つちまるじょう

土丸城

大阪府泉佐野市

別名 : 槌丸城
旧国名 : 和泉

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土丸のこおどり (2023/05/25 訪問)

 雨山城から登城しました。道が分かれている所がありますと、よく見ると地面に案内標識がありました。途中の尾根にも曲輪と思われる削平地がありました。雨山城とは一体の城(一城別郭)と考えられています。主郭と周囲の曲輪、堀切等を見ることができます。イオさんが記載されていた土塁には今も倒木があり見づらい状況です。後で皆さんの投稿を見ると錆びた案内板があるとのことでしたが、全く気が付きませんでした。写真を見直すと神社の鳥居の下にそれらしきものが写っていました。
 土丸バス停方面へ下山しましたが、岩場も多く歩きにくく、思っていた以上に急峻でした。雨山城から登城してよかったと思いました。

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ぴーかる

【城と看板】

読め・・・・・・ます、はい。

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イオ

眺望と倒木 (2022/01/08 訪問)

南北朝期に北朝方の日根野氏が築いたとされ、後に橋本正高らに奪われて南朝方の城となるなど、南北朝攻防の舞台となりました。戦国期には根来衆の拠点となり、その後、一国一城令により廃城となったと考えられます。

粉河街道を見下ろす城ノ山の頂部に曲輪群を配した山城で、東尾根の先の雨山城との間にも城郭遺構が見られることから、一城別郭の城として雨山城と一体的に機能したと考えられ、土丸・雨山城跡として国史跡に指定されています。

雨山城から尾根道を西に進むと、日根荘大木の農村景観を見渡せるあたり(案内板あり)から土丸城を遠望できます。山頂手前の鞍部から登城路をそれて北東の谷部に下りて行くと、階段状に削平地が設けられていますが、これは山麓の土丸集落の住民が戦火や領主の支配を逃れるため「山入り」「山あがり」した際の避難場所とも考えられるようです。

谷部から登城路に戻って急な坂道を登ると主郭東下の曲輪に着きます。曲輪の奥、主郭東辺切岸の下には武者隠しとされる土塁があるにはあるものの、倒木が覆いかぶさっていてほとんど見えません。主郭北辺切岸を眺めながら北の曲輪を経て主郭へ。雨山城と同じく山頂の主郭には龍王社が鎮座し、錆びついた説明板がありました。主郭から西に続く尾根は灌木が密集していて進入路は見当たりませんが、灌木をかき分けて突入し岩盤の斜面の下に曲輪と堀切を発見。枝で目を衝きそうになったり帽子を取られたりしつつも突入した甲斐が(それなりには)ありました。主郭に戻って今度は北西尾根へ。北の曲輪から下って行くと堀切があり、その先にはいくつかの曲輪が連なっています。曲輪のひとつは展望所になっていて180度超の視界が開け、泉南はもとより摂津、淡路までが一望の下です! 南北朝期以降の諸勢力が土丸城(と雨山城)を確保したいと考えた理由(の一端)を実感できました。

土丸城だけでなく、この日訪れた雨山城でも根福寺城でも倒木を多く見掛けましたが、おそらく平成30年9月の台風21号(強風で流されたタンカーが関西空港連絡橋に衝突したあの台風です)によるものと思われます。遮るもののない眺望が土丸城の見どころですが、それだけに台風の風をまともに受けてしまうんでしょうね。ただ、他には眺望と堀切くらいしか見どころのない城なので、せめて武者隠しの倒木だけでも何とかならないものでしょうか…。
 

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ぴーかる

土丸城 (2020/05/20 訪問)

【土丸城】
<駐車場他>雨山城と同じ。
<交通手段>車

<感想>主郭にある説明板によると「土丸城は正平元年(1346年)日根野町の豪族日根野氏によって築かれたと考えられる。同三年、高師泰は吉野の行宮を侵すにあたって日根野時盛にこの城の警固を命じた。同八年、楠正成一族の橋本正督(正高)が時盛を追ってこの城に入り尾根続きの雨山に縄張りを拡げた、いわゆる雨山城である。」とあります。
南北朝時代、北朝側の日根野氏によって雨山城より先にこの土丸城が築かれ、南朝方の橋本正高によって城が奪われると雨山城築城とともに大改修を行った。その後は北朝方と正高で城の争奪が繰り返された。

 城跡へは雨山城跡から行くルートと麓から登るルートがあり、雨山城を過ぎた辺りで合流して進みます。雨山城でも記述しましたが、岩場を下ると途中に国史跡、重要文化的景観である日根野荘が一望できる所があります。同じ場所から土丸城跡のトンガリした山が見られます。土橋を渡って登ると主要部に入ります。主要部以外は鬱蒼としていて、曲輪遺構があるかないか目視では判断できません。主要部は主郭が一段高くなって半円状に広い腰曲輪があります。片面は切岸になっている。主郭に祠と忠烈碑があります。雨山城より全然未整備なので目でわかる遺構はこんな感じでした。山の中腹が岩場になっているので麓からのルートには中腹に堀切・曲輪等の遺構があるらしいです。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 日根野氏
築城年 正平2年〔南朝〕/貞和3年〔北朝〕(1347)
主な城主 日根野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財 国史跡(日根荘遺跡)
住所 大阪府泉佐野市土丸
問い合わせ先 泉佐野市教育総務課
問い合わせ先電話番号 072-463-1212