高島城には3回行ったことがあります
まず1回目…小学生の時のことを当時つけていた日記から抜粋して紹介
8/4 今日すわ湖に行きました。白鳥のゆうらんせんにのって3がいに行ってみると山とか、すわ湖の水とか町が見えてきれいだったです(ちょっとゆれてこわい)。
たかしまじょうにも行って当じの刀とか、ふく、ひな人形があって、すごい所だったです
いろいろお店をみて、さいふを買いました。テレホンカードも入るから良かったです。
おばあちゃんが、わさびでそめたさいふほしかったなーと言ってました。ホテルへ帰る時、雨がふったのできのうと同じでした。
(担任のコメント)おばあちゃんもいっしょでよかったね。
続いて2回目…成人後…二十代に行った時のことを紹介
高島城に入場。思ったより小さめの城でした。3F建てで、「あれ、こんなんだったっけ?」と、その記憶違いにギャップを感じました
小田原城や名古屋城には最上階に記念メダルの自販機があり、そこで自分の名前(ローマ字)・日付を刻印できるのですが、ここにはそういうのはなく、諏訪市のジオラマがあるのみでした。とりあえず3階から外を眺めてみました。
1階には土産コーナーがあったのですが、欲しいものは特に無かったので長居はしませんでした。大河ドラマ『風林火山』のポスターが城内にあり、どうやら諏訪もその舞台になったらしいです…(そもそもあの作品は全然見てなかったから、何とも言えませんが)。
城の近くには神社と公園があって、子供がそこで遊んでいました。私は彼らが遊びまわっている傍らで、その辺をウロウロしていました
ちなみにこの城、規模は小さいけどお堀はちゃんとありました。だから橋がかかっており、ちゃんと足元を見ないと落ちるかもしれませんでした…ww
そして3回目…「過去2回城内に入り天守も見学した」「けれどあの時はまだ御城印がリリースされてなくて、未入手のまま…」「もう一度…松本城に行くついでに立ち寄って、御城印を買おう。未回収を回収…補完旅行だ🚈」
(諏訪高島城の案内サイトURL)
https://www.city.suwa.lg.jp/site/enjoy/4446.html
高島城にはこれで3度目の訪問…過去2回は夏でしたが、今回は初の冬見学…外を歩くだけで刺すような寒さが私を襲い、上諏訪駅から城までの歩く途中、湧き出る温水があり、そこで両手を温めたりしました。逆に言えばそれが必要になるくらいに寒い…🥶
高島城…正式名称は諏訪高島城かな…。入口に着くと天守が私をお出迎え🏯(画像1枚目) そして堀の水は何と…氷が張ってました🧊 見た感じ薄い氷なので橋の上から飛び降りると割れて、タイタニックの冷たい海水並みの水の中に真っ逆さま…でしょうね😱
橋を渡り城門をくぐり入城。階段を上って天守に入りました。チケット購入と同時に御城印も購入。1,2回目の訪問の際はまだ平成…おそらく御城印がリリースされてなかった…ので今回は「行きこそしたけど(御城印における)未回収エリアの補完」という意味合いが強めでもありました
ここの御城印を御城印帳に収めて撮影(2枚目右側が高島城、左側は松本城の石川家ver) 高島城という文字の後ろに天守が浮かぶイカしたデザインだと、こうして改めて見ると思いますね😄
ちなみにこの諏訪という場所…「逃げ上手の…」における重要な場所で、鎌倉幕府滅亡後に幕府の生き残りとなった北条時行を諏訪頼重が匿い育てた場所がこの地
作品内では、鎌倉の新鮮な鯛を時行に食べさせたいという仲間の想いにより、当時ならではの行動がとられます…輸送トラックも無い時代…鎌倉の海で鯛を釣り🎣 それを馬に乗りながら(馬の背で)捌いて内臓を抜き、諏訪まで届ける…調理した鯛を頬に手を置いて、美味しそうに頬張る時行…が描かれてました
荷台が冷凍庫となってるトラックなら(国内なら)どこでも運べるのでしょうが、馬しかない当時は鎌倉→諏訪が魚の鮮度を保つギリギリのラインだったとも作者解説にありました🐟🐴
ここの天守は三層…2階は撮影禁止で、そこではそれに従い見物のみをしました。松本城と違い、ここの天守は(明治維新の際に)一度解体されて石垣だけとなってます。地元住民の反対はあったそうですが押し切られてしまった…「大隈重信の一声により解体を免れた彦根城」のように政府の大物クラスの意見が無ければ無視されちゃう…のかな?😅
3階には某小学校の卒業制作(高島城とその周辺のジオラマ)と天守模型、由布姫(ゆうひめ→信玄の側室にして勝頼の母、大河ドラマ「風林火山」における悲劇のヒロイン)人形…どちらを写そうか迷いましたが、ジオラマはプラスチックの柵が邪魔になりちょっと写りが悪い…建物の出来は頑張って作っているものの、やはりどこか小学生レベル…天守模型のほうが出来よく、姫人形も可愛いのでこっちにしました
天守3階から諏訪湖を含めた景色を撮影(4枚目)。部屋内に飾られていた写真を見ると、昭和30年頃は湖の周りは田んぼだらけで建物は殆どなかったそうです。きっと当時はもっとはっきりと湖が見えたのでしょう
でも今も(建物にやや邪魔されるけど)湖面は見えるっちゃ見える…御神渡り(湖が凍って隆起する現象)はしてないようでした。温暖化の影響か…城の堀は凍っても湖までは凍らない
高島城の3階から城内を見渡すと、池を含めた庭園のような場所(画像5枚目)が見えます。この辺りはかつて本丸御殿が築かれていた場所🏠
天守の近くにその見取り図が案内板として展示されてました。その敷地はかなりのもので数多くの部屋を擁した屋敷だったと思われます。でも…(やや温暖化した)今でさえここの冬は寒い…それが江戸時代あたりだったら…もうちょっと寒いでしょうね。
近くの諏訪湖が御神渡りした時の絵が天守内に展示されており、当時は人どころか馬が氷の上を歩いても平気だったそうです…🐴 今では多分考えられないでしょう…それくらい寒い中を過ごす…当時の暖房器具は火鉢に囲炉裏…電化製品ゼロの世界、専ら火に頼るしか身体を温める方法がない
部屋の数が多かったけど、その分暖房器具はあったのかな?大きい部屋だと囲炉裏は設置されたかもだけど、全ての部屋にというのはちょっと考えづらい…設計の手間およびコスト面で…小さい部屋…使用人の部屋は火鉢なのかな?
現代でさえ老人の孤独死…寒い日に身体がやられて多臓器不全などで逝ってしまうケースがあるそう↓
https://www.domocica.com/column/details_9691.html
当時の住宅環境は少なくとも現在よりレベルが落ちることは確かだと思うので、凍死で亡くなる方…今より多かったんじゃないかという様子が目に浮かびます
城内には神社もあり、その名は諏訪護国神社⛩️ 前回の訪問で神社らしき施設を見た記憶こそあったものの、当時は御朱印を集める習慣無かったため、大して気にも止めずに終わってました
今回はまず本殿で参拝…お賽銭用に10円玉をたくさん用意していたのですが、「さすがに10円だけというのは…😅」と思えたので100円玉も付けて110円を賽銭箱に投入。二礼二拍手一礼をここでもおこないました
そして社務所の呼び出しベルを鳴らし、職員を呼ぼうとします…🔔 念のため2回…ボタンを押しました🔘 しかし誰も出ません…ドアの磨りガラスから中に草履のような履物が見え、「御朱印一枚五百円」の貼り紙も入口の近くにあったのですが、担当者が出なければどうしようもない…ということで、ここでの授与は諦めることにしました😔
(諏訪護国神社の御朱印 参考URL)
https://omairi.club/spots/84953/goshuin
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ここで授与できるか否かはガチの運ゲー😅
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