続日本100名城

しぶしじょう

志布志城

鹿児島県志布志市


旧国名 : 日向

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志布志城
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ヒロケン

迷路 (2025/08/11 訪問)

志布志城は内城、松尾城、高城、新城の4つの中世山城の総称で志布志城と呼ばれています。高城、新城への立ち入りは制限されているとの事で、内城、松尾城を攻略すべく登城しました。
志布志城の中核をなす内城の規模は、東西約300m・南北600mの規模があり、シラス台地に深く刻まれた大規模な空堀によって主要な7つの曲輪が区画されています。標高は内城本丸で約54m麓との比高差は約50mもあります。この志布志に広大な山城が築かれた理由として、この地は海上交通の拠点として、海外・国内貿易が盛んで国内外の陶磁器や銭貨・鉄砲玉などが出土しており、経済的・軍事的に重要な場所であった事が窺えます。
この重要な城を巡り、城主も入れ替わりが多く肝付氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、豊州家島津氏、肝付氏、島津氏と変遷しています。

志布志市埋蔵文化センターで続100名城スタンプと志布志城内(内城)散策マップをいただき、埋蔵文化センターから約3Km程離れている志布志小学校横の無料観光駐車場に駐車。用を済ませてから平山邸庭園(国史跡)の前を通り、大手口より入城。
南九州地方特有のシラス台地を削った切岸、大規模な堀がこの城の最大の見所といえます(私見)。郭の周囲に土塁が一部見られましたが、この急崖を登れる人が居るとも思えず、土塁が必要なのだろうかと疑問に思ったりもしました。
本丸周辺は、よく整備されており難なく散策が出来ましたが、中尾久尾と呼ばれる郭を散策しようと大空堀から入っていったところ、雑草・雑木が生い茂り、予定の時間が迫る中「折角だから」と思い郭を見学しようと入りこんだところ暫くして全然、自分の位置が分からなくなり、迷子状態に(>_<)噴き出る汗💦顔の周りを飛び回るやぶ蚊やブト💦何度も足を滑らせ泥まみれ💦どのくらい時間が経過したことだろうかふと気が付くと、建物が・・・助かったぁ~志布志小学校の裏手に出れ無事駐車場へ(;'∀')松尾城攻略は断念(気力がない)

この城で驚いたこと、大手口の手前に朽ち果てた家が数件、住んでいないと思うが門の表札を見ると「肝付〇〇」末裔の方であろうか⁉
この城で学んだ事「無理はしない‼‼」皆様もお気を付け下さいませ。

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HKISD

志布志城散策 (2025/07/19 訪問)

ここは歴史資料館から遠く、登る所も非常に見つけにくかったです。
でも行って良かったです。

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にのまる

バスで行ったけど路線図見て感泣 (2025/01/22 訪問)

九州城めぐり旅5日目です。
鹿児島から志布志への行き方はいくつかあるようですが、
・鹿児島中央→(日豊本線🚃)→都城
・都城→(路線バス🚌)→志布志駅
で行きました。

都城→志布志のバスは直通もありますが時間的に途中で乗り換えとなりました。
2本とも他に乗客はおらず運転士さんと2人きり。googleマップで見ると感動するくらいの山の中で、地元の人間でもないのにここを運んでいただけるなんて!と感謝しきりでした。

志布志駅前の観光案内所で情報をいただいてから埋蔵文化センターへ徒歩で向かいました。そこで見たジオラマがものすごくて!今思い出しても感動がよみがえってきます。

志布志へ行ったら絶対に行きたかった志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所に寄ってから志布志城へ。

観光案内所の方に4つの城郭のうち見学できるのは松尾城と内城。ただ、内城の方は中野久尾まで行こうと思えば行けるけれど厳しめだと伺っていたので、無理はしないで本丸までにすることにしました。
はじめに松尾城へ。知覧城で見たのと同じシラス台地を掘削した空堀。しーんとした山の中を歩くのは慣れているはずですが、初めてのところはやはり緊張します。ビクビクしながら行って戻ってきました。
続いて内城へ。こちらには幟や案内板、散策コースマップがありました。初めは恐る恐るでしたが本丸に到着すると気持ちの余裕も出てきてじっくり観察できました。曲輪3下段、曲輪2上段の発掘調査の詳細な解説板に、ジオラマに違わぬすごいお城だったんだなぁと感動しました。

下山後は福山氏庭園に寄りました。昨夏大規模修復を終えたそうです。貴重なお話をたくさん伺えました。100年後の将来を見据えた修復という説明にお城の復元に通じるものがあるなと思いました。

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たか

南九州の山城はやはりすごい (2024/10/07 訪問)

シラス台地での山城第2弾。
知覧城に続いて志布志城を攻城しました。
やはりシラス台地の山城は空堀内を歩くと両サイドの切り立った土壁に圧倒されてしまいます。
知覧城もそうでしたがここも元は今よりも7m程度は深かったとありました。
これはとてもじゃないですが壁を登ることは不可能でしょう。
ですがここは肝付氏や楡井氏、島津氏と奪い合いをしたのですよね。
はたしてどうやってこんなところを攻め落としたのでしょう?

内城の本丸に行ってみたところ、しっかりと虎口があり、周りを土塁で囲っていました。
木があって見えませんが志布志港が見えたのではないでしょうか?
急な階段を下りながらゆっくりと下山。
降りたら小学校横にあった若宮神社に感謝のお参り。
その後松尾城の方へ。
こちらは案内に整備されていないので気を付けてとのことだったのですが、意外と道は悪くない。
入り口付近は過去には民家が数件あったんですね。
登ると楡井氏の石碑があってあまり苦労することなく攻城終了。
なかなか満喫することができました。

時期的に虫は大丈夫かと思ってましたが、残暑のせいかやはりまだ耳障りな羽音が聞こえます。
それが以外は森林浴効果でしょうかマイナスイオンを浴びて清々しい気持ちになりました。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 保安年間(1120〜1124)
築城者 救仁院氏
主要城主 救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝属氏、鎌田氏
文化財史跡区分 国史跡(志布志城跡)
主な関連施設 碑、説明板
主な遺構 曲輪[内城・松尾城・高城・新城]、土塁、横堀(空堀)
住所 鹿児島県志布志市志布志町帖字松尾他
問い合わせ先 志布志市生涯学習課文化財管理室指定文化財係
問い合わせ先電話番号 099-472-1111