群馬県最大級の山城です。大道寺政繁が大改修しました。豊臣方の大軍を1ヶ月食い止めました。
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2025/06/25 12:29
2025/06/09 16:31
広大な城跡 (2025/06/05 訪問)
城中の案内板に、小田原北条氏の支配地の北西端に位置し、境目の城として重視され、重臣の大道寺政繁が配置された。天正18年の小田原征伐時に北国勢に攻められ、一ヶ月ほどの攻城戦の後、降伏し廃城となった・・・とある。
東駐車場利用。入口に建物があり、パンフレットと書いてあるが物はなかった。縄張など分からないまま散策路を進む。時間の余裕もなかったが、入口背後の土塁・堀切、水の手、連続竪堀付近、本丸、馬出、二の丸くらいで下城する。二の丸先の連続堀切、安中郭、S字堀などは回りきれず。
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2024/09/01 19:45
期待を超える松井田城 (2024/04/20 訪問)
4月後半は群馬県安中市の松井田城へ。
東山道が碓氷峠を経て信濃国へ向かう上野国の出入口。碓氷川と九十九川に挟まれた比高約130mの山の尾根に築かれた城。
1487~1566年は安中氏の城で、現在の安中郭が主要部であった模様。
武田、織田(滝川一益)支配の時代を挟み、1582年からは小田原北条氏家臣の大道寺政繁が入城。政繁により増改築されますが、秀吉の小田原征伐で落城し廃城となりました。
現在は大道寺時代の広大な土の遺構に、保存会により案内板やガイドロープが設置された城跡。
訪問時はバイパス登城口から入城し、見学ルートを反時計回りで1周。
大きなクランク状のS字状空堀を確認後、大手道へ行けば要塞感を強く発する3つの堀切。
そして最大の特徴は連続竪堀と連続空堀。いずれも手前は凹凸が不鮮明だが、奥は明確でコンディション良好。
滞在時間は約2時間強。
カメラのバッテリー残量が少なく、途中から急いだものの本丸でバッテリー切れ。
そんなトラブルがありながらも、期待を遥かに超えた私の城郭巡りの182城目でした。
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2023/11/26 12:01
熊とヒルとスズメバチ。 (2023/10/30 訪問)
城びとの皆さんが絶賛する「松井田城」。
ちょっと入口まで行って来ました。
本日、脱線します。
素晴らしいのは承知しているけど、装備不十分なので、別日と考えてました。
高速道を降り「後閑城」に向かっていると、「松井田城」の案内板を数回 見ました。幟もはためいていて「松井田城」に誘われます。
と、言うことで ちょっと「松井田城」に寄り道しました。
駐車場もあり、小さな小屋に案内があります。杖も用意してくれてました。
が、アルミ缶がぶら下がっていて『熊と出くわす前に叩いて下さい』との事。よーく見ると結構な数がぶら下がってます。80mほど侵入しただけで土塁や堀が確認できました。
熊が怖くて、引き上げました。小屋には、熊の他にヒルやスズメバチへの注意が書いてありました。
もう、駄目です。
本来の目的城に向かう途中、何やらの説明板が見えます。
路駐し、見に行くと万葉集でした。少し行くと、もう1枚。
以前、城びとの企画で100名城のカルタの詠みを、五・七・五で考えました。どなたの句が選らばれたか楽しみですね。
次回、続100名城カルタでは、万葉集風に五・七・五・七・七とすれば、お城への思いがもっと入れられます。
またもや、石碑だと路駐。今度は明治時代の詩人、磯貝 雲峰さんの碑です。
ほー、詩かー。
【城×短歌】
スズメバチ~、熊に怯えて、逃げ出せば~、再戦 誓う、松井田の城~。
駄目だこりゃ。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
天守構造 | 不明 |
築城主 | 安中忠政 |
築城年 | 永禄元年(1558) |
主な城主 | 安中氏、大道寺氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、虎口 |
指定文化財 | 市史跡(松井田城安中郭跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 群馬県安中市松井田町新堀 |
問い合わせ先 | 安中市学習の森ふるさと学習館 |
問い合わせ先電話番号 | 027-382-7622 |