せんごくぼりじょう

千石堀城

大阪府貝塚市

別名 : 今城
旧国名 : 和泉

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主郭
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しんちゃん

豊臣秀吉の紀州攻めの激戦地 (2024/02/24 訪問)

千石堀城は石山合戦の際に、石山本願寺に味方した根来衆の城で、和泉国に築かれた根来寺の支城の一つとされています。天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻めの際には弓の名手大谷左大仁法印が城主として千数百名の兵で籠り、大軍相手に善戦しますが、筒井定次隊が放った火矢の起こした炎が火薬箱に引火して爆発し、それに乗じた豊臣秀次隊が乗り込んで来て落城したそうです。
千石堀城は主郭を中心に周囲に堀を巡らし、東側は二重の堀切になっています。掘の間は腰郭のようになっていますが、このあたりが二の丸になるのでしょうか? 入り口は東側に付いているようで、土塁などはみあたりません。
千数百人が籠るにしては少し手狭に感じますが、二の丸だけで300人が討死し、本丸にいた残兵もことごとく討ち果たされたとのこと。積善寺城・沢城はさらに規模の大きい城だったようで、落城せずに和睦に応じ開場したようです。

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せんごくの杜 (2023/07/06 訪問)

 水間鉄道名越駅より徒歩にて約10分でせんごくの杜の駐車場に行くことができます。
そこから登城しましたが、歩いて行くと「千石堀城跡」の朽ちかけている木の標識がありました。こちらではないのでは?と思いましたが入って行くと展望台の標識があり登って行くと薄くなって読むのに難渋する説明板がありました。さらに進んでいくと空堀と思われる地形があります。戻って北側の山へ入って行くと所々縄張り図が木に取り付けてありありがたかったです。根来八幡宮の跡らしき場所を見つけると位置関係もより把握できて散策できました。空堀跡等残っていますが、夏季で草が多く倒木もあり難渋しました。さらに昨日降った雨の影響で足元が悪く、暑さに加え藪蚊の攻撃にあい早々に撤退しました。

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ぴーかる

千石堀城 (2023/01/29 訪問)

【千石堀城】
<駐車場他>せんごくの社 里山駐車場<34.418059, 135.370135>十数台駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>千石堀城は石山合戦の後に根来寺の支城の一つとして根来衆によって築城されました。北東に近木川が流れており畠中城・積善寺城・千石堀城が近木川のすぐ南西側にあることから近木川が根来衆・雑賀衆の防衛ラインだったことがよく分かります。1585年豊臣秀吉軍の猛攻を受け(千石堀城の戦い)双方多数の死者を出して落城しました。
 城の範囲は三ノ丞山と呼ばれる南北2㎞が城跡と思われているが北側3分の1程から分断されていて(かつては堀切だったのを現代に削って道にしたか?)範囲はよく分からない。城跡入口から重機の通ったような広い道があったので不思議と思ったらやっぱり主郭の北側に大きなユンボが置いてあり、主郭西側が削られ改変されていました。主郭の東側は生き残っており2重の堀や傾斜のある曲輪が残っています。分断された南側にも行ってみました。切岸を登ると折れた石碑と説明板があります。尾根上を南に下っていくと堀切があって丘陵上ピークに竹林が整備された削平地があります。東側に牛神池があります。かつては城の一角ではあったかもしれませんが、瓦が落ちていたので近世にここに家があったかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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イオ

堀で囲まれた陣城 (2022/01/08 訪問)

織豊期に根来衆が築いた城で、羽柴秀吉の紀州攻めでは大谷左大仁を守将として激しい戦いが繰り広げられましたが、火矢により火薬庫が爆発炎上して落城し、そのまま廃城となりました。

近木川西岸の丘陵に位置し、主郭の周囲に横堀(東側は二重)をめぐらせ、対岸の高井城と対になって機能した陣城で、城跡や北側の平坦地からは平安後期から戦国期にかけての瓦や五輪塔などの石造物が発掘されており、寺院を城郭化したものと考えられます。

かつてロータリーだったあたりに、里山活動のための無料駐車場が設けられていましたので、城めぐりを通じて地域の歴史を体感するのも立派に里山活動だ、と駐めさせてもらって登城開始。駐車場から丘と丘の間の道を南に進み、西への分岐を上って行くと、主郭東辺の切岸が見えてきます。よじ登ってもいいんですが、どうせなら虎口から入ろうと北側に回り込み、横堀を喰い違わせて設けられた虎口に到着。両側の横堀は浅くなっている上に伐採した木が積まれていたりしますが、幅は5mほどもあり、なかなかの規模だったようです。西辺にも横堀が(ところどころ途切れつつも)めぐり、東辺では間に土塁をはさんで二重の横堀がめぐらされています。

昨年の企画展「貝塚八城めぐり」に合わせて千石堀城(や高井城)で現地見学会が開催されたようなので、藪が刈られていることを期待していたんですが、特に整備された様子はなく主郭の中央部は藪の中でした。それでも横堀がしっかり遺っているのを見られただけでも満足です。
 

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 根来衆
築城年 安土桃山時代
主な城主 大谷左大仁(根来衆)
廃城年 天正13年(1585)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 大阪府貝塚市橋本
問い合わせ先 貝塚市教育部社会教育課
問い合わせ先電話番号 072-433-7125