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にのまる

城めぐりのきっかけ

『城めぐりのきっかけ』告白リレーに参加します(^^)

10数年前、会津旅行の際に立ち寄った会津若松城で「日本100名城」と「スタンプラリー」の存在を知りました。
帰宅後、早速スタンプ帳付きの公式本を購入し、名古屋城からスタンプラリーを始めました。なぜ名古屋城だったのか?多分、新幹線で行きやすかったからだと思います。

そこからスタンプ沼に嵌っていくのですが、『お城=天守』『天守閣=天守最上階』と思っていたくらい知識ゼロからのスタートだったので、全国各地のお城を訪れるたびに新しく知る「そうだったのか!」がおもしろくてたまりません!スタンプを押す瞬間の快感もたまりません!

ただ、ここまで続いているのは「お城が好き」なだけでなく「逃げ出したい現実」があったことも偽りのない事実です。(詳細は省略^^;)
お城に行くと日常を忘れてその世界にどっぷり浸れます。城郭検定の勉強をしたのも何かに没頭したかったという理由もあります。
つまり一言でいうと【現実逃避の城めぐり】です🤭

「城びと」サイトを知ったのは2017年の「お城EXPO 」で、早速会員登録しました。todo94 さんとじゅんじんさんが地道に投稿しておられ投稿欄を繋いでくださっていました。
「城びと」サイトとの出会いがなかったらここまで楽しくお城めぐりができていなかったと思います。コロナ禍の「しりとり」での朝田さんのご尽力はどれだけ感謝してもしきれません。

お城めぐりには皆さま同様、城郭放浪記さんや余湖図コレクションさん、また日本百名城塗りつぶし同好会さんのサイトを参考にさせていただいていますが、「城びと」もみなさまの投稿がどんどん増えてきて、行きたいお城の現状や交通手段などを知ることができて助かっています。単独で無茶して行くことも少なくないので、行った人にしかわからない現地の情報をいただけるのはとてもありがたいです。感謝していますm(__)m
編集部さん、登録3,000城全ての投稿が埋まったらお祝いパーティしましょうよ!!

朝田さん、福祉関係というのは何度か投稿で拝見していました。私もそっち関係(⁉︎)で、NPO法人立ち上げに関わったりプライベートでもいろいろありました(詳細省略②)。今は電車と徒歩にこだわってお城めぐりをしていますが、かつてはデカいハンディキャブを運転したりしていました。(もう無理です。)

「ニッポン城めぐり」のサイトは丸子城(静岡)を彷徨っていた時に出会った方に教えていただきました。主に移動の列車内でポチポチしています。「城めぐり」には八丈島の大賀郷陣屋が登録されており、もし「城びと」に登録されていたら東京都コンプリートはできていなかっただろうと、ホッとしています笑。合戦戦績は現在5勝14敗ですが、11連敗したことがあり、連敗がストップした時は嬉しいより“勝ってしまった”という複雑な心境でした。(もちろん全力で参戦しています。)HNは【式部卿にのまる】です。よろしかったら伝言お願いします。

以上とりとめもなく書いてしまいましたが、当面の目標は100名城と続100名城のコンプリートです。“いつか”は向こうからやってきてくれないとようやく気づきました。

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国府津辰之助

木造復元にバリアフリーを求める革新派に物申す!

 どうも初投稿です。国府津辰之助と申します。

 さて、河村前市長が計画を発表して以来、揉めに揉めて遅々として進んでいない名古屋城天守木造再建計画ですが、当然木造で昔のまま作ろうとするとエレベーターがないわけですからバリアフリー団体が黙っていないわけです。
「せっかく木造再建するんだから、すべての人が平等に見られるようにすべき」だの、「車椅子利用者はどうするんだ」だの。正直に言いますと、「うるせぇよ」と思うんですね。
この木造再建の目的と言いますか、意義と言いますか、そういうのは結局、「江戸時代の技術・建築を後世に伝えること」ではないかと思うんです。正しく技術継承をしていく上で、当時存在しなかったエレベーターの設置は邪魔なわけです。
 新市長が再建計画をどうしていくのかは分かりませんが、木造再建計画をそのまま引き継いでいくのであれば、ぜひエレベータのない姿で再建して欲しい限りです。

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にっしー

天守に入らなくて残念! (2025/02/03 訪問)

大多喜城の天守は、ずっと休館中だったので入れなくて残念、、。天守の近くにある小さな資料館に無料で入れた!大多喜城は平山城だけど、思っていたよりも傾斜があって、少し攻めにくそうだと感じた!!

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にのまる

シラス台地の大空堀 (2025/01/21 訪問)

鹿児島中央駅から知覧行きの路線バスを利用しました。
到着後最初に特攻平和会館へ行ったのですが、戦争の悲惨さや理不尽さに何も考えられなくなってしまいました。写真、手紙、遺品が伝える一人一人の生命の終わりの時。自分の目で見て知ることの大切さを思いました。

ミュージアム知覧で続100名城のスタンプを押しジオラマ等見学、スタッフの方に知覧城の状況を伺い地図をいただいて徒歩で向かいました。
足を踏み入れると間もなく大空堀に出会い一瞬で虜に。そしてそこらじゅうシラス!本丸→蔵之城→弓場城→今城の各曲輪を一つ一つ登りました。それぞれに残る枡形虎口。中でも今城の虎口がかっこよかったです。
続100名城とは言え大勢の方が押し寄せるところではないようですので登城前は漠然とした不安を抱えていたのですが、素敵な城歩き体験ができました。

帰りのバスまで武家屋敷街を散策しました。

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カズサン

【三河 岩根城】愛知県安城市 賤ヶ岳七本槍加藤嘉明出身の地 (2025/03/01 訪問)

 本證寺探査でグーグルマップを眺めていると北北東約700m先に岩根城址を発見、調べると賤ヶ岳七本槍、伊予松山城築城の加藤嘉明と有り、本證寺探訪の後に訪ねました。

 住所:愛知県安城市小川町岩根141
 駐車場:無し、無理をすれば1台岩根公民館前に駐られるか?、今回は本證寺参拝者駐車場にそのまま駐め徒歩で進行。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 本證寺の北辺土塁、空堀、外堀探訪の後、車は参拝者駐車場に置き徒歩で進行、大門から東に約100m進み車交通量の多い歪曲した道を北東へ、信号のある交差点「寺領町東」を北進約200m、全体では約700mで南西角子供の遊戯施設のある子供公園、北西角の岩根公民館、秋葉神社に着く。
 岩根城址解説板は岩根公民館の西面に設置されている。また子供公園の看板にも岩根城跡地の表示も有る。
 現在は微高地畑地と住宅が立つ岩根集落で遺構はありませんが岩根城址の解説板が救いです。
 解説板によると
 鎌倉時代に加藤正成の築城と伝わる城館、城域は東西・南北とも70間(約127m)北・西・南に土塁と堀が在ったとされています。
 平成25年の発掘調査で南西の堀が確認、堀幅4.7m以上深さ2.8m以上と。

 夕刻17時前の夕日が沈むころ冷風に吹かれての探訪でした。
  

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トク

幻の天守閣イベント始まる

幻の天守閣ライトアップイベントが始まりました。桜まつりりの日程も決まったようです。ライトアップは昨年は5月末まで行われましたが、今年は発掘調査のため桜まつり終了後、昨年より早く撤去されるようなので、お早めにどうぞ! 潮見櫓の一般公開も3月17日から始まるそうです。

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しんちゃん

会津は良田の地。 (2024/09/17 訪問)

北田城は鎌倉時代から南北朝の時代において県内最大の平城であったと現地の案内板には記載があります。昭和30年代には土塁などの遺構は、ほとんど取り崩され現在は案内板と石碑が残るのみです。本丸の西手から北側一帯に二の丸が配され、その北側に北丸(北郭)が配され、北と東は旧湯川が天然の堀の役割をしていたようです。
会津を走って見て感じるのは、この一帯は良い米どころで収穫の時期の近づいてきた田がたくさんあることです。猪苗代湖も有り、周囲を山々に囲まれ、どこか京都周辺に通ずるものがあります。戦国時代に多くの大名が会津を欲しがったのは当然のことだと思いました。

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しんちゃん

会津討伐の際に城主が逃亡。 (2024/09/15 訪問)

大森城は城山公園として整備されています。南北に長い縄張りで、遺構は限られていますが、空堀が一つ残り橋が架かっています。
本丸はお花見広場として市民の憩いの場となっており、北の端の方には模擬の物見櫓が建っています。
南北朝時代の伝承もあるようですが詳細は不明、戦国時代には伊達稙宗の三男・伊達実元が城主になっています。伊達成実が二本松城に移ると、片倉景綱が入り、上杉氏が会津に転封になった際には栗田国時が入りました。
会津を守る重要な拠点でしたが、慶長5年(1600)徳川家康の会津討伐の際に栗田国時は藤田信吉と共に出奔し、信夫郡伏拝(福島市伏拝)で追っての襲撃を受け国時は殺害され、信吉は逃亡しました。

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赤い城

城めぐりのきっかけ

遅くなりましたが私もイオさんのご質問へのアンサーを。
地元の城は三沢城、家からも近いです。
地元では要害山と呼ばれていす。
また松江城も身近でしたので城好きになるベースはあったかな。

城めぐりを始めたのは姫路城で100名城のスタンプ帳を見つけてからです。
当時大阪在住でスタンプ目的で近隣の城や旅行先の城を廻ってました。

その後関東に移り、皆さんもご利用の城めぐアプリに出会います。
最初から「攻略」にはあまり熱心でなく、行った証でフォトをアップすることをメインに使ってました。
それなりにゲーム感も楽しんでますが・・・
今は1日1枚+リア時のフォトをアップしています📷
(ここでは別のHN使ってますが同じようなフォト出してるのでわかると思います。城びとオールスターズの皆さんから伝言いただけると嬉しいかも)
アプリを通じて城ともさんも出来たある時「一緒にリアしませんか」とのお誘いがありました。
その際に行ったのが東京の戸倉城他。
それまでは本丸に行くことで満足してましたが堀切などの遺構の素敵さに惹かれました。

その頃城びとにも出会います。
遡ってみると最初のレポートは土気城でした。
最初のレポートにも朝田さんよりポチいただいてました😊
感謝です✨

その後も唐沢山城の竪堀を降りてみたり常陸の堀底道周回を楽しんだり、気づけば関東の城びと登録城をコンプリートしてました。

今は四国に移り、近隣の城を楽しんでます。
なかなか遠征行けないのでマイナー城や未登録城も含めてレポートしていきたいです。
今後もお付き合いいただけると嬉しいです⭐

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しんちゃん

圓城寺門 (2025/01/05 訪問)

岩手県の南の方には雪は無かったのですが、花巻市や盛岡市には雪が積もっていました。山城などのある地域に向かうと除雪が完全ではありませんでした。中古で購入したスノータイヤなので性能的に不安が有りましたが、十分役に立ってくれました。
花巻城の圓城寺門は花巻城の唯一の遺構とされています。慶長19年(1614)に藩主・南部利直公が「二子城」の表門(大手)を引き上げて、花巻城の搦手(裏)門として設置したとされています。かつては、この付近に圓城寺という寺が有り、その近くの坂に建てられたので圓城寺門の名がついたとされています。明治4年に花巻城は取り壊しになりますが、この門は北上市の民家に払下げられ、後に花巻市の軍医によって買い戻され鳥谷ヶ崎神社の境内に移されました。
しかし戦後の荒廃によって、ケヤキの柱以外は大きく損壊したた状態になりますが、昭和36年に市の補助金を受け現在の場所に復元され今に至ります。

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しんちゃん

再建 郭馬出西虎口門 (2025/02/02 訪問)

箕輪城は当地を支配する豪族・長野氏の居城で、戦国時代の城主・長野業正は箕輪衆と呼ばれる地元の武士団をまとめ上げ武田信玄の侵攻をよく防いでいます。以前は本丸や二の丸・三の丸の周囲に存在する大堀切が目玉でしたが(それでも日本百名城)、郭馬出に郭馬出西虎口門が再建されてからは、その門が箕輪城のシンボル的な存在になっています。
平城とはいえ、戦国時代の堀や土塁・馬出しなどを用いた高度な縄張りを体験することができ、城好きであれば高い満足度を得ることが出来ると思います。また再建された郭馬出西虎口門も周囲の風景に良く溶け込んでいて、良い雰囲気を出しています。

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しんちゃん

山頂からの眺めは良好。 (2025/02/16 訪問)

冠木門跡の先に進めば本丸に到着です。日本海と雪の景色が素晴らしい。周囲の街も良く見渡せます。ちょっとした絶景です。
この景色を見るために、この雪の中、皆さん登ってきているわけですね。自分も少し慣れてきましたが、雪用の靴ではないし、無茶は禁物です。村上城は標高135mの臥牛山の山頂に築かれており、江戸時代は村上藩主の居城でした。築城の時期は不明ですが戦国時代には揚北衆の本庄氏の城だったとされています。永禄11年(1568)に本庄繁長は上杉謙信に反旗を翻し、一年の籠城の末に講和し、開城しています。江戸時代に近世城郭として改修を受けますが、寛文7年(1667)に天守を落雷にて焼失し、幕末に至ります。

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カズサン

本堂郭編ー2/2 (2025/03/01 訪問)

 平成24年10月24日以来の二度目の探訪参拝です。西日が傾き始めた時刻でしたので、本堂はじめ各建物が逆光に成ってしまいました、本堂を参拝して鼓楼(太鼓櫓)内から外から北側からと撮影し、大門と特徴ある本證寺石碑を太陽を陰にして撮影、東側の内堀は水が抜かれてる冬の為か、北側の鼓楼横の内堀は何か掘り起こされている?、本堂郭と庫裏郭の間の内堀も確認。
 鼓楼太鼓櫓が見所です、本願寺派寺院に多く見られる太鼓櫓が現存して居て存在感を表しています。
 現在本證寺は真宗大谷派(東本願寺)の寺院です。
 

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カズサン

北辺の堀と土塁編ー1/2 (2025/03/01 訪問)

 本証寺は平成24年10月以来の2度目、前回には情報不足事前調査不足で外堀、土塁を探訪して居ませんでしたので、今回の三河未踏の城達成廻りで安城古城を終えて、南に5km程進行して再登城参拝しました。

 駐車場:本證寺大門潜った参拝者駐車場
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 先ずは本堂に参拝して本堂境内をぐるっと探訪、観察、北東に在る鼓楼(太鼓櫓)が光ってる、大門を出て東の通りから北へ外堀橋交差点(外堀跡が少し残ってる)を西入る、この通りも北側の外堀跡に当たる、寺院敷地の北東辺りから北側、北西角、西側にフェンス越しですが外堀の土塁、空堀が良く見える、人の背丈以上の高さが窺える。
 昨年の大河ドラマどうする家康放映の影響でか?TVで本證寺の土塁・空堀が放映されて見て居ましたので、是非見たいとの思いで訪ねました、お寺に頼めば見学が出来たのでしょうか?良く分かりません、夕刻迫り庫裏の方から入る様なのですが厚かましく頼むのを遠慮しました。フェンス越しですが目的は達成しました、満足です。
 戻って、そとぼりばし傍の残存外堀観察、大門から東に90m程に在る外堀跡も確認探訪。本證寺の案内板によると外堀を含めた寺域は東西320m南北310mの広さです。外堀内堀で囲まれていた。
 

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「石毛城」 (2025/03/01 訪問)

「豊田城」の支城「石毛城」は豊田 正親さんが多賀谷氏に備えて築いたそうです。
次男、石毛 政重さんが「石毛城」を守ります。
「豊田城」は小貝川の近く。「石毛城」は鬼怒川の近くです。

茨城県 常総市 石下 99
駐車場はありませんが、広場になっていて、車のタイヤの跡があったので駐車しました。
「石下城」の石碑の他に、立派な説明碑があります。
後ろに鳥居がありますので、大きさが分かるかと思います。
正直、豊田氏は存じ上げません。しかし、この大きな説明碑には豊田氏の活躍振りが刻まれています。
がんばって読みましたが、首がやられます。
文中に『川中島の戦い』や『本能寺』等が刻まれていました。
脳卒中やら毒やらの文字も、、、。

奥に神社があり、その向こうに土塁が見えますが「石毛城」時代の遺構かは分かりません。

教科書には載らない豊田氏の活躍。
説明碑の写真を引き延ばして、武勇伝を覚えておこうと思った「石毛城」攻めでした。

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トク

⑭【護佐丸と沖縄6城】(番外編)沖縄料理 (2025/02/08 訪問)

番外編です。私が沖縄で食べた物を御紹介します。

【沖縄ちゃんぽん】
大人気メニューと書いてあり、長崎ちゃんぽんとどう違うのだろう🤔? と思って気になったので注文してみました。 すると何とビックリ😯!・・・麺でなくご飯が出てきました(笑)。でも絶品でした。沖縄ポークの入った焼飯に、たっぷりの卵がかかった、要は沖縄風オムライスといった所でしょうか? 那覇市松山58号線沿い「みかど」で頂きました。ここ安くてボリューム満点、一人でも入りやすい店でした(写真①②)。

【沖縄定食】
沖縄風炊き込みご飯・沖縄そば・沖縄豆腐(ジーマーミ)・ゴ-ヤサラダがセットになった定食を、首里城内の首里社館(すいむいかん)のレストランでいただきました。沖縄の味がギュッと詰まった定番料理!といった感じでした(写真③④)。

【ソーキそば】
最後に那覇空港で、そういえば「沖縄そば」と「ソーキそば」の違いは結局何だったのだろう🤔?・・・とふと疑問が湧き、そば屋があったのでソーキそばの方を注文してみました。麺は同じですが、チャーシューが沖縄そばは平たく切ったものでしたが、ソーキそばは骨付きスペアリブのようなものでした。しかも味がしみ込んでいてこれはとてもジューシーです。納得しました(写真⑤⑥)。


そして満腹になった所で飛行機に乗ろうとすると、本土が雪のためダイヤが乱れ1時間遅れで離陸。それだけでなく離陸して1時間半後、とんでもないハプニングが! 「ただ今福岡上空を旋回し着陸許可を待っておりましたが、本日他空港雪のため着陸できない機が多数福岡上空にてまだ待機しており、本機は空港閉鎖時間(22時)までに着陸許可が下りないため、これより那覇空港へ引き返す事となりました」。 え?・・・😱うそだろ~(地元優先じゃないの?)と叫んでもどうしようもなく、結局3時間も乗ったあげくに再び那覇空港に着陸したのは夜の23時すぎ。空港は24時に閉鎖されるため仕方なく宿を探す事に・・。しかし航空会社は何もしてくれません。それどころかこんな夜中なのに、宿探しや次の搭乗予約も自分で何とかせよとの事。「ひえ~😱何と冷たい!」。検索しやっと見つかった近くの最安値ホテルは1万3千円。翌日同社便が全て満席のため他社便で帰る事に。すると差額7千円UP。結局計2万円の思わぬ出費に😱! ああ・・最悪の結末(泣)。

以上15回読んでいただき、大変ありがとうございました(終)。
 

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todo94

三連休の攻城⑦ (2025/02/23 訪問)

水賀城からの転戦です。佐賀関は大分市中心部からより臼杵市からの方が近いのに、大分市の地籍なのですね。昼時だったので道の駅さがのせきにて、アジ・サバ丼セットをいただいてから、烏帽子岳城に向かいました。佐賀関ダムのさらに上、城山森林公園として整備されているのですが、駐車場の落ち葉の状態などを見るとほとんど利用者はいないのではないかと感じられました。山頂部は公園らしさがあって、豊予海峡を望む眺望が楽しめました。

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しんちゃん

世良田館 世良田東照宮 (2025/02/02 訪問)

世良田館は新田氏の一族世良田氏の館があったとされています。国の史跡・世良田東照宮に隣接する公園周辺が館跡とされ、それと分かる大きな空堀が残っています。一部には土塁も残っているようですが、分かりづらくなっています。
世良田東照宮は国史跡・新田荘遺跡の一つとして国の史跡に指定されています。徳川家光によって全面的に改修される前の旧社殿の一部が移築されている、由緒正しい東照宮です。拝殿は日光奥社の拝殿を移築したとされ、家康公の墓標だった多宝塔も移され、本地堂として明治初年までこの地にあったようです。残念ながら明治時代に売却され今はその姿を見ることが出来ません。

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下手向城(岐阜県恵那市) (2025/03/06 訪問)

 岐阜県恵那市にある城びとには未登録の城址で「しもとうげじょう」と読みます。説明板には元亀天正の争乱で構えられた陣城の可能性が書かれていました。この周辺は織田氏と武田氏の攻防の激しかった地域で、ここも利用されたと考えられます。単郭の城ですが、面積は広く、土塁、横堀、竪堀、堀切などが残っています。西側の横堀付近を歩いていると石が散乱している場所がありました。切岸を見ると節理のような気もしますが、石積みかと思わせるような場所もありました。期待以上の遺構があり楽しんで散策できました。
 下手向郵便局横の道から登城しましたが、標識があり迷うことはありません。

 

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しんちゃん

本丸下の遺構 (2025/02/16 訪問)

普段はスノータイヤを履いていても、ほとんど雪道を走ったことがありません。でも、今年は岩手県の花巻市や滋賀県・彦根市など雪の積もった道をけっこう走る機会が有りました。新潟県や山口県も雪が降っていましたね。普段温暖な場所で暮らしているので、雪に遭遇する機会はめったにありません。正直、不安でしたがスノータイヤでも結構走れるものです。慣れてくるとなかなか楽しいです。
村上城は平山城とはいえ、ちょっとした山城並に比高はあります。登城道は雪が積もっているし、クマ出没注意の看板もあるのに、地元のマダム達がどんどん登って来ます。皆さんたくましいです・・私も負けてられん。
雪の村上城はすごくいい感じです。足元に注意しながら登りますが、この環境はなかなか城址には厳しい。いつも石垣の修復工事を行っているのも納得です。尾根上に南北に長い縄張りで、本丸下の出廓を越え、黒門跡を通過して本丸に向かいます。

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