つちまるじょう

土丸城

大阪府泉佐野市

別名 : 槌丸城
旧国名 : 和泉

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①正面の小山が土丸城本丸
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昌官忠

(東海&関西)遠征13日目:土丸城 (2025/05/27 訪問)

雨山城からの転戦です。

1347年(南朝:正平2年/北朝:貞和3年)ごろに北朝方の日根野氏が築城したとされています。
1347年(南朝:正平2年/北朝:貞和3年)北朝の足利尊氏の命を受けて、和泉国守護に就任した高師泰は、雨山の麓、熊取荘に隣接する日根荘の武士であった日根野盛治にこの城の守備を命じました。
しかし、尊氏・直義兄弟の内乱(観応の擾乱)から高師泰は左遷され、南朝方が勢力を盛りかえした結果、1352年(南朝:正平7年/北朝:観応3年・文和元年)から翌53年の戦いで日根野氏は南朝方に土丸城を奪われました。
1378年(南朝:天授4年/北朝:永和4年)南朝方の橋本正高・和田正武らが土丸城を拠点として北朝方と戦ったが敗れました。
橋本正高は、1379年(南朝:天授5年/北朝:永和5年)と翌1380年(南朝:天授6年/北朝:康暦2年)にも当城に拠って戦ったが山名氏清らに敗れ、高名里で戦死したと伝えられています。
その後も楠木正勝や山名義理らが当城および雨山城に拠り、15世紀以降も山名氏や畠山氏らの抗争の舞台となりましたが、最終的には1617年(慶長20年)の一国一城令で雨山城と共に破却されたと伝えられています。

土丸城には雨山城の主郭と千畳敷跡の間の道から行くことが出来ます。
土丸城は、雨山城の三の丸とも言われています。
雨山城から土丸城まで結構近いと誤解してしまい、攻城時間の見積もりを間違いました。
このまま土丸城を攻城すると、本日最後の攻城先=和歌山の太田城に日の入までに間に合わない恐れがでた為、途中で攻城を諦め引き返しました。
攻城時間は100分(雨山城+土丸城)くらいでした。次の攻城先=太田城を目指す為、浪商学園前バス停からバス➡電車を乗り継ぎ、東岸和田駅の宿泊先ホテルに戻り、預けた荷物を引き取りました。
その後、東岸和田駅から和歌山駅に向かい、本日の宿泊ホテルにチェックインした後、太田城に向かいました。

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急斜面の岩山 (2025/01/13 訪問)

花崗岩の急斜面の山体です。南東側から見ると、巨岩がたくさん露出しています(写真1)。鞍部で雨山城とつながってますが、独立性が高いです。まずは土丸城が作られて、その後、雨山城が作られたとあります。
 土丸バス停近くの広場に説明板があり、その先のお宮の前の道に道標があります。道標に従って真っ直ぐ進み、高速道路の高架下の車道を渡った先に、土丸城、雨山城登城口表示があります(写真4)。保存会の方々が登山道に道標を設置し、道脇のシダを刈ってくれています。雨山城麓から登る登山道は、ハイキング向けに手が入ってますが、こちらは激しく登って行きます。途中に関空方面が見渡せる箇所や南東の大木地区(農村風景)が見下ろせる箇所が設けられています。
 竪堀、土橋で守られた尾根から進入します。頂部の郭も急斜面を利用して、切岸が高いです。城びとレポートの本丸下の土塁はシダがこんもりした所か?

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国指定史跡 日本遺産 日根荘 (2025/01/13 訪問)

JRが和歌山行きと関空行きに分かれる、日根野駅。変わった名前と思い調べると、五摂家の一つ、九条家が開墾したという日根荘があり、現在にも遺構が残り、土地の利用も当時とあまり変わっていないとされています。ずいぶん前から、気になっており、土丸城、雨山城登城とセットにして訪問しました。
 日根野の少し北を流れる近木川畔の積善寺城を訪れたときにも驚いたのですが、山中でもないのに、川が激しく台地を侵食して川面がかなり下の方にあります。日根荘の樫井川も川面がかなり下にあり、水利に使えません(写真1)。代わりに溜池がたくさん作られています。高野山が開拓に失敗したあと、1234年、九条家に開拓を請け負わせました(命じたのはだれ?)。樫井川から取水し、5mほどの高低差で3km程を流す、用水路:井川(ゆかわ)を作るなどをして開拓に成功し、自家の荘園にしました。九条家最大の荘園であり、また、荘園は寄進による所有が通常なのに、自ら開拓したところが貴重とのことです。1501~1504年には、京都の戦乱を避けて当主がここに滞在していました。また、土丸城、雨山城は、住民が戦から避難する「山入り」「山上がり」に利用されていました。その関連性がみとめられ、雨山城、土丸城も日本遺産に指定されました。
 樫井川の川面と台地の高低差が小さくなった所に堰を設けて取水口にしています(写真2~3)。堰は近代化してますが、機構そのものは昔と変わらず田畑を潤しています。日根荘散策後、土丸バス停から土丸城にアプローチしていきます。

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土丸のこおどり (2023/05/25 訪問)

 雨山城から登城しました。道が分かれている所がありますと、よく見ると地面に案内標識がありました。途中の尾根にも曲輪と思われる削平地がありました。雨山城とは一体の城(一城別郭)と考えられています。主郭と周囲の曲輪、堀切等を見ることができます。イオさんが記載されていた土塁には今も倒木があり見づらい状況です。後で皆さんの投稿を見ると錆びた案内板があるとのことでしたが、全く気が付きませんでした。写真を見直すと神社の鳥居の下にそれらしきものが写っていました。
 土丸バス停方面へ下山しましたが、岩場も多く歩きにくく、思っていた以上に急峻でした。雨山城から登城してよかったと思いました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 日根野氏
築城年 正平2年〔南朝〕/貞和3年〔北朝〕(1347)
主な城主 日根野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財 国史跡(日根荘遺跡)
住所 大阪府泉佐野市土丸
問い合わせ先 泉佐野市教育総務課
問い合わせ先電話番号 072-463-1212