うらそえじょう

浦添城

沖縄県浦添市

別名 : 浦添グスク
旧国名 : 琉球

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にのまる

浦添ようどれ (2025/04/23 訪問)

座喜味城からバス2本を乗り継ぎ浦添城へ。
はじめに浦添グスク・ようどれ館で映像や資料を見て学習しました。

発掘された14世紀頃の瓦などの他に、日本軍の陣地として使われた戦時中の銃剣や焼け焦げた食糧なども展示されていました。
昭和初期、沖縄戦で壊滅した当時、そして平成の発掘から復元までと順を追って写真を見ていると、多くの試練や困難の先に現在があることを改めて強く感じました。
実物大で再現された西室内部は厳かな雰囲気を纏っており、体感できたことに感謝でした。

外に出て、ようどれに向かいます。
こちらにも写真と解説があり、辿ってきた歴史を現地で見ながら想像できてよかったです。
それにしても大きい。そして美しいです。
固い石を積み上げて表現される強さとしなやかさ。石積みの無限の可能性のようなものを感じました。

続いてグスクへ向かいます。
朝から降り続く雨はやみそうにありませんが、このしっとり感もなかなかいいものです。浦添城は沖縄戦後の採石によりほとんど城壁が残っていないそうですが、僅かに残る城壁や敷石を探しながら、また御嶽や沖縄戦の遺構なども見ながら歩きました。

そしてせっかくここまで来たのだからとワカリジーまで行きました。ワカリジーは為朝岩とも(後世になってから)呼ばれているそうで、為朝伝説にまた出会えたなぁとしみじみ思いました。

ここからの下りが若干不安でしたが壕跡など見ながら下りきるとモノレールの浦添前田駅前で、タイムマシーンで現代に戻ってきたような感覚でした。

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とばつびしゃもん

首里以前の王都の城 (2025/01/02 訪問)

浦添大公園南エントランス駐車場から攻城する予定のところを道に迷い、浦添グスクようどれ館駐車場に着陣しここから登城開始。
浦添ようどれは後にして、ルートに沿って復元石垣のところから城内に入る。館跡の先には浦添市街を展望できるところがあり、沖縄戦の激戦舞台になったことを示す案内板がある。その先、城の東側は立入が難しそう。
城の中心と思われる殿を通り城の南側へ・浦添城の前の碑のところから城の南方、復元中の首里城正殿の囲いを望む。
石畳道を通って浦添大公園南エントランスに立ち寄る。入館はできなかったがパンフレットを入手。
調査で発見された南側の石垣は目地が縦に直線になっているのがわかる。
ルートを一周した後、北側の崖下にある浦添ようどれへ。復元された王家の墓は立派の一言。墓番の屋敷跡地を通り抜け駐車場へもどる。80分の攻城。

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トベシュン

沖縄13城跡巡り (2023/04/05 訪問)

二泊三日で沖縄13城巡りをしてきました。
座喜味城跡、安慶名城跡、勝連城跡、浦添城跡、中城城跡、今帰仁城跡、首里城、具志川城跡、南山城跡、知念城跡、垣花城跡、玉城城跡、糸数城跡の13城。

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昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)3日目:浦添城 (2023/02/05 訪問)

沖縄の100名城と続100名城はすでに攻城済なので、今回のツアーに参加したのは未攻城のグスク攻城が目的です。
その目的のひとつ浦添城に「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で行って来ました。

浦添城は首里城以前の中山王の本城として知られており、14世紀頃に瓦葺きの正殿を中心に、堀や石積城壁で囲まれた巨大なグスクだったそうです。
しかし、沖縄戦のときに日本軍の陣地が置かれたため、米軍による攻撃にされされ壊滅的な打撃を受け、戦後はさらに石や岩盤が削り取られたそうです。
米軍による攻撃をかろうじて免れた現存城壁は修復中でした。
攻城時間は45分くらいでした。今回のツアーはここが最後で自宅に戻ります。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 なし
築城主 舜天王
築城年 13世紀頃
主な城主 舜天王、英祖王統、察度王統、尚氏
廃城年 慶長14年(1609)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国史跡(浦添城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 沖縄県浦添市仲間2
問い合わせ先 浦添市役所
問い合わせ先電話番号 098-876-1234