城中の案内板に、小田原北条氏の支配地の北西端に位置し、境目の城として重視され、重臣の大道寺政繁が配置された。天正18年の小田原征伐時に北国勢に攻められ、一ヶ月ほどの攻城戦の後、降伏し廃城となった・・・とある。
東駐車場利用。入口に建物があり、パンフレットと書いてあるが物はなかった。縄張など分からないまま散策路を進む。時間の余裕もなかったが、入口背後の土塁・堀切、水の手、連続竪堀付近、本丸、馬出、二の丸くらいで下城する。二の丸先の連続堀切、安中郭、S字堀などは回りきれず。
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