいだったです(ちょっとゆれてこわい)。

たかしまじょうにも行って当じの刀とか、ふく、ひな人形があって、すごい所だったです

いろいろお店をみて、さいふを買いました。テレホンカードも入るから良かったです。

おばあちゃんが、わさびでそめたさいふほしかったなーと言ってました。ホテルへ帰る時、雨がふったのできのうと同じでした。

(担任のコメント)おばあちゃんもいっしょでよかったね。

続いて2回目…成人後…二十代に行った時のことを紹介

高島城に入場。思ったより小さめの城でした。3F建てで、「あれ、こんなんだったっけ?」と、その記憶違いにギャップを感じました

小田原城や名古屋城には最上階に記念メダルの自販機があり、そこで自分の名前(ローマ字)・日付を刻印できるのですが、ここにはそういうのはなく、諏訪市のジオラマがあるのみでした。とりあえず3階から外を眺めてみました。

1階には土産コーナーがあったのですが、欲しいものは特に無かったので長居はしませんでした。大河ドラマ『風林火山』のポスターが城内にあり、どうやら諏訪もその舞台になったらしいです…(そもそもあの作品は全然見てなかったから、何とも言えませんが)。

城の近くには神社と公園があって、子供がそこで遊んでいました。私は彼らが遊びまわっている傍らで、その辺をウロウロしていました

ちなみにこの城、規模は小さいけどお堀はちゃんとありました。だから橋がかかっており、ちゃんと足元を見ないと落ちるかもしれませんでした…ww

そして3回目…「過去2回城内に入り天守も見学した」「けれどあの時はまだ御城印がリリースされてなくて、未入手のまま…」「もう一度…松本城に行くついでに立ち寄って、御城印を買おう。未回収を回収…補完旅行だ🚈」

(諏訪高島城の案内サイトURL)
https://www.city.suwa.lg.jp/site/enjoy/4446.html

高島城にはこれで3度目の訪問…過去2回は夏でしたが、今回は初の冬見学…外を歩くだけで刺すような寒さが私を襲い、上諏訪駅から城までの歩く途中、湧き出る温水があり、そこで両手を温めたりしました。逆に言えばそれが必要になるくらいに寒い…🥶

高島城…正式名称は諏訪高島城かな…。入口に着くと天守が私をお出迎え🏯(画像1枚目) そして堀の水は何と…氷が張ってました🧊 見た感じ薄い氷なので橋の上から飛び降りると割れて、タイタニックの冷たい海水並みの水の中に真っ逆さま…でしょうね😱

橋を渡り城門をくぐり入城。階段を上って天守に入りました。チケット購入と同時に御城印も購入。1,2回目の訪問の際はまだ平成…おそらく御城印がリリースされてなかった…ので今回は「行きこそしたけど(御城印における)未回収エリアの補完」という意味合いが強めでもありました

ここの御城印を御城印帳に収めて撮影(2枚目右側が高島城、左側は松本城の石川家ver) 高島城という文字の後ろに天守が浮かぶイカしたデザインだと、こうして改めて見ると思いますね😄 

ちなみにこの諏訪という場所…「逃げ上手の…」における重要な場所で、鎌倉幕府滅亡後に幕府の生き残りとなった北条時行を諏訪頼重が匿い育てた場所がこの地

作品内では、鎌倉の新鮮な鯛を時行に食べさせたいという仲間の想いにより、当時ならではの行動がとられます…輸送トラックも無い時代…鎌倉の海で鯛を釣り🎣 それを馬に乗りながら(馬の背で)捌いて内臓を抜き、諏訪まで届ける…調理した鯛を頬に手を置いて、美味しそうに頬張る時行…が描かれてました

荷台が冷凍庫となってるトラックなら(国内なら)どこでも運べるのでしょうが、馬しかない当時は鎌倉→諏訪が魚の鮮度を保つギリギリのラインだったとも作者解説にありました🐟🐴

ここの天守は三層…2階は撮影禁止で、そこではそれに従い見物のみをしました。松本城と違い、ここの天守は(明治維新の際に)一度解体されて石垣だけとなってます。地元住民の反対はあったそうですが押し切られてしまった…「大隈重信の一声により解体を免れた彦根城」のように政府の大物クラスの意見が無ければ無視されちゃう…のかな?😅

3階には某小学校の卒業制作(高島城とその周辺のジオラマ)と天守模型、由布姫(ゆうひめ→信玄の側室にして勝頼の母、大河ドラマ「風林火山」における悲劇のヒロイン)人形…どちらを写そうか迷いましたが、ジオラマはプラスチックの柵が邪魔になりちょっと写りが悪い…建物の出来は頑張って作っているものの、やはりどこか小学生レベル…天守模型のほうが出来よく、姫人形も可愛いのでこっちにしました

天守3階から諏訪湖を含めた景色を撮影(4枚目)。部屋内に飾られていた写真を見ると、昭和30年頃は湖の周りは田んぼだらけで建物は殆どなかったそうです。きっと当時はもっとはっきりと湖が見えたのでしょう

でも今も(建物にやや邪魔されるけど)湖面は見えるっちゃ見える…御神渡り(湖が凍って隆起する現象)はしてないようでした。温暖化の影響か…城の堀は凍っても湖までは凍らない

高島城の3階から城内を見渡すと、池を含めた庭園のような場所(画像5枚目)が見えます。この辺りはかつて本丸御殿が築かれていた場所🏠

天守の近くにその見取り図が案内板として展示されてました。その敷地はかなりのもので数多くの部屋を擁した屋敷だったと思われます。でも…(やや温暖化した)今でさえここの冬は寒い…それが江戸時代あたりだったら…もうちょっと寒いでしょうね。

近くの諏訪湖が御神渡りした時の絵が天守内に展示されており、当時は人どころか馬が氷の上を歩いても平気だったそうです…🐴 今では多分考えられないでしょう…それくらい寒い中を過ごす…当時の暖房器具は火鉢に囲炉裏…電化製品ゼロの世界、専ら火に頼るしか身体を温める方法がない

部屋の数が多かったけど、その分暖房器具はあったのかな?大きい部屋だと囲炉裏は設置されたかもだけど、全ての部屋にというのはちょっと考えづらい…設計の手間およびコスト面で…小さい部屋…使用人の部屋は火鉢なのかな?

現代でさえ老人の孤独死…寒い日に身体がやられて多臓器不全などで逝ってしまうケースがあるそう↓
https://www.domocica.com/column/details_9691.html

当時の住宅環境は少なくとも現在よりレベルが落ちることは確かだと思うので、凍死で亡くなる方…今より多かったんじゃないかという様子が目に浮かびます

城内には神社もあり、その名は諏訪護国神社⛩️ 前回の訪問で神社らしき施設を見た記憶こそあったものの、当時は御朱印を集める習慣無かったため、大して気にも止めずに終わってました

今回はまず本殿で参拝…お賽銭用に10円玉をたくさん用意していたのですが、「さすがに10円だけというのは…😅」と思えたので100円玉も付けて110円を賽銭箱に投入。二礼二拍手一礼をここでもおこないました

そして社務所の呼び出しベルを鳴らし、職員を呼ぼうとします…🔔 念のため2回…ボタンを押しました🔘 しかし誰も出ません…ドアの磨りガラスから中に草履のような履物が見え、「御朱印一枚五百円」の貼り紙も入口の近くにあったのですが、担当者が出なければどうしようもない…ということで、ここでの授与は諦めることにしました😔

(諏訪護国神社の御朱印 参考URL)
https://omairi.club/spots/84953/goshuin

ここで授与できるか否かはガチの運ゲー😅

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ぴーかる

熊川城 (2023/12/02 訪問)

【熊川城】
<駐車場他>熊川陣屋跡駐車場無料数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>連段郭・堀切・櫓台・武者走り
<感想>熊川城の築城年代は定かではありませんが、足利幕府の家臣沼田氏によって築城されたとされます。沼田氏は上野国の沼田の出でこの地に入部して室町時代にこの地を賜り足利幕府の奉公衆となったようです。細川藤孝の正妻である沼田麝香は熊川城主沼田光兼の娘だそうです。熊川城は丹羽長秀が若狭国を治めていた時に廃城となったようで、熊川の地は豊臣秀吉の時代に宿場町として整備されます。江戸時代に小浜藩主京極高次が陣屋を設置します。現在も鯖街道の宿場町が残る伝建地区に指定されています。

 駐車場となっている陣屋跡は現在砂利敷の広い空き地みたいになっており遺構は残っていないようです。背後に熊川城があり戦国時代もそこに麓居館、城が詰め城だったであろうことがよく分かります。登城道は非常に良く整備されて簡単に登れます。陣屋跡奥にある獣よけの扉を開けて入ります。少し登って展望台となっている出曲輪、白石神社本殿の裏側にブラタモリで放送していた、ずれた断層が見られる水路があり見ました。白石神社上部に五条の畝状竪堀がありますがかなり薄くなっており表面観察では3条程しか分かりません。そこから連段郭が始まります。上部に行くほど曲輪が大きくなっていき見応えあります。主要部の東側下段から武者走りがあり主郭南東側尾根曲輪に繋がっています。主郭南東側と西側尾根は2重堀切で仕切っています。主郭虎口付近には石が多くあるので石積みだったかもしれません。主郭西側奥に小さな土盛りの櫓台があります。登城道は整備されていますが、主郭南東尾根2重堀切や主郭櫓台奥の搦手を攻めるのにはストックがあったほうがよいでしょう。小さい城跡ながらまあまあ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

ご無事で安堵しました。 (2023/12/16 訪問)

にのまるさん,ご無事で安堵しました。もしかしたら,羽田空港にいたかな…と勘ぐっておりました。電車派の人がたまたま空路を選択してトラブルに巻き込まれる…意外にありがちなケースで。
姫路城ですが,ここだけで「かるた」ができそうな気がしてきました。絵札には一切文字を入れず,写真のみで。たぶん,にのまるさんの一人勝ちになるかと思います…<笑>。
そうそう,東京都コンプリートは,年内はありえないと思います。多摩川の南側が神奈川県と入り混じっているので,神奈川県と並行して進めています。冬場は,富士山を眺望するために静岡県や山梨県にうつつを抜かしています。東京都全体を見渡すと,多摩川北側の密集地帯と,荒川周辺が残っています。西部と多摩川南部は年内に埋め尽くせると思っています。
早ければ来年,東京都と神奈川県にリーチをかけられるかもしれません。

POYO58さん,ご心配いただき感謝申し上げます。

さて,パシフィコ横浜に行く途中,河崎氏館に立ち寄りました。弁天池は工事中で,その様子を伺うこともできない状況。食事も兼ねてJR川崎駅に途中下車したので,散策ルート沿いの「天丼てんや川崎店」に入って,天丼と冷そばのセットを食しました。なんと,このそばは「深大寺そば」。深大寺城に行って食すつもりが,一足早く川崎で…となりました。ま,リッチモンドホテルの会員カード提示で10%割引になったので,満足でした。割引後で【846円】です。

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しんしんちゃん

上野東照宮 西郷隆盛像 (2019/01/02 訪問)

上野東照宮は東京都台東区上野恩賜公園内にある神社です。三大東照宮の一つにあげられることもあり実に煌びやかです。寛永4年(1627)藤堂高虎によって築造され現在の社殿は徳川家光公が改築したものとされており、戦火を逃れて今に至ります。
本殿では徳川家康公の他に徳川吉宗公、徳川慶喜公(なぜに?)を祀っているようです。その他にも上野公園内には彰義隊の墓や、有名な西郷さんの銅像があります。

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しんしんちゃん

鋸山・日本寺 千葉県安房郡鋸南町 (2019/01/03 訪問)

乾坤山日本寺は鋸南町にある曹洞宗の寺院です。鋸山と羅漢石仏群が県指定名勝に指定されており、山全体が巨岩で覆われ日本一の磨崖仏や大仏、地獄のぞきなど石にかかわる石仏や名所が豊富にあります。
聖武天皇の勅願により神亀2年(725)行基によって開山されたと伝わり、時代を経て法相宗⇒天台宗と変わり、江戸時代の徳川家光の時代に曹洞宗に改修したとあります。ロープウェーで山上に行くことが出来、案内に従って山全体を周遊して名所めぐりが可能ですが、全部見るのには結構な体力を消費します。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/08/02 訪問)

8:04新宿(JR)、8:58,9:05高尾(路線バス)、9:11霊園正門
 八王子城ガイダンス施設(百名城スタンプ 9:00-17:00)+八王子城散策
 ※帰路は、詰城や富士見台を経て、高尾山方面へトレッキング
18:38高尾山口(京王)、19:35新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/03/31 訪問)

7:45 東京八重洲口(高速バス)、9:06大多喜(オリブ)
 (徒歩19分)いすみ鉄道大多喜駅(続百名城スタンプ 9:00-17:00)
 (駅徒歩10分)大多喜城
  ※県立中央博物館大多喜城分室は改修中のため中に入れませんでした
  ※いすみ鉄道1日乗車券を購入、桜や菜の花畑などいすみ鉄道沿線を散策
16:42大多喜オリブ(高速バス)、18:04東京

※帰りの高速バスは渋滞で1時間以上遅れました(お勧めしません)

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/05/11 訪問)

※本佐倉城跡と共に登城

8:58日暮里(京成)、9:49京成佐倉 ※駅前観光案内所でレンタサイクル(9:00-16:00)
 佐倉城(百名城スタンプ 佐倉城址公園センター9:00-16:30)
 本佐倉城(続百名城スタンプ 本佐倉城案内所24HOK)
  ※時間があれば印旛沼、風車のある佐倉ふるさと広場へサイクリングがおすすめ
16:12京成佐倉(京成)、17:03日暮里

※佐倉城跡から本佐倉城跡へは上り坂多いので電動アシスト付自転車がおススメ

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/05/11 訪問)

※本佐倉城跡と共に登城

8:58日暮里(京成)、9:49京成佐倉 ※駅前観光案内所でレンタサイクル(9:00-16:00)
 佐倉城(百名城スタンプ 佐倉城址公園センター9:00-16:30)
 本佐倉城(続百名城スタンプ 本佐倉城案内所24HOK)
  ※時間があれば印旛沼、風車のある佐倉ふるさと広場へサイクリングがおすすめ
16:12京成佐倉(京成)、17:03日暮里

※佐倉城跡から本佐倉城跡へは上り坂多いので電動アシスト付自転車がおススメ

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)

※杉山城、菅谷館、鉢形城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
 (1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
 (2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
  ※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
 (徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
  ※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)

※杉山城、菅谷館、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
 (1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
 (2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
  ※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
 (徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
  ※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)

※菅谷館、鉢形城、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
 (1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
 (2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
  ※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
 (徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
  ※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)

※杉山城、鉢形城、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
 (1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
 (2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
  ※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
 (徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
  ※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿

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天守無しがアツい

天守の床 冬はメッチャ冷たい (2024/01/13 訪問)

(松本城HP 観覧案内)https://www.matsumoto-castle.jp/info

JR松本駅まで特急で移動した私…🚃 その時点で外を見渡すと雪が降っており、駅から城までの徒歩移動は無理そうなのでバスで向かいました🚌 市役所前というバス停で降りて橋を渡り城門をくぐり中へ

外は雪が降り続けており、刺すような寒さ❄️ 天守が目と鼻の先の位置までは来たのですが、「体が冷えすぎてる…まずは売店にでも入って体を暖めてから行きたい」と考え、まずは御城印を扱っている事務所へ

1種類かと思っていたのですが、何と3種類(特別版も含めれば4種類)ありました。石川家、小笠原家、戸田家の家紋が入った御城印…いずれも松本城の城主を務めた大名

特別版は1枚1000円もして高いし、通常版のほうが馴染みやすい…かつそっちは3枚セットで1000円とお買い得だったので、迷わずそれを買いました(その内の2枚が画像4枚目)

事務所の隣には売店もあり、そこで身体を暖め、そろそろ…というタイミングで天守へ向かいました

1枚目が外から見た天守…ここ松本城は建設当初から現存する国内の天守12ヶ所の中に入っており、その中でも最も古いそうです。雪の降る中を入口まで歩き、石垣から階段を登って中に入りました

入口にて靴を脱いでビニール袋に入れてから中に入るよう言われてそうしたのですが、床に足をつけた瞬間…物凄い冷たいこと冷たいこと…まるで足の裏が凍傷になるんじゃないかと思えてしまうくらい…😱

今回の天守見学は…一言で表すなら…まさに足の裏の冷えとの戦い…氷の上をずっと歩くような感覚で梯子のような階段を登り各フロアを見学しました

2階は大筒…火縄銃コーナー。ここも(犬山城や彦根城と同じく)昔ながらの天守が幾度の修理を経て現在に至る、基本構造は江戸時代から変わってなく博物館用に造られたわけではないので、飾られてる展示品には限りがあります

火縄銃が種子島に漂着したポルトガル人によって伝わったことは有名ですが、それより太さが大きく、威力も高い大筒も戦国時代に伝わっており、戦場において使用され、例えば大坂冬の陣では大阪城の天守に被害を与えて、豊臣の戦意を喪失させた…エピソードは有名かと

2枚目が当時の兵士の服装。兜も着けているので足軽ではないと思われます。ある程度身分の高い武将の武装姿…甲冑や具足を付けて片手には火縄銃も握る…フル武装な姿が画像内の右側の絵に描かれてますね

3枚目は戦を描いた絵の展示…まず大坂夏の陣が一番左に展示されており、その右に島原の乱…そしてその右にある(3枚目の画像が)長篠の戦い。要は火縄銃が活躍した戦いの紹介。どの戦のを添付画像として撮影しようか迷いましたが、「やはり火縄銃が活躍した一番最初の戦い…火縄銃での戦闘を格段に増やしたのは、長篠と聞いたことあるから…やっぱりこれかな🔫」と考えて、この絵を撮影

ちなみに「階段付近の撮影は禁止」と各所に貼られていたので、階段の写らない場所のみ撮影対象として撮影する必要がありました。どうして階段付近はダメなのか…理由は分かりませんが、何せ階段が急(古来から現存する天守はこういう造りになりがち)なため、登り降りに集中する必要があり、その辺りで撮影を認めてしまうと歩きスマホと似たような危険性がでてくるからではないでしょうか?

天守は五層六階。三階は何故か屋根裏部屋のように低い造りになっており、最上階は七階と書いてありましたが、実質六階でした

画像5枚目は最上階の天井…井桁梁でがっちりと組まれている。そこにこの城の神様(二十六夜神)が祀られている。この最上階は有事の際に、城の周りの敵軍の様子を見るところとして使われたそう

この城は行きと帰りで通るコースが異なり、帰りに6枚目の場所を通りました。この城を築いた石川数正に関する展示文がこの反対側にあり、それを写してもよかったのですが、「そう言えば今まで天守内にある展示物の撮影はしていても、空間を撮影したことは無かった気がする」「建設当初の特徴を残す数少ない天守の内部…階段付近は撮影できないから、ある程度の広さの空間で撮れそうなところは…ここか?」と考えてシャッター押しました

御座の間と呼ばれ、有事の際における城主がいるところ(御座所)。天井が高く四方から光が入り、書院造り風の丁寧な造り…と来場者パンフレットより

行きと同様、帰りも階段は急…「横向きで降りると降りやすいです」と城内スタッフがアナウンスしていたので、その通りにしたら本当に降りやすかった…何故でしょうね😂

そのアドバイス自体はありがたかったのですが、スタッフの足元見たら靴みたいなもの履いてるし…「どうしてアンタたちだけ…?何で客の我々だけこんな冷たい思いしなきゃなんないの?」

「靴を脱いだ状態で床に足をつけたらヤバいの、アンタたちだって分かってんでしょ?ずっと靴履いてるから分かりませんなんて言うつもり?そんなの想像つかない?」「客にもスリッパもしくは靴を覆うカバーを貸し出すべきだよ、マジで凍傷モノだから💢」とガチで思いました

帰りの2階には火縄銃の展示の代わりに月見櫓(7枚目)がありました。櫓はたいてい、天守とは離れた場所にあるもの。天守と一体化している櫓は何とここしかないそうです。「ここも天守内部のスペースを示すのに適している」と思えたので撮影。限られた我がスマホのメモリーの一部を食っても悪くない存在…と判断したから

今まで天守は一ヶ所につき一枚しか撮らなかったのですが、天守の周りに本丸御殿跡というものがあることを知った私は「御殿の建物自体は残ってないけど、跡地はこうして残ってるわけだから、それを含めてもう一枚撮影してみようかな」「御殿跡も撮影できるだけではなく、近くから見た天守と遠くから見た天守をそれぞれ画像として記録に留めることができる」「えーい、マスコットっぽいキャラもこの際におまけ!」

というノリでもう一枚撮影。年始に放送されていた、国内の城を紹介する番組にて「冬の松本城はオススメです。雪景色がキレイ🏯⛄️」と地元のガイドが紹介しており、それを期待して訪問した今回の冬の松本城…

うん、確かに周りが雪に覆われた天守はキレイと言えばキレイ…冬ならではの趣がある…ただ…あの床の冷たさは…来場者には決して優しくはないね😅😭😖

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にのまる

遅ればせながら… (1989/08/13 訪問)

新年のご挨拶を申し上げます。
みなさま方の大切な一日一日が平和のうちにありますように。

年明けから、思うところがあり写真の整理をしておりました。昔ながらの台紙に貼るタイプのアルバムが12冊あり、場所をとるし重たいしで何とかしたかったのですが、データ化したいかというとそうでもないので、枚数を減らしつつ無印良品の薄いアルバムに差し替えていたところ…出てきたのです、記憶にない城写真が。

35年前、平成元年の姫路城です。
私、若いです😅
姫路城の写真はこの1枚しかないので、おそらく旅行中に「ちょっと寄ってみた」のだと思います。それでも備前丸で撮っているということは大天守のベストショットを狙っていたのだと思われ…。姫路在住の親戚に案内してもらっていると思うので、多分、現在の登城ルートとは逆まわりの最短ルートで行っています。(料金体系も違っている可能性あり?)
……ということは!!
まさかの『るの門』を通っているかもしれない⁈
という妄想をしてみました🤭

朝田さん、メッセージありがとうございます。ネット上の交流でも気にかけてくださる方がいると思うとたいへんありがたく嬉しい気持ちになります。(やはり会員の『絆』の証としてかるたは商品化していただきたいですね!)
また、東京都コンプリートが間近、そろそろ伊豆大島へと向かわれているのではないかという気もしているのですが…。クイズを用意してお待ちしております。

昨年登城、未投稿のものもまだありますので、ゆっくりペースになるかもしれませんががんばりますので、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/23 訪問)

9:11渋谷(東京メトロ・東武)、9:56,10:18川越(路線バス)、10:30博物館前
 (徒歩2分)川越城本丸御殿(百名城スタンプ 9:00-16:30)

※帰りは川越駅まで徒歩
 本丸御殿以外ほとんど当時の面影が残っていないが「中ノ門堀跡」「富士見櫓跡」
 「川越城下町散策」などが楽しめます
 通りゃんせ発祥の地らしくわらべうた発祥の碑もありました
 城下町ではさつまいもスイーツがおすすめらしい(昔は水運で江戸城にも運んだとか)

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POYO58

やっと行けました 評価★★★☆☆ (2023/11/04 訪問)

姫路城探訪後は一夜おいて翌日(11月4日) に明石城へ行きました。駐車場は市営駐車場に駐めました。
東側にあった駐車場を出ると早速広い水堀があり、門跡のような石垣が建っていました。東側から城に入れるようですが、東虎口は後ほど行きました。
水堀を周って大手門跡に着きました。今日はなんと菊の展覧会がやっていて結構人がいました。大手門は当時枡形虎口になっていたようですね。
大手門跡から城までは結構遠いですね。なんで城前にこんな広場があるのでしょうか?
大広場から巽櫓と坤櫓を写真にとって二の丸へと続く階段を登って行きました。石垣が建っていましたが、虎口だったのかな?東の丸の方には高石垣が建っていました。
二の丸下からは巽櫓と坤櫓を一直線上に見ることができます。
階段を登ると大きな堀切があり、とてつもなく高い高石垣が見れます。おそらく大堀切下から攻城する人もいると思います。大堀切は二の丸と本丸を大きく分断していますね。
さあ、次は本丸へと向かいます。続く

申し忘れていましたが、能登地震の被害が相次いでいると聞いております。北陸地方の早期復興を願いたいと思います。朝田辰兵衛さん、ご無事でなによりです。

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しんしんちゃん

ひじ方歳三最期の地 (2017/05/04 訪問)

北海道函館市には旧幕府軍の司令官(軍事奉行)として奮戦し最期を迎えたひじ方歳三の碑が残っています。ひじ方の最期は銃弾に当たって倒れたと有るのですが遺体は見つかっていません。東京都日野市に墓がありますが函館の当地にも墓参がわりに訪れるファンも多いことと思います。
ちなみに(ひじかたとしぞう)と漢字で入力するとAIが勝手にド〇タと判断してNGが出てしまいます。お願いだから「ひじかた」ぐらい漢字で入力させておくんなまし。たのみますよ御代官さま。

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しんしんちゃん

海防に特化した近世城郭。 (2017/05/04 訪問)

松前城の前身は慶長5~11年(1600~1606)に松前慶広氏によって築かれた福山館とされています。福山館は堀や石垣を有し本丸以外にも二の丸など複数の郭を有する城と呼べるものだったそうですが松前氏が城持ち大名の待遇では無かったため館名義で通されたようです。
嘉永2年(1849)松前崇広の代に異国船に対抗して海防を強化するため幕府から築城を命じられ、縄張りは高崎藩の市川一学(当時78歳)に協力を依頼しました。築城は福山館を拡張する方式で決定がなされ安政元年(1855)に完成したとのことです。
南側に7台の砲台を配置した海防に特化した近世城郭でしたが、明治元年(1868)ひじ方歳三を指揮官とする旧幕府軍の攻撃を受け南側では門が開くのを待っていた敵方がなだれ込み、北方では敵方が堀や塀を乗り込んで来て、城内にいた兵力では支えきれず落城したとのことです。翌年には官軍が「甲鉄」「春日」などの軍艦とともに松前城を奪還しましたが城中は廃墟と化してしまったようです。

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刑部

菊祭りの亀甲城 (2023/11/04 訪問)

家康が鯛の天ぷらを食した城で有名、今日は菊祭りで賑わってました! 亀の甲羅の様な円郭式平城、江戸後期に造られた庭園は素敵でした。

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