詳細不明ながら築城は南北朝期以前と推定される。およそ400年で救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏、島津氏と城主は変遷。また志布志城は、内城、松尾城、高城、新城の総称。見学コースのある内城を歩いたが、南北600m東西300m、大きく分けて6つの曲輪があり広大でとりとめのない大城郭だった。南九州型の切岸の鋭い堀。そんな堀底を歩き薮に覆われた曲輪を眺める。本丸だけは木々や草が伐採されてた。迷わないための配慮か案内板(位置図)が多く設置されていた。
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2023/12/06 22:15
巨大迷路南九州型シラス台地の山城
詳細不明ながら築城は南北朝期以前と推定される。およそ400年で救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏、島津氏と城主は変遷。また志布志城は、内城、松尾城、高城、新城の総称。見学コースのある内城を歩いたが、南北600m東西300m、大きく分けて6つの曲輪があり広大でとりとめのない大城郭だった。南九州型の切岸の鋭い堀。そんな堀底を歩き薮に覆われた曲輪を眺める。本丸だけは木々や草が伐採されてた。迷わないための配慮か案内板(位置図)が多く設置されていた。
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2023/07/09 21:31
とんでもないスケールの日向の巨城 (2023/01/07 訪問)
志布志城は南北朝のころから使われ始めて拡張を続け、天正5年(1577)島津氏の
直轄となり家臣の鎌田 政近が地頭として入ったそうです。
鎌田氏は関ヶ原合戦後、徳川家家臣、本田正信との交渉で島津家存続の功績を
あげています。
現在、続日本百名城に登録されている志布志城は内城で、ほかにも新城、松尾城、高城が
ありますが、全部確認するのは困難でしょう。
新城は訪問しましたが、松尾城は社の背後の堀切の先に進めず断念。
登城しやすいよう整備が待たれるところです。
内城だけでもかなり広いですね。各郭が完全に分断されていて郭間が通路を兼ねた
堀切になっていますが、かなり見ごたえがあります。
登城道から矢倉場、本丸、中野久雄(二つある)、大野久雄と独特な名前の郭が続きます。
最も深い空堀の深さは17mあるそうですが、かつては最大24mあったとのこと
絶対登ることはできませんね。
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2023/03/13 03:43
城地種類 | 山城 |
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築城年代 | 保安年間(1120〜1124) |
築城者 | 救仁院氏 |
主要城主 | 救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝属氏、鎌田氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(志布志城跡) |
主な関連施設 | 碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪[内城・松尾城・高城・新城]、土塁、横堀(空堀) |
住所 | 鹿児島県志布志市志布志町帖字松尾他 |
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問い合わせ先 | 志布志市生涯学習課文化財管理室指定文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 099-472-1111 |