小倉山城は長良川の東にある標高160mの小倉山に築かれています。関ヶ原の合戦で東軍に属し功績のあった飛騨高山城主金森長近によって築かれましたが、長近の死後2万石を分知され上有知藩主となった次男・長光がわずか6歳で没すると上有知藩は廃藩となり、小倉山城も廃城となったそうです。後の元和元年に尾張藩主徳川義直の直轄となった際に、かつての館跡に代官陣屋が置かれたそうです。最高所にある展望広場が主郭のようで模擬天守のような展望台が建っています。展望台の下にある陽だまり広場がかつての館跡らしく周辺に石垣が残っているようです。東側にある忠魂碑の周辺は他の場所より高台になっていて櫓台のようにも見えます。南にある大手周辺には大手門跡と石垣が残っているようですが今回は確認していません。角櫓もあるようなので三度目の訪城の際に見に行ってみようと思います。
ちなみに次男の長光ですが長近が80を過ぎてから生まれた子供だそうです。なんかいろいろと凄い話ですが、小倉山城が築かれたのと長光が生まれたのが同年(慶長10年・1605)なので実子に跡を継がせるために、この地に城を築いたのかもしれませんね。
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